(そう)凰琴(おうきん)は、自身が昊耀(こうよう)国の皇后になれるものだと信じて疑っていなかった。
 だって、彼女は第一皇子龍基(りゅうき)の第一の妃、碧羅(へきら)宮の女主人だ。皇族の中から選び抜かれた四人の皇子を競わせて次代の皇帝を決めるのが昊耀の習いとはいえ、年長の者のほうが有利なのはいうまでもない。

 彼女の夫、龍基は見目良く背高く、複数の力を備えた申し分のない皇太子候補だ。力の中には水を操る水竜もあるから、凰琴との相性も良い。彼女たちの子も強い力に恵まれるはずで、きっと碧羅宮を受け継いでくれる。──少し前までは、そんな、輝かしい未来を思い描いていたのに。

 なのに、今宵、夫の酌をする凰琴の手は、微かに震えている。
 碧羅宮の妃はひとりではなく、彼女の座を狙う女もいる。その中の誰かが、後宮の出来事の噂話の()()で、彼女の不始末を夫の耳に入れたかもしれないと思うと恐ろしいのだ。

「近ごろ、星黎(せいれい)宮が賑やかなようだね」
「……っ、は、はい……申し訳ございません……」

 とても、怯えていたから──龍基に声をかけられて、凰琴は鞭打たれたように身体を跳ねさせた。手元が狂って酒が零れてしまったのを咎めもせずに、龍基は杯を干す。

「なぜ謝る? 炎俊(えんしゅん)がやっと妃を迎え、社交の意味を知ったのなら喜ぶべきことだ。これまでは仲間外れにしているようで心苦しかった」

 夫の言葉を信じることなどできなかった。星黎宮に居座っている第四皇子、炎俊の機嫌を伺う妃がいなかったのは、凰琴の意図を受けてのこと。そして、彼女は夫の言葉や態度の端々からそのように命じられていると汲み取ったのだ。

 皇帝の予言は外れなければならない。炎俊は帝位に就いてはならない。それが、龍基の望みであるはずだった。

(お心を変えられた? まさか……!)

 ここ最近、辰緋(しんぴ)宮の芳琳(ほうりん)と、皓華(こうか)宮の佳燕(かえん)が頻繁に星黎宮を訪ねているのは把握していた。より正確に言えば、市井上がりの炎俊と、あの生意気な(とう)雪莉(せつり)を。
 芳琳も佳燕も、天遊林(てんゆうりん)では立場が弱く、孤立しがちな妃だった。
 取るに足らないと言えばそれまでだけど、でも、その取るに足らない者たちが、龍基と凰琴との意に背いた行動をしているのだ。夫は絶対に不快に思っているだろうし、だからこそ叱責を恐れていたというのに。

 青褪めて白い顔になっているであろう凰琴を見下ろして、龍基は優しく微笑んだ。

「しかし、年下の者たちだけで楽しそうだと、私のほうが仲間外れの気分になってしまう。炎俊たちが何をしているか──そなたは、知っているのかな」
「それ、は」

 これは罠だ、と凰琴は直感した。

 彼女は、星黎宮で何が起きているかあるていど知っている。炎俊が、佳燕たちに力の使い方を教えているのだと。
 でも、そう答えれば、夫の意に沿わぬ行動をする妃がいるのに統率できていないことになる。凰琴の立場では許されない失態だ。

 だからといって、知らない、とも言えない。第一皇子の第一の妃ともあろう者が、天遊林で何が起きているかを把握していないなんて。それもまた、決して許されないことだ。

 だから、彼女に残された道は──

「……もちろん、我が君様の御心に適うこと、でございましょう。炎俊様も雪莉様も、お友だちの方々も。皆様、ものの道理を弁えて、お立場に相応しい振る舞いをなさるに()()()()()()()

 あるべき状態をちゃんと理解していると、夫に伝えなければ。そして、口先だけでなく、実際に()()させなければならない。

「うむ、そうだろうな。さすがは凰琴だ。頼りにしているぞ」
「恐れ入ります……!」

 炎俊や雪莉が調子に乗っているなら、立場を()()()()()。龍基の妨げになる振る舞いはさせない──凰琴の決意表明は、夫を喜ばせたらしい。
 にこやかな笑顔と言葉で、凰琴の両肩に重圧を乗せた龍基は、機嫌良く杯を重ねてから寝台に向かった。

 夫が安らかな夢の中にいるのを確かめてから、凰琴はそっとその隣から抜け出した。そして、慌ただしく上衣を着せかける侍女に、鋭く命じる。

()()()を呼び出しなさい。今、すぐに!」

 ぐずぐずしているわけには、いかなかった。夫を失望させたら、彼女の立場も安泰ではないのだから。
 一刻も速く、炎俊たちの()()を阻止しなければならなかった。