「はい、それじゃチャイムも鳴ったんで終わりまーす。復習しといてねー」

 四限の終わりを告げるチャイムが鳴る。数学担当の教師はさっとその場を後にして、教室は生徒たちの話し声で騒がしくなった。

 疲れた。お腹空いた。

 伸びをして、机の横にかけていた弁当を取り出す。いつも昼食のときはひとりだから、誰かを待つ必要もない。孤独感を覚えないと言えば嘘にはなるが──今さら誰かに声をかける勇気も無いので諦めた。

 前の席が突然がら、と引かれこちらを向く。何かと思う前に座り込んだそいつ──潤は、なんてことない様子で口を開いた。

「飯食おーぜ」

「…………わかった」

 いつかこのときが来ると思っていた。むしろ数週間経った今まで来なかったのが不思議なくらいだ。小さな覚悟を決めて、重く頷いた。断ったところでこの男は聞く耳を持たないだろう。覚悟、と言うよりは諦めの方が正しいかもしれない。周りからの視線にも、少しは慣れてきた。と思う。
 机にコンビニで買ったらしいパンを何個か置く。いつもそうなのだろうか。彼は俺の弁当をじっと見つめると、興味深そうに口を開いた。

「弁当、親が作ってんの?」

「……まあ」

「卵焼きくれよ。ひと口やるから」

「別に卵焼きくらいタダであげる──なに」

 あ、と彼が口を開いている。餌を待つ雛鳥のように。……まさかな。
 呆然と見つめていると、痺れを切らしたらしい潤は眉根を寄せた。

「早く食わせろよ」

「マジで言ってる?」

 男同士で? 特段仲が良いわけでもないのに?

 俺も眉を寄せ。砕けすぎた口調でそう言えば、視線を合わせたまま「マジだけど」と返される。当たり前のように言うものだから、俺がおかしいのかと一瞬考え込んでしまった。

 震えそうな箸の先でなんとか掴み、口の中へ入れてやる。周囲から「え」と困惑に滲んだ声が聞こえたが、どうかこの光景に向けられたものでないことを祈るばかりだ。特に動揺もなく咀嚼し、嚥下をして。「砂糖入ってんの? 美味いじゃん」と満足げに言う。
 お口に合ったならなによりだ。母も喜ぶだろう。あ、と思いついたように潤が間の抜けた声を出す。

「今度お前が作って来てよ。卵焼きだけでいいから」

「……なんで?」

「え? ただの興味。俺のために作れるって思ったら嬉しくね?」

 なんなんだこの男は。俺様にも程があるだろう。

「マジでどんな自信してんの?」

「顔も性格もめちゃくちゃいいし。今までの彼女とかそう言ってた」

「…………なるほどね」

 今までの、という言い方から、既に何人もと付き合っていたことがわかる。微妙な顔をしてしまった。年齢が恋人のいない年数である俺は、平然と言い切るその様が勝者の余裕にしか見えない。

「……今の彼女は?」

 どうせいるんだろ。確信を持ちながら、神妙になる面持ちのまま質問を投げる。

「いねえ。フリー」

「……え、意外」

 僅かな驚きと共に返す。考えてみれば、そうか。彼女がいるなら俺なんかに構っている暇は無いはずだ。どうして別れたのだろうか。男から見てもかなり整っている顔だし、引っ張ってくれそうな性格を好む女子はいるだろう。
 ぼんやり考えていた心の中を読み取ったのか、パンを頬張って彼は言葉を続けた。

「尽くしすぎて疲れたって言って別れた。歴代もそんな感じで別れてる」

「すごいな」

 どんだけ尽くされてんだ。

「でも自分から尽くしたいってきてんだし。男でも俺に尽くしたい奴多いぜ? 俺といるだけで楽しいってみんな言ってる」

 ああ、なるほど。納得する。この異様なまでの自信はそこから来るのか。

「実際、今も楽しいだろ?」

「……ごめん、ちょっとよくわかんないわ」

 つまらないわけではないし、多少の恋しさを覚えはするけど。どちらかというと疲労が勝つ。

「ふーん。変な奴」

 どっちがだ。噛み合うようで、やっぱり会話が噛み合わない。
 箸を進めながら、伏せた目を見つめる。まつ毛が長い。整っている。腹が立つ。

「飯食い終わったらゲームしねえ? お前の好きそうなの入れてみた」

「なに……ギャルゲーじゃん……あんまこういうの好きじゃないよ」

「マジ? わかんねー」

 ……互いを知るまでの道は、かなり遠そうだ。彼が俺に飽きる日は、いつになるのだろう。飛び出しそうなため息を、何とか押し戻した。