広くて長い階段を上ると、チケット売り場が見えてきた。
 だが、俺たちは鬼塚の母親から前売り券を貰ったので、チケットは買わなくていい。
 そのまま、入口に入ろうとした瞬間。
 ひとりの少女が声をかけてきた。

「鬼塚くん!」

 鬼塚と同じぐらい、小柄な女の子。
 長い髪は前髪から全てセンター分けで、おでこが丸見え。
 よっぽど、自分の顔に自信があると感じる。
 その小さな身体とは対照的に、大きな瞳を輝かせていた。

 誰だっけ? この女の子、どっかで見た気が……。

「あ、鞍手(くらて)か」

 鬼塚の口からその名前が出た瞬間、俺は思わず二度見してしまう。
 
 普段は制服姿しか、見たことがないからだ。
 前世でも、鞍手 あゆみという女は学校帰りに、俺の家に来てくれたから。
 私服は初めて見る。

 見た目、バリバリのヤンキーじゃん……。
 着ているニットはヒョウ柄だし、黒いレザーのショートパンツを履いているもん。
 この人、本当に俺が前世で憧れていた少女なの?


「鬼塚くん、今日はどうしてマリンワールドに来たの? 翔平くんも一緒?」
「あ、いや……本当なら、あいつも一緒に来る予定だったんだけど。風邪引いちゃってさ」
「えぇ~ かわいそう~ 大丈夫? あゆみがあとで様子を見に行こうか?」
「そこまでしなくていいよ。水鉄砲で遊び過ぎただけで……」
「もう、翔平くんはいつまでも可愛いねぇ~」

 俺のことは眼中に無いようで、ほとんど空気扱いだ。
 しかし、女体化した俺に対する態度とは大違いだな……。
 でも、前世での優しいあゆみちゃんは、こんなイメージだった気がする。
 家に引きこもって、風呂に入らなかった俺でも嫌な顔せず、優しく接してくれた初恋の人。

「あゆみは家族と来てるんだけど。良かったら、あとで合流する?」
「悪いけど、今日は水巻を水族館に案内する約束なんだ」

 鬼塚が俺の名前を発した途端、鋭い目つきがこちらに向けられる。
 相変わらず、目力が強い。吸い込まれそうだ……。

「あ……水巻さん? いたんだぁ~」

 なんだろう、彼女からものすごい圧を感じる。
 これは、女の嫉妬ってやつなんだろうか。
 怖すぎる。

「あはは……鞍手さん、こんにちは」
「こんにちはぁ~」

 優しく微笑んでいるが、目が笑っていない。
 今度、学校で殺されそう。

「じゃあ、鞍手。俺たち、母ちゃんから貰った前売り券で入るから、またな」
「おばさんから貰ったんだぁ~ 良かったね、水巻さん?」
「う、うん……すごく嬉しいなぁ」

 最愛の人に嫌われるとこうなるのか。
 地獄だな……。
 
  ※

 この前鬼塚から貰ったチケットを、入口の前で職員に渡す。すると半券を切り取られて、返された。
 ラッコの写真がプリントされた可愛らしい半券。
 水族館に入ると、鬼塚の様子がおかしかった。
 挙動不審というか、きょろきょろと辺りを見回している。

「どうしたの?」
「あ、いや……悪りぃ、トイレに行っていいか? 自転車の時から我慢していて」
「我慢してたの? 行ってきなよ」
「悪りぃな、すぐ戻るから」

 なんだよ、小便ぐらい。
 俺だって元は男だから、そんなの何とも思わないのに。
 格好をつけやがって……と苦笑していたら、背中を何かで突かれた。
 振り返ると、先ほどのヤンキー少女が立っていた。
 鞍手 あゆみだ。俺とはかなりの身長差があるから、自ずと上目遣いになってしまう。
 前世でなら、可愛くてたまらないと感じたが……この世界では恐怖しか無い。

「ねぇ、水巻さん」
「え? あゆみちゃん? ど、どうしたの?」
「はぁ? なんで水巻さんに下の名前で呼ばれないといけないわけ?」

 なんて冷たい声をしているんだ?
 怖すぎだろ……。

「ご、ごめん……」
「ところでさ、なんで鬼塚くんと一緒なの?」
「えっと、それは色々とあって……弟の翔平くんと一緒に来る予定がダメになって」
「はぁ? なんで翔平くんのことを知っているの?」
「なんでって、この前一緒に遊んだから……」

 そう言うと、彼女は深いため息をつく。
 そして更に距離を詰めると、下から俺を睨みつける。

「あのさ、私。鬼塚くんと小さな頃から同じマンションで育った仲なの。翔平くんもね」
「うん。それがどうしたの?」
「水巻さん、前はそんな性格じゃなかったでしょ? もっとオドオドしていて……それが急にがっつくから、嫌なのよ」

 彼女の言いたいことが何一つ、伝わってこない。

「ごめん、何が嫌なの?」
「はぁ……水巻さん、本当にどうしたの? 私が言いたいのは、これ以上鬼塚くんを振り回さないで欲しいの!」

 険しい剣幕で彼女が俺を睨んでいると、鬼塚がトイレから戻って来た。

「あれ、鞍手。どうしたんだ?」
「鬼塚くぅ~ん! ちょっと、水巻さんとお話していてぇ。彼女、すごく変わったよねぇ~ って」
「そっか、鞍手もそう思ってたんだ」
「うん、本当だよねぇ~」

 と甘い声で喋っているけど、俺の右足を踏んでいるんだよなぁ。