【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ②】
九重家の間取りを簡単に説明しよう。
まず玄関を入ると、すぐ左にかず彦さんの部屋だという和室がある。
廊下を進むと、右手に洗面所とトイレ。
そこを過ぎると、大きな窓がある茶の間に出る。
茶の間の向こうは台所で、勝手口がある。
最奥は浴室で、その隣には2階に続く階段がある。
2階はふた部屋。なつ子さん・さち乃さんの私室と納戸があった。
3人暮らしには十分な広さだが、物の量が3人暮らしのそれではなかった。
「あ、通りにくくてすみません……道、作りますね……!」
なつ子さんが、床にあるモノやゴミを慣れた調子で足でどかす。
「ど、どうぞ……! 汚いところですけど……!」
と、謙遜にならない謙遜を口にした。
玄関は、ふたつの大きな靴箱に占領されていた。
それでも仕舞いきれない靴が三和土に散乱していた。かず彦さんとさち乃さんが幼児期に履いていたであろう子供用の靴も混じっている。
狭い廊下には新聞紙とチラシと雑誌を紐で縛ったものが点在。しかし、紐がゆるいためまとめきれず、はみ出ている。
茶の間のちゃぶ台には食べ残した食事。当日のものだけでなく、明らかに数日前のものもある。
筆記用具と箸とフォークと耳かきが同じマグカップに入れられ、開封して少しだけ残ったふりかけの袋が散らばり、ごはん粒が床にこびりついていた。
ペットボトルを洗ってラベルを剥がし、あとは捨てるだけのはずのゴミ袋がいくつも転がっている。
食材の残骸がベッタリと付着するプラゴミも、ゆうに20袋はあった。
中葉さんは、真っ黒に腐ったバナナを踏んで転んでしまった。
安っぽいプラスチックの引き出しに積もったホコリを吸い、上町さんと下村さんが咳き込んだ。
犬用のゲージの上に濡れたバスタオルが置かれ、愛犬家だという前島さんが眉をひそめていた。
脱衣所は汚れ物と干したものと乾いたものが混在し、台所・浴室はカビとサビだらけで水垢でぬめっていた。
1階だけで、ゴミ箱は大小合わせて14個あった。
ゴミ屋敷の見本のような家。
それが中葉さんの最初の印象だった。
*
「こんなの、人間の住むところじゃないですよ。だから強硬手段をとって、母にも相談せずに番組に応募したんです」
きれいに染めた茶髪をかきあげ、さち乃さんは前島さんのインタビューにそう答えた。
着ている制服はクリーニングに出したばかりのようでピシッと整えられていた。
さち乃さんの背景で、中葉さんたちがゴミをひたすら捨てている。
後藤さんの指示のおかげで、足の踏み場や作業スペースができてきた。
「恥ずかしくて家に友達を呼べません。お風呂も洗濯機も汚いから、毎日近所の銭湯とコインランドリーに行ってます……え? そうです、あたしだけです。当然だよね、ママ?」
さち乃さんが、なつ子さんに尋ねた。というより同意を強要した。
なつ子さんは白プードルのピピちゃんを抱いて、スタッフと要るもの・要らないものの確認作業をしていた。
「うん、そうですね、さっちゃん……!」
エヘヘ、となつ子さんは笑った。
さち乃さんは気に食わなさそうに舌打ちした。
「まあ、ゴミ屋敷じゃなくても友達なんて呼べませんけど。……アイツがいるせいで」
さち乃さんが睨みつけた先は、兄のかず彦さんの部屋だった。
*
「かずくんと、さっちゃんには、申し訳ないなっていつも思っています……!」
エヘヘ、となつ子さんは恥じ入るように左手をほおに当てた。
薬指の怪我に障るのか、「痛た……」と洩らす。
ピピちゃんを抱っこしながらの作業なので、ひどくやりづらそうだ。黒い服も白い毛だらけである。
「わたしが夫に愛想を尽かされたせいで、片親になっちゃって……! 実家の両親も他界して、親戚もいないから頼れる人もいなくて……! なるべく不自由させないよう頑張ってきたんですけど……!」
なつ子さんは茶の間を見回した。
壁には一昨年のカレンダー、額縁入りの家族写真に遺影。兄妹が幼い頃に描いたお絵描き、大量のメモ、スーパーで配られるレシピなどが隙間を埋めるように貼られてある。
腰までの高さの本棚には、重要書類と保険や宗教の勧誘パンフレットが雑多に押し込まれていた。
「わたしがお片づけ苦手なせいで、迷惑ばかりかけちゃってま……」
「ママ! またお菓子こんなに買ってきたの!?」
なつ子さんの言葉をさち乃さんが遮った。
さち乃さんは大容量サイズのキャラメル袋を抱えて、母親になじった。
「このお菓子、あたし先週5袋買いに行かされたよ? なんでまた買ってくるのよ! いらないでしょ!」
「それ、かずくんが好きだから……!」
「またお兄ちゃん? もういい加減にしてよ!」
「ごめんなさい、さっちゃん。すみません……!」
番組スタッフがいるにも関わらず、怒りと苛立ちを露わにするさち乃さん。
娘に対して敬語で謝るなつ子さん。
中葉さんは思わず彼女たちに目を向けたが、後藤さんに注意されて黙々と作業に戻った。
だがその後藤さんも、チラチラと親子のやりとりを気にしながら台所の下収納を掃除している。何年も前の天ぷら油がこぼれ、ギトギトとした汚れがひどかった。
「ワン!」
さち乃さんの勢いに怯えたのか、ピピちゃんが軽く吠えてなつ子さんの腕から逃げ出した。
前島さんの股下を通り、茶の間を出ていく。
「ピピちゃん! ダメよ!」
なつ子さんがあわてて立ち上がり、犬を追う。カメラも追いかける。
玄関すぐ傍の襖――かず彦さんの部屋――が空いていた。ピピちゃんがそこへ入り込もうとする。
「ダメぇえええええ!!」
なつ子さんは叫んで猛突進し、犬を抱き上げた。すばやく襖を閉める。
「ダメ! ダメよ! かずくんの部屋に入っちゃダメ!」
さっきまでの態度が嘘のような剣幕だった。
怒られたピピちゃんは「クゥン……」と鳴いて、おとなしくなった。
困惑したのか前島さんが、カメラを四方に動かす。中葉さんと後藤さんがやってきた。
――ドン!
中葉さんがギクリとするほどの、大きな物音。
かず彦さんの部屋からだ。彼が床を拳で叩いた音のようだ。
「あ……かずくん、ごめんなさい。騒がしくして……! ピピちゃんも近づかせてないから……!」
母親が謝る。
「……」
息子は何も答えない。
ややあって、なつ子さんが襖を軽くノックした。
「かずくん、入ってもいいですか? ……開けますよ……!」
襖を少し開けて、呼びかける。
「かずくん、……嫌だって言ってたけど、一緒にお片づけしませんか……! スタッフさんたちも協力してくださるって……!
お母さんもさっちゃんもいるから……ね……!」
息子は何も答えない。
「じゃ、じゃあ、お昼ごはん食べましょうか? 昨日のお肉、まだありますよ……!」
「……」
「お肉は嫌? そうですよね、かずくんいっぱい食べてましたけど、2日続くと脂っこすぎますよね……! 焼きそばと炊き込みごはんなら用意できますよ……!」
「……おかしいよ、それ」
ボソッと、かず彦さんが返事した。
「焼きそばと炊き込みごはんとかバランスおかしいよ栄養的にも食べ合わせ的にも」
抑揚のない早口だった。
マイクが、後藤さんの「えぇ……」と洩らす声を拾った。
すると、前島さんが前に出た。
「かず彦くん、こんにちは〜。『再生P!』の前島です、初めまして〜」
気安い態度で前島さんがかず彦さんに呼びかける。
「君のおうちを整えにきたんだ。少しでいいから、お話、聞かせてくれないかな?」
決して強要するような物言いではなかったが、かず彦さんは枕を投げつけてきた。
「キャッ!」
なつ子さんが驚いて後ずさる。
廊下に出た枕は長年使ったものらしく、ヨダレと皮脂でシミだらけだった。
中葉さんは「枕からカビの臭いもした」と語っている。
「……ほっておいて……」
絞り出すような声だった。
中葉さんは襖の隙間から、中を覗き込んだ。
かず彦さんががっくりと項垂れているのが見えた。
かず彦さんは痩躯で、枯れ木のような佇まいだったと中葉さんは語った。
九重家の間取りを簡単に説明しよう。
まず玄関を入ると、すぐ左にかず彦さんの部屋だという和室がある。
廊下を進むと、右手に洗面所とトイレ。
そこを過ぎると、大きな窓がある茶の間に出る。
茶の間の向こうは台所で、勝手口がある。
最奥は浴室で、その隣には2階に続く階段がある。
2階はふた部屋。なつ子さん・さち乃さんの私室と納戸があった。
3人暮らしには十分な広さだが、物の量が3人暮らしのそれではなかった。
「あ、通りにくくてすみません……道、作りますね……!」
なつ子さんが、床にあるモノやゴミを慣れた調子で足でどかす。
「ど、どうぞ……! 汚いところですけど……!」
と、謙遜にならない謙遜を口にした。
玄関は、ふたつの大きな靴箱に占領されていた。
それでも仕舞いきれない靴が三和土に散乱していた。かず彦さんとさち乃さんが幼児期に履いていたであろう子供用の靴も混じっている。
狭い廊下には新聞紙とチラシと雑誌を紐で縛ったものが点在。しかし、紐がゆるいためまとめきれず、はみ出ている。
茶の間のちゃぶ台には食べ残した食事。当日のものだけでなく、明らかに数日前のものもある。
筆記用具と箸とフォークと耳かきが同じマグカップに入れられ、開封して少しだけ残ったふりかけの袋が散らばり、ごはん粒が床にこびりついていた。
ペットボトルを洗ってラベルを剥がし、あとは捨てるだけのはずのゴミ袋がいくつも転がっている。
食材の残骸がベッタリと付着するプラゴミも、ゆうに20袋はあった。
中葉さんは、真っ黒に腐ったバナナを踏んで転んでしまった。
安っぽいプラスチックの引き出しに積もったホコリを吸い、上町さんと下村さんが咳き込んだ。
犬用のゲージの上に濡れたバスタオルが置かれ、愛犬家だという前島さんが眉をひそめていた。
脱衣所は汚れ物と干したものと乾いたものが混在し、台所・浴室はカビとサビだらけで水垢でぬめっていた。
1階だけで、ゴミ箱は大小合わせて14個あった。
ゴミ屋敷の見本のような家。
それが中葉さんの最初の印象だった。
*
「こんなの、人間の住むところじゃないですよ。だから強硬手段をとって、母にも相談せずに番組に応募したんです」
きれいに染めた茶髪をかきあげ、さち乃さんは前島さんのインタビューにそう答えた。
着ている制服はクリーニングに出したばかりのようでピシッと整えられていた。
さち乃さんの背景で、中葉さんたちがゴミをひたすら捨てている。
後藤さんの指示のおかげで、足の踏み場や作業スペースができてきた。
「恥ずかしくて家に友達を呼べません。お風呂も洗濯機も汚いから、毎日近所の銭湯とコインランドリーに行ってます……え? そうです、あたしだけです。当然だよね、ママ?」
さち乃さんが、なつ子さんに尋ねた。というより同意を強要した。
なつ子さんは白プードルのピピちゃんを抱いて、スタッフと要るもの・要らないものの確認作業をしていた。
「うん、そうですね、さっちゃん……!」
エヘヘ、となつ子さんは笑った。
さち乃さんは気に食わなさそうに舌打ちした。
「まあ、ゴミ屋敷じゃなくても友達なんて呼べませんけど。……アイツがいるせいで」
さち乃さんが睨みつけた先は、兄のかず彦さんの部屋だった。
*
「かずくんと、さっちゃんには、申し訳ないなっていつも思っています……!」
エヘヘ、となつ子さんは恥じ入るように左手をほおに当てた。
薬指の怪我に障るのか、「痛た……」と洩らす。
ピピちゃんを抱っこしながらの作業なので、ひどくやりづらそうだ。黒い服も白い毛だらけである。
「わたしが夫に愛想を尽かされたせいで、片親になっちゃって……! 実家の両親も他界して、親戚もいないから頼れる人もいなくて……! なるべく不自由させないよう頑張ってきたんですけど……!」
なつ子さんは茶の間を見回した。
壁には一昨年のカレンダー、額縁入りの家族写真に遺影。兄妹が幼い頃に描いたお絵描き、大量のメモ、スーパーで配られるレシピなどが隙間を埋めるように貼られてある。
腰までの高さの本棚には、重要書類と保険や宗教の勧誘パンフレットが雑多に押し込まれていた。
「わたしがお片づけ苦手なせいで、迷惑ばかりかけちゃってま……」
「ママ! またお菓子こんなに買ってきたの!?」
なつ子さんの言葉をさち乃さんが遮った。
さち乃さんは大容量サイズのキャラメル袋を抱えて、母親になじった。
「このお菓子、あたし先週5袋買いに行かされたよ? なんでまた買ってくるのよ! いらないでしょ!」
「それ、かずくんが好きだから……!」
「またお兄ちゃん? もういい加減にしてよ!」
「ごめんなさい、さっちゃん。すみません……!」
番組スタッフがいるにも関わらず、怒りと苛立ちを露わにするさち乃さん。
娘に対して敬語で謝るなつ子さん。
中葉さんは思わず彼女たちに目を向けたが、後藤さんに注意されて黙々と作業に戻った。
だがその後藤さんも、チラチラと親子のやりとりを気にしながら台所の下収納を掃除している。何年も前の天ぷら油がこぼれ、ギトギトとした汚れがひどかった。
「ワン!」
さち乃さんの勢いに怯えたのか、ピピちゃんが軽く吠えてなつ子さんの腕から逃げ出した。
前島さんの股下を通り、茶の間を出ていく。
「ピピちゃん! ダメよ!」
なつ子さんがあわてて立ち上がり、犬を追う。カメラも追いかける。
玄関すぐ傍の襖――かず彦さんの部屋――が空いていた。ピピちゃんがそこへ入り込もうとする。
「ダメぇえええええ!!」
なつ子さんは叫んで猛突進し、犬を抱き上げた。すばやく襖を閉める。
「ダメ! ダメよ! かずくんの部屋に入っちゃダメ!」
さっきまでの態度が嘘のような剣幕だった。
怒られたピピちゃんは「クゥン……」と鳴いて、おとなしくなった。
困惑したのか前島さんが、カメラを四方に動かす。中葉さんと後藤さんがやってきた。
――ドン!
中葉さんがギクリとするほどの、大きな物音。
かず彦さんの部屋からだ。彼が床を拳で叩いた音のようだ。
「あ……かずくん、ごめんなさい。騒がしくして……! ピピちゃんも近づかせてないから……!」
母親が謝る。
「……」
息子は何も答えない。
ややあって、なつ子さんが襖を軽くノックした。
「かずくん、入ってもいいですか? ……開けますよ……!」
襖を少し開けて、呼びかける。
「かずくん、……嫌だって言ってたけど、一緒にお片づけしませんか……! スタッフさんたちも協力してくださるって……!
お母さんもさっちゃんもいるから……ね……!」
息子は何も答えない。
「じゃ、じゃあ、お昼ごはん食べましょうか? 昨日のお肉、まだありますよ……!」
「……」
「お肉は嫌? そうですよね、かずくんいっぱい食べてましたけど、2日続くと脂っこすぎますよね……! 焼きそばと炊き込みごはんなら用意できますよ……!」
「……おかしいよ、それ」
ボソッと、かず彦さんが返事した。
「焼きそばと炊き込みごはんとかバランスおかしいよ栄養的にも食べ合わせ的にも」
抑揚のない早口だった。
マイクが、後藤さんの「えぇ……」と洩らす声を拾った。
すると、前島さんが前に出た。
「かず彦くん、こんにちは〜。『再生P!』の前島です、初めまして〜」
気安い態度で前島さんがかず彦さんに呼びかける。
「君のおうちを整えにきたんだ。少しでいいから、お話、聞かせてくれないかな?」
決して強要するような物言いではなかったが、かず彦さんは枕を投げつけてきた。
「キャッ!」
なつ子さんが驚いて後ずさる。
廊下に出た枕は長年使ったものらしく、ヨダレと皮脂でシミだらけだった。
中葉さんは「枕からカビの臭いもした」と語っている。
「……ほっておいて……」
絞り出すような声だった。
中葉さんは襖の隙間から、中を覗き込んだ。
かず彦さんががっくりと項垂れているのが見えた。
かず彦さんは痩躯で、枯れ木のような佇まいだったと中葉さんは語った。



