翌日、体育館では朝から全校集会が開かれていた。各委員会の委員長たちがステージに立ち、日々の活動報告が行われている。やがて自分の順番が回ってきて、ゆっくりとマイクの前に立った。
「皆さん、おはようございます。風紀委員長の桜小路です」
 制服はいつもどおりにピシッと整えられており、髪の毛にも一切の乱れはない。自分でも『歩く模範生』と呼ばれるにふさわしい姿だと思う。
「今日は風紀委員会の活動報告と、風紀の重要性についてお話しさせていただきます。風紀委員会は週三回、登校指導を行ってきました。その結果、昨年度と比較して――」
 真剣に聞いてくれているみんなを前に、僕は堂々とスピーチを続ける。
「今後は風紀活動をさらに強化し、多くの生徒の意見を取り入れて活動の幅を広げていきたいと考えています。そのためには、皆さんの協力が必要です。力を合わせて、より良い学校生活を築いていきましょう!」
 そんな言葉で締め括ると、生徒たちから一斉に拍手が湧き起こった。僕は、深くお辞儀をして壇上を降りる。みんなから共感と尊敬の視線を浴びていると、なぜか急に悪寒がした。おそるおそる顔を向けた先には、妙にご機嫌そうな赤髪の〝やつ〟がいた。

「いーんちょ♪」
「のわっ……!」
 全校集会が終わって教室に戻る途中の廊下で、羽澄は後ろから強めに腕を回してきた。周りの生徒たちが一瞬にしてざわついている。
「バカ、やめろって!」
「なんで、いいじゃん。朝のスキンシップだよ」
「ぼ、僕は羽澄の指導は引き受けたけど、馴れ合うつもりはない」
「へえ。そんなこと、俺に言っていいんだ?」
「な、なんだよ?」
「昨日の再現しちゃおうかな。どんな感じだったっけ。たしか俺にしがみついて、取って取ってって……」
「わー!」
 僕は反射的に、羽澄の口を手で塞いだ。狼狽えている僕を見て、周りは違う意味でまた、ざわつき出した。それも、そうだ。僕は学校のどこにいても模範生という姿勢を崩したことがない。落ち着いていて、聡明で、なおかつ理性的。そんな僕だったはずなのに、今は心が乱れまくっている。
「羽澄久弥くん。大事な話があるので、生活指導室に移動しましょう」
 僕は威厳を取り戻すように、ずれたメガネの位置を元に戻した。

「勘違いをしないでほしい」
 生徒指導室は、いつだって控えめな緊張感が漂っている。教室と違って生徒と対話をするための机と椅子しか置かれていないからかもしれない。
「俺がなにを勘違いしてるって?」
「僕はきみを指導する側。そして、きみは僕に指導される側という意味だ」
「立場をわきまえろって言いたいのかよ」
「そこまでは言ってないけど、僕は羽澄と仲良しごっこをするつもりはない。蜘蛛が嫌いだってこともこっちとしては秘密にしてほしいが、それを盾にされるぐらいならバラしてもかまわないよ」
 すると、羽澄は露骨にため息をついた。そして、なにを思ったのか、そのまま無遠慮に僕のほうへと近づいてきた。
(ま、まさか、喧嘩か!?)
 へなちょこガードで防ごうとしたら、羽澄に手を掴まれた。
「わかってないね、いんちょー」
 ガタッと、自分の足が机に当たる。もう後ろに下がる場所はなく、完全に詰め寄られてしまっていた。
 羽澄の顔が、目の前にある。窓からの日差しを受けてガーネットみたいに輝いている髪が、不覚にも綺麗だと思った。
「俺はべつにマウントを取りたいわけじゃない。ただ、いんちょーのことが欲しくなっただけ」
「ほ、欲しい?」
「だって、いんちょーの可愛い顔もっと見たいじゃん」
 気づくと羽澄の手が、僕の腰に移っていた。逃げたいのに、逃げられない。羽澄の赤茶色の瞳に、吸い込まれそうだった。羽澄の顔は、ゆっくりと迫ってくる。
(ま、ま、まさか、キ、キ、キス!?)
 どうしていいかわからずに、ぎゅっと目を瞑ると……。
「ねえ、普段鉄壁を貫いてんのに、押すと弱くなるとか本当にやめて」
 こつんと、当たったのは、唇ではなく、おでこだった。
「だ、だ、誰のせいで……」
「もしかして、今までも俺みたいなやつに迫られたことある?」
「な、ない。あるわけないだろ」
「だけど、キスされそうになって目瞑って大人しくなっちゃうとか、そんなん普通に心配だわ。いんちょーが可愛いって他のやつに気づかれたら、どうしよう。死ぬ、俺が」
 勝手に迫ってきて、勝手に妄想して、勝手に落ち込んでいる。さっきはヘビみたいに僕のことを食べる目をしていたくせに、今はしゅんとした大型犬みたいだ。
(可愛いのは、どっちだよ……)
 僕は風紀委員長だ。本来だったら浮わついた色恋事も取り締まらなければいけない。だけど、羽澄のことを強く突き放せないのは、なんでだろう。もうすぐ一時間目のチャイムが鳴る。早くここから出なければ――。
「し、指導は終わりだ。教室に戻ろう」
 羽澄の胸を軽く押して、わずかにできた隙間から体を横に出した。運動をしたわけじゃないのに、心臓の音が速い。
「いんちょー。今日の放課後、俺とデートしよ」
「え?」
「その顔は、オッケーね」
 窓に反射している自分の顔は、羽澄の髪よりも真っ赤だった。