――数日前。

 夏はまだ先なのに、うだるような暑さでみんなの士気が下がっていた。暑い上に湿気が高い。たったそれだけのことでやる気を根こそぎ奪われる。そんな中で、俺たちのクラスに激震が走った。

「本日よりこのクラスで担任を務めます、黒蜜凛(くろみつ りん)と申します。まだ教師としては1年生なので色々と至らないところがあるかと思いますが、ぜひともよろしくお願いします」

 挨拶を終えた黒蜜先生は優しそうな目をした美人で、ノースリーブの白ブラウスに黒いタイトスカートを履いていた。

 ――その時、目に見えない雷鳴が轟いた気がした。

 クラスがざわつく。

「ちょ……マジでかわいくない?」
「こんな幸運が俺の人生に……生きてて良かった」
「ちょっとあんたら、鼻の下を伸ばし過ぎ」

 男女問わず黒蜜先生の容姿について好き勝手な感想を言いはじめる。生意気なクソガキで構成されたクラスを一瞬で夢中にさせるほど、黒蜜先生の容姿は優れていた。

 何て言うか、黒蜜先生は男の妄想に出てくる理想の女教師を具現化したような人で、一言で言えば大人になったアイドルに色っぽい先生のコスプレをさせたような、そんな艶やかさがあった。

 見られることには慣れているのか、先生が続きを言う。

「私の担当は英語と世界史です。まだ至らないところもあるかもしれませんけど、皆さんの期待に応えられるよう頑張りますからね」

 そう言って微笑む。それだけで十分眼福だった。少なくとも男子は全員そう思ったに違いない。

「ハイハイ先生、趣味は何ですか?」
「ちょっと江藤、セクハラ!」
「別に趣味を訊くのはセクハラじゃねえだろ? 俺は凛ちゃん先生のことをいち早く知りたいだけなんだから」

 お調子者の江藤がさっそくちょっかいを出しはじめ、カースト上位の女子である松本がたしなめる。一見軽率な江藤を咎めているだけにも見えるが、嫉妬深い松本の性格を考えると黒蜜先生が注目されているのが気に入らないだけだろう。

 騒がしい二人をよそに先生が答える。

「そうですね~。先生は本を読むのが好きかな。インドア派なんです」

 その一言が原因で、思わぬ形で水を向けられる形になる。

「あ、そうなんですか。おい須藤、やったじゃねえか。お前の見せどころだぞ。先生、こいつは小説を書いてるんです。スゴ腕の村上春樹みたいな奴ですよ」
「おいやめろよ、マジで!」

 いきなり小説を書いていることをバラされ、俺の心拍数が一気に上がる。仲の良い江藤は知っているが、俺が作家志望であることはほとんどの人が知らない。

「ペンネームは「やめろアホ!」

 ペンネームをバラされかけた俺は、教科書を丸めて割と強い力で江藤をひっぱたいた。クラスは笑いに包まれたけど、軽い気持ちで身バレに陥りかけた俺としては生きた心地がしなかった。

「そうなんだ。小説が書ける人ってすごいね。尊敬しちゃう」

 先生がそう言った瞬間、思わずドキっとした。何て言うか、ほんの少し注意を向けるだけで人のハートを撃ち抜いてしまいそうな魅力があった。

「そうなんです。だからこいつは未来の村上春樹になる男ですよ」
「お前は村上春樹しか知らないだけだろ」

 他の男子からツッコまれて教室に爆笑が起きる。

 そんなことをしている間にあっという間に時間は過ぎ去り、一限目の時間になりつつあった。

「ああ、ちょっと喋り過ぎてしまいましたね」

 黒蜜先生が苦笑いする。その一つ一つの動作がいちいち破壊力の大きすぎる。

 こうして新任となった黒蜜先生の挨拶は終わった。モデルのようにスラっとした脚を、いくつもの視線が追いかけていた。

「男子って、本当にああいうのに弱いよね」

 先生の背中を睨む松本が吐き捨てるように言った。かわいすぎる先生が原因で妙な軋轢が起きなきゃいいけど。それは考え過ぎか……。