夜更けに、ロベールの執務室には執事のエドモンとアルフレード、国軍のシモンがいた。

「アリーチェ様の帰国は来年の春過ぎとなるそうです。」
「そうか。これで、やっとだな。」

 ロベールは頷いた。

「皆、これまで息が詰まる思いだっただろうが、良くやってくれた。」

 ロベールは三人を労った。この国でもごく限られた人間にしか手に入らない異国の高級なウィスキーをグラスに注ぐ。
 そこで、アルフレードが口を挟んだ。

「もっと他にも廃妃にする方法はあったのではないでしょうか?」
「あぁ。リオがアデライト様のような令嬢ならば、自分以外の妃を政敵とみなし、例えば親の失策によって廃妃にする、自分の親を使って他の妃の頭を抑えるなど方法を取ったのだろうが、リオはそう言った種類の人間ではない。あの子は、そう言った駆け引きを知らない。それに、陛下の側妃はこの国でなんの権力も持っていない。それでは、失脚にすら出来んだろう。元からない地位を落とすことなんて出来ないからな。」
「それで、あんな危険な事をなさったのですか?」

 アルフレードは更に言う。

「親を使って廃妃させる事が出来ないのならば、本人に不始末を起こしてもらうしかないだろう。」
「それで、王妃陛下は命の危機にさらされました。」
「あぁ。あれは本当に私の慢心が招いたことだ。皆にも申し訳なかったと思っている。」
「いいえ。全ては私の落ち度です。ベルナルダ様の動きを感知し、毒などを入手出来ないように網を張っていましたが…結果、王妃陛下が生死の関わる状態になってしまったこと、大変申し訳なく思っております。」

 シモンが頭を下げる。

「いいや。元から猛毒を持っていたとは見込んでいなかったのだから。」

 ずっと黙っていたエドモンが口を開いた。

「調べたところ、ベルナルダ様の亡くなられた夫君も青葉花(あおばな)毒で亡くなったとか。」
「狩猟中の事故だと聞いていたが、よくある落馬事故ではないのか?」
「鏃に付いた青葉花の毒を触ってしまったそうでございます。しかし、更に調べてみれば伯爵は普段、毒矢を狩猟には使っていなかったそうで・・」
「まさか、ベルナルダが殺したのか?」
「真実は今になっては何も分かりませんが、そう言う疑いが。それを否定できる根拠もないと言ったところで。逆に、その時に青葉花を手に入れていたと考えれば、王妃陛下に使われた毒が他の比較的入手しやすい毒ではなく、王宮では大変入手しにくい青葉花だったことも合理的な説明が付くかと。」
「しかし、良く描かれた肖像画が何点もあった程、ベルナルダは伯爵に寵愛されていたと…。」
「当時の伯爵家に仕えていた人間は皆、ばらばらになってしまったため、昔を知る人間がすぐには見つからず、詳しいことが分からなかったのですが、庭師をしていたと言う老人が言うには、その肖像画はベルナルダ様が嫁がれる前から飾られていたと…。」
「そうか。侍女になる前の事ももう少し深く調べれば予見できたかもしれない。そこまで指示をしなかった私が甘かったのだ。」

 ロベールはゆっくり目を閉じて、一つ息を吐き出した。

「ベルナルダは調べ始めた当初から、危うさのある人間だった。最後の一押しをすれば、身を滅ぼすのは目に見えていた。その点アリーチェはさすが、公爵家の人間。本人には付け入る隙はなかった。しかし、マルタは違った。あまりにも強くアリーチェを慕いすぎていた。心酔していたんだ。結果、アリーチェもベルナルダも廃妃する事が出来た。…これで、リオの憂いは消えた。」

 アルフレードはウィスキーを一口飲んだ。

「しかし、今回のこと、王妃陛下がお養父(ちち)上であるロベール様が、側妃の廃妃を目論んで起こしたことだと知ったら・・」
「だからこの事は胸の内に仕舞って墓場まで行って欲しい。それより、国防の為の国軍諜報部隊であるシモン(お前)に、上への報告を禁じさせて申し訳なかった。お前の掴んだベルナルダの動きは、どうしても陛下には知られたくなかった。」

 シモンは黙って頷いた。

「陛下は、普段は深慮なお方だが、リオの事となると些か先走りすぎるところがある。ベルナルダがリオを狙っていると知れば、直ぐに動いていただろう。」
「そうして頂けていれば、危険な目に遭わずに済んだのでは?」

 アルフレードの問いに、ロベールは静かに笑った。

「あの、目の前をうるさくブンブンと飛び、菌をまき散らすハエのような侍女も気になっていたものだから。あれは、陛下に見初められようと必死だった。成果もないのに努力だけはしている姿は可愛いで済ませられるが、あれは色々なところに病の元をまき散らしていたからな。とは言え、それだけでは軽く追い払うだけが精々で、たたき殺すわけにはいかない。ああ言うのは、長く放っておけばリオの憂いの種ともなりそうだった。あのハエの様な人間の為に、リオが心を痛めるような事はあってはいけない。まぁ、あの侍女の存在が、ベルナルダへの最後の一押しに使えたのだからそこは感謝しないとならないが。」

 ロベールはサイドテーブルに置いてあった一冊の本を手に取った。

「 ‘虹の女神が幸せであることが、この国を泰平にする。そして虹の女神は、この国の繁栄の源である’ とこの初代王が編さんした最古の史書にはある。つまり、Iris様の生まれ変わりであるあの子の憂い、煩い、不幸はこの国を破滅に導く。それを取り除くのが、神殿の者(わたし)の務め。」
「ロベール様はそれで、王妃陛下をご養女になさったのですか?」

 シモンが聞いた。ロベールは、空になったシモンのグラスにウィスキーを注ぐ。

「渡り人の魔力があるのであれば、それが平民だとしても王妃になることは何の障害にもならなかっただろう。しかし、それではあの子に何かあった時、神殿の尊者と言う立場だけでは出来ることに限界が出てきてしまう。だから養女にしてしまえば、娘を溺愛する父親として、細部にまで口を出せる。それがこの国のためだ。あの子はこの国の光。そして我々はその影。これからもそう心得て欲しい。」
「はい。承知致しました。」