<#1 吉田和人は人を待つ>

 とある剣と魔法の異世界の、とある王国。
 ここは、紫石英の洞(アメシスト・ケイブ)と呼ばれる場所。
 至るところに、大小様々な、自ら発光する不思議な紫石英の結晶が乱立している洞窟。
 そして、魔物も住んでいるが、多くの財宝が眠っているからと、しばしば冒険者が訪れる場所。
 その中心部――紫石英の結晶に覆いつくされ、辺り一面が紫色の光に包まれており、くすんだ宝玉や古びた腕輪、そして幾つかの宝箱が転がっている、開けた場所で……
 この世界に転生した、三十過ぎの会社員(サラリーマン)だった日本人男性、吉田和人(ヨシダカズト)は、理想の相手が来るのを待っていた。

 ある日、急に直下型地震が発生し、自分の部屋にいた彼はコミックス(大半は美少女が出てくる異世界モノ)で満載だった本棚の下敷きになり死亡した。
 彼が意識を取り戻すと、目の前には女神と名乗る、古代ギリシャ風の白い衣装を着けた若い女がいた。
 彼女は言う、その地震で死んだのは彼だけで、その犠牲をもって多くの人命が失われるのが回避されたと。なのでその代償として、彼を異世界に転生させ、更に何か一つ望みを叶えてあげようと。
 彼は即答する、だったらカワイイ女の子と親密になりたいと。
 小太りで顔もはっきり言って不細工、経験ゼロの彼にとって、これにまさる前世の未練はなかったのだ。

 それがまずかったのか――彼が転生したのは「人」ではなかった。
 この紫石英の洞(アメシスト・ケイブ)で気がついた彼は「(アーマー)」になっていた。それも、上下セットのビキニアーマーに、である。
 色は少し青みがかった銀。上下ともに、つる性の植物――小さな花と、葉と、その間の細いつるを金属で立体的に再現した繊細で美麗な装飾が施されている。
 サイズの方はかなりの攻め攻めだ。
 胸の上方で交差するストラップと、それを留めているチョーカーのような首輪とセットになった「上」の方の面積もかなり小さいが、問題は「下」の方だ。
(おいおい、これって生え方によってはハミ出しちゃうだろ……)
 と、ツッコミを入れたくなるほどの大きさ、いや小ささだった。
「それ、オリハルコンっていうすっごい金属でできてるんですよぉ。良かったですね、魔力は膨大、かつ、絶対無敵の攻撃力と防御力を備えた逸品ですよ~」
 楽しくて仕方ないというような「女神」の声が降ってきた。
「……ふざけんじゃねえ! 親密になりたいってのは、こんな意味じゃねーぞおおおお!」

 洞窟の中で大声をあげても、後の祭りだった。
 かくして、魔法だか剣術だかがカンストレベルで使えるイケメンの少年に転生し、魔物に襲われているカワイイ女の子を助けたら惚れられて、二人で旅をすることになって、宿に着いたら生憎ベッドが一つしかなくて、「あたしが床に寝ます」「いや俺が床に寝るよ」というやり取りの末、同衾することになって、寝ぼけた女の子に「ううん」と抱きつかれて(うっ、寝れない……)という展開が待っている……という彼の極めて具体的な野望は脆くも崩れ去った、のである。
 三日三晩、思いつく限りのありとあらゆる呪詛と罵倒の言葉を吐き続けた後、彼は今後の身の振り方を考え始めた。
(まあ、俺を着てくれる()と一緒に、異世界で冒険するのも楽しいかもな)
 彼は身だけではなく心も物質(アーマー)になり始めていた。
 確かに魔力はものすごくあった。
 意識を集中すれば、ふわふわ宙を浮いて自力で移動することもできたし、念動力で周りの物を動かすこともできた。
 いくつか転がっていた空の宝箱の中から、比較的綺麗な物を見つけると、その中に自分の身を収めた。
 この場所で、理想の相手が来るのを待つ――彼がそう決めてから、一ヶ月が経った。

<#2 クリスティア・カートランド>

 石畳が朝露で濡れて輝いている、小さな街。
 煉瓦作りの建物に紛れて建っている、小さな古びた家。
 その中で、十七歳の少女、クリスティア・カートランドは外出の支度をしていた。
 衣服は……まるで炭鉱夫が着るような地味なモスグリーンの上着とズボン、しかも所々繕った跡がある。
 髪の毛は銀髪だが、手入れをしていないせいでネズミ色に見える。ボサボサで、これでちゃんと前が見えるのかというくらい目にかかっている。
 これも古びたベージュの帽子(キャスケット)を被ると、クリス――親しい人はそう呼んでいる――はベッドのところに来る。
 愛らしい少女が眠っている――五歳下の妹、シェリルだ。
「シェリル……おねえちゃん、行ってくるね」

 クリスの両親は、三年前、この王国で猛威を振るった流行病(はやりやまい)に巻き込まれ、この世を去った。
 残されたクリスとシェリル――ただでさえ、少女二人だけで生きていくのは大変なのだが、更に大変なことに、シェリルは生まれつき身体がすごく弱かった。
 ほとんど寝たきりで、毎日薬を飲まないと、いつどうなるかも定かでない。
 決して安くない妹の薬代を稼ぐために――色々考えた末、クリスは、この世界の冒険者たちの業界に身を置くことにした。
 とはいえ、クリスは魔法が使えるわけでも、剣技をはじめとする何らかのスキルがあるわけでもない。当然、魔物と戦えるわけでもない。
 だが、妹とは対照的に、女の子にしては大柄で、頑健に生まれついた彼女なら「荷物持ち(ポーター)」の仕事は十分にこなせた。
 誰か冒険者の手伝いとして雇われ、クエストに同行し、報酬の一部を手にするため、彼女は今朝も冒険者ギルドの建物に向かう。
 大抵の場合、冒険者たちから見下され、まるで奴隷のようにこき使われる。
 分け前だって、普通に商店等で働くよりは上とは言え、そこまではもらえない。
 そして勿論、魔物に喰われる危険と隣り合わせ――
 はっきり言って楽しい仕事ではないが、文句は言っていられない。
「ぃよーし、今日も一日、がんばるぞっ」
 そう言って気合いを入れると、クリスは眠っている妹を残し、一人石畳の路に足を踏み出す。

<#3 ハニーデュー>

 今日この紫石英の洞(アメシスト・ケイブ)にやって来たのは、「ハニーデュー」と言う名の、冒険者の少女の二人組(コンビ)だった。
 一人はポニーテールの赤い髪、ミニスカ、へそ出しの大胆な衣装、腰に豪華な造りのロングソードを携えた剣士の少女、サリーナ。つり目で気が強そうだが、体型(プロポーション)も完璧な超のつく美少女。
 もう一人は細身で、白系の衣装、黒いストレートの髪の上に頭巾を被り、手には金属製と思しき錫杖を携えている魔道士、コローネ。眼鏡をかけていて、その奥の瞳はやや細い。
 そして今日彼女たちがポーターとして雇い、大きな、そして重そうな荷物を背負っていたのが、クリスティア・カートランドだった。
 ハニーデューの二人はクリスとは生まれが違う。サリーナの赤い衣装やコローネの白い衣装は、飾り布や金糸、銀糸の刺繍も施された、大層美しいものだ。
 クリスのみすぼらしい格好とは、天と地ほどの差があった。
 この中心部に来るまでの道中で、クリスは他の二人に歩みが遅いだの、どんくさいだの散々罵られていた。
 実際にはクリスはさほど鈍いわけではないのだが、この二人は日頃は男のポーターを雇うので、比べればやや劣るというだけだ。
 クリスは、我慢しながらついてきていた。

  ◇◇◇

「よおし、お宝を探すわよ~」
 俺の耳に、声が聞こえた。
(おっ、誰かやって来たな)
 何やらワイワイ話しながら、二人の少女が近づいて来る。
 痩せた魔道士の少女は明らかに、理想と違う。
 しかし、もう一人のポニーテールは……腰に、造りの良さそうな剣を携えている。
 間違いなく少女剣士だ。
(キタ――(゚∀゚)――!!)
 前世の某掲示板に、昔これを書き込んだのと同じノリで叫びたい気分だった。
「んっ?」
 彼女の方も、ここにいくつかある宝箱の中から、俺が入っているそれに目をとめたようだ。
「ねえ、これなんか、イイものが入ってるんじゃない?」
 傍らの魔道士にそう言いながら、ポニテの少女が俺に近づいてくる。
 顔もカワイイ、ちょっと気が強そうだけど。
 そして、大胆な衣装が似合う、完璧な身体の曲線……まさに美少女・オブ・美少女だ。
(ぬふふふふふふ……)
 俺は、その()が自分を装着したほとんど裸の姿を想像して……思わず笑ってしまった。我ながら薄気味悪いとは思ったが。
(よおし、いいぞぉ……さあ、この箱を開けるんだ!)

  ◇◇◇

「サリーナ様、待って下さい」
 宝箱を開けようとしたサリーナを、コローネが止めた。
 コローネは錫杖をその宝箱に向ける。キィンと音がして、錫杖の先端に丸い魔法陣が浮かんだ。
 それからしばらくして……コローネは言った。
「何やらとても(よこしま)な気配を感じます。多分、ミミックですね」
「ミミックぅ!?」
 サリーナは、その宝箱を開けずにしばらく眺め、そして――
「ちっ、へんに期待もたせるんじゃないわよ!」
 言いながら、宝箱を激しく蹴飛ばした。
 彼女はかなりのキック力があったようで――「吉田」が入った宝箱は宙を舞い、二人組(コンビ)の後ろにいた地味な姿のポーター……クリスの前に、逆さまになって落っこちた。
(おいおい、ひどくねーっ!?)
 「吉田」は思った。その「彼」を――
 クリスは箱の向きを直すと抱え上げて、脇の方に運んでいく。
「ちょっとあなた、何してるのよ!」
 大声で尋ねたサリーナに、クリスはちょっとオドオドとして、答える。
「い、いや、ミミックだったら、他の冒険者の方が開けたら大変なんで、目立たない場所に置かなくちゃと……」
 その声で「吉田」は、この帽子を被ったポーターが女の子だと初めて知った。
 「バッカじゃないの!? ほ、他の冒険者なんてどーだっていいでしょ! そんな暇があったら、とっとと他を探すのよ、他をっ!」
 目をつけた宝箱がハズレだったことの苛立ちも相まって、サリーナはクリスにきつく言うと、怒った様子で先に進んでいく。
 コローネ、そしてクリスはその後を追う。
 大きな紫石英の結晶の陰に置かれ、取り残される「吉田」。
(どうやら今日もダメか)
 「吉田」は落胆した。しかしその一方で、こうも思っていた。
(それにしてもあのポーターの()……人がいいなあ)

<#4 ディメトロドン>

「グウォオオオン!!」
 名状しがたい咆哮が、大気を震わせこの洞窟中に響き渡り、少女三人と「吉田」の耳に届いたのは、その後すぐのことだった。
「魔物?」
 サリーナたちは宝探しをやめ、周囲を警戒し始める。
「何? オーク? ゴブリン?」
 言いながら、サリーナは早くも腰の宝刀を抜き放っていた。
 再びキィンと音がして、コローネの錫杖の先端に魔法陣が灯った。
 声のした方の、洞窟の更に奥、真っ暗な空間に錫杖を向けたコローネが言う。
「い、いえ……この反応……そんなもんじゃないです! 間違いなくSランクです! こっちに向かってきます!」
 ザリ、ザリ、ザリと……紫石英の結晶を踏み潰しながら、声の主が姿を現す――
 全長五メートルかはあろうかという巨大なトカゲ……いや、恐竜だ。
 グルゥ……と唸り声をあげたこの魔物を前にして、サリーナとコローネ、そしてクリスの顔に戦慄が走った。
(な、なんだあれ……昔図鑑で見た「帆掛け竜(ディメトロドン)」みたいじゃねえか)
 「吉田」は思った。そう、その背中にはとてつもなく巨大な一枚のヒレがそそり立っている。
 「吉田」は、この洞窟に来てからの一月(ひとつき)で、ここで数多の魔物を見かけたが、こんなのを見たのはこれが初めてだ。それはハニーデューの二人も同様だったようで――
「な、何ですかアレは! あんなバケモノがいるなんて、き、聞いていませんよ!」
 震え声で言うコローネに、サリーナが強気で答えた。
「ふふっ、あたしも見たことないヤツだけど、Sランクだってなら、倒せば相当いいドロップアイテムが出てきそうじゃない? 行くわよ!」
 はああと気合いの声をあげて、サリーナは勇ましく魔物に向かって行く。
「地獄で後悔しなさい、今日ここであたしと出会ったことをね!」
 サリーナ、魔物に飛びかかると、渾身の力を込めて、大上段から獲物をその頭部に振り下ろす!
 ガキィン! と大きな音がして――
 サリーナが持っていた高額そうな剣は、次の瞬間、真っ二つに折れていた。
 勿論、相手は無傷。
「嘘っ!?」
 ヒット・アンド・アウェイで後方に飛びずさったサリーナは、折れた剣を見て茫然とする。それはコローネも同様だった。
「ガアア……」
 魔物が、牙だらけの口をかぱっと大きく開けたのが見えた。
 キイィンと音がして、その喉奥に金色の光が灯りだした。
 背中の巨大なヒレも発光している。
 ガッ! と一声吠えると共に、魔物の口から光弾が発射され――棒立ちになっているサリーナを襲う!
「あ、危ないっ!!」
 きゃあと悲鳴を上げたサリーナを押し倒したのは、後ろから、全力で走ってきたクリスだった。
 光弾が倒れた二人を掠めると……クリスの背中にあった大きな荷物は、一瞬で塵となって消滅した。
 外れた光弾は、彼女たちの後ろにあった巨大な紫石英の結晶に向かって飛んでいく。
 着弾。ぐわあああん! と大音響が洞窟全体を揺るがす。
 靄が晴れると、巨大な紫石英の結晶は影も形も無くなっていた。
 やはり、異世界の魔物だなと「吉田」は思った。
 彼が生きていた世界の大昔に生息していた帆掛け竜(ディメトロドン)に、こんな能力はない。

「だ、大丈夫、ですか……」
「あ……」
 サリーナ、呆けた感じで、自分の顔の上のクリスの顔をしばらく見ていたが……
「どっ、どきなさいよ!」
 我に返ると、クリスをはね除けるようにして立ち上がった。その二人のところに、コローネが駆け寄る。
「い、今のはブレスです! サリーナ様! こいつ、こんな(なり)しててもドラゴンです! ドラゴン亜種ですっ!」
「ド、ドラゴンなんてあたしが勝てるわけない……にっ……逃げるわよ!!」
 踵を返し、逃げ出すハニーデューの二人。
 クリスも当然、その後を追おうとしたが……
「あ!」
 サリーナがいきなりクリスを突き飛ばし、彼女は仰向けに倒れた。弾みで帽子が飛んで、ボサボサ頭が露わになる。
「な、何をするんですか!?」
「コローネ!」
 サリーナはクリスに答えずコローネの名を呼んだ。そしてコローネは錫杖を倒れているクリスに向けて叫んだ。
麻痺(パラライズ)!」
 またも錫杖の先端に魔法陣が浮かび、クリスの体は一瞬ぼんやりした光に覆われ、そして消えた。
「え、えっ……か、体が動かない……いっ、一体、なに……」
 戸惑いながら辛うじて半身を起こしたクリスの側に来て、サリーナはかがみ込んで言った。
「一つくらい、あたしたちの役に立ってちょうだい、荷物持ちさん。あなたが喰われている間はアイツも動かないに違いないわ……いや、あなたくらいの図体があれば、アイツ満腹になって帰っちゃうかもね」
「そ、そんな……どうして……こんな……」
「わっかんないかなあ! あたしはね、世界で一番美しい、完璧な冒険者なの! クエストに失敗して逃げたなんて、人に知られるわけにはいかないの! ましてやあなたみたいなダッサイ格好の荷物持ちに助けられたなんて、言いふらされるわけにはいかないのよ!!」
 鬼と見紛う表情になってサリーナは言い放つと、クリスを置いて駆け出していく、コローネとともに。
(なんて女だ!)
 箱の中からこの光景を見て、「吉田」は思った。

<#5 吉田和人は動き出す>

 魔物を目前にして――
「にっ……逃げなきゃ……も、もしあたしが死んだら、シェリルが……シェリルがっ!」
 クリスには痛いほど分かっていた。万一自分に何かあったら、一人残された妹がこの世界で生きていくのは不可能だと。
 力を振り絞って立ち上がり、ふらふらと、出口に向かうが……
「あっ……ああ!」
 麻痺した体は思うようにならない。ドサッと音を立てて、仰向けに倒れ込んでしまった。
 それでも両肘に力を入れて、少しでも動こうとしたが……ふと横に視線がいって、彼女は「ひっ」と声を上げた。
 ――紫石英の結晶の陰に、髑髏が転がっていた。
 この場所で死んだ冒険者のなれの果てだ。
「あ、あたし……ここで死ぬの? やだ……やだああっ!」
 前髪で隠れた目から、涙がこぼれ始めた。

 帆掛け竜(ディメトロドン)もどきの魔物には、どうやら知性があるようだ。
 一人残されたクリスがろくに動けない状態と知ると――グルゥと唸ったその顔に、なんやら笑みのようなものが浮かんだ。
 一気に襲いかかればいいものを、ゆっくり、ゆっくりとクリスに近づき始めた。
 明らかに意図的に、だ。
 まるで、死の恐怖を存分に味わえと言わんばかりに。

「シェリル……」
 ゆっくり近づいてくる魔物を目の前にして、クリスの脳裏に浮かぶのは妹の笑顔。彼女はある日の晩のことを思い出す。

 クリスの家。
 小さな木製のテーブルで、クリスと、寝間着姿のシェリル――銀色のロングヘアーの、清楚な美少女――は夕食を取っている。
 木製の器に盛られた料理を、木の匙で一口すくって食べたシェリルは、目を輝かせて言った。
「おねえちゃん、このポトフ、すっごくおいしい!」
 ほとんど肉は入っていない、野菜だらけのポトフだったが。
「そう!? ねえねえ、お母さんの味に近づけたかなあ?」
「うん! (おんな)じだよぉ!」
「よかったあ……ごめんね、今までさんざん失敗作つくって。おかわりあるからね、たくさん食べて!」
 「うん!」と、満面の笑顔で答え、ポトフを口に運ぶシェリル――

(シェリル……ごめん。あたし、もうダメみたい……料理、上手く作れなくてごめん……病気、治してあげられなくてごめん……役に立たないおねえちゃんで、ごめん……)
 クリスの目からこぼれた大粒の涙が、頬を伝う。後から、後から……
「こんなおねえちゃんで……ほんと……ごめん! シェリル……シェリルぅ!! ああ、うああああっ!!」
 クリスは号泣する。悲痛な嗚咽が、辺り一面に響き渡っている――

  ◇◇◇

 俺は猛烈に腹が立っている。
 ああ、そりゃ確かに、異世界の漫画やアニメで、自分が助かろうと仲間を魔物の囮にするヤツはたくさん見てきたよ?
 だが大抵、そんなんは()()好かない男がやるもんだろ!?
 あんな見た目カワイイ女の子が、こんな真似するか、普通!? しかも、自分の虚栄心(ミエ)のため、だと!?
 そのせいで、あの人のいいポーターの()が死ぬのか!?
 彼女の言葉から、シェリルが妹だということは分かる。
 あの()がここで魔物に喰われて、愛する妹に二度と会えないなんて……あっていいのか!?

(ちきしょう! ふざけんじゃねえぞっ!!)

 俺は猛烈に腹が立っている。
 あの、文字通り恩を仇で返したポニテの女にも!
 鼠をいたぶる猫のような真似をしている魔物にも!
 自分を、彼女を助けられる人間に転生させなかった女神にも!
 そして……一瞬でも、あんな女に着られたいと思った自分自身にも、だ!

(あの()だけは、絶対に、死なせないッ!!)

 俺は、転生して以来一度もなかったほどに、自分の意識を集中した。
 俺が入った宝箱が、ふわりと、宙に浮かんだのが分かった。
 そしてそのまま、もはや彼女の眼前に迫って、大口を開けて涎を垂らしている魔物の方に、猛スピードで向かう!
 魔物の頭部に、渾身の、体当たりだ!
「ギャアアアッ!」
 どうやらこの一撃、かなりの魔力がこもっていたらしい。
 巨大な魔物はふっ飛ばされ、悲鳴と大音響を立てて、紫石英の結晶を砕きながら地に落ちた。
 そして俺が入った箱、いや、俺は、ころんと彼女の前に落っこちた。

<#6 爆誕! 無敵の美少女剣士!!>

「泣くな、少女よ」
 俺は、何が起こったのか分からないといった感じの、目の前の彼女に声をかける。
「立つのじゃ。今、魔法を解いてやる」
 彼女の体が一瞬光に包まれ、そして消えた。
「え……あ、動ける……」
「そなた、名前は(なん)という」
「あ……ク、クリス……クリスティアです」
 よろよろと立ち上がる彼女――クリスに、俺は続けて言う。
「そうか……クリスティアよ、よぉく聞くのじゃ。わしは正義の女神、フレイア様の()使いじゃ。善良なる、心優しき者を救えとの命を受け、この地上に遣わされた精霊なのじゃ。そなたに力を貸そう。その箱の中には、神が作りし伝説の……無敵の(アーマー)が入っておる。それを使って、ここから脱出するがよい」

 ビキニアーマーとは、別な存在を装うというのは前から決めていた。
 だってさ……これの正体が、不細工で小太りの三十過ぎのおっさんと知ったら、相手が「そんなの着るくらいだったら死を選びます!」になっちゃうのは、火を見るより明らかじゃん?
 フレイアというのは勿論でまかせ、前世で見た漫画だかアニメだかからの流用。
 そして、こんな口調で喋っているのは、前世でやった双六風のゲームに出てくる、お金やカードをくれる神様をイメージしてのことだ。
 うーん、これで少しでも彼女を騙せるんだろうか?

「え、でもこの箱って、ミミックなんじゃ……」
「ミミックなどではない! 伝説の(アーマー)じゃ! 時間がない、早くするのじゃ!」
「は、はい!」
 ガシャッ。
 慌てた様子でクリスが箱を開ける――

 そう、「自分」を装着さえしてくれれば、クリスは助かるのではないか。
 さっき、クリスは重そうな荷物を背負っているにも拘わらず、俊敏に動いてポニテの女を助けた。意外と身体能力は高そうだ。
 彼女が、膨大な魔力、絶対無敵の力を備えた「自分」をつければ、あの魔物を倒せる可能性はある――俺はそう思っていた。
「え……」
 だが、箱の蓋を開けたクリスは、フリーズしている。
 (アーマー)という言葉からイメージしたのとは、相当に違う物が入っていたからであろう。
 しかも、着るのはこれ即ち、ほとんど裸になるような物が――

「緊急事態じゃ。手荒なまねをするが、許されよ!」
 俺は魔力を集中させる。「自分」が、眩く光り出したのが分った。
「きゃあっ!!」
 無意識に自分を守ろうとした姿勢になったクリスの体が、同じように光に包まれた。
 モスグリーンの上着とズボンが、細切れになって消滅していく。
 その下に着ていた、彼女くらいの若い()が着るにはちょっとデカいんじゃないかと思える、飾り気のない白のブラジャーとパンツが見えたが、それも一瞬のことで……クリスは文字通り、一糸まとわぬ裸の姿になった。
 間髪入れず、「自分」を、クリスの胸と腰に纏わせる。
「はうんっ!」
 クリスは声を上げ、ビクンとちょっと仰け反った。
 膨大な魔力が流れ込んでいるのか――光に包まれたクリスの体は、その姿勢のままで、地上から三十センチくらいのところで宙に浮き、彼女の意識ともども、固まっている。

 クリスの両手両足に、白いロンググローブとロングブーツが形成されて、装着されていく。まあ、これは「標準装備」だ。
 しかし、彼女――
 その肌は新雪のように真っ白い。
 大柄な体に相応しく、胸もお尻も大きいが、ウエストはきっちり細い。ナイスバディ……いや、ダイナマイトバディだ。
 その体型に……「自分」は、まるで最初から彼女のために作られていたかのように、完璧にフィットしていた(なお、長きにわたる懸念事項であったハミ出しはないことが確認された)。
 そして……魔力のため、今、彼女の髪はちょっと逆立っているが、初めて見たその丸くて大きな瞳は、まるでサファイアの宝玉を思わせる美しさだ。
(な、何っ……こっ、この()、むちゃくちゃ美少女じゃねーか!!)
 ポニテの女がクズだということをヌキにして考えても、クリスの方が更に上だ。
(よおし、そうと分れば、サービスだ!)
 汚れを落とし、銀髪をサラサラショートヘアにする。前髪が目にかからないようにセットすると、生成した白いカチューシャで固定する。
 ついでに両耳に、紫石英を丸く加工したイヤリングも装備だ!

 ふわり。光が消え、彼女の体が一陣の風とともに地上に降り立つ。
 我に返ったクリス――近くの、大きな紫石英の結晶の一面に映った自分を見て、大きな目を丸くした。
 そりゃもう、顔も体も、美しさの大渋滞だし。
「え、ええっ! これが、あたし……?」
「うむ、よく似合ってるぞ」
「……ちょっと……恥ずかしい……な……」
 頬を染めてクリスが言う。まー確かに。後ろを見ると、お尻の上の方が見えちゃっている。
 だが、別人のように美しくなった顔には、本人も何か感じているところがある――と、俺は思った。
「でも不思議ですね……この鎧、金属でできてるはずなのに、なんか(あった)かいです」
 そりゃ元は「人間」だからな。しかし――

 俺はだんだんムラッとしてきていた。
 だ、だってさ……当たってるんだよ?
 実は超絶美少女だった彼女の、大きな胸の膨らみの先端にある二つの小さなポッチと……そ、その……女の子の大事な部分がさ?
(こっちからも(さわ)れるのかな……)
 この生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、俺は……自分の欲望に負けた。その場所に、意識を集中すると――
「ひゃうんっ!」
 大きな声をあげて、クリスは一瞬ビクンと硬直した後、その場にしゃがみ込んだ。
「み、()使いさまあっ! い、いま何か、すっごくヘンな感じがしたんですけど……この鎧、本当に大丈夫なんですかあっ? それになんか、だんだん熱くなってる気がするんですけど……」
 顔を真っ赤にして、ちょっと涙目になったクリスが言う。
 この初々しい反応……多分、生まれてから一度たりとも「そういうこと」はしていないのだろう。
(ホントに純真無垢な()なんだなあ……)
 こんな()を、三十過ぎのおっさんが(けが)すわけにはいかない。
 自ら、彼女と接している部分の感覚を魔法で遮断した。
「あー、すまんすまん。そなたに合わせてこの鎧の性能が最大限に発揮できるように、ちょっと微調整をしての……もうしな……いや、もうならない」
 
「ギャオオオ!」
 帆掛け竜(ディメトロドン)もどきの魔物が、ガラガラ紫石英の結晶をはね除けながら起き上がった。
 こっちを向いたその両目が、ギラリと赤く光った。
 明らかに怒り心頭に発している様子だ。
 そうだ、クリスにイタズラしている場合ではなかった。
 さっき彼女が見た冒険者の白骨遺体の腰に、まだ剣が残っていた。
 念動力を使って、それを鞘から抜き移動させ、ザクッと、クリスの前の土の上に突き立てた。
「ヤツが来るぞ! それを使って戦え!」
「え、でっ、でも……さっきの人の高そうな剣でも、折れてしまいましたよ?」
「大丈夫! その剣には(アーマー)の魔力で強化(バフ)がかかっておる! 臆せず戦え!」
「は、はいっ!」
 クリスは立ち上がると剣を抜き、おっかなびっくりという感じで、ドシンドシンと足音立てて向かってくる魔物の前で、剣を構える――

<#7 決着、そして――>

 クリスに向かってきた魔物は、ガオッと吠え、途中で急に体を回転させた。
 長く強靱な尾が、ガラガラと軌道上にある紫石英の結晶をなぎ倒しながら、彼女を襲う!
 はわわ、といった顔になるクリス――本能が命じたのか、それを躱そうと、えいっとジャンプ!
「!!」
 クリスの体が高々と舞い上がる。
 彼女は遙か上空の、洞窟の壁から突き出た岩(オーバーハング)に着地した。
「え、ええっ!? こんなに、高く……」
「ふふ、(アーマー)を纏いし者の身体能力も極限まで強化されるからな。それにしても、わしの見込み通りじゃ。そなた、なかなかのもんじゃぞ!」
「グオオッ!」
 魔物は怒った熊のように二本足で立ち上がる。
 巨大なヒレに光が灯り、開けた大口の中が金色に輝く。
 魔物が光弾(ブレス)を発射した。
「たあっ!」
 クリスは対面の、高い紫石英の結晶の柱に向かって飛び、逃げる。
 魔物は光弾(ブレス)を連発する。クリスは右へ左へ、洞窟の壁や紫石英の結晶の柱、或いは崩れて落下する大きな岩を足場に飛び交い、躱していく。
 ドンドンと爆発音が響き、砕けた紫石英の結晶がキラキラ輝きながら舞い散る中で――高まった身体能力に慣れてきたのか、クリスの身のこなしは、鳥のように華麗になっていく、が……
「ガオウッ!」
 ちょうど地上に降りていたクリスを目がけ、魔物は、咆哮とともに何発目かの光弾(ブレス)を放った。
「!!」
 これは、躱せなかった。
「きゃあああ!!」
 クリスが魂消るような悲鳴を上げる。
 轟音と、閃光――
 魔物の顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんだように見えた。
 しかし、靄が晴れていくと……クリスは我が身を守ろうとした姿勢のままで、立っている。
 全くの、無傷。
「え、え、えっ、何とも……ない……!?」
「ふふふ、この(アーマー)は絶対防御じゃ……舐めるでないぞトカゲ風情(ふぜい)が!」
 クリスだけではなく、魔物の顔にも、さすがに驚きの色が浮かんだようだった。
「クリスティア! もはや敵は恐るるに足らん! ゆけっ!!」
「は……はいっ!!」
 クリス、魔物に向かって猛然と駆けていく。
 魔物は今度こそと言わんばかりに光弾(ブレス)を連発し迎撃する。
「はああっ!」
 気合いとともに彼女は剣を振るい、次から次に、向かってくる光弾(ブレス)を斬っていく。
 斬られた光弾(ブレス)は、小さな光の欠片と化して消滅していく。
 こうしてクリスは、一歩も立ち止まることなく、相手との距離を詰めていく。
 俺は驚いた。
(もしかしてこの()……天才なんじゃないか?)
「やあっ!!」
 彼女はハイジャンプして、立ち上がっている魔物の頭部の、すぐ斜め上の位置に至った。
 剣を逆手に持ち替え、両手を添えると、臍を頂点にして、体を大きく「C」の字に仰け反らせた。
「邪魔しないで! あたしはシェリルのところへ、帰るんだからー!!」
 クリスの思いが、伝わってくる。 
 なぜだか俺にも、ベッドから半身を起こし、「おかえりっ、おねえちゃん」と言って微笑む美少女――シェリルの姿が、見えた気がした。
 俺は、クリスと一体となって、魔物の眉間に深々と剣を突き刺した――

 紫石英の洞(アメシスト・ケイブ)の中心部――
 至るところに破壊の跡があり、激闘を物語っている。
「はあっ、はあっ、はあ……」
 息づかいも荒く、剣を持ったままの手をだらんと垂らして、クリスは佇んでいる。
 その白い肌は玉のような汗に覆われているが、小傷の一つもついてはいない。
 そして彼女の前には、大きな宝石やら、装飾品やらの、宝物が大量に転がっている。
「ほう、大量じゃの」
 ポニテの女が言った通りだった。
 眉間に剣を突き刺され、死んだ魔物の巨体は、紙が燃える時のように灰となって消滅し、跡には大量の――しかも高価そうな――ドロップアイテムが残された。
「そんだけあれば、しばらく暮らしに困ることはなかろう」
「こんなのもあるんですね……」
 クリスは散らばる宝物の中にある、一本の剣に目を留めたようだった。
 まるで黒曜石の塊から削り出したような、黒くて長い刀身を持った両刃の大剣が、真っ直ぐ地面に突き刺さり、輝いている。
「ふうむ、その剣、結構な業物のようじゃな……もしかしたら、魔剣というヤツかもしれん。よし、そいつはこれからそなたが使うがよい。名前はそう……『ディメトロドンの剣』、じゃな」
「何ですか、それ? この魔物の名前ですか?」
「まあ、そうじゃの」
「でも……こんなに沢山の宝物、とても持って帰れそうにないですね」
「案ずるには及ばん。わ……いや、その(アーマー)には、こんな能力もあるぞ」
 シュン! と音を立てて、宝物の山が一瞬のうちに消え、クリスは「ええっ!?」と驚いた顔になった。
「収納魔法で別な空間に送った。洞窟の外に出たら、また出してやろう」 
「はあ、よく分らないですけど……便利な……ものです……ね……」
 ふらり。
 急なことだった。クリスがよろめいて、その後、地面の上に両膝をついた。
「お、おい、どうした? 何があった!?」
「は、はい……な、何だか急に……すごく、疲れが……」
 魔物の脅威が去り、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか――
 疲労の限界に達したのは無理も無いと思った。素人がいきなり、あんな激しい戦いをしたのだから。
「少し、眠るがよい」
「で、でも……早くここを出ないと、また……魔物が……」
「なぁに、並の魔物程度が来たんだったら、わしが追っ払ってやるわい。安心して休め」
「分かり、ました……」
 クリスは剣を杖にして立ち上がると、よろよろと少し歩き、やっとと言う感じで大きな紫石英の結晶の柱に至ると、その一面に背中をもたれる感じで、ずるずると座り込んだ。
「シェリル、ごめん……今日、帰り……遅く……なっちゃ……う……」
 声が消えていくにつれ、クリスの体から力が抜け、手にした剣がコトリと地に落ちた。
 大きな瞳が閉じ、その首がカクンと右に傾いた。
 彼女は眠りについた。いや、気を失ったのか――

(お疲れさま……クリスはほんっとすごいなあ……よーく、頑張ったよ……)
 俺はクリスに語りかける。
(あ、このままじゃ、風邪ひいちゃうかな?)
 魔法を使って、彼女の全身を覆っていた汗を、一瞬のうちにシュウと蒸発させた。
 あらためて、クリスの寝顔を見る。
 閉じた瞳にかかった長い睫毛、綺麗な形の鼻、少しだけ開いた唇――
 一体どこの美の女神がこれを造ったのだと言いたくなるほど、たまらなく、可愛い。
 ついつい、魔法で遮断している感覚を復活させ、彼女の体に触れたい欲望が鎌首をもたげるが――
(ダ……ダメだダメだ! こんな白雪のような無垢な()、俺なんかが(けが)しちゃダメなんだっ!)
 と、葛藤していた時に……
「ギイッ」
「ギイッ」
 洞窟の奥の暗い空間から、複数の声が聞こえてきた。
 俺にもだんだんと姿が見えてきたそれは――片手に棍棒を携えた緑色の小鬼、ゴブリンだ。
 数は十匹ほど。まあ、これだけ大音響立てて戦ったのでは、何が起こったのかと様子を見に来るヤツがいても当然なんだが……
「ギイッ?」
 ゴブリンの群れ、気を失っているクリスを見つけたらしい。
「ギギ……」
「ギギイ~」
 こいつら、互いに顔を見合わせて、何やら好色そうな笑いをし始めた。
(おいおい、まさか……)
 次の瞬間、ゴブリンたちは棍棒を投げ捨て、「ギギイ!」と鳴きながら、我先にとばかり駆け寄ってきた。
(てめえらっ!!)
 もうこいつらの意図を疑う余地はない。
「……近づくんじゃねえっ!!」
 怒りとともに、魔力を全開にする。
 ギィン! と「自分」から一瞬眩い光が放たれたのが分った。
「ギギギギイッ!!」
 クリスの服を消し飛ばしたのと同じ魔法だが、威力はその数倍だった。
 彼女に群がってきたゴブリンたちは、光に包まれると、巻き添いになった周囲の紫石英の結晶とともに、瞬時に跡形もなく塵となって消滅した。
 辺りには、また静寂が戻る。
「ううん……」
 クリスがちょっと声をあげた。
(しまった、起こしちゃったか?)
 俺は不安になったが――彼女はまだ、眠ったままだった。
 小さな寝息が、聞こえてくる。
(よかったあ……)

 俺は、自分の気持ちをはっきりと自覚した。
(この()を護るんだ……世界中の、どんな(よご)れたものからも)
 まあ、その(よご)れたものの中には、自分自身も含まれているから、偉そうなことは言えないんだけどな、ははは。でも――
(きっと、このために俺はこの世界に転生してきたんだ……!)

  ◇◇◇

 これが、「伝説の(アーマー)」が誕生した瞬間であった。
 キワドい格好の、ビキニアーマーではあったのだが――

  <#8 吉田和人はせがまれる>

「もう大丈夫なのかね?」
「はい、しっかり眠れましたから」
 意識を回復したクリスは笑顔で、元気そうに、腰を回したり、肘を伸ばしたりしている。
「でも本当に不思議な(アーマー)ですね。こんな格好なのに、少しも寒くなかったな……むしろ、ベッドの中にいるみたいに(あった)かかったですよ」

 うん、やっぱこれが三十過ぎのおっさんの体温とは、口が裂けても言えんな。

 クリスは魔物との戦いに使った剣を持つと、その持ち主だった冒険者の白骨遺体のところへ行き、
「ありがとうございました」
 と言って、剣をその傍らに置いた。そして、その場に跪いた。
「どうか……安らかにお眠り下さい……」
 両手を組み、目を閉じ、祈りを捧げる。
(本当にこの()……人間じゃなくて、天使なんじゃないだろうか??)
 俺はそんな風に思わざるを得なかった。

 その後、俺たちは色々と世間話をしながら、洞窟の出口に向かって行った。
 次第に打ち解けていくと――最初に彼女を見た時の印象と違って、結構明るくて、そしておしゃべりも好きな()だと分った。
 このあたりは――ここが異世界と言っても――どこにでもいる、このくらいの年頃の女の子(十七歳ということは教えてもらった)と変わらないみたいだな……

「そうか、妹さんの病気はそんなに大変なんじゃな……分った。そなたの望み通り妹さんの病気が治せるまで、わしが力を貸そう」
「え、いいんですか、()使いさま?」
「うむ。言ったであろう? わしは、そなたのような者を救うために遣わされたのじゃ。わしと、その(アーマー)と一緒に、この世界を冒険しようではないか。ひょっとしたら、どこかには、どんな病気でもたちどころに治せる霊薬みたいなものもあるかもしれん……あ、そうじゃ。もし、(アーマー)の力で回復魔法をかけたら、全快とまではいかずとも、妹さんの体調が良くなるかもしれんぞ?」
「あ……ありがとうございます!」
 クリスの顔が、喜びに輝いた。
「その(アーマー)の力が欲しくなったらな、『変身!』でも『装着!』でも好きに叫ぶがよい。そなたがどこにいても、たちどころに(アーマー)とわしが現れ、そなたの手助けをするであろう」 
「はいっ! よ、よろしくお願いします!」
 彼女はどこにいるか分らない俺に向かってペコリと頭を下げた。
 うん、やっぱり可愛い。
「こちらこそよろしくな、クリスティア……いや、クリスよ」

 向かう先に、光が見えてきた。
「そろそろ出口ですね。じゃあ……変身を解いてください」
「へっ?」
「元の格好に、戻していただけますか?」
「……それはできん」
「えっ、えっ、どうしてですか?」
「だって……そなたの服は全部破いてしまったし……パンツも……ゴニョゴニョ」
 最後のは小声で付け加えた。
「じゃ、じゃあ……いま変身を解いたら……」
「すっぽんぽんになってしまうのだが」
「ひっ……ひどいじゃないですかっ!!」
「い、いやあ、すまんすまん。状況が状況だっただけにな……まあ、こう()うてはなんだが、これだけ宝物があるんじゃ。いくつか売れば、前よりずっといい服が買えるじゃろう」
「そういう問題じゃないです! それじゃあ、街に戻っても、しばらくこの姿でいなきゃいけないんでしょ!?」
「まあ……そうなるの」
「いやーっ!」
 クリスはその場にしゃがみ込んでしまった。
「そ、そんな嫌がることもなかろうて。堂々としていればよいではないか。いまのそなたは、誰もが思わず振り返って二度見、三度見してしまうほど、美しいのじゃぞ?」
「だからそれが嫌なんですっ! こ、こんな格好を、たくさんの人に見られちゃうなんて……はっ、はっ、恥ずかしすぎて、死んじゃいますっっ!!」
 駄々をこねる小さな女の子のように、首をぶるぶる振るクリス。 
 その顔は真っ赤で、涙目になっている。
「あーもう分った分った! 泣くな! ……多分、ここから出て、街に着くまでの間には民家が一軒や二軒はあるじゃろう。そこから上に羽織るものをチョロまかして……」
「え?」
「いっ、いや、お借りしようではないか。多分、コートの一枚くらいは持っているじゃろう、なっ」
「う゛~っ」
 不承不承と言った感じで立ち上がると、クリスはまた出口に向かって歩み始めたが……途中で「あ!」と声をあげた。
「今度はなんじゃ」
「も、もしかしてこれから先も、変身したら、着てるもの全部破かれて、すっぽんぽんになってしまうんですか?」
「……じゃな」
「じゃな、じゃないですよ! イヤです!! 何とかしてくださいよ、()使いさまっ!!」
「あー……まあ、(アーマー)をつける前に脱いでいれば、破かずに済むのじゃがな」
 確かに、ポニテの女に突き飛ばされた時に脱げた帽子は無傷で、現在は収納魔法で別な空間に送っている。
「それじゃあ何がどう転んでもすっぽんぽんじゃないですかあっ!!」
「うー……あ、そうじゃ、ずっとわ……いや、(アーマー)を、あらかじめ下に着ておくというのはどうだろう」 
「ダメですよ。なんだかんだ言ってもこれ金属ですもの……やっぱりゴツゴツしてるし」
 彼女は言ったが、実は途中で、自分もこれは撤回したい気持ちになっていた。
(そうは言ったものの……四六時中彼女と一緒じゃ、間違いなくこっちの身がもたねえよ……いろんな意味で……)
 ちょっとむくれた感じで、クリスは歩きながら言い続けた。
「そのフレイア様という女神の方だったら、何かいい方法、ご存知なんじゃないですかっ」
「う、うむ……」
 そんなこと言われてもなあ、あれ、口からでまかせだし。
「だいたいこの(アーマー)、なんでこんなデザインなんですかっ」
「しっ、知らんよ! 女神さまに聞いてくれっ!」

 洞窟の出口が近づいてくる。
 そこから見えるようになってきた空は、少し、赤く染まり始めていた――

  ◇◇◇

 この王国で、とある美少女剣士の噂で持ちきりになるのは、この後すぐのことである。
 人々が魔物に襲われ、苦しめられている時――どこからともなく、風のように彼女は現れる。
 カチューシャをつけた銀色の美しい髪、宝石のような澄んだ瞳、そして傷ひとつない真っ白な肌と、大柄で豊満な身体を、なぜだかキワドい格好のビキニアーマーで「魅せて」くれているスーパー美少女(余談だが、クリスは何とか衣装も着ようと思ったが、(アーマー)のパワーに耐えられなかったらしい)。
 腰の黒い魔剣を振るい、どんな魔物も退治する。
 そしてその後は恥ずかしそうな表情を見せて――礼を言う人々に応えるのもそこそこに、急いでどこかに飛び去っていく、絶対無敵の美少女剣士。

 人か、妖精(エルフ)か、はたまた天使か。

「彼女の正体を突き止めろ!」
 王国中が色めきたつ。
 冒険者たちは、彼女を己のパーティーに加えようと動き出す――
 純愛、不純を問わずして、彼女を我が物にするのだと、王侯・貴族も動き出す――
 そして、我こそは世界一と自負する女武芸者たちも、一度手合わせしたいと動き始める――

 噂はやがて、伝説になっていく。
 これはその伝説の、ほんの最初の、一ページ目。