1995年の秋。芸人である”もりもりにんに君”はまだこの世に存在していない。
だが我が真島中学校の体育館に、その青年はニコニコと笑いながら立っていた。
卒業生の中川 譲二先輩だ。
まだ素人だが、間違いなく今から数年後に芸能界デビューするはず。
ならば一つぐらい、サインを貰っても罰は当たらないだろう……。
カバンから数学用のノートを取り出し、白紙のページを探す。
そんなことをしていたら、鬼塚に見つかってしまった。
「あ、水巻! お前、バスケ部じゃないのに、なんでここにいるんだよ?」
クソっ! 余計なことを言うなよ。
未来でプレミアになるサインを無料で頂ける大チャンスなのに……。
「それはその……中川先輩にちょっと頼みがあってぇ」
「は? なんで、水巻が中川先輩のことを知っているんだよ?」
「えっと、そこは聞かないでくれると助かるな」
「なんだよっ! 俺には話せないって!」
鬼塚のやつ、すねちゃった。
だって、未来に関わることだから、秘密にしないとね。
※
男子バスケ部の冷たい視線を浴びながら、体育館の中へと進む。
俺は胸板の厚い青年に向かって、ノートを差し出した。
「あ、あの……私にサインをくれますか?」
「ん? 僕のサインが欲しいのかい?」
「はい。お名前と今日の日付も書いてもらえます?」
すると、中川先輩は白い歯をニカッと見せつけ、頷く。
「もちろんだよっ!」
書き終えてもらうと俺はノートを大事に抱えて、体育館を後にしようとしたその時だった。
誰かが俺の肩を掴んで離さない。
振り返ると、背の低い少年が立っていた。
「待てよっ! 水巻」
「へ? なに、鬼塚?」
「お、”俺の”はいらないのかよ……」
頬を真っ赤にして、床を見つめている。
恥ずかしいのか?
しかし、彼は一体なにを伝えたいのだろう。
「鬼塚のなにをくれるの?」
「さ、さっき中川先輩にサインを貰ってたじゃん……だから、俺のはいらないのかなって」
「はぁ?」
こいつ、一体なにを勘違いしているんだ。
中川先輩は、後のもりもりにんに君だぞ?
誰だってサインを貰うに決まってんだろ……それに比べて、お前は前世でもただのサラリーマンだったろ?
「俺だって……いつか中川先輩みたいな大きな男になるから! だから、その時は水巻がサイン貰ってくれよな?」
「え? 言っている意味がわかんないんだけど……」
「とにかく、一番目は水巻で予約しとくから!」
鬼塚ってバスケが好きなんだよね?
にんに君を目指すってことは、芸人になりたいってことなのかな……。
俺がバスケ部に顔を出したから、未来が変わってしまうのだろうか。だとしたら、大変なことをしてしまった。



