御蔵入 ある親子を探しています

【奇妙な点①/いるはずなのにいないもの】


 すぐには意味を飲み込めず、いきているむし、と、くりかえしてしまった。

「未編集テープの中で一度でも目にしましたか? 冒頭の俺たちの社用車内で、窓に蜂がいるって騒動以外に、生きている虫」

 それは……と思い返す。
 一度も見なかった気がする。

 ――でも、あの……テレビとかによく、芸能人や一般人の散らかった家屋の掃除企画がありますけど、見たことありませんよ?

「それは編集で消しているんです。虫なんて映したら視聴者からクレームが殺到しますから。場合によっちゃ撮影前に殺虫剤で殺しますし。
 現場はね、どこも家庭内害虫だらけです。ゴキブリ、クモ、ハエ、ムカデ、ヤスデ、ダニにシロアリにシバンムシにチャタテムシ……」

 試しに、YouTubeでゴミ屋敷専門業者が配信している清掃動画を検索してほしいと言われた。
 サムネイルにでかでかと『※ゴキブリ注意』とあり、該当するシーンの前には数秒の注意喚起が挟まれている。

「ゴミ屋敷の映像を見たらまず思わないですか。『虫とか絶対やばそう』って。
 でも画面の中には出ない。それがもう既におかしいって、ああ撮影前の一工夫や編集で排除されてるんだなって思ってくださいよ。
 だから実際の現場で小バエ一匹も飛んでいないのは、……異常です」

 中葉さんが断言した直後、店内のキッチンから小さな悲鳴が起こった。
 どうやら虫が出たらしい。
 古いけれど掃除が行き届いていて、害虫対策も万全であろう店舗でも、虫は出るのだ。
 にも関わらず、食べカスや油汚れだらけの不潔な家が……

 ――そういえば後藤さんもまったく騒がなかったですよね

 車窓の外側に蜂がひっついているだけで騒ぎ立てた後藤さん。
 けれど九重さん宅での作業中は、テキパキと動いていた。
 プロ根性だと気にも留めていなかったが……

「後藤さんは、本当にひどい虫恐怖症でした……道端のアリですら無理で、他の現場では害虫の気配がするだけで逃げ出してましたよ。
 だから未編集テープを提出したんです。映像に手を加えていないのに虫が一匹もいないことを、知ってほしかったんです」

 ふいに、中葉さんが視線を床に落とす。

「あれだけ物があったのに、ホイホイも虫除けスプレーの類いは見当たらなかった。いるはずのものがいないし、……あるはずのものがないんですよ、あの家は」

 ――あるはずのないもの?

 中葉さんは原稿をめくり、あるページを抜き出した。
 【妹の日記②】の部分である。

「さち乃さんの、6月19日――亡くなる前日の日記です」

 その日の分は白紙だった。
 その前日、6月18日はこう綴られている。

〝6月18日(月曜日)
 イヤだけど。許せないけど。
 出ることにする。
 ママと話をする。
 何度も言っている、協力してほしいってことが何なのかわからないけど。
 このままじゃ、あたしも同じ、部屋に閉じこもって逃げるようなやつになってしまう。
 それだけはイヤ。
 あたしはあいつとは違うんだから。〟


 この後、おそらく再び母親のなつ子さんと衝突したのだろう。
 傷心のあまり家を出ていき、さち乃さんは公園で……

「俺も最初はそう考えましたが、ノートの表面をよく見ると、書いた痕跡があるんです。19日の日記が」

 中葉さんはバッグからクリアファイルを取り出す。

「19日に書いた日記のページ、破られているんです。うっすらと筆跡が残っていました。古典的ですが、それを鉛筆でこすってみたら……現物は持ってこられませんでしたが、これを」

 クリアファイルに挟まれたのは、開いた状態の小さなノートの写真だった。
 次ページに筆圧で写った一文を鉛筆でこすって浮かび上がらせている。





 ――あたしはこんなことのために生まれたんじゃない

 殴り書きだった。苦しみをすべて紙面にぶつけるような。

「……これも、よく見るとおかしな文章なんです」

 中葉さんが噛みしめるように言った。

「一連の流れを鑑みれば、さち乃さんが言う『こんなこと』は、『ひきこもりのかず彦さんの面倒を一生見続けること』になりますよね」

 ――はい。それで大喧嘩になりましたし。

「そのとき、さち乃さんは『あたしはお兄ちゃんのために生まれたんじゃない』と言いました。
 もう既に感情に名前をつけているんですよ。
 だから、改めて母親と話し合って、同じようなやりとりになっても、また『兄のために生まれたわけではない』って書くんじゃないでしょうか」

 ――そう……ですかね

 この推察には、先ほどの虫の件ほどの説得力はなかった。
 無理やりな理屈……とも判断できる。
 だが、否定はしきれない。

「妄想に近い想像ですが、なつ子さんとの話し合いで、さち乃さんは『兄の面倒を一生見続けること』以外で、『兄の面倒を一生見続けること』以上に忌避感のあることを要求されたのではないでしょうか……」

 ――それで自殺した、と……?

 そう重ねると、中葉さんは、
「自殺なのかな……」
 と、ぼそりと本音を落とした。

 まさか、という気持ちになった。
 さち乃さんが自殺でないとするなら、もしや母親のなつ子さんが手にかけた?
 ありえない、というより、ありえると思いたくない。
 映像でしか知らないが、なつ子さんの人物像とズレる。
 家族のために再生したいと願う姿は、うわべだけではなかった。それくらいは見てわかるものだ。

「あるはずなのにないものは、もうひとつあります」

 写真をしまって、中葉さんがまた原稿の束に手を伸ばす。
 【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑩】の部分だ。

「撮影最終日に、かず彦くんの部屋を掃除したときに映っていました」
【奇妙な点②/あるはずなのにないもの】


〝せっかくだし、かず彦くんの部屋を片づけていってもいいかな?〟

 という前島さんの提案から始まった、最後の大掃除。
 スタッフと、やっと再生へと手を伸ばしたかず彦さんが協力し合う、感動的な、実に撮れ高の高いシーンだ。

「かず彦くんの部屋はとにかくカビくさかった。マスクをしても無意味でした」

〝うわぁ。これスゴイね〟

 後藤さんの素直な所感から始まった、かず彦さんの万年床を動かすシーン。

〝ちょっとめくったんだけど、やばいよ。覚悟しなよ〟

 と忠告してから、敷き布団をめくった。
 敷き布団の表側は、「月初に換えていたおかげであまり汚れていない」と記したが、実際はうっすらと汗染みやジュースの飲みこぼしで汚れていた。

「敷き布団をベロリとめくった後の記述なんです、けど……ここまで細かく描写していらっしゃるのに、おかしいって思いませんでしたか?」


〝敷き布団の(略)真っ白な裏側と、黒カビや青カビで腐っている畳があらわになった〟


 ――あっ。

「密着している畳がカビで腐っているのに、……敷き布団の裏は、なんで真っ白なままなんでしょうか?」

 ――いや、でも、新品ですし……

 「カビは1週間もあれば繁殖します。6月の梅雨の時期で、しかもあの年は記録的な高湿気候でした。敷き布団の裏側もカビてないとおかしいんですよ」

 ああ……と思わず嘆息する。
 たしかに、おかしい。
 あって当然の、自然的な現象が生じていない。
 まるで、別の大きな現象に覆われて、抹消されているかのような。
 だが……

 ――たしかに奇妙ですけれど……

「言いたいことはわかります。『だから何なんだ』ですよね。この奇妙な点がどうつながるのかわからない……ですよね?」

 ――はい

 正直に言って、ひとつひとつはそれほど大きな異変ではない。
 これらがどう関わり合って(ミッシングリンクとでも言うのか)、中葉さんが九重さん親子を探さなくてはいけないという結論に至るのかまだ不明だ。

「それらをつなげるかもしれないのが、……これです」

 中葉さんが次に指さしたのは、敷き布団のもうひとつの描写だった。


〝敷き布団の薄く模様が入った(略)裏側〟


「未編集テープを視聴したとき、この『模様』、見えたんですよね」

 ――はい……かなりうっすらとでしたが

 中葉さんがバッグから別のクリアファイルを伸ばす。
 画質が荒い写真だ。
 全体的に白く、真ん中に薄くぼんやりと模様が見える……これは。

 ――もしかして、敷き布団の裏側の画像ですか?

「そうです。テープに写っていたのを切り取って、拡大しました。よく見てください。この模様、ごく一部だけなんですよ」

 白いシーツからうっすらと透けて見える模様。
 一見すると敷き布団自体の模様だが……一部だけ?

「これ、敷き布団の裏側に『何か』貼っているんですよ。それを白いシーツで隠しているんです」

 その意味を図りかねているうちに、中葉さんは拡大写真に赤ペンで線を引いた。
 模様がある部分の輪郭をなぞると、長方形が浮かび上がった。
 まじまじと観察する。
 布団のサイズから計算して、短冊や一筆箋ほどの大きさのものだ。

 ――お札……?

「そうです。この敷き布団の裏には、お札が貼ってあったんですよ」

 ――何のお札……いや何のために……?

 大いに混乱すると、中葉さんがまた別の写真、いや画像を印刷したものを出した。

 「お札の画像を切り取って、編集ソフトで拡大、明度やコントラストを調整して加工しましたが……お札に何が書かれてあるのか判別つきませんでした。
 仕方なく画像認識AIで解析にかけて、出た結果がこれです。おそらくこう書かれてあります」





 くずした筆文字とマークで構成されたお札。
 真ん中にマークがあり、くずし文字がふたつずつ並んでいる。
 シンプルなのに妙に威圧的だ。

 ――これは……何なのでしょうか?

 ゾワゾワする感覚を覚えつつ尋ねる。
 中葉さんは無言で、メールの文面を印刷したものをこちらに差し出した。

「大学に籍を置く民俗学の研究者に、このお札に心当たりがないか聞いてみました」

 中葉さんがむかし心霊番組を手掛けた際、知り合いになったそうだ。
【民俗学研究者からのメール】


 お世話になっております。

 例のお札の件ですが、調べたところ、東南アジアの某国に伝わる古いまじないに使われるものかと思われます。
 ですが、大きくアレンジを加えられています。

 中央にある、太陽と人間を組み合わせたマークは『生命力』を意味しています。
 そして文字は、ご指摘のとおりくずし文字ですが、一般的に使用される青蓮院流とはまったく異なります。
 くずし文字にも流派があるのですが、これはかなりマイナーなものですね。

 文字は、『口』、『及』、『貝』、『守(?)』と書かれてあります。

 『守(?)』としたのは、書き順6番目の『、』がないからです。

 このお札の本来の効用は、病気治癒です。
 手元にある文献によると「札に横たはらば病おこたる」――つまり、病気で寝たきりの人の敷きものに貼り、自然界に存在する生命力を頂戴して治すという使い方です。

 ゆえに本来書かれるはずの文字は、現地の言葉で『平癒』などなのですが……

 どんな目的で作られたのかは、わたくしにもわかりかねます。
 お役に立てず申し訳ございません。

【奇妙な点③/裏側のお札】


 ――病気治癒のおまじないに使われるお札だったんですね……

 悪いものではなさそうで、少しホッとしたのだが。

「かず彦くんは病気じゃありませんでしたよ」

 中葉さんが断つように言い切る。

「至って健康体でした。体は、ですけど」

 悪いものではないと知って安堵したのは、このお札を貼ったのが――おそらく母親のなつ子さんだからだ。
 6月頭にかず彦さんの布団を新しい物と換えたのは彼女だと明示されている。

 身体は健康なはずの息子に、何故まじないをかけたのか。

「考えたんです……このふたつめの『守』っぽい文字」

 どんどん顔色が悪くなっていく中葉さんが黒ペンで該当する文字を書いた。


 


「これでピンと来たんです。この複数の漢字って、部首と(つくり)で分割されているんじゃないかって」

 合体漢字。
 テレビのクイズ番組によく出題される謎かけだ。

「真ん中の太陽と人のマークで分けて、上ふたつ、下ふたつをペアにして合体させるんです」

 『口』『及』を合体させる。
 『貝』を謎の文字と合わせると。


 吸 貯


 ――吸う……貯める……?

「このマークが『生命力』を意味しているとしたら、
 ……お札の上で寝ている人の生命力を吸って、貯めるという効能を持つんじゃないでしょうか……」

 ――……

 突拍子がなさすぎて黙りこくってしまった。
 話が異次元に飛びすぎて、理解が及ばない。
 だが中葉さんは構わずに続ける。説明の勢いも増してきた。

「そう仮定したら、あの家に『生きている虫』がいなかったのも、敷き布団の裏側にカビがなかったのも頷けるんです」

 ――えっと、……このお札が作用して、虫やカビの生命力を吸った、つまり駆除していたと……?

「はい」

 中葉さんはどこまでも真剣だ。

「撮影初日、あの家の庭にネズミの死骸があちこちにありました。前島さんが『多すぎる』と訝しんでいたやつです。……たぶん、お札に生命力を吸われて死んだんでしょう。
 何よりかず彦くんの外見に、違和感を覚えませんでしたか?」

 脳裏に未編集テープに映ったかず彦さんの姿がよぎる。
 かず彦さんはひどく痩せていた。
 長期間何も食べていない人間のように。
 生気を吸い尽くされたような――という比喩が似合うほどに。

「ひきこもりの人って……俺も経験あるからわかるんですけど、動かないから太るんですよ。
 ましてやかず彦くんは、キャラメルを箱買いさせるほどの甘党だった。普通に食事も摂っていたようだった。
 初めから、全部おかしかった」

 その場にいたのにどうして気づかなかったんだろう……と、中葉さんはうつむく。
 まだ、飲み込めないでいた。
 話が一気にオカルトに転じたこと、超常的な現象が現実にあるかもしれないことに。

 ……とりあえず、仮定してみよう。

 このお札を貼った布団で寝ると、その人間の生命力を奪う。
 そんなおまじないが本当にあるとして、なつ子さんはそれを知っていたのか?
 故意に、かず彦さんにおまじないをかけたのか……?


 ――そもそも……こんなお札、どうやってなつ子さんは手に入れたんでしょうか。

「お札の出どころについては、俺の友人がヒントをくれました。
 そいつはライターで、主にオカルトについての記事を書いています」

 中葉さんが、お札の中央にある『生命力』を意味するマークを指す。

「そいつによると、『生命力』を意味するマークは複数あるそうです。
 たとえば太陽、水、火、木……その中で、太陽と人間を組み合わせたこれは、くずし文字と同じくマイナーなようで。好んで使うのは、現代だと〈はたえの会〉だとメールに書いていました」

 〈はたえの会〉。
 そう聞いて、つい原稿をたぐり寄せて1ページ目を開けた。

【奇妙な点④/〈はたえの会〉について】


 ――〈はたえの会〉って、羽多江光児が作ったカルト教団のことですか?

 羽多江光児。

【新聞記事①】に名前が出てきた、羽多江グループの名誉会長だ。
 平民からの成り上がりで日本有数の企業グループを作り上げた立志伝中の人――と評される、近代における起業の父。

 また、独自の信仰をもつ〈はたえの会〉という宗教団体の創立者でもある。
 信者は決して多くないので、一般的にはそれほど浸透していない。
 だが信者の熱心さは他に類を見ないと聞く、いわゆるカルト教団である。


 ――だから【新聞記事①】と【企業のホームページ】が羽多江光児に関するものだったんですね……?

 これら添付資料について言及すると、中葉さんは「あとで話す」の一点張りだった。
 ここでつながっていたのか。

 ――……もしや、【とあるホームページ】の①と②は……?

「はい。〈はたえの会〉のトップページのスクショです」

 短くて奇怪な文章だった。


 〝まだ間に合います〟
 〝どうかよろしくおねがいします〟

 〝家族のおかげで間に合いそうです〟
 〝どうかよろしくおねがいします〟


 分かる者にだけ伝わればいいとでも言うような、排他的な文面。
 そして意味深な締めの一文。
 【企業(羽多江グループ)のホームページ】の、ずっとスクロールした後で現れた、

 〝どうかよろしくおねがいします〟

 ひらがなの淡々とした、文章。


 ――家族というのは……?

「それが〈はたえの会〉の一番の特徴なんですよ。関係性が『教祖と信者』ではなく『家族』なんです。
 羽多江光児を父とし、信者はみんな羽多江の『子』。信者は皆、『てて様』と呼んでいるとか」

 ――てて様……『父』の音変化の呼び方ですね

「はい。羽多江光児より年上でも『てて様』と呼びます……正直、個人的にはウッとなりますが、そのルールのおかげで信者同士の結束は強いです。皆、心の底から羽多江光児を慕っている」

 説明しながらスマホで〈はたえの会〉を検索する。
 信者によるSNSやブログの他、ネット大辞典が出た。
 ざっと流し読みしたが、どれもきちんとした文体ではあるが熱が入っていて、教祖――否、父である羽多江光児への心酔がつづられていた。


 ――つまり、お札は〈はたえの会〉が使うもので、なつ子さんは〈はたえの会〉の信者であると?

「間違いないかと。証左は3つあります。ひとつ、茶の間にあった冊子。ふたつ、なつ子さんの部屋、みっつ……なつ子さんの『指』です」

 中葉さんは順番どおりに説明した。

「茶の間にあった、腰までの高さの本棚。紙類が雑多に押し込まれた中に、〈はたえの会〉の勧誘パンフレットがありました」

 中葉さんのタブレットに該当するシーンのスクショを拡大表示する。
 冊子の端しか見えず、『~の会』としか読めなかったが、次に表示された〈はたえの会〉のパンフレットの表紙と見比べると、フォントデザインの特徴が一致した。

「撮影2日目に入ったなつ子さんの部屋の壁に、備えつけの本棚がありましたよね。そこに数冊の本とオブジェがありました」

 2日目の撮影のときだ。
 こうして該当シーンのスクショを改めて見ると、たしかに妙だ。

 本を収納する棚にしては、位置が高すぎる。

 なつ子さんの身長では踏み台でも使わないと手が届きそうにない。
 さながら『神棚』のような……


 ――もしやこれ、〈はたえの会〉の『教典』ですか?

 白一色の背表紙には出版社の名前しかなく、著者の名前はない。

「はい。出版社名で調べたら羽多江光児の自費出版本でした。信者本人たちは『教典』じゃなくて『てて様の教え・家訓』という位置づけのようですが」

 ――家訓……

 中葉さんがコーヒーを飲む。
 口を潤して、きっと重要なのであろう3つ目の証左について話し出した。

「最後に、なつ子さんの『指』です。包帯を巻いていたの覚えていますか」

 ――はい。左手の薬指ですよね。映像の中でよく痛そうにしていました。

「これもオカルトライターの知人からの情報ですが、信者の間で浸透している『ファッション』があるんです。これを見てください」

 タブレットが切り替わり、数枚の羽多江光児の全身ポートレートが出る。
 写真の年の頃は70代だが、背筋がピンと伸びて大物の貫禄を感じさせる。
 三つ揃いのスーツを着こなす紳士的な雰囲気だが、どこか威圧感も放っている……カリスマ性というやつだろうか。

「羽多江光児の手元に注目してください。どの写真も左手を下にして重ねているでしょう」

 ――はい。左手を隠してるような……

「羽多江光児は昔、事故か何かで左手の薬指の爪が剥がれたんだそうです。本人はそれをコンプレックスに思っているようで、人目につかないようにしてるんですが、信者たちは……」

 そこで中葉さんは言い淀んだ。

 ――どうしたんですか?

 「いや……配慮とか、気遣いみたいなものでも……行き過ぎると狂気になるなって」

 中葉さんがスマホを操作し、SNSのブックマーク一覧を開く。
〈はたえの会〉の信者による投稿を見て、腰が浮きかけた。


 【#てて様とおそろい】


 というハッシュタグがついた画像。
 中年の男女が、芸能人の結婚会見で指輪のお披露目さながらに左手の甲を見せている。
 その薬指に爪がない。
 生々しい肉の色と、喜色満面の男女。

 ――これは……


 【#剥がしたとき痛かった】
 【#今も痛いけど平気だよ】
 【#だからてて様気にしないで】


【#てて様とおそろい】のハッシュタグをたどると、その男女だけではない。
 いくつものアカウントが似た内容を投稿している。

 特にいいね、コメントの数が多いのは、どこかの家族の投稿だった。
 老夫婦、中年夫婦、20代と思しききょうだい……家族が皆一様に、爪を剥がした薬指を誇らしげに掲げている。


 ――羽多江光児が爪のことを気にしているから……配慮ということですか?
 ――他の『家族』も同じだから、おそろいだから……と?

「そうです。理解できませんけど。本気で意味不明ですけど。そういうことなんです」

 これだけで〈はたえの会〉の本質を垣間見たような気がした。

『父』をなぐさめるために自ら進んで爪を剥がす。
 その根底にあるのは『敬愛』辺りなのだろうが、度が過ぎれば、たいていの感情は狂気と呼ばれるものになる。

 そんなものになつ子さんは傾倒していたのか。
 遠慮がちに笑いながら家族の世話をする、その裏で。



「これまでのことを整理してみます」

 ――はい。
 ――九重なつ子さんは、カルト教団〈はたえの会〉の熱心な信者だった。
 ――なつ子さんは、〈はたえの会〉が作ったおまじないを息子のかず彦さんにかけていた。

 原稿の裏に箇条書きにしていく。

 ――現在、なつ子さんとかず彦さんは消息不明である。
 ――もっとも奇妙な点は、お札を使ったおまじない……

「このお札は、本当におまじないなんでしょうか」

 ――え?

「対象の『生命力』を吸うだなんて……悪意を感じます。『おまじない』じゃなくて『呪い』ですよ」


 呪い


 その単語に、衝撃と共に反発心を覚えた。

 ――実の母親が我が子に呪いなんて……

「我が子を虐げて命を奪う親なんてたくさんいますよ、世間には」

 ――そうですけども……


 今の時代、いやとうの昔から母性神話など妄信できるはずがない。
 けれどこのケースに限っては、おいそれと飲み込めないでいた。

 〝わたしは、わたしの家族を再生したいんです〟

 と言った際のなつ子さんのひたむきな瞳が、そう結論づけるのを阻んでいる。


 ――吸って、貯める……

「え?」

 ふいに浮かんだ疑問を口にした。

 ――お札でかず彦さんから吸い取った後、貯めるんですよね。
 ――貯まった生命力は、どうするのでしょうか……?

 中葉さんのまぶたがピクピク動く。そして頭を抱えた。


「……今のところ、状況証拠から推察できたのは以上です。
 俺が九重親子を……いや、かず彦くんを探す理由、わかっていただけましたか?」

 頷き、同意する。

「彼が心配なんです。たった数日しか関わらなかったけど、昔の自分を見ているような気持ちにかられました。
 立場上おおっぴらにはできなかったけど、俺は、彼が社会復帰できることを心底祈ってました……」

 中葉さんが憔悴しかけた、けれど熱のこもったまなざしを原稿の束に向けた。

「彼が、何かとんでもなく大きなことに巻き込まれたような気がしてならないんです」

 だから行方を突き止めたいと、中葉さんは語った。

【奇妙な点⑤/妹の日記】

 中葉さんとのやりとりから、一週間ほど経った日。
 再び、中葉さんから連絡があった。

「先日と同じ喫茶店に来ていただけますか。今度は前島さんも一緒です」

 急な申し出だった。
 『再生P!』のディレクター兼インタビュアー、前島さん。
 中葉さんが九重親子の失踪に疑問を持つキッカケとなった人だ。
 進展があったのかは不明だが、指定された場所へと向かった。


 シャッター通りとなった商店街の端にある喫茶店。
 前回と同じ奥まった席で、中葉さんと前島さんが待っていた。

 「ご足労いただき、ありがとうございます。こちらが前島さんです」
 「初めまして、前島と申します。名刺がなくてすみません」

 前島さんは未編集テープの映像のときより、だいぶ老けた印象の男性だった。
 中葉さんも目の下のクマがより濃くなった。しかし顔つきは精力的というか、目がギラついてる。徹夜が続いた人間特有の表情だ。
 早く本題に入りたそうだったが、注文した飲み物がそろうまで待つ。

「見てほしいのは、妹の……九重さち乃さんの日記です」

 卓上にミニサイズのキャンパスノートが置かれる。
 必要なページ以外は開かないようにふせんが貼られてあった。

 始まりは、6月8日。

 〝あたしを連れ出してほしい〟
 〝この家から〟
 〝あたしを解放してほしい〟
 〝ママとお兄ちゃんから〟

 コピーではない肉筆での本音は、ひどく生々しかった。
 まだ18歳の少女の切実さがひしひしと伝わってくる。

 数日間は母親・なつ子さんと兄・かず彦さんへの恨み節が書かれてあった。
 けれどその裏には、少女が背負うには重すぎる悲哀がある。
 6月12日に親の財布から金銭を盗むとあった。
 それ自体は咎めるべき行為だが、同情は禁じ得ない。

「注目してもらいたいのは、6月11日の記述です」

 〝過去のイヤな記憶のせいで、ぜんぜん眠れなかった。サイアク〟

 愚痴で始まった日記を読み進める。

 〝でも、掃除するのはあたしばかりだ。〟

 〝それどころかママは最近、ヘンに忙しそうだ。〟


 ――〝あのおばさんと、よく電話してるし……〟

「その『おばさん』っていうのは誰なんでしょうか?」

 中葉さんが、小声での音読をふいにさえぎった。

 ――え……普通に親戚のおばさんでは?

「親戚とか近所に住む人、つまり見知った相手なら『あの』はつけないと思います」

 ――たしかに……

「それに、九重さんには親戚はいませんでしたし」

 持参した原稿を確認すると、なつ子さん本人が〝実家の両親は他界、親戚もいない〟と初日の片づけ中に明言していた。

「続きを読んでください」

 〝やけに焦った声で電話していた。今日も。〟


「なつ子さんは『おばさん』なる人物とよく電話をしていた」
「……そういやぁ、なつ子さんは撮影中に通話で中座することが頻繁にあったな」

 前島さんが補足した。

「そのたんびにカメラを止める羽目になるからよ、困ったんだよな。仕事関係かって聞いたら『違う』って、なつ子さん答えたんだよ。『でも大事な連絡だ』っつってたな」
「撮影が中断されるとスケジュールが乱れるから控えてほしいって前島さんが言っても、なつ子さんは電話に出るのやめませんでしたね。ヘンなところで頑なだなって思いました」

 仕事ではない大事な連絡。
『おばさん』なる人物とは、それほど重要な相手だったのか……

「次に『おばさん』が出てくるのは、6月17日です」

 ページを繰る。

 〝ママが泣いてた。〟
 〝おばさんと電話しているうちに、どんどん泣いている声になった。〟

 ――泣いている声……

 笑顔を絶やさなかったなつ子さん。
 我が子とぶつかり合って傷ついても気丈に振る舞っていた。
 そんな彼女が泣いたのは何故か。
 『おばさん』とはいったい誰なのか。


 ――考えられるとしたら……

「そうです。〈はたえの会〉の関係者です」

【推理/『おばさん』の正体】


「結論から言うと、『おばさん』の正体は支援員の堤さんです」

 中葉さんはタブレットに、ある女性の画像を表示させた。
 白いスーツに身を包んだ、50代前半くらいの柔和そうな女性。
 ひきこもりの自立支援をするNPO法人『TOE』の職員で、かず彦さんを家の外に出るよう説得した人だ。


「実はというと、お礼を言わないといけません」

 ――はい?

「堤さんの正体にたどり着けたのは、未編集テープの書き起こしのおかげなんですよ。ほら、この部分です」

【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑨】内の記述に、中葉さんがマーカーで線を引いた。
 かず彦さんと堤さんの会話だ。

 〝ぜんぶ、手遅れなんです……間に合わないんです……〟

 妹のさち乃さんの死に絶望するかず彦さんに、堤さんが言葉をかける。

 〝間に合わない、なんて言わないで。かず彦さんには、まだかず彦さんにしかできないお役目があるわ〟

 そう言って、堤さんがかず彦さんの手を握るのが映像に残っていた。

 〝薬指にだけ布製の指カバーをつけた手が、〟


 ――ああ……

「当時目の当たりにしたときも、未編集テープを検証したときも俺は気づきませんでした。事細やかに描写していただいたおかげです」

 中葉さんに礼を述べられ、前島さんにも軽く会釈された。

 ――それは……恐縮です。

「薬指だけの指カバーは、当然ながら〈はたえの会〉の信者ファッション――剥がした爪を隠すためだろう。保護目的もあるんだろうが……」

 前島さんが言い足す。

「堤さんについて調べるため、今度は画像検索を使いました。映像にあった堤さんの、なるべく正面を向いた顔のスクショを使って」

 ――画像検索……
 ――ああ、花や鳥の写真から名称を調べたり、作ったデザインに類似したものがないか調べるあれですか

 テキストで表現しにくい内容や、名前がわからない人物・商品を探すとき重宝される。

 ――SNSで流れてきた芸能人のアー写で検索して情報を得る、といった使い方はできるそうですけど。
 ――一般の人を探すのにも応用できるんですか?

「できますが、ちょっとコツがいるそうです。その辺のノウハウがなかったので仕方なくプロに頼んで探してもらいました。依頼料はちょっと……足元を見られましたけど」

 苦笑いする中葉さんに、隣に座る前島さんは険しい視線を向けている。

 ……初の対面での打ち合わせで、中葉さんは「映像制作の仕事が少なくて懐が厳しい」と困窮を匂わせていた。
 画像検索のプロへの報酬の相場は知らないが、数千円程度ではないだろう。

 今更だが、中葉さんのこの調査に関する入れ込みは相当なものだ。

「かず彦さんを心配して」「昔の自分に似ていたから放っておけない」というのが調査する理由らしいが、所詮は数年前に一度会っただけの関係。

 この執着(と表現しても差し支えはないだろう)の動機には弱すぎるように思う。

 ……九重家の事件もだけれど、中葉さんの熱量もだんだん異様に思えてきた。



「無事に見つかりました。名前は堤よう子。家族どころか親戚一同〈はたえの会〉の信者です」

 堤よう子さんのSNSを画面に表示させる。
 以下はプロフィール欄の一部転載である。

【〈はたえの会〉会員/NPO法人〈TOE〉職員/設立初期からてて様の家族です/新しい家族との橋渡しもやっています。お気軽にDMどうぞ(ネイル)】

 文末の、『爪』にマニキュアを塗る絵文字がなんとも意味深だ。
 意味がわかる者にだけ伝わればいいと、【とあるホームページ】の①と②にも通じる排他的な思想を感じる。

「このアカウントの更新は2年前に止まっています。すべての投稿もチェックしましたが、なつ子さんらしき人は見当たりませんでした」

 投稿した画像に見切れる、テキストになつ子さんの存在の匂わせもなかったそうだ。

 ――なら、〈TOE〉という支援団体は〈はたえの会〉関連だったということですね?

「そのようです」

 ふたつを合わせたら『十重二十重』。偶然ではあるまい。
 十重二十重の意味は「幾重にも重なること」。
 あるいは、「幾重にも取り囲む様子」。
 ……やはり意味深に感じる。


「堤よう子の投稿内容は至ってマトモです。〈TOE〉の職員としての心意気の表明、被支援者のために東へ西へ走り回る記録ばかりで、たまに『てて様』への想いをつづる。それも『感謝してます』などの短文ばかり」
「そこらの一般的な信者とは格が違うってのが、さりげなく表出してるんだよな」
「はい。堤よう子の投稿と、未編集テープの内容、俺が用意した資料を合わせると、時系列がはっきりします」

 中葉さんが原稿の1ページ目、【新聞記事①】を開いた。

 2018年6月1日の記事。
 見出しは、『近代の立志伝中の人 入院』。

 羽多江光児の入院を知らせるニュースだ。
 83歳の高齢での入院……となると、『家族』は覚悟しなくてはならないだろう。


 ……と、考えたところでふと、改めて疑問がよぎった。

 羽多江光児は、存命なのだろうか?


「堤よう子によると、新聞記事の数日前から入院したようです。それと、覚えていますか?
 なつ子さんがかず彦くんにお札でおまじないをかけたとされる時期」

 急に話が飛んだ、と一瞬だけ思ったが。

 ――2018年の6月頭……

 【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑤】内の記述だ。
 なつ子さんとスタッフの後藤さんの説得でキレたかず彦さんが喚き散らすシーン。

 〝せ、先々週、この人たちが来るずっと前だったのに、ぼくの部屋に入ったじゃないか〟

 それに対してさち乃さんはこう言い返している。

 〝あんたの布団を換えてたんだろ〟


 【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑩】にも同様の記述がある。

 〝万年床は、6月頭になつ子さんが新品に換えたそうなので――〟


 ――羽多江光児の入院と、ほぼ同時期ににおまじないをかけた?

 お札によって生命力を吸うまじないを。


 「次は【企業(羽多江グループ)のホームページ】です」

 〝羽多江は現在、集中治療室に入っており、いわゆる危篤状態となっております〟

 羽多江光児の危篤を知らせ、あの謎の文章(どうかよろしくおねがいします)が続いた声明が公開されたのは、6月17日だ。

 手元にあるさち乃さんが遺した日記と見比べる。


 〝6月17日
 ママが泣いてた。
 おばさんと電話しているうちに、どんどん泣いている声になった〟


 ――なつ子さんが泣いたのは、羽多江光児が亡くなりかけていると知ったから……?

「知らせたのは堤よう子だろうな」
「はい。それで気になるのが、『なつ子さんがさち乃さんに協力してほしいこと』です」

 ――16日と、18日に書いてあることですね。

「前回言ったとおり、『協力してほしい』はおそらくかず彦くんに関することではないと考えられます」

 ――では、何に……

 中葉さんの顔を見て、途中で言葉が切れた。
 中葉さんは激しく瞬きをし、テーブルに置いた右手が震えている。
 怯えている――いや、興奮しているように見えた。

「……生命力を、吸って、貯める……」

 ――え?

「そちらが言いましたよね。『吸って貯めた生命力はどうするのか』と」

 ――はい……

「それがどうしても気になって、……調べました」

【推理/お呪いの真実】


 中葉さんがタブレットを、右手の指先で操作する。
 そういえば、と気づく。
 先ほどから、中葉さんは左手をテーブルの下に置いたままだ。

「あるツテを使って、2018年6月におこなわれた〈はたえの会〉の集会動画のデータです」


 ギョッとなったのは前島さんもだった。

「おまえ……中葉! そんなものどうやって手に入れたんだ」
「苦労……しましたよ」

 へへっと中葉さんは軽く笑い、タブレットで動画ファイルを開く。

「音が出ます。イヤホンどうぞ」
「俺が先に聞く。いいか?」

 前島さんの剣呑さに「はい」と了承する。

 短い動画のようだ。
 けれど前島さんの顔色は、見る見る変わった。

「これは……」

 前島さんがうなる。

「次、どうぞ」

 中葉さんがタブレットを渡してきた。
 自前のワイヤレスイヤホンのBluetoothをつないで、再生をタップした。


『――再生』

 唐突に、厳かな声が耳を刺した。
 『再生』違いだとすぐわかった。

 映像に映っているのは、どこかの会館の講堂だ。
 学校の講堂のように、舞台が設えてあり、パイプ椅子が並べてある。
 壇上には〈はたえの会〉の横断幕がぶら下がっている。

 かなりの人数が集まっており、百人は下らないだろう。
 皆、一様に白い服を着ている。

 そういえば、と思い出す。

 未編集テープによると、堤よう子さんの服装は白いスーツ。
 なつ子さんもそれまでは黒い服……白プードルのピピちゃんの毛が目立つ着古したものを着ていたのに、小綺麗な白いアンサンブルを着ていた。
 あれは、幹部である堤さんに面会するから、だったのだろうか。

 舞台の上、演壇に手をつく女性が信者たちを見下ろしていた。
 アングルが遠いので、堤さんかどうかは判別できない。

『先日お伝えしたとおり、わたしたちのてて様の生命が尽きようとしています』

 会場に嗚咽が響く。

『けれどわたしたち家族には、まだてて様のご指導ご鞭撻、ぬくもりが必要です』

 そうだ!
 そうだ!
 同意の声。

『ゆえにわたしたちは――てて様に〈再生〉していただかないといけません』

 そのとおり! そのとおり!
 賛成の声。


『〈再生〉……キリスト教では「復活」という意味合いになりますが、わたしたちは宗教者ではありません。
 何よりてて様の生命は、とぎれてなどいません。
 まだわたしたち家族のために、てて様は懸命に生きようとなさっているのです』

 また嗚咽。


 『復活』も『再生』も、衰えていたもの・滅びかけていたものが生き返るという意味だ。
 その違いは、前者は『いちど途切れたもの』に、後者は『とぎれかけたもの』に使うところだ。
 番組名の『再生P!』もそこから来たのだろう。
 機能不全で崩壊しかかっていても、まだかろうじて残っている家族の絆を結びなおす……そんな意図が込められていたのかもしれない。


『慈愛深いてて様に、わたしたちは何ができるでしょうか。
 何をすべきでしょうか』

 ――――――集めます!

 女性の問いかけに野太い声が答えた。

 集めます!
 てて様の生命がもっと続くように! ずっと生きてくださるように!
 集めます!

 ――――――生命力を!


 ……その答えに、女性は満足そうな吐息をもらした。

 『これが家族の絆なのですね。なんと尊い』

 女性は左手に持った薄い封筒を掲げた。
 当たり前のように、薬指の爪が剥がれていた。

 『みなさまに、こちらをお渡しします。みなさまもご存知の、てて様が信頼する占い師の方に作っていただいた特製の品です』

 それは何ですか。
 誰かが尋ねた。

 女性は封筒から一枚の細長い紙を取り出す。
 一筆箋ほどの大きさの薄い紙。
 太陽と人間を模したマークと、くずし文字が書かれてある。
 果たして何人がマークと文字の意味を理解しただろうか。

 『てて様にささげる生命力を、効率よく集めるためのものですよ』

【推理/母親の真実】


 プツン
 画面が暗転した。



 ――……

 無意識でワイヤレスイヤホンを外した。
 手元に目をやると、用意がいいことに、中葉さんがAI補正を施したお札の画像を差し出した。

 生命力を吸って貯めるための呪いの札。
 集会映像の中に出たものと一致していた。


「つまり中葉、おまえが言いたいのはこういうことか?」
「え?」
「なつ子さんは、〈はたえの会の〉の信者だった。
 なつ子さんは、かず彦くんにまじない……いや呪いをかけていた。
 実の息子の生命力を奪っていた。
 寿命が尽きかけている教祖、羽多江光児を生きながらえさせるために……」
「ええ、そうです。死にかけの老いぼれを延命させるための、いわば生贄にしていたんです。……あ、今の暴言は信者に聞かれたら粛正されちまいますね」

 ははは、と中葉さんは乾いた笑いを漏らした。
 その目に光はない。

「そんなことが……あるわけない」
「何がです? 生命力を奪って他人に移すなんていう呪術とか魔術みたいなシロモノがある点ですか? いやいや前島さん、忘れたんですか?」
「何をだ」
「俺たち、『再生P!』以外の現場で何度も遭遇したじゃないですか。現代の科学では説明できない、オカルトめいた、非科学的な、およそ信じがたい……って形容詞が似合いそうな出来事も現象も」
「それは否定しねぇけどよ……」
「まだ納得できないって顔ですね。何がそんなに疑問なんですか?」

 ――なつ子さんの人物像と、これらの行動が大きく乖離している……と言いたいのでは?
 ――彼女がそんなことをする人間に思えないと、前島さんは違和感を覚えてるのではないですか

 つい口をはさむと、図星だったようで前島さんが頷く。

「闇雲に母性を信じてるわけじゃないが……」
「いや、わかりますよ。
 なつ子さん……『我が子を過度に甘やかす母親』のイメージそのものである彼女がこんな非道な行いをするか? って話ですよね。論理じゃなくて印象の問題です」

「……二面性があるやつなんてゴロゴロいるが、なつ子さんは絶対に違った。
 あの年で、こっちが心配になるくらい善良だった。他人を騙し通せる人種じゃない」
「そうですよね。ああいうタイプの女性、ちょっと裏や地下にもぐればいくらでも見かけます。そういうドキュメンタリーも前島さんと撮りましたよね。
 常にニコニコしてて、身勝手な他人に尽くして振り回されて、何を言われても反論せずに受け入れる、我が子にさえ強く出られない……あの笑顔もしゃべり方も、そういう女性の特徴そのまんまだった。なのに」
「なのに?」

「どこにでもいる意志薄弱な、可哀想な女だったはずなのに……記憶を掘り起こしてみても、テープの映像を観ても、なつ子さんが何を考えているのか見当もつかないんです」

 画面になつ子さんの顔写真が表示される。
 眉を下げて、弱々しげな困ったような笑みだった。


「笑顔の裏で何を考えているのかつかめない。今更ですけどそんな闇みたいなものを感じて……」
「そんな……気弱ではあるが、あの愛情深さはホンモノだった。俺は長年業界にいて、多種多様な人間と会ってきた。人を見る目には自信がある。
 彼女の言葉や行動にウソはなかった。常に我が子にすら気遣って……」

 ――そうですね。
 ――たとえ愛犬相手でも、息子の部屋に近づいたら叱りつけたりして、……
 ――あ


「気づきましたか」

 中葉さんがニヤリと口の端を上げた。
【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ②】のページを開いて、参照する。

 母親と娘の口論に、小型犬のピピちゃんが怯えて逃げ出すシーン。


 〝ダメぇえええええ!!〟
 〝ダメ! ダメよ! かずくんの部屋に入っちゃダメ!〟


〝さっきまでの態度が嘘のような剣幕だった〟と描写するほどの必死さで、なつ子さんは愛犬をかず彦さんの部屋に入るのを阻止した。


「そりゃそうだ。だってかず彦くんの部屋に入ったら、ピピちゃんは布団に貼ったお札の影響を受けるんですから」

 カビや虫で瞬殺。
 ネズミでも家の外に出るくらいの猶予はあったが、死んだ。
 小型犬のピピちゃんも無事では済まないだろう。

「参ったな……でも、そりゃそうか」

 前島さんがページを繰って、その続きにある、傷心のなつ子さんに対するインタビューに目を通した。
 なつ子さんは怖がるピピちゃんを抱きしめて、赤子にするようにあやしていた。
 その姿は、〝まさに聖母のようだった〟。

「前島さんならわかってくれると思ってましたよ」
「犬は……可愛いからな。余計なことをしないし、言わない。愛情をそそげばちゃんと愛情を返してくれる。犬は……愛していい『家族』だ」

 愛犬家であるという前島さんが拳を握った。その左手には結婚指輪の日焼け痕がある。
 中葉さんは嘲笑混じりに言った。

「なつ子さんが愛情深くて家族想いの人間だったのは確実に真実です――けど。
 なつ子さんの『家族』って誰だったんでしょうかね」


〝わたしは、
 わたしの家族を、
 再生したいんです〟


 なつ子さんが何度も言っていたこの願い。
『再生』が別の意味を持った今。

 なつ子さんは、自分が産み育てた実子たちをどう思っていたのだろう。

 長い間働きもせず部屋に閉じこもり、食事にばかみたいなケチをつけるかず彦さんのことを。
 優しさのカケラもない正論で母親を言及し、金銭を搾取するさち乃さんのことを。

 エヘヘと笑って「ごめんなさい」と謝る、そのくりかえしの裏側で。

 さち乃さんの遺体を確認した夜。

 〝再生、……間に合わなかった……っ!〟

 そう号泣したなつ子さんの悲しみは、どこに向けられていたのか。