2月5日、俺はいま九条の家の前に来ている。インターホンを押そうかどうか迷っているところだ。

 あの日、公園で九条にすきだと言われた。”すき”にも色々あるけど、友達としてのすきじゃないと思う。声を震わせて真っ赤な顔をしていたから。その後、試験期間に入り九条とゆっくり話すことができなかった。2月になり3年生は自由登校になったから顔を合わせることもなくなった。内心少しホッとしていたけど、昨日九条から連絡がきた。

 『倍返しの約束おぼえてるでしょ? 明日ウチにきてね!』

 なにをするのか、聞いても教えてくれなかった。いろんなことを考えすぎて昨夜は一睡もできなかった。

 (てか、どんな顔して会えばいいんだよ!! すきって言われて意識しない方が無理! あ~またドキドキしてきた~~)

 ガチャとドアが開いて心臓が飛び跳ねる。九条が顔を出し「いつまで突っ立ってんの?」と笑いながら手招きしてきた。

 (はず…みられてたのかよ)

 無駄にデカい音を立てる心臓に手を当てて九条の家に入った。

 「おじゃまします」

 「はーい、どうぞ~! あ、今だれもいないから大丈夫だよ」

 (だれもいない?! 大丈夫?! なにが大丈夫なんだ?!)

 靴を脱いでスリッパに履き替えながら心の中でツッコミをいれる。九条に案内されて向かった先はキッチン。そこでピンクのフリルがついたエプロンを着せられる。

 「あはは、春樹似合ってる~かわいい~~」

 毎度おなじみのふにゃデレ顔で、俺にスマホを向けてカシャカシャと写真を撮っている。

 「ほら、みて?」

 撮った写真をみると、肩幅のゴツイ男がフリルエプロンを着て仏頂面で立っていた。我ながらすごく気持ちが悪い。

 「全部消せ」

 「え~かわいいのに~」

 「消さないなら今後お前とは二度と口きかなーー」

 「消します!」

 消去したのを見届けてから周りを見回す。テーブルの上にはボウルや包丁などの調理器具とチョコレートやココアパウダーなどの製菓用の材料が並んでいた。

 「お菓子でも作んの?」

 「当たり!来週バレンタインでしょ?明日の登校日にクラスのみんなに配ろうと思ってさ」

 そういえば九条の趣味はお菓子作りだ。進路も製菓の専門学校だったっけ。

 「去年も友達に作って配ったらみんなよろこんでくれてさ、今年は卒業だからクラス全員分のトリュフを大量に作ります」

 「トリュフ?」

 「キノコのトリュフに形が似てるチョコだよ。美紀のリクエストなんだ」

 九条の口から美紀という名前が出てきて胸がチクッとした。

 「…この前一緒に帰ってたけど、もしかしてより戻したとか?」

 「え? 違うよ~色々話したいことあったから一緒に帰っただけ」

 「ふ~ん、そっか」

 安心してる自分がいる。やっぱ俺、無意識に桜庭に嫉妬してたんだ。

 「で、そのトリュフ作りを俺に手伝えと?」

 「そういうこと」

 「俺全然料理できないけど…」

 「切ったり溶かしたりするだけだから大丈夫だよ」

 まな板の上に銀紙を剥がした板チョコが置かれてスッと包丁が差しだされた。それを受け取り包丁の柄を両手で握りしめておもいっきり振り下ろした。まな板の上の板チョコは真っ二つに割れたが包丁を振り下ろした衝撃でテーブルの下に落ちてしまった。

 「マジか…」

 チョコを拾い上げ顔を引き攣らせている九条。

 「調理実習とかどうしてたの?」

 「永嗣が全部作ってくれた。俺と健吾は手伝うふりしてみてただけ」

 「そっかぁ、永嗣料理できるもんね…」

 「じゃあ俺は用なしということで」

 エプロンを脱ごうとしたら腕をつかまれた。

 「せっかくだから俺が手取り足取り教えてあげるよ」

 「いや、遠慮しまーー」

 「倍返しの約束だよね?」

 有無を言わせない九条の笑顔にイエスと答えるしかなかった。

 まずチョコの刻み方を教えてもらう。角から斜めに大きく切っていく。大まかに切れたら、チョコを真ん中に集める。包丁の先を手で押さえて、そこを軸にして動かしながら細かく刻む。
 九条の隣に並び同じようにやってみるけど包丁の扱いに慣れてなくて時間がかかってしまった。

 「できた」

 俺が刻んだチョコをみて眉間にシワを寄せる九条。

 「まだ大きい。もっと細かくして」

 「は? どうせ溶かすんだからべつにいいだろ」

 「細かくしないと均一に溶けないんだよね。ほら、手を動かす!」

 チッと舌打ちしたら鬼の形相で睨まれた。なんかいつもの九条じゃない…めっちゃ厳しいんですけど…

 仕方なくさっきと同じようにして無心でチョコを刻みまくった。おかげでほぼ粉になった。

 「まぁ、よしとするか」

 「上からだな~」

 「はい、次いくよ」

 次はチョコを溶かす工程。刻んだチョコをボウルに入れる。55℃くらいのお湯を張ったボウルにチョコが入ったボウルを入れて、しばらく待つ。まわりが溶けてきたら、ゴムベラでゆっくりかき混ぜる。粒がなくなってなめらかになるまで混ぜる。

 「ここは順番にやってたらチョコが固まっちゃうから一気にやるよ」

 そう言って九条と俺の刻んだチョコを同じボウルに入れて溶かし始めた。

 「春樹もやって」

 九条の持ってたゴムベラを差しだされておずおずと受け取り、ゆっくりとチョコをかき混ぜる。

 「ぜっっったいにお湯入れちゃダメだからね!」

 「わかってるよ」

 隣に立ってる九条の視線が突き刺さって痛い。ああ、早くおわんないかな…

 不意に背後からにゅっと手が伸びて、ボウルを支えてる左手とゴムベラを持つ右手に九条の手が重なった。

 「えぇ?!」

 驚いて振り向こうとしたらすぐそこに九条の顔があって、危うく頬にキスするところだった。

 (おぉぉい…近すぎるだろ)

 平常心を保とうとするけど、意識すればするほど顔に熱があつまっていく。

 「大丈夫、集中して」

 九条の低く甘い声が鼓膜に響いて腰が砕けそうだ。

 (全然大丈夫じゃないんですけど…この状況で集中できるわけないじゃん)

 「そ、そろそろいいんじゃない?」

 「うん、こんなもんかな」

  やっと九条が離れてくれてホッと胸を撫でおろす。

 九条は手を洗うと冷蔵庫から大量のガナッシュとやらを取り出してきた。事前に作っていたものらしい。

 「なんか動物のウンコみたい」

 九条は呆れたようにため息をついて「さいてー」と肘で小突いてきた。地味に痛い。

 さっき溶かしたチョコを手の平につけて、丸いガナッシュをコロコロ転がしてコーティングする。見ながら同じようにやってみるけどやっぱりうまくいかない。九条のはきれいな丸の形をしているのに、俺のは岩みたいにボコボコしてしまう。
  そしてやっと最後の工程。バットの中にココアパウダーを入れる。コーティングしたガナッシュをその中で転がして表面にココアをまぶす。

 「で、できた…」

 「かんせーい!イェーイ!」

 九条とハイタッチをして喜びを分かち合う。

 「いや~チョコ作りってこんなに大変なんだな」

 バットに並んだたくさんのチョコ。俺のは形が悪くて不格好だけど、苦労しながら作ったぶんそれすらも愛おしい。

 「ってか、九条すげぇな!こんなキレイに作れんだ。店に出せるレベルじゃん」

 九条は少し照れたようにはにかむ。

 「そんなことないよ。まだまだ全然趣味程度の出来だから」

 「いやいや、マジすごいって」

 「へへっ…春樹、今日はありがとうね。おかげで楽しく作れたよ」

 「全く戦力になってなかったけどな。むしろ足手まといだし」

 「ううん、一緒に作ってくれてうれしかった。いい思い出になったよ」

 九条はうれしそうに笑っていたけどなんだか少し寂しそうだった。