御蔵入 ある親子を探しています

【新聞記事②】


 2018年6月20日
【***市・公園で女子高生の死体発見 自殺か?】

 20日未明、***市内の公園で、「女の子が木で首を吊っている」と目撃者が110番通報しました。

 管轄する***署によると、発見された女子高生は同市に住む高校3年生、九重さち乃さん(18)。

 公園の中央に植えられたシンボルツリーである欅の木に、制服のネクタイを引っかけて首を吊った模様です。

 外傷は左手の爪が一部剥がれかけており、おそらく苦しさに耐えかねて自ら首を引っ掻いたという見解です

 警察は自殺の動機などを調べています。

【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑦】


 6月20日(金曜日)。
 梅雨の晴れ間だった。

 早朝7時から撮影が始まったが、一本の電話がかかってきた。
 警察から、さち乃さんの死を知らせる電話だった。
 現場は騒然とし、ベテランである前島さんも動揺していた。

「さち乃さん、おうちにいないんですか?」
「さっちゃん、ゆうべ遅くにお友達の家に泊まるって出ていって……!」

 2階のさち乃さんの部屋へ急ぐ。
 もぬけの殻だった。
 玄関に戻り、誰もが言葉を失う中、1階の襖が少しだけ開いた。

 かず彦さんがこちらを見つめている。

 その顔面は蒼白で、明らかにショックを受けていた。
 「さち乃……」と小さくつぶやいた後、また襖を閉めた。

 なつ子さんが「警察に行ってくる」と力なく支度を始めた。
 足元すら覚束なかったので、後藤さんが付き添うことになった。
 一旦、撮影は中断された。

 再会は夕方になってからだった。

 萎れた花のように項垂れて、なつ子さんは後藤さんに支えられるようにして帰宅した。
 病院以外の場所で亡くなると、ご遺体は警察による検視が行われる。
 さち乃さんはしばらくこの家に『帰って』これないと、呆然とする母親の代わりに後藤さんが報告した。

「なつ子さん、もう今日はおやすみになってください。必要なものはありますか? 買ってきます」

 後藤さんは、力強いが決して押しつけがましくない口調でなつ子さんを気遣った。

 警察から電話が来て以降、後藤さんの細やかな気配りには、中葉さんも舌を巻いたという。
 撮影初日は(この人、大丈夫かな……)と思ったが、現場では総合責任者である前島さんに代わって、中葉さんや他のスタッフに適切な指示を出し、場を回していた。

 あいまいに頷いたなつ子さんは、上がり框に足を乗せた途端、ガクッと膝をついた。

「なつ子さん、大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ、です……あはは……すみません、気が……抜けちゃっ……!」

 ふいになつ子さんの瞳から涙がこぼれた。
 うぁあああああ……と、なつ子さんは慟哭し、うずくまった。

 胸につまされる嘆きに、番組スタッフたちは言葉も出なかった。

「どうして……さっちゃん……どうして……」
「なつ子さん……」

 後藤さんが背中をさすり、前島さんにアイコンタクトを送る。
「撮影をやめた方がいい」という提案と思われるが、それが届く前に、なつ子さんは言った。

「……った」
「え?」
「……間に合わなかったっ……!」

 なつこさんが頭をふるふると振る。板張りの床に大粒のしずくがいくつも落ちた。
 何が――とは、聞くまでもなかった。

「再生、……間に合わなかった……っ!」

 なつ子さんがそう続けた瞬間、中葉さんの目頭が熱くなった。

 ――わたしは、わたしの家族を再生したいんです

 撮影当初から提示されていた、なつ子さんの目的。
 家族想いのなつ子さんの希望。
 誰よりも家族を愛している母親の願い。
 切実だったそれが永遠に叶わなくなってしまった――そんな痛みを目の当たりにし、中葉さんは息が苦しくなった。

 後藤さんももらい泣きし、前島さんや他のスタッフも沈痛な面持ちとなった。
 そのときだ。

 ゴンッゴンッ

 かず彦さんの部屋からくぐもった音がした。
 襖の向こうから押し殺したような泣き声がした。

【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑧】


 中葉さんはかず彦さんの部屋に入った。
 薄暗く、ひんやりと冷たく、だが空気がこもってカビ臭い和室。
 かず彦さんが額を畳に打ちつけていた。

「やめろ、やめるんだ」

 中葉さんはかず彦さんの頭と、細すぎる肩を抑えた。
 あまり風呂に入っていない人間特有の、酸化した脂のにおいがしたそうだ。
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をさらし、転んだ子どものようにかず彦さんは泣き叫んだ。

「さち乃っ……ごめん、ぼくの、ぼくのせいだ……っ」

 黒ずんだ爪を、肉が削げ落ちた頬を立てる。

「ぼくがこんなだから……ゴミだから、クズだからっ……ぼくのせいでさち乃が死んだぁあああ……っ」

 顔面を引っ掻こうとするのを、中葉さんが手首を押さえて止める。少し力を入れたら折れそうだったという。

「あんなに苦しんでいたのに。出ていく前に、『痛い』って叫んでいたのに……心配だったけど、怖くて様子も見にいけなかった……」

 かず彦さんはギリギリと歯軋りをし、涎と共に「死ぬべきなのはぼくなのに」とこぼした。

「ぼくが死ねばよかったんだ……ぼくも、死にたい……死にたいぃいいい……っ」

 中葉さんは反射的に否定した。

「そんなこと言うなよ。母親の前で、そんなこと言ったらダメだ」

 中葉さんの言葉に、かず彦さんはゆっくりと顔を上げた。
 腫れぼったい瞳を、母親の方に向ける。

「かずくん……」

 涙に濡れた顔を、親子は見合わせる。
 しばし無言で見つめ合った。

 やがてかず彦さんの全身から力が抜けて、「ごめん……お母さん、ごめん……」とうずくまって謝り出した。

 かず彦さんの、妹と母親への謝罪は長く続いた。

 その間、中葉さんたち番組スタッフはずっと傍についていた。
 普段ならば、こんなカウンセラーや福祉士めいたことはしない。
 けれどどうしても放っておけなかったと、前島さんも後藤さんも後ほど吐露したらしい。

 番組スタッフは撤収したのは、夜が深まる頃だった。


 その日から1週間後の、6月27日(水曜日)。

 最初の予定では、撮影最終日になるはずだったその日、なつ子さんに連絡を取った。

 その後の様子を伺うためと、撮影を続けるか、番組の制作をどうするか九重家の意向を聞くためだった。
 前島さんはお蔵入りを覚悟していたが、なつ子さんの返事は、予想外のものだった。

「どうぞ来てください」

 驚いたが、なつこさんが望むなら最後まで付き合おうと前島さんは考えたそうで、番組スタッフは再び九重家を訪れた。

 そこには先客がいた。
 堤さんという女性だった。

【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑨】


「あ……お世話になっています……よろしくお願いします……!」

 撮影初日と同様、なつ子さんが小型犬のピピちゃんを抱えて、番組スタッフを出迎えた。
 疲れた様子だったが、前回前々回と違って白のアンサンブルを着ているため、顔色は悪くなかった。

 なつ子さんは常と同じ遠慮がちな笑みを浮かべ、家の中へ招き入れる。

 かず彦さんの部屋の前に50代前半くらいの女性が立っていた。
 白いスーツに身を包んだその女性は、堤さんという名前で、NPO法人『TOE』の職員だ。
 若年層・中高年層問わずひきこもりの自立支援を目的としている団体だという。

「これからのことを……相談しているんです……!」

 これからのこととは、もちろんかず彦さんの進路だ。
 あの日以来、かず彦さんは部屋の外に出るようになり、少しずつではあるが、なつ子さんと会話を交わしているらしい。
 数日前から一緒に食事もしていると、なつ子さんがエヘヘと笑いながら報告した。

 堤さん本人から資料として残してほしいと依頼され、堤さんと九重親子の話し合いの場も撮影された。
 中葉さんたちが掃除し、すっかり綺麗になって広くなった茶の間に、3人は向き合って座った。

 かず彦さんは、ますます痩せたようだった。

「こんにちは、堤です。いつもお世話になっています。遠慮せず、なんでも話してちょうだいね」

 かず彦さんは初めこそ何から話したらいいのか迷っていたが、堤さんの包み込むような雰囲気と、話し上手で聞き上手であるおかげで、ポツポツと話し始めた。

 ひきこもりになった原因も判明した。
 中葉さんと同じく、人間関係が原因だった。
 中学校で友人とうまくいかず、教師に疎まれるようになり、人とのコミュケーションを恐れるようになった。
 ありていな理由と言えばそれまでなのだが、中葉さんは共感したらしい。

「かず彦さんは、今どうしようもなく、ご自分を否定していらっしゃるでしょう?」
「はい……ぼくのせいで、さ、さち……妹が」

 かず彦さんが言葉に詰まる。

「わかります。つらいわよね」

 かず彦さんが首を横に振った。

「つらいなんて……ぼくに言う資格、ありません……ぼくは、取り返しのつかないことをしてしまった」
「いまさらぼくが、世間や……社会に出ても、きっと迷惑を……かけてしまう……無意味、なんです……」
「ぜんぶ、手遅れなんです……間に合わないんです……」

 『間に合わない』

 偶然なのかどうなのか、なつ子さんと同じ言葉を使って、かず彦さんは悲嘆に暮れた。
 隣にいるなつ子さんも肩を落とす。
 気落ちする二人に、堤さんがゆったりとした声調で告げた。

「間に合わない、なんて言わないで。かず彦さんには、まだかず彦さんにしかできないお役目があるわ」

 堤さんがかず彦さんへ手を伸ばす。薬指にだけ布製の指カバーをつけた手が、しっかりと彼の手を握る。
 堤さんは、まっすぐな目線で告げた。

「すぐに信じられないかもしれないけど、本当よ。いったん信じて、わたしと一緒に外の世界に行きませんか? ……家族のために」

 堤さんに誘導されて、かず彦さんはゆっくりと横を向いた。
 これまで自らを支えてきてくれた母親をじっと見つめて、小さく、けれどはっきりと、和彦さんは「はい」と答えた。

 万感の思いで、中葉さんはそれを見守っていた。

【とあるホームページ】


 まだ間に合います

 どうかよろしくおねがいします

【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ⑩】


 後日、NPO法人『TOE』の事務所で面談する約束を交わして、堤さんは九重家を後にした。
 番組スタッフも撤収しようとしたが、前島さんが粋な提案をした。

「せっかくだし、かず彦くんの部屋を片づけていってもいいかい?」
「新しい門出、祈らせてよ」

 後藤さんが『祝わせて』ではなく『祈らせて』を選んだのは、さち乃さんを亡くしたご遺族への配慮だろう。
 中葉さんも反対するはずがなかった。
 かず彦さんは「お願いします」と頭を下げた。なつ子さんもしばらく考える素振りを見せた後、同じようにした。

 襖を取り外し、窓を開けて換気する。
 窓のサッシには埃がこびりつき、なかなか開かなかった。

 ちゃぶ台代わりに使っていた段ボール箱を撤去すると、食べカスが散らばった。

 飲み物をこぼしたまま放置し、シミだらけのマットを剥がすと、畳も変色していた。

 ほとんど衣服がカビ臭かったので、一度まるごと洗濯する。

 カーテンは結露でカビが生えていたので廃棄。

 かず彦さんも、最初はやはり何をしていいかわからず居心地が悪そうにしていたが、後藤さんの指示に従って手を動かした。

 本来はとても素直な性格なのだろう、と中葉さんは思った。

「うわぁ、これスゴイね」

 後藤さんが声を上げた。
 かず彦さんの万年床を指差し、マスクを付け直した。

「ちょっとめくったんだけど、やばいよ。覚悟しなよ」

 万年床は、6月頭になつ子さんが新品に換えたそうなので、表側はそこまで汚れていなかった。あくまで他と比べると、だが。
 しかしベロリとめくると、敷き布団の薄く模様が入った真っ白な裏側と、黒カビや青カビで腐っている畳があらわになった。

 人間は寝ている間、コップ一杯分の汗をかいている。

 だから寝具は風通しをよくして湿気対策をしなければならない……という教えの手本のような状況だ。

「かず彦くん、よくこんな布団で寝られたなぁ」

 前島さんに冗談まじりに言われ、かず彦さんが小さくなった。

「いやでも、逆に根性があるってことかもな。ははっ」

 豪快に笑い飛ばされ、骨が浮き出た背中を軽く叩かれると、かず彦さんも吹き出した。
 初めて見る彼の笑顔だった。

 夕方になり、作業が終わった。
 かず彦さんの部屋は、見違えるように綺麗になった。

 なつ子さんもかず彦さんも、信じられないとでも言うような、不思議そうな面持ちで住処を見回した。

 再スタートにふさわしい家になった、と中葉さんは自負していた。

「本当に、ありがとうございました……!」

 車に乗り込んだスタッフに、なつ子さんとかず彦さんは幾度も頭を下げた。
 ピピちゃんはなつ子さんの腕の中で、ぐっすりと眠っている。

「まだ再生……できるかもしれません……!」

 なつ子さんが希望にあふれた声で言った。
 かず彦さんは中葉さんを見つめ、強い視線で感謝を伝えていた。


 こうして、約1ヶ月にわたる撮影は終了した。

 最後まで観れば、まさに『再生P!』のコンセプトにふさわしい内容ではあったが、未成年の自殺が起こったことを踏まえて、前島さんはお蔵入りを決めた。
 中葉さんたちも納得した。
 ただ、九重家の行く末が少しでも良いものでありますように胸中で祈ったという。
【とあるホームページ②】


 家族のおかげで間に合いそうです

 どうかよろしくおねがいします

【九重家のその後】


 そこから幾年かの月日を経た。
 冒頭に書いたとおり、『整うバラエティ 再生P!』は存続不能となって、地元の視聴者に惜しまれつつも終了した。
 その間に、前島さんの映像制作会社は規模を縮小し、中葉さんも別の同業会社に転職した。
 (その会社が倒産して、中葉さんはフリーランスとなった)

 そして前島さんが家庭の事情で会社を人に譲ることになり、昔のよしみで、中葉さんは後処理を手伝うことになった。
 主な仕事は膨大な撮影資料の選別・処分である。

 その中から、中葉さんはこの『九重家を撮った未編集テープ』を発見した。

 併せて、あるものが見つかった。

 さち乃さんの日記である。


 何故そんなものが資料に紛れ込んでいるのか。
 事情を聞くと、撮影最終日の片づけの際、ゴミ出し中に紛れ込んでしまったらしい。
 日記は薄いミニキャンパスノートで、まさか女子高生の日記帳だとは思わなかったそうだ。
 前島さんはすぐに返そうとしたが、長期の案件が入ってしまい、放置してしまった。

 数ヶ月後、やっと余裕ができた前島さんはなつ子さんに連絡を試みたが――
 電話もメールも通じなくなっていた。

 不審に思ったが、またすぐに繁忙期に入り、今度は年単位で日記帳のことを頭の隅に追いやった。

 そうしてある日、中葉さんがとっくに退職した頃のこと。
 前島さんは物のついでで九重家を訪れた。

 予想どおりというかなんというか、九重家は更地になっていた。

 近所の人に聞いても、なつ子さんとかず彦さんがどこへ引っ越したのか分からずじまいだった。
 そんな経緯を聞いて、中葉さんは当初「よくあることだ」と思ったそうだ。この業界にいれば、特に。

 けれど懐かしさも手伝って、若い頃の自分の初仕事を見て、初心を思い出そうと中葉さんは未編集テープを観た。

 そして凄まじい違和感に襲われたという。

 ――あの時は気づかなかったが、
 この家、絶対におかしい。


 疑惑を深めた中葉さんは、妹のさち乃さんの日記を開き、疑惑は不安へと変わった。

 九重なつ子さんと九重かず彦さん。
 この二人は今、どこでどうしている。

 生きているのだろうか。

 中葉さんの、親子を探す日々が始まったのだという。

【中葉さんとの会話②】


 市内にある、商店街の隅にある古びた喫茶店。

 奥まった席で、【テレビ番組:『再生P!』の未編集テープ】をすべて書き起こした原稿を渡す。
 中葉さんは軽く目を通した後、時間をかけてじっくり熟読した。

 最後の一枚を読み終えると、中葉さんは長く深い息をついた。

「小説家ってすごいですね。おかげであのときの記憶とか心境がより鮮明になりました」

 誉められたのだろうが、中葉さんに浮ついた様子はない。
 むしろ沈痛が深まったように見える。

 ――ご指示どおり、事前にいただいた『別途資料』も合間に載せました。これはいったい何なんですか?

 『別途資料』とは、【前書き】の前に載せた【新聞記事①】、【妹の日記①】、【企業のホームページ】、【妹の日記②】、【新聞記事②】、【とあるホームページ①】、【とあるホームページ②】のことだ。

 亡くなった九重さち乃さんの日記のコピーを一部だけいただいたのだが、他者の、しかも故人の方の日記を見るのは決していい気分ではなかった。
 中葉さんには「重要な手がかりなんです」と強調されたが……

 他にも問題はある。

 【新聞記事②】はさち乃さんのことなのでともかく、他は九重家になんの関係があるのだろうか。

 大企業の会長の入院を知らせる記事、同人の危篤を知らせるホームページのスクリーンショット、そして誰の、あるいはどこのものかわからない画面のスクリーンショット。
 【とあるホームページ①】、【とあるホームページ②】は特に不可解だ。奇妙な文面。誰に何を伝えたいのかすらわからない。

 この資料たちも中葉さんが指定した順番どおりに合間に挿入したが……

 疑問をすべて口にすると、中葉さんは頭を抱えた。
 コーヒーをぐいと呷ると、彼は佇まいを直した。

「未編集テープの内容を書き起こしてもらったのには理由があります」

 ――はい

「追体験をしてほしかったんです。九重家のことを知った人たちに」

 中葉さんの指が原稿の束をトントンと叩く。

「実際にあの場にいた俺でさえ、あの家の奇妙さには気づかなかった。何年も経ってから俯瞰……っていうのかな、無関係な『外』から眺めるような形で見ないとわからなかったんです。九重家のおかしさに」

 小説で言うところの『神の視点』というやつかもしれない。

「九重家に隠されたものの根深さを肌感覚で感じ取ってもらわないと、俺がどうしてなつ子さんとかず彦さんを探しているのか……納得してもらえないと思いました」

 ――なるほど。その考えは理解できました
 ――けど、再三おっしゃっている『九重家の奇妙さ』とは何なんですか?
 ――たしかに一般的な家庭とは言えませんが、特に何も……

 書き起こしのために未編集テープを何度も視聴したのだ。

 ――まさか幽霊とかオバケとかが映っていた?
 ――いないはずのものがいる……みたいな。

 心霊VTRを扱った某番組が頭をよぎった。「おわかりいただけただろうか」のあれだ。
 しかし、中葉さんは首を横に振った。

「違います、逆なんです。……やっぱり気づかなかったんですね。いるはずのものがいないんですよ」

 中葉さんが原稿をざらりと撫でる。

「あの家には、『生きている虫』が一匹もいなかったんです」