「エリザベート。フィリップを魔獣に見立てて追いかけるのは止めなさい。」
六歳になったエリザベートはどこから拾ったのか、枝を持って走り回っている。
「はぁ…来年から家庭教師を呼んで勉強をする年になっているのに…あの子は大丈夫かしら?」
「リナは十歳を超えてもやっていたと言うし、大丈夫だろう。教師はもう決まったのか?」
「えぇ。お義母様と相談して、ほぼ決まりました。もうっエリザベート。」
「リオ、あまり怒るな。リオが本気で怒ると文字通り雷が落ちる。国民を怖がらせたくはないから、怒らないでくれ。」
「そうは、言いましても…」
里桜は困った顔をする。
「ははうえ。」
「はい。はい。転ばないようにね。フィリップ。」
「ほらっ、討伐される側のフィリップも楽しそうだし、良いのではないか?」
五人目の子供、フィリップも今年で五歳になる。そして、私の異世界暮らしも丸十五年になった。
日本での暮らしや、人々や、食べ物が無性に恋しくなる事が未だにある。
その度に、としこさんとまた話したいと思う。正直良い思い出があったわけではなかったけれど、私の世界で唯一の理解者だ。
とは言っても、この世界でかけがえのない家族や人々に囲まれて、今では日本での暮らしの方が幻だったのかも知れないと思うこともある。
フィリップは里桜の足元に思いっきり抱きついた。レオナールがフィリップを抱き上げる。
「テレーザの留学に関する事でフェデリーコ殿下から書簡を頂戴した。」
「テレーザは来月こちらに来るのですか?」
「あぁ。去年洗礼を受けた時に、両親から自分の出自の説明を受けたらしい。その時にアリーチェの存在も話すつもりだったらしいが、アリーチェはそれを頑なに拒んだそうだ。」
庭園を、二人並んで歩く。
「だから、産みの母はこの国で病によって亡くなった事にしたようだ。」
「そうですか。」
「テレーザがこちらへ来る時には、フェデリーコ殿下も一緒に来ると書いてあった。」
レオナールがフィリップを下ろすと、元気良くエリザベートのところへ走って行った。それを追う乳母も大変だ。
「では、フェルナンは喜びますね。」
「フェルナンの騎士団に入団した祝いも予定しているそうだ。」
「そうですか。」
十七歳になるフェルナンは今年の五月に学院を卒業し、先月入団テストに合格して、希望する第一団隊の新米騎士としてスタートを切ったばかりだった。
訓練初日、へたばっている同期入団の新米騎士の中、平然とした様子で母との打ち合いの方が余程大変だと言って同期や先輩騎士を驚かせていた。
里桜が、濃い緑の中に咲いている花を見ていると、レオナールは心配そうに声をかけてきた。
「いかがした?」
「いいえ。」
里桜は首を振る。
「ただ、社交の中心にいた私たちのかわりに、だんだんと子供たちの世代が中心になっていって、こうして絶え間なく続いていく中で代替わりをするのだと思って。」
「随分と気が早いな。」
「そんなこともありませんよ。気付けば、マルゲリットも十一歳になって来年には洗礼式を行う事になりましたし、あと数年で社交界にデビューします。そうしたらあっという間ですよ。」
「あぁ。そうだな。母は今からマルゲリットのデビュタント用のボールガウンのデザインを考えているし。」
「この前は、ティアラのデザインに頭を悩ませていらっしゃいました。」
「何と、気が早い。」
二人が穏やかに笑っていると、未だ聞き慣れない警報音が鳴った。
レオナールはそのまま走って執務室へ向う。里桜は乳母に早く中に入るように言って、自分も走って行ってしまった。
∴∵
「見つかった?」
アナスタシアの問いにリナは首を振る。リナはジャンが七歳になった時、乳母を辞めて、里桜の侍女に戻っていた。
警報音の後、突然息を切らして帰って来た里桜は自分でドレスを脱ぎ捨て、尊者の装束に着替えだした。そして、リナたちが止めるのも聞かずにそのまま走り去ってしまった。
「リオ様ったら、どこに行ってしまったの?」
「申し訳ない。陛下とご一緒だったので、少し間隔をあけて護衛していたから。」
申し訳なさそうにするクリストフとモルガンにアナスタシアもリナも首を振る。
「リオ様は年々私たちを撒くのが上手くなってしまわれて…」
「未だにコルセットは嫌いだと言って、普段コルセットを着けないのもこういった時のためだと勘ぐってしまうほどです。」
そこにララがやって来た。
「温室に行っておりまして、警報音が鳴りましたので急いで帰って来たのですが、王妃陛下が尊者の装束で裏手に向われるのを見まして、何か大変な事でも起ったのかと…」
そこにいたアナスタシアたちは深いため息を吐いた。
アナスタシアとリナが、半地下にある天馬の厩舎へ向っていると、ルイとジャンが向かいから歩いてきた。
「お二人ともここで何をなさっているのですか?」
「お二人でここへ来たのですか?侍女はどこですか?」
ルイとジャンはニコニコしている。
「翔で向う母上をお見送りしていたのだ。」
「僕は母上のような大尊者になる。」
アナスタシアは深くため息を吐いた。
∴∵
アナスタシアやリナはレオナールの執務室にいる。脇に立っているクロヴィスやアルチュールは既に笑っている。
「陛下、今すぐにリオ様を連れ戻して下さい。」
「アナスタシア。母上は民を守りに行ったんだ。悪いことをしているわけではない。」
アナスタシアの隣に立っているルイは少し怒ったようにアナスタシアに言う。
「僕は母上のような大尊者になって、民を治療して魔獣退治をする。」
リナの側にいるジャンは胸を張って言う。レオナールはにこやかにジャンに相づちをすると、
「ドンカーの森の付近にエイスクルプチュルが出現したらしいのだが、生憎ザイデンウィンズの付近にダウスターニスまで出現していて。特伐隊と第一団隊はそちらに手を焼いている。だからリオがドンカーの方へ向ったのだろう。」
その言葉にルイは目を輝かせ、
「はい。シルヴェストル伯父上と一緒にドンカーへ行くと言っていました。」
マルゲリットやエリザベートはもちろん、今年十歳になるルイと八歳になったジャンも共に将来の夢を母親のような大尊者と言っている。五歳になるフィリップもおもちゃの剣を振り回しながら天馬に見立てたクッションに跨がり魔獣討伐を日々行っている。
「私の息子たちに、国王は人気がないな。私も一緒に天馬に乗って魔獣を討伐しに行くとするか。ルイとジャン。国王だって魔獣討伐は出来るのだぞ。」
「陛下。」
リナは苛立ちを隠さないままで言う。
レオナールは ‘あまり怒るな’ と笑いながら言った。
「仕方がないだろう?私はそう言うリオを愛しているんだ。大丈夫だよ。私の大切な人は怪我一つ負わずに帰って来る。約束したからね。」
∴∵
レオナールは、ある日の里桜との会話を思い出す。
何者でもなかった二十三歳の私は、こちらに来て初めて自分に成し遂げる努めができ、沢山の事を経験しました。
その中でも一番奇跡的だったのが陛下にお会いできた事です。
陛下、今一度お約束下さい。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で天馬に乗って下さると。
私はそれを想像するだけで楽しい気持ちになれるのです。
私は陛下となら、年を重ねるのも楽しく思えます。
これから先も、二人で楽しく過ごしましょうね。約束ですよ。 完

長い間、お付き合い下さいましてありがとうございます。
思いがけず、長くなってしまいました。本当にここまで読んで下さったこと感謝申し上げます。
赤井 タ子
六歳になったエリザベートはどこから拾ったのか、枝を持って走り回っている。
「はぁ…来年から家庭教師を呼んで勉強をする年になっているのに…あの子は大丈夫かしら?」
「リナは十歳を超えてもやっていたと言うし、大丈夫だろう。教師はもう決まったのか?」
「えぇ。お義母様と相談して、ほぼ決まりました。もうっエリザベート。」
「リオ、あまり怒るな。リオが本気で怒ると文字通り雷が落ちる。国民を怖がらせたくはないから、怒らないでくれ。」
「そうは、言いましても…」
里桜は困った顔をする。
「ははうえ。」
「はい。はい。転ばないようにね。フィリップ。」
「ほらっ、討伐される側のフィリップも楽しそうだし、良いのではないか?」
五人目の子供、フィリップも今年で五歳になる。そして、私の異世界暮らしも丸十五年になった。
日本での暮らしや、人々や、食べ物が無性に恋しくなる事が未だにある。
その度に、としこさんとまた話したいと思う。正直良い思い出があったわけではなかったけれど、私の世界で唯一の理解者だ。
とは言っても、この世界でかけがえのない家族や人々に囲まれて、今では日本での暮らしの方が幻だったのかも知れないと思うこともある。
フィリップは里桜の足元に思いっきり抱きついた。レオナールがフィリップを抱き上げる。
「テレーザの留学に関する事でフェデリーコ殿下から書簡を頂戴した。」
「テレーザは来月こちらに来るのですか?」
「あぁ。去年洗礼を受けた時に、両親から自分の出自の説明を受けたらしい。その時にアリーチェの存在も話すつもりだったらしいが、アリーチェはそれを頑なに拒んだそうだ。」
庭園を、二人並んで歩く。
「だから、産みの母はこの国で病によって亡くなった事にしたようだ。」
「そうですか。」
「テレーザがこちらへ来る時には、フェデリーコ殿下も一緒に来ると書いてあった。」
レオナールがフィリップを下ろすと、元気良くエリザベートのところへ走って行った。それを追う乳母も大変だ。
「では、フェルナンは喜びますね。」
「フェルナンの騎士団に入団した祝いも予定しているそうだ。」
「そうですか。」
十七歳になるフェルナンは今年の五月に学院を卒業し、先月入団テストに合格して、希望する第一団隊の新米騎士としてスタートを切ったばかりだった。
訓練初日、へたばっている同期入団の新米騎士の中、平然とした様子で母との打ち合いの方が余程大変だと言って同期や先輩騎士を驚かせていた。
里桜が、濃い緑の中に咲いている花を見ていると、レオナールは心配そうに声をかけてきた。
「いかがした?」
「いいえ。」
里桜は首を振る。
「ただ、社交の中心にいた私たちのかわりに、だんだんと子供たちの世代が中心になっていって、こうして絶え間なく続いていく中で代替わりをするのだと思って。」
「随分と気が早いな。」
「そんなこともありませんよ。気付けば、マルゲリットも十一歳になって来年には洗礼式を行う事になりましたし、あと数年で社交界にデビューします。そうしたらあっという間ですよ。」
「あぁ。そうだな。母は今からマルゲリットのデビュタント用のボールガウンのデザインを考えているし。」
「この前は、ティアラのデザインに頭を悩ませていらっしゃいました。」
「何と、気が早い。」
二人が穏やかに笑っていると、未だ聞き慣れない警報音が鳴った。
レオナールはそのまま走って執務室へ向う。里桜は乳母に早く中に入るように言って、自分も走って行ってしまった。
∴∵
「見つかった?」
アナスタシアの問いにリナは首を振る。リナはジャンが七歳になった時、乳母を辞めて、里桜の侍女に戻っていた。
警報音の後、突然息を切らして帰って来た里桜は自分でドレスを脱ぎ捨て、尊者の装束に着替えだした。そして、リナたちが止めるのも聞かずにそのまま走り去ってしまった。
「リオ様ったら、どこに行ってしまったの?」
「申し訳ない。陛下とご一緒だったので、少し間隔をあけて護衛していたから。」
申し訳なさそうにするクリストフとモルガンにアナスタシアもリナも首を振る。
「リオ様は年々私たちを撒くのが上手くなってしまわれて…」
「未だにコルセットは嫌いだと言って、普段コルセットを着けないのもこういった時のためだと勘ぐってしまうほどです。」
そこにララがやって来た。
「温室に行っておりまして、警報音が鳴りましたので急いで帰って来たのですが、王妃陛下が尊者の装束で裏手に向われるのを見まして、何か大変な事でも起ったのかと…」
そこにいたアナスタシアたちは深いため息を吐いた。
アナスタシアとリナが、半地下にある天馬の厩舎へ向っていると、ルイとジャンが向かいから歩いてきた。
「お二人ともここで何をなさっているのですか?」
「お二人でここへ来たのですか?侍女はどこですか?」
ルイとジャンはニコニコしている。
「翔で向う母上をお見送りしていたのだ。」
「僕は母上のような大尊者になる。」
アナスタシアは深くため息を吐いた。
∴∵
アナスタシアやリナはレオナールの執務室にいる。脇に立っているクロヴィスやアルチュールは既に笑っている。
「陛下、今すぐにリオ様を連れ戻して下さい。」
「アナスタシア。母上は民を守りに行ったんだ。悪いことをしているわけではない。」
アナスタシアの隣に立っているルイは少し怒ったようにアナスタシアに言う。
「僕は母上のような大尊者になって、民を治療して魔獣退治をする。」
リナの側にいるジャンは胸を張って言う。レオナールはにこやかにジャンに相づちをすると、
「ドンカーの森の付近にエイスクルプチュルが出現したらしいのだが、生憎ザイデンウィンズの付近にダウスターニスまで出現していて。特伐隊と第一団隊はそちらに手を焼いている。だからリオがドンカーの方へ向ったのだろう。」
その言葉にルイは目を輝かせ、
「はい。シルヴェストル伯父上と一緒にドンカーへ行くと言っていました。」
マルゲリットやエリザベートはもちろん、今年十歳になるルイと八歳になったジャンも共に将来の夢を母親のような大尊者と言っている。五歳になるフィリップもおもちゃの剣を振り回しながら天馬に見立てたクッションに跨がり魔獣討伐を日々行っている。
「私の息子たちに、国王は人気がないな。私も一緒に天馬に乗って魔獣を討伐しに行くとするか。ルイとジャン。国王だって魔獣討伐は出来るのだぞ。」
「陛下。」
リナは苛立ちを隠さないままで言う。
レオナールは ‘あまり怒るな’ と笑いながら言った。
「仕方がないだろう?私はそう言うリオを愛しているんだ。大丈夫だよ。私の大切な人は怪我一つ負わずに帰って来る。約束したからね。」
∴∵
レオナールは、ある日の里桜との会話を思い出す。
何者でもなかった二十三歳の私は、こちらに来て初めて自分に成し遂げる努めができ、沢山の事を経験しました。
その中でも一番奇跡的だったのが陛下にお会いできた事です。
陛下、今一度お約束下さい。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で天馬に乗って下さると。
私はそれを想像するだけで楽しい気持ちになれるのです。
私は陛下となら、年を重ねるのも楽しく思えます。
これから先も、二人で楽しく過ごしましょうね。約束ですよ。 完

長い間、お付き合い下さいましてありがとうございます。
思いがけず、長くなってしまいました。本当にここまで読んで下さったこと感謝申し上げます。
赤井 タ子

