サジェス王国の辺境の村、マハトではある話題で盛り上がっていた。
「ようやく魔法を教えられる先生がやってくるなぁ!」
「これで子供たちもまともな教育を受けられるわね」
「ありがてぇが、元王宮魔術師だって話だぜ? なんでこんな辺境に?」
「とにかく魔法科がおかざりじゃなくなって安心したわ」

 王都から一週間、何度か馬車を乗り継いで来た魔術師ロルフはマハトの地に足をつけ、尻をさすりながら呟いた。
「尻が……割れた」
「ここには王都の様な立派な馬車はありませんぜ」
 御者はガハハと笑った。
「先生、ようこそいらしてくださいました。私はこのマハトの長をしておりますハインツと申します。早速先生が教鞭を執る学校にご案内します」
 ゆったりと話す老人。ハインツは御者に目配せする。
「先生の荷物は運んでおきますぜ」
 御者は馬車を走らせた。
 ロルフは馬車を見送るとハインツに申し訳なさそうな顔をした。
「僕みたいなものを受け入れてもらって、その……本当に申し訳ない」
「申し訳ないと思うならそれ相応の働きをしてもらいたいものじゃな。それにお前の事はだーれも知らんからやりやすかろう」
「そ、そうですね。頑張らせていただきます」
「ほれ、さっさと行くぞ」
 学校に着くと、生徒たちが校庭で遊んでいた。ロルフは校庭を見渡すと一人だけ隅で杖を振っている十歳前後と思われる少年がいた。その少年から大きな魔力は感じるが、杖を振っているにもかかわらず火花が散る程度の魔法しか発動しない。じぃっと眺めるロルフにハインツは言った。
「あれは然る魔術系貴族のご子息でな。体の中にある魔力の通り道が塞がって殆ど魔法が使えないのじゃ……自然あふれるマハトの地で療養とは名ばかりで追放同然の可哀相な子供なのじゃ」
「塞がっているのなら原因を取り除けば良いじゃないですか」
「それがそう簡単な位置ではないからあぁなってしまったのじゃ」
「と、申しますと?」
「頭の中じゃよ。難しい位置にあって医者も魔術師も皆匙を投げた」
「なるほど……」
 休み時間が終わり、教室に集められた生徒たちは一人一人自己紹介をする。先ほどの子供はルディと名乗った。
 ロルフ最初の魔法の授業での事、今後の参考にと生徒一人一人に出来る魔法を使わせた。小さな火の玉を明後日の方向に飛ばす者、雨を降らすと言い、バケツをひっくり返したような水を自ら被る者、カブトムシを召喚するつもりがゴキブリを召喚してしまう者。見るに堪えないレベルであったが、ロルフはこれから教えがいがあるなと思った。一方ルディは、校庭の隅で杖を振っていた時と同じく火打石を擦った時の様な火花しか出ない。ロルフはそんなルディを見つめ、どうしたものかと考えるが答えが出ない。
「先生! ルディにいつまで杖を降らせるんですか」
 生徒の一人が声を上げた。
「ルディ。ありがとう。もういいよ」
「はい……ごめんなさい」
 ルディは資料を見る限り学力に関しては問題のない生徒であったが、陰気な雰囲気を纏っていたため、クラスでは浮いていた。休み時間は魔術教本を読むか校庭の隅で杖を振っていた。時折羨ましそうにクラスメイトを眺めるが悲しそうな顔をし、また作業に戻るの繰り返しであった。
 放課後、肩を落としてとぼとぼと一人帰っていくルディを見かけたロルフはルディの家を訪ねる事にした。
 家に着き、ノックをするとルディは怯えた様子で顔を出した。
「せ、先生。こんばんは」
「こんばんは。……今時間あるかな?」
 ルディはすんなりとロルフを招き入れた。
「先生、お茶」
「ありがとう」
 薄暗い室内にこぢんまりとしたイスとテーブルと大きな本棚。ルディ以外の人の気配はない。
「怒りに来たの? 魔法が使えないから」
「まさか。先生はそんな暇じゃないよ」
「普通科に移動しろって言いに来たの?」
「まさか。病気さえ治れば魔法が使えるってのに教育の機会を奪うなんてそんな愚かな真似はしないさ」
 ロルフは茶を啜るとルディに不安を与えないよう、笑みを溢した。
「では何なんですか?」
「そうだな……心配だから様子を見に来ただけだ」
「心配は無用です。生活費は両親が毎月送ってくれますし。何も困っていません。お茶を飲んだら帰ってもらえますか」
 ルディは本棚の前で一番分厚い本を手に取り読み始めた。ロルフはそれを見逃さなかった。
「おい、その魔導書、とても高い奴じゃないか! いいなぁ。それに、これは上級魔術の本、これは絶版になった本。これも、これも……!」
 ロルフは食い入るように本棚を見つめた。その様子にルディは若干引き気味で数歩ロルフから離れる。
「ルディ! お前これ全部読めるのか?」
「恰好付けるためにこんなデカい本棚置きませんよ……読んだところで宝の持ち腐れですけどね。僕は魔法が使えない役立たずだから。家のお荷物だから」
「ならば尚の事今のクラスで、僕の下で学ぶべきだ」
「僕に夢を見せないでください。病気の完治なんて僕はもう諦めてますから」
「諦めているのに何で魔法の練習してるのさ」
 ロルフは適当に魔導書を手に取りパラパラと眺めた。
「放っておいてください! 読みたいものあれば持ち帰っていいですから!」
 ルディは学校での蚊の鳴くような声と打って変わって大声を出し、本を投げつけた。
「少し、自分を大切にしようよ。この本、借りるよ。じゃあまた明日」
 ロルフは投げつけられた本を片手に退散した。
 翌日ルディは登校してきたが、どこか上の空に見えた。
「よーし、今日は先生のとっておきの魔法を見せちゃうぞ」
 ロルフは陽気な声で生徒を校庭に集合させた。
「先生! どんな魔法を見せてくれるんですか?」
 生徒の一人が期待に満ち溢れた瞳でロルフを見る。
「召喚魔法だよ!」
 召喚魔法の言葉に生徒たちは興奮した様子で、ゴーレムだのフェアリーだのリクエストをしてきた。
「何が召喚されるかお楽しみ! お前たちも沢山勉強すれば出来るようになるぞ」
 ロルフは魔法陣を地面に描き、ごにょごにょと呟き始めた。すると魔法陣が光り、白いドラゴンが現れた。
「かっけぇ!」
 生徒たちは歓喜の声を上げた。
「さて、ただ召喚させただけではつまらないのでこれからテストをする!」
「えー!? ズルいぞ先生!」
「ズルくない。これから君たちがどれだけ魔法の知識を持っているか確認したい。ルールは簡単だ。ドラゴンが先生を攻撃する。だけど先生は君たちの指示なしでは動けない。先生がどんな魔法を使えばドラゴンを倒せるか考えるんだ」
「そんなの無理だよ」
 生徒たちは口を揃えて無理と言う。
「何もしなければ先生は良くて大怪我、悪くてあの世行きだ」
 ロルフはドラゴンに「よろしく頼むよ」と言うかのように体をポンポンと叩いた。そして、距離を置き、杖を振り上げる。
「そうだ。止めを刺す指示を出せた子にはご褒美をあげよう」
 振り上げた杖を勢いよく下ろすとそれを合図にドラゴンはロルフに突進した。
「先生は本気だ! シールド!」
 生徒の一人が叫んだ。
 ロルフは言われた通りに盾を召喚した。ドラゴンは盾を物ともせず破壊した。
「何て力だ! 攻撃しなきゃ」
「ファイアボール!」
「アイスアロー!」
 生徒たちは口々に魔法名を口にする。ロルフは指示に従うがファイアボールはドラゴンの炎に飲み込まれ、アイスアローは固い皮膚に傷一つつける事なく空しく折れていく。ドラゴンは翼を羽ばたかせるとロルフはいとも簡単に校庭の隅に吹き飛ばされた。不運にも着地に失敗し、背中を地面に強く叩き付けた。
「先生! ヒール!」
 一人の生徒の機転により回復の機会を得たロルフであったが、ヒールでは完全な回復とまでは行かなかった。
「いっ…たぁ」
 生徒の知識を図るために脅すような事を言ったが、想定外の負傷で背中が痛くて仕方がない。十秒ほど待って新たな指示が無ければテスト終了としようとロルフは考えた。一方、ドラゴンはのそのそとロルフに詰め寄る。鋭い爪が生えた手を振り上げる。ロルフはテストの中断のために反撃しようと杖を振り上げ、下ろそうとしたその時
「ガスト! ウォールストーン包囲! ブラックホール召喚!」
 ロルフは咄嗟に自身が使おうとした魔法を取りやめ、指示に従った。突風が吹き、ドラゴンを魔法陣まで押し戻し、ウォールストーンで囲い、仕上げにブラックホールにドラゴンを食わせた。ロルフは声の主を見るとルディが顔を真っ赤にし、肩で呼吸をしていた。クラスメイトも大声を張り上げたルディに注目していた。
「あいつ、大声出せたんだな」
「私、あんな魔法知らないわよ」
「そういえばあいつ、いつも本ばかり読んでいたな」
「ルディ凄い! 今度勉強教えてもらお」
「うっ……あ」
 ルディは声にならない声を上げた。
 ロルフは自身に回復魔法をかけ、立ち上がった。土で汚れたローブをはたきながら言う。
「お前たちの知識量は良く分かった。これは例え話だがどんなに便利な道具があっても使い方が分からなければ最高のパフォーマンスが出来ない。宝の持ち腐れだ。逆もそうだ。これから先生はお前たちを王都に行っても恥ずかしくない魔法使いに育ててやる。覚悟しろよ。それとルディ、ご褒美の件だが何を望む?」
「え……?」
「人の話を聞いていなかったのか?」
「あの……その何でもいいですか?」
「先生に出来る範囲ならな」
「僕、僕……ちゃんと魔法が使えるようになりたい。今まで勉強した事無駄にしたくない……だから先生」
 ルディは蚊の鳴くような声で話す。クラスメイトは聞きのがすまいとルディをじぃっと見つめた。
「先生! 僕を魔法使いにしてください! 魔法が使えるようになって家に帰りたい!」
 ルディは感情を爆発させたような裏返った声でロルフに願った。
「わかりました。一緒に頑張りましょう」
 ロルフは手を差し出し微笑んだ。ルディも恐る恐るロルフの手を握った。

 その日の夜、ロルフとハインツは晩酌を楽しんだ。。
「ロルフ、話は聞かせてもらった。あんな約束してしまっていいのか?」
「秘めた才能を持った子供をあのまま腐らすのは勿体無いですよ。どうにかします。それに僕は……」
 つまみを口に含み酒で流し込む。
「王宮魔術師だった男ですよ? 最初から諦めるなんて選択、僕のプライドが許しません」
 ロルフは酒瓶を手に取るとラッパ飲みをし、そのまま潰れた。潰れたロルフを見てハインツは「しょうがない奴じゃの」と大きくため息をついた。