始業式、長い長い校長の話を聞くのが辛い。単調なリズムと抑揚のない声色が眠気を誘い、うとうとと船をこぐ。気づけば、校長が生活指導の体育教師に変わっていた。無駄に声を張り上げて説教を垂れている。
 始業式が終わりクラスのHRで担任が連絡事項を告げると各自解散となった。この後、大学受験組への出願ガイダンスがある。俺は進路が決まっているのですぐにでも帰れるんだけど、

 「春樹すぐ帰る?」

 ガイダンスの資料を手にした冴島(さえじま)健吾(けんご)があくびをかみ殺してから俺に尋ねる。校長の長話の被害者がここにもいた。

 「ガイダンスってどんだけかかんの?」

 「たぶん、1時間くらい」

 同じく資料を手にした椎葉(しいば)永嗣(えいじ)が俺の問いに応えた。

 「帰ろうかな。寄りたいとこあるし」

 「え~帰っちゃうの~ラーメンは~?」

 「ごめん、また今度」

 しょんぼりしている健吾を、永嗣がなだめながら教室を出て行った。学校が午前中でおわる日は、3人で駅前のラーメン屋に行くのがお決まりになっている。中でも健吾はみそラーメンが大好きで、行くと絶対にみそラーメンを注文する。そしてSNSに“みそラーメン最高!毎日でも食べたい!”とラーメンの画像をアップしていた。卒業したらなかなか来れなくなるから健吾はラーメン屋に行きたかったのだろう。残り少ない機会を断ってしまい悪かったなと思いながら、俺もカバンを手に教室を出る。

 「春樹!」

 教室を出たところで呼び止められた。オレンジ頭の九条が犬みたいに駆け寄ってきた。

 「一緒に帰ろ!」

 ない尻尾が左右にぶんぶん揺れている。おもわず小さくふきだしてしまい、なに? と聞かれたけど適当にごまかしておいた。

 「ちょうどよかった。トリートメントみにいこ」

 「え、いってくれんの? ありがとう」

 「店に行ったら思い出すとおもうんだよね」

 並んでろうかを歩く。校長の話が長かったとか、朝電車に乗り遅れそうになったとか、霜柱を踏むときもちいいとか。どうでもいい話を楽しそうにしている。

 「そういえばさ、春樹は進路決まってるんだっけ?」

 「うん、A大の建築デザイン学科」

 「建築? なんかかっこいい」

 「そうか? じぃちゃんが宮大工で俺もそういう仕事したくて」

 「そっか~」

 「九条は?」

 「俺はね、製菓の専門学校」

 「製菓ってお菓子作り?」

 「そうそう。母さんの趣味がお菓子作りで俺もすきになっちゃって」

 「いいじゃん。パティシエ」

 九条が照れたように笑う。そのうち生徒玄関に着いて靴を履き替えていると、九条の恋人・桜庭美紀とはちあった。

 「あ、美紀…ばいばい」

 九条が少し気まずそうにしながら小さく手を振ると、ふいっと顔をそらしてスタスタと生徒玄関を出て行った。

 「ケンカしてんの?」

 「いや、ケンカじゃない」

 「向こうが一方的に怒ってるとか?」

 「…ううん、俺が美紀に…ひどいことしたから」

 ケンカするほど仲がいいって聞くけど、九条と桜庭はまさにそんなカップルだった。よく痴話げんかはしていたもののすぐに仲直りしてたから、今回もすぐに元通りになるだろう。励ましのつもりで九条の背中をポンポン叩くと力なく笑って小さな声でありがとうと呟いた。

*****

 学校から駅までつづいている商店街、そこにあるドラッグストアに入った。トリートメントが陳列されているコーナーでざっと商品を見渡す。確か、オレンジ色のパッケージだったっけ? いや、黄色だったような…?

 「春樹は髪染めないの?」

 商品を手に取り説明を読んでいると、後ろでブリーチ剤を見ている九条が声をかけてきた。

 「卒業したら派手髪にしたいんだよね。赤とか青とか」

 「みたい! 春樹の派手髪! 金髪めっちゃかっこよかったからさ、絶対似合うよ。シルバーとかもいいんじゃない?」

 ブリーチ剤の箱を俺の顔の横に並べる九条。交互に見ながらう~んと唸っている。

 「あ! ちょ、動かないで!」

 「はぁ?」

 「横顔きれいだよね。鼻高いし、この顎のライン最高。目の下のホクロも色っぽくてすごくいい」

 マジマジと顔をみながら顎をすーっと撫でられる。驚いている間に親指の腹で目尻を撫でられて、右目の下にあるホクロをちょんと触られた。

 「え? なに急に?」

 距離を取ろうと一歩後ずさりしたら、背後にはトリートメントの陳列棚がありこれ以上後ろに行けない。

 「肩幅があるぶん、腰が細くみえて色っぽいよね。あと、手がめちゃくちゃきれい」

 俺の手を(すく)い取ると、またもや親指の腹でスリスリと撫でている。手の甲にキスでもするんじゃないかというくらい至近距離でみつめている。

 (マジでなんなんだよ、コイツ……)

 「九条、トリートメント」

 空いている方の手でトリートメントを差しだすと、手を離して「ありがとう」とトリートメントを受け取った。そのまま会計に向かう九条。触れられた手と九条の背中をみてため息がこぼれた。

 九条ってこんな奴だったっけ?
 距離の詰め方おかしくない?
 人との距離感バグってない? 
 パーソナルスペースないの?

 会計を終えた九条がこちらに戻ってきた。困惑している俺をよそに、にこにこと人当たりのいい笑顔を浮かべている。

 「春樹のおかげでトリートメント買えたわ。ありがとう」

 「よかったね」

 「そういえばさ、この前ーー」

 ドラッグストアを出て並んで商店街を歩く。今朝と同じように他愛ない話を楽しそうにしている。

 そうだ、コイツは超が付くマイペース人間だった。さっきのも九条なりのスキンシップだったのかもしれない。うん。きっとそうだ。そう自分に言い聞かせて、俺は深く考えるのをやめた。