日曜日、塩野から指定されたところは俺がよく来る駅だった。俺はついでの欲しいペンを買おうと思っているけど、文化祭に必要なものがすべてこのあたりで手に入るのかはよく知らない。

 駅前には行き交う人が多く、手袋やマフラーをした人が目立つ。待ち合わせていた駅前では、マフラーも手袋もしていない塩野がすでに待っていた。

 俺は電車の乗り換えがスムーズに行って20分も前に着いたのに、それより早かった。いつからいるんだ。スマホを見ても連絡は来ていなかった。

「あれ、早かったね」

 俺に気づいた塩野が微笑んで「今日ちょっと寒いね」と両手を擦った。

「塩野のが早いだろ。中で待っててもよかったのに。俺、カイロ持ってるからちょい待って」
「ごめん、ありがとう」

 ポケットやカバンの中を探ってみるが見当たらない。言った手前ちゃんと渡してあげたいのに。仕方ねーし、さっきの薬局で買ってくるか。

 待ち合わせ場所にたどり着くまでに通った薬局を思い出して、俺は探す手を止める。

「……やっぱなかったから、そこで買ってくる」
「え、わざわざいいよ。どっか入って飲み物買ってもいい?」
「いいよ。そこ入ったとこの2階にあったと思う」
「詳しいんだね」

 助かるよ、と言った塩野の初めて見る私服を意識してしまって、そっと目をそらした。

 塩野の私服、モノトーンで統一されていてシンプルなのにやけに似合う。俺が着たらただ地味になるだろうに、塩野だと不思議とおしゃれに見える。俺より10cmは身長が高くて、スタイルがいいからだろうか。やっぱイケメンは最強なのか。

 普段なら立っているときは目が合うこともなさそうだった。その塩野が目の前にいるのは変な感じだ。ふわふわして、落ち着かない。

 塩野の前を歩いて、近くの建物に入ってエスカレーターに乗る。

「ね、遠藤って手あったかい人?」
「え、わかんねーよ。どう?」

 振り向けば、自分の手を擦る塩野。冷えてんのかな。俺で暖を取りたいってことかと思い、手を差し出した。

 塩野が俺の手を握って「すげー温かい」と笑うのを見て、少しだけ胸がざわついた。何だこれ、つーか何してんだ俺。どういう距離感なんだよ。

「もしかして眠い?」
「俺は朝得意なんだよ。眠いわけあるか」

 自分でやり出したことがあまりに子供っぽくて恥ずかしくなっただけだ。そのせいで体温が上がったのかもしれない。
 
 いつも遠くにいる塩野がこの距離感にいる現実が急に理解できなくなってきた。休日に塩野に会えるって面白いな。

「遠藤、前危ないよ」
「わっ、お前が手がどうとか言うからだろ」

 慌ててエスカレーターを下りて、コーヒーショップへ向かう。

 手のひらに塩野が触れた冷たさが残っているような気がした。打ち消すように俺はスマホでコーヒーショップのアプリを開く。そこから注文してしまうことにした。

「塩野は何頼みたい? 俺、もう決めてあるんだけど」
「遠藤が頼むやつ」
「え、すげー甘いの頼むけどへーき? 塩野って、甘いもの苦手じゃなかったっけ」

 ハッとしたところでもう遅い。これ俺がキモいやつだ。口から出てしまったものは戻せない。

 冷や汗を拭いながら、関わったことの少ない人間が何でそんなことを知ってるんだと思われないことを願った。

 クラスの女子がケーキを作って配っていたのを、塩野が苦手だと断っていたのを覚えていただけだ。大した理由じゃないけど、塩野からすると俺がそんなことを覚えていたのもキモいかもしれない。

「実は、苦手って言ってるんだけど苦手じゃないよ。むしろ好き。ただ、あんまよく知らない人の手作りが苦手で」

 はにかむ塩野の横顔が柔らかく感じられた。普段から甘いもの飲んだり食べたりしたかったのかな。俺の前でならいいかと思ってもらえたなら、よかった。

 俺のことを気持ち悪がってはなさそうなのも安心した。

「そういうことか。確かに、それだと苦手で通したほうが楽だな。じゃあ、頼んどく」

 スマホをタップして、ティーラテを2つ頼んだ。

 店の前についてから、しばらく注文したものが出てくるのを待った。受け取りカウンターに何もないことを確認しつつ、邪魔にならないよう端に立つ。

「塩野ってさ、何で俺と買い出しとか言い出したの? 話したことはあったけど、全然仲良いとかねーじゃん」

 穏やかな音楽が流れる中、気になっていたことを訊ねてみた。 

「遠藤ってたまに俺のこと描いてるじゃん」
「……うん」

 いきなりど直球で来られて、俺に突き刺さった。表情を変えない塩野の横顔は、何を考えてるのかわからない。

「どんな風に描いてんのかなって気になった。何となくでしか見えたことねーし。前に描いてたイラストっぽい感じになってんの?」
「まあ、俺はどっちかと言うとマンガとかのキャラっぽく描くのが好きだからそうなるのかも」

 カバンに入ったノートを思い出して、胃のあたりがずっしり重くなってきた。

 ほんとに見せるのか、これを。塩野の反応が怖いから、該当ページだけ切り取って持って帰ってもらっちゃだめかな。いやでも、それもすげー微妙だわ。俺の見えないとこで見られるのも怖い。

 唇を噛んで、カバンの持ち手に力を込めた。

 飲み物を受け取って、空いていた席に腰を下ろす。と、耐えきれなくなったかのように塩野が吹き出した。

「遠藤って、いつも目が合わねーんだよな」
「いつもってほどこうやって顔合わせたことねーだろ」

 ラテに口をつけながら、あえて塩野の視線に触れた。

「なのに何で俺のこと描いてたの?」
「……何でもいいだろ」
「よくねーよ。勝手に描かれてたわけだし、知る権利あるだろ。遠藤から俺がどう見えてたのか知りたい」

 教えて、と塩野からまっすぐ射抜かれた。目をそらしたら負けな気がして、そらさないまま口を開く。

 まさか、これを本人に言うことになろうとは。

「……塩野の横顔、ラインがきれいでいいなって思ったから」

 じわじわと首のあたりから熱が上がってくる。勘弁してほしい。

「横顔を見てたから、目が合わなかったのか。とりあえず描いたの見たい」

 塩野が笑って、頬にかかる前髪が揺れる。その奥の瞳がきらめいていた。俺なんかが見ていい景色じゃないものを見ているみたいだった。

 ほら、塩野ってきれいなんだ。顔が整ってるだけじゃなくて、内側から溢れるまばゆさがある。描きたくなるのは自然な感情な気がした。

「ほんと、大したことねーんだけど」

 カフェのざわめきが、やけに遠く感じる。ノートを差し出す手が、微かに震えてしまった。刺すなら、ひと思いに刺してほしい。でも、本人から刺されたら落ち込んでしばらく立ち直れないかも。

 ごちゃごちゃする脳内のまま、ノートを開く塩野の反応を待つ。パラパラとめくっていた塩野の手が止まって、一点を凝視している。

 手持ち無沙汰になって、俺はティーラテを飲んだ。そんなゆっくり見ないでほしい。

「な、ほんとに大したことなかったろ」と、ノートに手を伸ばすと、さっと塩野にかわされてしまった。

「遠藤から見ると俺ってこんなイケメンなの?」
「誰から見てもイケメンだろうが」
「そうじゃなくて、遠藤から見てどうなのか気になる」

 どうどう? とわざとらしく首を傾げる塩野に「はいはいイケメンだよ」とあしらった。

 何この変なイケメン。俺から言われたから何だって言うんだ。

「今度描くときは真正面からも描いてよ」
「やだ。描いてんの気づかれた状態で集中して描けるか」
「えー、見たいのに」

 塩野が不満そうに口を尖らせても、俺は断固として「真正面は描かねー」と告げた。どうやら塩野は俺の絵を気に入ってくれたらしい。直接的な言葉はなくても、それが伝わって口元が緩んでしまった。

「遠藤がひとり静かに描いてるときの空気が好きなんだよ。だから気になって見てたら、俺のこと描いてくれてて嬉しかった」
「俺は塩野に見られてるとか全然気づいてなかった」

 描かれて喜ぶのは塩野くらいのものだろう。他の人だったら、今頃俺はクラスに居場所がなかったかもしれない。

 ノートに目を落とした塩野が「俺ってこんな優しく見えてんだ」と微笑んだ。

「塩野って目元が優しいけど、くっきりしてて特徴あんだよな」
「そう? 何か照れんね」

 塩野はティーラテに口をつけて、目を見張った。「あち」と呟いて苦笑する。俺はもう大丈夫だけど、塩野は猫舌なんだ。

 俺は手が緩んだところを狙って、ノートを引き寄せて「もう終わり」とカバンにしまった。

「いいだろ、このくらいで」
「ありがとう。前に声かけたときは漫画のキャラ描いてたよね。実際の人も描いてたのは後から知った」

 周りにいる人で描いたのは塩野くらいだけど。それを知られたらドン引きされそうなので俺は曖昧に笑っておいた。 

 :
 :

 俺が買いたいものがあると話すと先に行こうと言ってくれて、ほしいペンを手に入れた。途中、買おうか悩む間も塩野があまり口を挟まずにいてくれたおかげで焦らず決められた。

 お昼を済ませた後は塩野が買いたいものがあると言うのでそれに付き合い、気づけば俺のバイトの時間が迫っていた。

「普通に休日に塩野と遊んだだけじゃね?」

 バイトだから帰る俺になぜだか塩野がついてきて、同じ電車に揺られている。地元でバイトだから、塩野の帰り道じゃないだろうに。

「やっぱ、ほぼネットでいっかなーって。ワッフルとかシロップとかは、さっき良さげなの見つけといたよ」

 ほら、と塩野が向けてきたスマホ。画面にはカートに追加された商品が映っている。値段も手頃で良さそうだった。

「画用紙とか風船とか、そのあたりは?」
「それは学校近くの100均で買おう」
「じゃあ、俺らが今日来た意味は?」
「他で済ませられるなって確認のため」

 こちら向きに立っている塩野の肩を叩いて「もうわかった」とうなずいた。塩野の行動は全然わかんねーけど、わかんねーってことがわかってきた。

 きらっきらで男女に囲まれる塩野が意外と親しみやすくて、こんな不思議なやつだったことが知れたからよかった。そう思うことにする。ほしかったものも買えたし。

「ほんとは、調べたら画材とか売ってるって出てきたから遠藤も来るかなーって」
「もとから来るって約束してたろ」
「そうだけど、俺が強引に誘ったから。せめてちょっとでも遠藤が来たいって思える場所を選びたかったんだよ」
「何で? 俺、別にそこまで嫌がってなかったろ。わざわざご機嫌とられなくても、買い物くらい付き合うって」

 え、と塩野の目が丸くなる。

「何も用ねーなってときも誘っていいの?」
「状況によるけど、いいよ。俺に用もねーのに誘いたいこともねーだろ」

 変なこと訊いてくるやつだな、と俺は笑った。他にたくさんいる友達を誘えばいい。

 窓の外では夕日がビルの影に隠れかけていた。気づけばあたりはすっかり暗く、塩野の顔だけがやけに鮮やかだった。

「あるよ。ほんとはすっごいあったんだけど、どうやって誘えばいいかわかんなくて……あ、例えば前描いてた漫画の原作者のイベントとか」
「そんなんあんの?」
「あるんだよ。今度行く?」
「行く!」

 即答して、あ、と口元に手を当てた。あまりにもテンションが先行してしまった。塩野も好きみたいだからいいのか。

 もしかして、塩野って周りから漫画とかアニメが好きだって言い出せなくて、俺がちょうど良かったのか。俺もありがたい相手ができたことに感謝して「今度予定たてよう」と言った。

 駅でいいと断る俺に「約束したから」とバイト先まで本当に送り届けてくれた塩野。レジに現れたときには、少しだけいらっとした。けど、差し入れに買った飲み物をくれたからやっぱいいやつだなと自分の感情に訂正を入れた。