里桜が服毒してから、三日目の宵とうとう逃亡していた侍女二人がスラムで捕らえられた。
 二人は揃ってアリーチェの乳母で侍女としてゲウェーニッチからこの国に来たマルタにそそのかされ薬を盛ったと話した。

「王妃様を殺そうなどとは思っていません。ただ、ただ、お腹の子さえいなくなれば、私も陛下の側妃になれると…決して殺そうなどとは思っていません。」
「私は、アリーチェ様の侍女マルタ様に薬は堕胎するだけのもので、王妃様の命を奪う様なものではないと聞いたのです。王妃様だけがイルフロッタントをお召し上がりになるからそれに薬を入れるようにと。」
「マルタ様があの日を指定してきました。王妃様付きの侍女が一人出かけるから、手薄になると。」
「私たちは、陛下の側妃になれれば良かっただけで、王妃様を殺そうなどとは…」


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 里桜の意識がない事は王宮の外へ漏れぬ様に箝口令を敷き、注意を払っていたが、侍女が捕縛された頃にはどこからどう漏れたのか、巷で噂になっていた。

「リオ陛下が毒を盛られたらしい。」
「私は、かなり危ない状態だと聞いたけど。」
「騎士があんなに多かったのも、毒を盛った侍女を探すためだったらしい。」
「その侍女はレオナール陛下付きなんですって。」
「リオ陛下が亡くなれば、側妃になれると思ったって。」
「私は、アリーチェ様が一枚噛んでいるときいたけど。」

 店先で噂話をしていた夫人たちは、店主に注目した。そして、夫人の一人が悲しそうな表情で口を開いた。

「今まで寵愛を独占していたのに、今はリオ陛下が寵愛も地位も独り占めしてしまっているからね。」
「始めから手に入らなければ、期待もしないのだろうけれどね。」
「なまっじか相手にされるなら、されない方が幸せかもしれないね。」


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「毒を盛る様に言ったのは私です。しかし、アリーチェ様は関係ありません。全ては私が企てたこと。」

 レオナールは自分を真っ直ぐに見て話す女を睨む。

「何故、お前が王妃が懐妊したこと知っていたのだ。」
「それは、少し観察し考えれば分かることです。毎日の様に王族の狩り場に馬を走らせに行っていたのに全く馬に乗らなくなった。三日にあげず王太后様へ様子伺いに行っていたのに調子が悪いと言って臥せる日が多くなった。本当にこの事は、アリーチェ様には関係のないこと。全て私が企てた事です。私一人を処分して下さいませ。」
「もう、それで済む状態ではない。」

 レオナールは、執務室での会話を思い出す。


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「もう、一度巷へ広まってしまった噂は止めることが難しく。」
「だろうな。しかし、騎士たちが漏らすとも考えにくいし、多くの貴族がカントリーハウスに引っ込んでいて、王宮を出入りする者も限られているのに、どこから漏れたんだ。」
「それと…」
「なんだ?」
「巷ではこの事がアリーチェ様の…」

 ‘失礼’と突然入ってきたのは、ジルベールだった。

「どうした?」
「中央広場で示威行進が発生した。」
「こんな時になんのだ?」
「アリーチェ妃を断獄せよと。」
「何故だ?」

 レオナールはジルベールの方を勢いよく見上げた。

「巷では、今回の全てのことはアリーチェ様が企て、侍女に命じた事だと噂が広まっております。」
「どうしてそんなことに…。」

 アルチュールの説明にレオナールは唖然としている。

「渡り人で最強の魔力の持ち主である王妃様はかねてより、尊者としてけが人の治療や魔獣討伐などをされていた事もあり国民から大変人気がございます。それに加え、陛下の王妃様に対するご寵愛の深さ。これは建国王とIris様の再来だと、ご結婚以来お二人は国民から大変な支持を得ております。」
「その王妃を亡き者にしようとしたアリーチェ妃を断獄せよと、街中大騒ぎだ。最初は数えられるほどの数だったが、瞬く間に大規模な示威行進になった。あの規模になってしまっては、噂も示威運動も押さえるのは難しい。」


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 レオナールは、険しい表情でマルタを見る。

「国民はアリーチェが全て仕組んだものだと噂をしている。今、宮殿の外にはアリーチェを断罪せよと詰めかけた民衆で溢れている。お前の言う事が事実であって、アリーチェを解放したとしたら、今はシュプレヒコールだけで済んでいても民衆が暴徒化する可能性もある。」

 マルタは先ほどまでの平静さが嘘の様に動揺し、レオナールにすがる様な視線を向け、首を振る。

「陛下ならアリーチェ様の人となりをご存じでございましょう。どうぞご理解を。本当に違います。アリーチェ様は何もご存じではなかったのです。本当です。王妃が子を産めなくなれば、また陛下はアリーチェ様の元に通われる様になると…私が。アリーチェ様は十四歳で親元を離れ、雪深い山を自らの足で下りてこの国へ嫁いでいらっしゃいました。アリーチェ様には陛下からのご寵愛だけが生きるよすがなのでございます。ですから…、」

 レオナールはため息を一つ吐く。

「お前は何か思い違いをしている。アリーチェの生きるよすがとなっているのは私などではなく、己の矜持だ。お前はそれを傷付けたのだ。」

 レオナールは、ヴァレリーとコンスタンに目配せをして牢を出て行った。

「自害などしない様に猿ぐつわを噛ませておけ。」

 ヴァレリーの指示で、アシルとベルトランは動く。コンスタンは侮蔑の表情でマルタを見下ろす。

「王妃陛下を殺めようなどと…この分ではアリーチェ様も北の塔へ幽閉だろう。己の愚行を悔やめ。」

 見張りにアシルとベルトランを置き、ヴァレリーとコンスタンは牢を出て行く、マルタはその背中に必死で何かを訴えようとしていた。


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「アリーチェ。」

 アリーチェが過ごしている監護室へレオナールは来ていた。

「マルタが王妃に毒を盛る様に指示をした事を認めた。何か言いたいことはあるか?」
「いいえ。」
「そうか。あなたは何時だって高潔であろうとする。最後まで私に弱みなど見せてはくれなかった。しかし、二人も子供に恵まれ、あなたとの縁は決して浅いものではなかったはず。それなのにこの様な形になってしまった事が残念だ。それは私の不徳の致すところだ。」

 アリーチェは背筋を伸ばし、目の前に座るレオナールの事をじっと見つめている。その表情に感情は読み取れない。

「マルタと実行役の侍女二人は処刑、あなたは幽閉となる。」

 アリーチェは口を開こうとしたがやめた。

「二人の子供たちだが…フェルナンはベルナルダを母として育つことになる。テレーズは予定より大分早いが、ゲウェーニッチへ渡りあなたの従姉妹で侯爵家へ嫁いだアウレーリアが実子として育て、後に王家へ嫁ぐ事になるだろう。」

 アリーチェは一度言葉を飲み込んだが、再び口を開く。

「王妃陛下のご容体は?」
「未だ意識が戻らぬ。」
「そうですか。」

 レオナールが部屋を出て行った後、アリーチェは一人鉄格子のある窓を見ていた。ここ数日は季節外れに寒く、月が冴え冴えとしていた。

「笑顔の素敵な方でした。私もあのように笑えたら、何かが違っていたのでしょうか。」