「最近さあ、ここらへん物騒じゃね」

「なんで?」

 昼の時間。潤の言葉に疑問を覚えて問いかければ、ジュースのストローから口を離し、彼は言葉を続けた。なにか近所であったのだろうか。

「知らねーの? 公園とかで猫とかが刺されてるんだって。命は助かってるらしいけど──誰かが見つけなかったらやばかったってよ」

「……なんだそれ。最悪じゃん」

 顔をしかめる。俺は動物を虐める奴がいちばん嫌いなんだ。そんな事件が起きていながら全く耳にしてこなかったのは、周りとの繋がりが少なすぎるからだろう。

「こえーよな。そろそろニュースとかにもなりそうだし」

 ニュースになって早く犯人が捕まればいいのに。胸糞が悪い。

 ***

「聞いている人も居るかもしれないけれど、最近この地域で小動物が被害に遭っています。不審な人物を見かけたらすぐに逃げるように」

 その日のホームルームでは、担任が真剣な表情でそう言っていた。周りがざわつく。
 本当に、最悪な事件だ。俺が犯人を見つけたらとっ捕まえてやりたい。……実際は無理なのはわかっているけれど、それくらい腹が立つ。
 授業中に襲ってきたテロリストを懲らしめる妄想なら慣れているのだが。実際は雑魚のため、下手をすれば小学生にも負けるだろう。情けない。

 ぼんやりしていると、目の前に潤がいた。いつの間にかホームルームは終わっていたようだ。

「今日もうさぎ見て帰んの?」

「ん──いや、今日は……」

 うさぎ。小動物が被害に遭っている、刺傷事件。脳内で、最悪の想像をしてしまう。

「……あの事件ってさ。狙われてるのは、猫だけ?」

 ぞく、と何かが背中に走る。なんだろう。何か、酷く嫌な予感がする。まさか、こんな人の多い校舎で。人の多い時間帯に、リスクを犯してまでするわけはない。そう、思うのに。だけど。あのうさぎ小屋はひとけが少ない。犯行をしようと思えば、できてしまうのだ。
 潤は、眉を寄せて。俺が言いたいことを察しているようだった。

「……いや。他の野生動物とか、外で飼われてるやつとかもやられてるっぽい、けど……」

 聞くやいなや、駆け出していた。ばたばたと走るものだから、周りが驚いたような顔でこちらを見ている。わかっている。きっと考えすぎなのだと。だけれど、このまま帰ってしまったら、不安で今日は眠れないだろうから。そういう性分なのだから、しかたない。

「っおい、達也!!」

 後ろから聞こえた声に振り向く余裕もなく、俺はただ必死に足を動かして。めちゃくちゃなフォームでみっともなく駆けていく。
 そうして辿り着いた、薄暗いうさぎ小屋の前には──ひとりの男がいた。

 それが、見知った人物ならどれほどか良かっただろう。ただの考えすぎだったなら、ああよかったねと笑い話にできただろう。そいつが──きらめく凶刃を手に持った男でなければ、本当に良かったのに。
 まさに今、壊れかかったうさぎ小屋の扉を開けようとしていた。

「っやめろ!!」

 慣れていない大声を出す。足音に気づいていなかったのか、男は肩を跳ねさせてこちらを振り向いた。

「っ達也、おま、ひとりで──」

 追いついた潤は、男の方を見て硬直した。まさか本当に居るとは思わなかったのだろう。「あ、」俺の横をするりと抜けて、逃げ出した男の前に立ち塞がるようにすぐ後ろに立っていた。
 あ、まずい、と。
 刺される。刃の切っ先は、潤に向けられていて。それを止めるには──俺がなんとかするしかないと思ったのだ。

 男の腕をすんでのところで引っ張る。バランスを崩したそいつが、憎々しげにこちらを睨みつけたかと思うと。

「っぐ、」

 濁った呻き声が、俺の口からは漏れていた。腹が、熱い。燃えているようだ。男が絶望したような表情を浮かべる。人を傷つけるつもりはなかったのだろうか。
 くずおれた地面が、冷たい。流れて行く血と対照的だった。ひとつの足音が遠ざかっていく。男は逃げたらしい。

「達也、おい、達也……!!」

 ああ。潤が目の前で泣いている。整った顔が台無しだ。どこまでも地味で、ぱっとしない人生だったけど。
 こうして、自分の最期に泣いてくれる──友人ができたのならば。これ以上のことは、きっともうないだろう。

「……ぶじで、よかった」

 意識は、闇に落ちた。