その日から僕は、羽澄久弥の風紀を正すために徹底的に取り組むことにした。まずはピアスを外させ、制服をきちんと整えさせた。少しはマシになったものの、赤い髪がどうしても目立ちすぎる。
「だからまずは、黒染めしてこいって」
風紀委員の集まりの場所としても使われている生活指導室。僕たち二年生の教室がある階と同じということもあり、今日も羽澄を呼びつけて身だしなみを随時チェックしていた。
「あれ、俺が生まれつき赤髪なの知らない?」
「生まれつきの赤毛の確率は世界全体で1、2パーセント。ヨーロッパ系の中では2~6パーセントで……」
「うえ、数字やめて。頭おかしくなる」
羽澄を指導し始めて今日で二日目。その間にわかったことが三つある。
一つ目は、見た目に反してあまり怖くないこと。
(ただし目つきは悪い)
二つ目は、僕の話をほとんど聞かないこと。
(やっぱりなめられているのかもしれない)
そして、三つ目は……。
「そういや、ネクタイの結び方ってこれでいいんだっけ?」
ため息が出るほど世話がかかることだ。ネクタイの結び方は、かれこれ5回は指導しているのに、正しく結べない。不器用にも程があるだろ。
「はあ……。まずはネクタイの裏側が自分に向くように首にかけて、幅広いほうを右側に――」
「いんちょーが、結んで」
「は?」
「俺の専属指導係だろ?」
「ちっ」
「あ、舌打ち!」
学校では品性を保とうとしているけど、羽澄を前にすると僕のほうが粗悪な態度になってしまう。とはいえ、羽澄の面倒を見ると宣言したからには、途中で投げ出すという選択肢は、自分の中になかった。
僕はしぶしぶ羽澄に近づき、ネクタイを結び始めた。自分のネクタイは鏡なしでも結べるのに、人のネクタイを結ぶのは初めてだからか少し手こずる。
「いんちょーって、案外いい匂いすんだね。シャンプーなに使ってんの?」
「ちょ、動くな」
「髪さらさらでいーね」
羽澄は、僕の髪で遊び始めた。長い指で髪を梳かれると、首の後ろがぞくぞくする。
「あれ、いんちょー。ひょっとして感じてる?」
「バッカ、そんなわけないだろ!」
「首の後ろにほくろはっけーん」
なにが専属指導係だ。僕のほうが転がされているだけじゃないか。ネクタイをさっさと結んで、羽澄から離れようとした瞬間……。
自分の肩の上で、なにかが動く感覚に気づいた。ゆっくりと目だけ下げて確認すると、8本足の小さな蜘蛛がいた。
「ぎゃーー、むり、死ぬ、むり!」
「え、なに、どうした?」
「く、蜘蛛だよ、蜘蛛! 僕の右肩にいる!」
「蜘蛛? いないけど」
「いるんだよ! 本っっ当にキモすぎてむり!」
「あ、いるわ。ちっこくて、茶色いやつ」
「取って、取って、取って!」
「わかったから、じっとしてろって」
僕は羽澄にしがみつきながら目を閉じた。僕の肩に手を回した羽澄が、そのまま移動し始める。窓が開く音がするから、蜘蛛を逃がしているのかもしれない。「もう、いいよ」という合図で瞼を開けると、にやついた顔の羽澄がいた。
「いんちょーの弱点みっけ」
「……っ」
言い返したいのに、なにも言えない。例えば、人間力をレーダーチャートで表すとしたら、僕はそこそこ良い結果だろうし、大きな欠点もないだろう。だけど、蜘蛛だけは、あいつだけは昔からダメなのだ。
「みんなの憧れのいんちょーが、まさか蜘蛛であれだけ取り乱すとはねえ」
「だ、誰にも言わないでくれ!」
「は、言うわけないじゃん。だって、いんちょーの可愛いところ知ってんの、俺だけでしょ」
「かわ、かわっ……!?」
「やっぱりいんちょーは、俺の専属ね」
羽澄が、ものすごく楽しそうな顔をしている。よりにもよって一番バレてはいけない人に、弱点を見られてしまった気がする……。



