翌日、先頭を侍従のアルフレードを乗せた王室の馬車が走り、続いて里桜の馬車、その後を神殿の馬車に乗ったロベール、護衛の騎士たちの馬車を挟んで、アリーチェを乗せた馬車が出発した。
 オードラン家のヴィラを出て少しすると、越境の為の検問所が現れた。

「あれ?中を改めずに進んで良いの?前の国境越えはカーテンくらいは開けたのに。」

 里桜が隣のリナに聞くと、リナは微笑んだ。

「王妃陛下の乗る馬車を改める者などいませんよ。」

 里桜は、カーテンを開け、外に立つ騎士に手を振った。
 それに気が付いた騎士は慌てて最上級の礼をした。

「労うつもりが、逆に気を使わせちゃった。」

 そこを抜けると木製の屋根の着いた橋が見えてきた。窓から見えた橋をリナが指さした。

「あれが、プリズマーティッシュとゲウェーニッチを繋ぐ橋です。」
「新しく見えるけど、最近架け変えたの?」

 里桜の問いにはアナスタシアが答える。

「いいえ。あれは二十年ほど前に開通したばかりです。今までエシタリシテソージャに反対され、国境を渡るための橋は架けられていませんでした。ゲウェーニッチが独立したことにより、橋を架ける共同事業が発足され、開通したのが二十年前になります。」
「そうなの。」

 里桜は窓の景色を眺めた。

「この川は一千㎞に渡って流れており、源流はエシタリシテソージャの山にある湖です。橋の距離は七百mほどになっています。」
「源流近くの川は標高差があり、大変流れが激しいそうですが、この辺りまでくると、流れは穏やかになり、昔から水運の盛んな地域でございます。」

 里桜の乗る四頭立ての馬車が歩くようなゆっくりとしたスピードで走り、十分弱でゲウェーニッチの検問所へ着いた。

 ここでは自国とは違い、三人分の外遊許可書を検査され通された。
 そんな事を全ての馬車、全ての随行員と荷物に行ったために、全てが通るまでに大分時間を要した。
 馬車が走り出せたのは、里桜たちが検問を通ってから一時間も経ってからだった。

「アナスタシア、気分が悪かったのに外の風にも当たることが出来なくて大丈夫だった?少し、馬車を止めて風に当たる?」

 アナスタシアは国境を越えたために、また馬車酔いのようになり、しばらくリナに寄りかかり休んでいた。
 里桜はそよ風を魔術で起こしていたが、新鮮な空気ではないためにあまり効果はないようだった。

「はい。もうすっかり治りました。」
「エシタリシテソージャへ入るときはもっと簡単だったのにね。」
「ゲウェーニッチへは商人も殆ど渡りませんし、交換留学の制度もないので国境を越えて来る人は大変珍しい為だと思います。」
「慣れないことは何でも時間がかかりがちになるものね。」

 走り出してしばらくすると、風景は少しずつ賑やかになっていた。


∴∵


 国境を越えてから三日目の朝。
 里桜は部屋で朝食を摂り、身支度を始めていた。

「今日は、王都へ入ります。」

 手荷物を軽く整理しながら、リナが話しかけてきた。

「アリーチェはここでお別れだったわね?」
「はい。アリーチェ様とは、このお宿でお別れになります。」
「私共は王城へ、アリーチェ様はお父上のアレッシオ・パジーニ公爵のお屋敷へ向うそうです。隣国で罪を犯したと言う事で、王都へは入れないそうです。」

 アナスタシアが里桜に紅茶を差し出しながら説明をした。

「そうなの。警備の騎士は最後まで付くのよね?」
「はい。第三団隊の騎士は公爵邸へ送り届けましたら、帰国する段取りになっております。」
「それじゃ、出発前にアリーチェに挨拶したいと先触れを出してちょうだい。」
「はい。畏まりました。」

 アナスタシアは、返事をすると、部屋を出て行った。


∴∵


「王妃陛下。この町は標高が高いのでご気分など悪くはありませんか?」

 里桜の部屋で、二人はリナのハーブティーを飲んでいた。

「ありがとう。アリーチェ。緩やかに登っていたせいか、体調は崩していないわ。あなたも長い道のり大変だったでしょう?」
「いいえ。私、プリズマーティッシュへ来たときは、父の屋敷がある山を足で下り、渡しの舟で参りましたので、その時の事を思えば、とても快適な行程でした。」

 アリーチェの表情は相変わらず読みにくい。

「そう。ここからお屋敷は遠いの?」
「距離は然程でもございません。ただ、王城ほど高くはありませんが、山頂に屋敷があります。御者の説明では昼過ぎくらいに屋敷に到着する予定なのだそうです。」
「そう。」
「国境を越えてから、騎士団の皆様が魔獣の討伐などに動いて下さり、ありがとうございます。」

 結界が破損しているゲウェーニッチでは、魔獣も多いだろうと、第一団隊の小隊を三隊随行させていた。それに伴って、指揮官として第一団隊長のルシアンも随行している。
 謁見が済んでから、魔獣討伐をする予定だったが、行く道に魔獣が現れたため、倒しながら進むと言うRPGのような行程になっていた。

「そのために、第一団隊の騎士を随行させたのだから気にしないで。ただ、予定と異なり謁見する前に討伐してしまったけれど、本当にカルロ陛下はご立腹ではないかしら?」
「衛兵を見かけましたので、事情を話し早馬を出しました。陛下よりお返事で感謝のお言葉をちょうだいしましたのでご心配なく。」

 早馬の事は、里桜も外遊に随行しているジルベールから聞いていた。この国では魔獣に応戦できる騎士なども不足していて、王都以外で出る魔獣は基本的にやり過ごすしか方法がないようだった。
 アリーチェは一度姿勢を正して、話し出した。

「王妃陛下、そしてリナ様。最後にフェルナンに会わせて頂き、親子としてのお時間を下さって、ありがとうございました。」

 里桜が後ろに控えていたリナに視線を送ると、リナは頷き話し出した。

「いいえ。アリーチェ様。私にお礼など必要はございません。フェルナンの事はこれから私と主人とで責任をもって育てます。」
「陛下も私も、フェルナンのことは見守りますから。」

 里桜はニッコリと笑った。

「ありがとう存じます。それではここまでの長い道中お疲れ様でございました。王城まではあと四十㎞ほどございますので、どうぞお気を付けて。」
「アリーチェも、道中恙無きように。そして、どうか息災でいて下さいね。あなたが、この先の人生を沢山の笑顔に囲まれ、心豊かに過ごせることを心から祈っています。」
「この様な身に、大変有り難いお言葉でございます。王妃陛下もどうか、幾久しくご息災でいらして下さい。」
「えぇ。ありがとう。」

 アリーチェは、立ち上がった里桜に笑顔を向けた。
 アリーチェが向けた笑顔を見て、昔に本で知った‘花笑む’と言う言葉を思い出した。
 百合が花開いたように高貴で威厳に満ちた笑顔を一生忘れないだろうと思った。