「ただいま」
 私は部屋に向かって声をかける。
「おかえりなさい。七叶。今日はどうだった?」
 台所にいる母親が私に気付き、声をかけた。
「しっかり勉強してきたよ。、、、図書館で自習してから帰ってきたの。だから、ちょっと遅くなっちゃった。ごめんなさい」
 いかにも優等生な返事をした。
ゲーセンで美加子に金を払わされていた、なんて言えるわけがない。
「そう、偉いわね。しっかり勉強するのよ。今しか勉強はできないのだから」
「はい、わかってます」
 そう言って私は、穏やかな笑みを浮かべた。
母親の言葉になにも反対せずに従う娘。
親になにも言われずに勉強ができる子。
そう、私は演じている。

母、菜摘(なつみ)
自分の娘、私を自慢したいだけの母親。
昔から、そうだった。
私に英才教育をさせて周りのママ友に自慢することが彼女の生きがいなのだ。
ただし、私が使えないダメな人間だとわかった時点で私は捨てられた。
英才教育をしても、私はなにもできなかった。
私がなにもできなかった時、彼女は私を罵り始めた。
『なにもできない役立たず』
『勉強できるようになりなさい』
『こんな子、産まなければよかった』
そんな言葉が流れる家の中で、私は母親に従うことを決意した。
そして、勉強をしなさい、と命令されなくても宿題や予習を完璧にしている娘、を演じることにした。

「母さん、明日部活があるから弁当作ってほしいんだけど」
 と私の後ろから声が聞こえた。
「わかったわ、七瀬(ななせ)。よく頑張ってるわね、勉強も、部活も」
私に嫌味でも言うように『も』という文字を強調した。
「もう少しで大会だからな。ラストスパートって感じだ」
「チームのキャプテンなのよね、七瀬は。運動もできて勉強もできて、さすが私の息子ね」
 母は私の兄、七瀬を褒め称えた。
私はそれ以上聞くのが嫌なので自室へ行こうとした。
「七叶」
 兄が私を呼び止めた。
「勉強わからないところがあれば言えよ。この冬、高校受験だろ?教えてやるから」
「、、、うん、ありがとう。わからないところがあれば、訊きに行く」
 兄にもニッコリと微笑んでそう返した。

兄、七瀬は、私と違って、完璧な人間。
今、高校2年生で、バレー部に所属している。
バレー部ではキャプテンに選ばれるなど、活躍をしている。
そして、母の言うように、勉強も、できる。
毎回定期テストは90点以上。
これでもう充分完璧なのだが、さらにルックスも整っている。
まさに絵に描いたような完璧人間だ。
そして、私と違って、、、母親に愛されている。
兄と私、いつも比較される。
兄ができるものは、私にもできる、と期待していたらしいが、、、私にはなにもできなかった。

正直、比べられるのは私が耐えればいいのだから、まだいい、、、。
けれど、兄は私の置かれた状況を理解していない。
兄は、、、妹も自分と同じように母親に愛されていると思っている。
母親は兄の前では私をあからさまに罵らない。
だから、全く気づいていない。
そして、、、最も私の兄の嫌いなところは、私ができないことを、自ら率先して教えてくれるところだ。
私が、、、なにもできない、ということを自分で認めているように感じて、惨めでならない。
兄のせいで、私は罵られ、責められなければならないのだ。そのことも、、、兄自身、理解していない。
大嫌いだ。
けど、、、。

そんな兄が大嫌いだけれど、私は兄に対して
『勉強でわからないところがあれば、優しいお兄ちゃんに頼る、可愛い妹』
を演じている。