### 1. 後日譚:ドキュメンタリー映像の公開準備
あれから数ヶ月が経った。樹海での血染めの儀式を巡る惨劇と、その余波に追われた日々が嘘のように、世界は何事もなかったかのように動き続けている。メディアや世間は、新しい事件やスキャンダルに目を向け、樹海の闇バイトや行方不明者の大量発生などは一過性の話題として消えかけていた。
しかし、俺たち取材チームの一部は沈黙するつもりはなかった。夜を徹して撮影した映像素材と、複数の証言、そして血生臭い儀式のドキュメントは、確かにこの世界の一端を抉る真実だと信じていたからだ。多くの人命が失われ、行方不明者が増え続けたあの事実を闇に埋もれさせるわけにはいかない。そんな思いが、俺の背中を押していた。
「……どうにか編集を終わらせたい。でも、予算も時間も厳しく、上から圧力もかかってる」
ある深夜、狭い編集スタジオで一人つぶやく。PCの画面には樹海の暗闇に乱れるノイズ、血走ったカメラワークが延々と続く。あれほど壮絶な体験をしたはずなのに、映像で見ると不鮮明で、それこそ“フェイクドキュメンタリー”のようにしか感じられないかもしれない——それでも作り上げなければならないと、自分を奮い立たせる。
俺たちは、かつての取材班メンバーから少人数を募り、“樹海の闇と行方不明者”をテーマに据えたドキュメンタリー制作プロジェクトを進めていた。インディーズのネット配信を主軸に考えており、大手テレビ局や映画館での公開は期待していない。その分、言論の自由は確保できるものの、社会的影響力は限定的だ。
だが、“闇バイト組織”の残党や、これまでに樹海と結びついて利益を得ていた何者かが、水面下で動いている気配がある。具体的には、作業員が匿名で証言しようとしていた動画が、なぜかアップロード前に削除されたり、SNSアカウントが凍結されたりするケースが相次いで発生。プロバイダ経由の警告メールまで届き、「利用規約違反」だと言われる。一部の協力者からは「身の危険があるなら公開しないほうがいい」と忠告を受ける始末だった。
この章では、そんな暗い影がちらつく中で、俺たちが最後まで“公表”に拘り続ける背景と、その苦しい過程を描く。――「命の危険を冒してまで公開する価値があるのか」――メンバーの中には強い疑問を呈する者もいるが、同時に「犠牲になった仲間や行方不明者のためにも、事実を伝えなければ」という意見も根強い。結局、その葛藤が徐々に核心へと向かっていくのだ。
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### 2. 沈黙と告発のジレンマ
取材班の意見は二分された。かつて共に樹海へ乗り込んだAは「もう十分だろう。あれだけ苦しい思いをして、誰もが望むようなスッキリした真実は見つからなかったじゃないか。世間だって興味なんかない」と漏らす。命を懸けて臨んだ夜の撮影が、フェイク扱いされる悔しさを知っているだけに、Aの気持ちも理解できる。
一方、BやCは「自分たちが見聞きしたことは紛れもない事実だ。確かにオカルトじみているし、警察も動いてくれない。でも行方不明者の家族は少しでも真相を知りたいと願っている」と、公開を進める意志を揺るがせない。たとえ世間が笑いものにしようとも、関係者が目にして希望を抱けるなら、それだけで意味があるのでは、と。
俺も同意見だ。失われた仲間たちは、自分たちの死や行方不明が茶番扱いされるのを、きっと望んでいないはずだ。彼らが最後に残した声、そしてあの儀式で巻き込まれて消えた人々の無念。あの夜の樹海がすべてを呑み込んでしまったという現実を、誰かが告発しなければならない。ただ、俺たち自身の安全が保証されるわけではなかった。プロバイダや SNS 運営会社から何度となく謎の削除要請が入り、実際のところ脅迫めいたメールが送られてきた例もある。誰が裏で糸を引いているのかは不明だが、無視できない圧力だ。
「もし俺たちが沈黙してしまえば、本当に何も変わらない。だから、ドキュメンタリーを完成させて公開する。そこに価値があると信じたい」
そう言い切ると、編集スタジオにいたBが深くうなずき、「やるしかないよな……」と苦い笑みを浮かべた。
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### 3. 少数の協力者
困難を乗り越えて情報を集める中、思わぬ助力者が現れ始めた。たとえば、あの儀式の夜に辛くも生還した元作業員の一人が、匿名で証言動画を撮ってくれた。そこでは「自分は確かに高額報酬に釣られて樹海へ行き、異常な儀式を見た」と話している。別の闇バイト元参加者も、「俺はすんでのところで逃げ出したんだ」と語り、現場には“リーダー格の男”を頂点にした閉鎖的なコミュニティが確かに存在していたことを裏付ける証言をくれた。
さらに、住職も快く協力を申し出てくれた。寺で収集した古文書や自身の記憶をもとに、伝統的に“封印”を守ってきた一族と、その対立構造などを解説してくれる。もちろん、封印にまつわる詳細すべてを公表することには慎重な姿勢を崩さないが、「少なくとも世に伝えるべきことはある」と言い、数枚の貴重な写本を提供してくれたのだ。その写本には「長年にわたる血の契約の歴史」として、いくつかの事例が淡々と記されていた。衝撃的な内容でありながら、それが真実である以上、公表しないまま隠し通すのは倫理に反すると住職は断言する。
そして何より、**行方不明者の家族**たちも積極的に取材に応じてくれた。彼らは長らく公的機関や大手メディアに訴えても相手にされず、半ば絶望していたが、俺たちが自主制作ドキュメンタリーとして彼らの声を取り上げたいと言うと、「そんな小さな規模でもいい、事実を伝えてほしい」と涙ながらに協力してくれた。録画中に失踪者の写真やメールのスクリーンショットを紹介する場面などは、編集段階で何度見返しても切なさが込み上げてくる。
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### 4. 対外的な動き
一方、警察や行政の動きは相変わらず鈍い。「調査中」「捜索は終了」「事件性が認められない」などの言葉が繰り返されるばかり。メディアも好奇心こそ示すが、大手テレビ局は「裏付けが取れない」と放映を渋り、雑誌もタブロイド紙のゴシップとして扱うだけで、深く追及しようとはしない。“呪い”や“儀式”などのキーワードが絡むと一気にオカルト扱いに移行してしまうのだ。
それでも、小さなネットニュースサイトやマイナーなジャーナリズム系ウェブメディアは興味を持って取材してくれるところもあった。ただ、いざ中身を詰めると、儀式シーンや超常現象の部分をカットして「闇バイト問題」だけ切り出すか、「遭難や不法就労の視点」からドキュメンタリーを編集してほしいと言われるケースが多い。結局、本来の“樹海の呪い”や“封印”の深刻さを伝える内容からは遠ざかり、妥協案としての発表しか期待できない状況だ。
「やっぱり大手マスコミも相手にしてくれないんだな……」
長沼が肩を落とす。だが、これで諦めるわけにはいかない。俺たちはどうせ自主制作なら、少々クオリティが粗くてもいいから自力でネット公開に踏み切ろうという決断を下した。多少の閲覧数しか得られなくても、ゼロよりはマシだ。
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### 5. 樹海に残る記憶
編集作業が山場を迎えた頃、一つ気になる映像を追加で撮影したかった俺たちは、住職や元作業員の協力を得て、再び樹海を訪れることを決めた。目的は“今の森がどうなっているか”を記録し、結末の場面としてドキュメンタリーに挿入するためだ。
あの大惨事から数ヶ月後、久々に足を踏み入れた樹海は、見た目には静かな森を取り戻していた。倒壊したプレハブや地下施設の入り口は、行政や地元ボランティアの手で簡易的に塞がれており、立入禁止の立て札もいくつか立てられていた。儀式の行われた祭壇のあたりを確認すると、やはり崩落が進み、石棺はすでに内部が埋まったように見える。結界を示す石碑も風雨で朽ちかけており、あれほど強烈だった“禍々しさ”は感じない。
けれど、住職は「結界が完全に消えたわけではない」と言う。「封印は続いている。しかし弱まっているとも言える。あのリーダー格がいなくなった今、誰が守っていくのか……」。森は何も語らず、静寂の中で風だけがすり抜ける。
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### 6. 新たな芽生え
そんな中、俺は森の奥へ目を向け、違和感を覚えた。地面にちょっとした赤い芽がいくつも顔を出している。大きさは手のひらほどで、まだ幼い植物だが、毒々しい赤色の斑点が印象的だ。以前、闇バイトたちが熱心に採取していた異様に大きなキノコや植物を思い出し、胸にざわつきが走る。
「これ……あの“特殊植物”の若芽かもしれない。まるで何かが再生しようとしてるようだ……」
思わず呟くと、住職も眉をひそめ、「やはり、根本的にはまだ終わっていないのかもしれませんね」と苦い顔を見せる。森の再生力は人知を超えており、“厄災”の力を封印しても、そもそもの源が完全に消えるわけではない。今は小さく芽吹いているだけで、その育ち方次第では、またしても樹海全体に影響を及ぼすかもしれない。
その若芽を摘み取ろうか、あるいは放置しようか。俺たちには判断できない。下手に干渉すれば、再び森の力を刺激してしまう可能性もあると住職は警告する。結局、俺たちは撮影だけして、その場を立ち去った。何かが再生する予兆を記録に収めることで、今後のドキュメンタリーが「終わりのない物語」であることを示せるはずだ、と不安ながらも思った。
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### 7. ドキュメンタリー完成
帰還後、最後の編集作業が一気に進んだ。撮り貯めた映像、協力者の証言、住職の解説、行方不明者の家族の声、樹海の奥で見つけた赤い芽……。断片を丹念につなげ、音声や字幕を挿入し、夜の祭壇シーンはあえてノイズや破損ファイルのまま流すことで、“リアルな恐怖”を演出するような編集に仕上げた。
そして、公開に踏み切ったのは週末の深夜。YouTubeやニコニコ動画など複数の動画サイトに同時投稿し、SNSでも「【衝撃】樹海の闇バイトと行方不明者の真実」という煽りタイトルでシェアを始める。はじめは数百程度の再生数だったが、一晩明けると「怪しい映像」「ホラー風ドキュメント」として拡散され、想像以上に反響が集まりはじめた。
もちろん「フェイクだろ」「手ブレ酷すぎ」「やらせ乙」「B級ホラー映画か」などのコメントが多数寄せられる。それでも、中には「俺も樹海のバイトを誘われたことがある……」「友人が行方不明になったのがあの場所だった」など、真剣に受け止める声もある。そして行方不明者の家族や遺族にとっては、唯一の“よりどころ”として注目が集まりつつあった。「警察にはあきらめていたが、こうして告発してくれる人がいるのは心強い」と感謝のメッセージを寄せてくれる人もいる。
結果的に、このドキュメンタリーは大手メディアには取り上げられなかったが、ネット上では徐々にバイラル的な注目を集め、最終的には数十万再生に達する。真偽を問う論争がネットコミュニティで繰り広げられ、まとめサイトが特集を組むまでになった。目的としていた「闇バイトへの警戒が広まる」という面では、一定の成果を上げたと言えるかもしれない。
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### 8. エピローグ:散り散りの仲間たち
一方、取材チームは既にバラバラに散っていた。重度のPTSDに苦しむメンバーは、しばらく療養に専念すると言って退職し、別のメンバーは地元を離れ海外で新たなキャリアを模索している。住職は先日の負傷から回復しつつ、寺に籠って地域の人々を支える活動を続けているらしい。闇バイトの残党がどうなったかは分からないが、実質的に組織は崩壊したも同然との噂もある。
俺たちの中にも、それぞれに“この事件からどう立ち直るか”という命題が生まれていた。
- **PTSDを抱えながらも新しい道を歩む者**: 映像関係の仕事からは離れたが、心理学やカウンセリングの分野で再出発しようとしている者がいる。
- **取材活動を続ける者**: 闇バイトの問題だけでなく、社会の隅で泣き寝入りしている人々を取材する仕事に転向した例もある。
- **失われた友人のために祈りを捧げる者**: 行方不明になった仲間の帰りを願う家族を支えたり、定期的に樹海を訪れては供養を行う者もいる。
- **わずかな救いを見出す者**: この出来事を契機に「人は一人では生きられない」と痛感し、結婚や新たな家庭を築く人もいるかもしれない。
いずれにせよ、誰もが傷を抱えている。あの夜、樹海で直面した“異常さ”と“呪い”を、自分の中で整理して消化するにはあまりにも大きすぎるためだ。
---
### 9. “呼び声”の余韻
ある晩、俺は深夜の編集室で、再アップロードするための作業をしていた。前回公開した動画の一部をバージョンアップし、追加の証言を入れ込んだ完全版を投稿しようという試みだ。突然、モニターがチラつき、音声ファイルが勝手に再生される現象が起きた。慌てて再生リストを確認するが、そんなファイルは登録されていない。
「バグか?」と首を傾げながら画面を見ると、映し出されたのは樹海の深部、あの祭壇付近の暗い映像。ノイズ交じりで時系列もめちゃくちゃだが、大きく歪んだキノコや赤い印がちらりと写り、中央には人影が佇んでいる。その人影がこちらを振り向いたかと思うと、ノイズが走り、画面が暗転した。
そして、低い囁き声がヘッドフォンを通して聞こえる。「……まだ終わらない……」——背筋に冷たいものが走り、思わず息を呑む。これは一体何なのか。誰がアップロードした? そもそもこの映像はいつ撮影した?
気づけばモニターには何も表示されず、PC上のファイルリストにもその動画の痕跡は見当たらない。幻覚かと思うが、耳に残る囁きはあまりにリアルだ。結局、その夜は眠れなかった。「まだ終わらない……」という言葉が、まるで樹海そのものの声のように、俺の耳にこびりついて離れない。
結末などないのかもしれない。封印はされても禍は残り、森はいつかまた“呼び声”を響かせる。それが明日なのか、数年後なのか、誰にも分からない。——ただ、一つ言えることは、俺たちが撮ったドキュメンタリーはあくまでも“ドアを開ける鍵”に過ぎないということだ。真実を知ろうとする者がいれば、いずれ樹海の深部へ足を踏み入れ、その闇の奥底で新たな犠牲か、あるいは新たな救いを見いだすかもしれない。
モニターの暗転した画面に映り込んだ自分の顔は、ほんの少しやつれ、しかしあの惨劇の夜よりは冷静な光を宿しているようにも見えた。深夜の編集室を出て、薄暗い廊下を歩きながら、心の底でそっと呟く。——あの森の呪いは今も眠っているだけ。そして、俺たちがドキュメンタリーを通じて世に問う真実は、いつか誰かの手で“次”へ継承されるかもしれない、と。
物語はここで幕を下ろす。しかし画面の奥底では、“まだ終わらない……”という呼び声が微かに響き続けているかのようだ。
<了>
あれから数ヶ月が経った。樹海での血染めの儀式を巡る惨劇と、その余波に追われた日々が嘘のように、世界は何事もなかったかのように動き続けている。メディアや世間は、新しい事件やスキャンダルに目を向け、樹海の闇バイトや行方不明者の大量発生などは一過性の話題として消えかけていた。
しかし、俺たち取材チームの一部は沈黙するつもりはなかった。夜を徹して撮影した映像素材と、複数の証言、そして血生臭い儀式のドキュメントは、確かにこの世界の一端を抉る真実だと信じていたからだ。多くの人命が失われ、行方不明者が増え続けたあの事実を闇に埋もれさせるわけにはいかない。そんな思いが、俺の背中を押していた。
「……どうにか編集を終わらせたい。でも、予算も時間も厳しく、上から圧力もかかってる」
ある深夜、狭い編集スタジオで一人つぶやく。PCの画面には樹海の暗闇に乱れるノイズ、血走ったカメラワークが延々と続く。あれほど壮絶な体験をしたはずなのに、映像で見ると不鮮明で、それこそ“フェイクドキュメンタリー”のようにしか感じられないかもしれない——それでも作り上げなければならないと、自分を奮い立たせる。
俺たちは、かつての取材班メンバーから少人数を募り、“樹海の闇と行方不明者”をテーマに据えたドキュメンタリー制作プロジェクトを進めていた。インディーズのネット配信を主軸に考えており、大手テレビ局や映画館での公開は期待していない。その分、言論の自由は確保できるものの、社会的影響力は限定的だ。
だが、“闇バイト組織”の残党や、これまでに樹海と結びついて利益を得ていた何者かが、水面下で動いている気配がある。具体的には、作業員が匿名で証言しようとしていた動画が、なぜかアップロード前に削除されたり、SNSアカウントが凍結されたりするケースが相次いで発生。プロバイダ経由の警告メールまで届き、「利用規約違反」だと言われる。一部の協力者からは「身の危険があるなら公開しないほうがいい」と忠告を受ける始末だった。
この章では、そんな暗い影がちらつく中で、俺たちが最後まで“公表”に拘り続ける背景と、その苦しい過程を描く。――「命の危険を冒してまで公開する価値があるのか」――メンバーの中には強い疑問を呈する者もいるが、同時に「犠牲になった仲間や行方不明者のためにも、事実を伝えなければ」という意見も根強い。結局、その葛藤が徐々に核心へと向かっていくのだ。
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### 2. 沈黙と告発のジレンマ
取材班の意見は二分された。かつて共に樹海へ乗り込んだAは「もう十分だろう。あれだけ苦しい思いをして、誰もが望むようなスッキリした真実は見つからなかったじゃないか。世間だって興味なんかない」と漏らす。命を懸けて臨んだ夜の撮影が、フェイク扱いされる悔しさを知っているだけに、Aの気持ちも理解できる。
一方、BやCは「自分たちが見聞きしたことは紛れもない事実だ。確かにオカルトじみているし、警察も動いてくれない。でも行方不明者の家族は少しでも真相を知りたいと願っている」と、公開を進める意志を揺るがせない。たとえ世間が笑いものにしようとも、関係者が目にして希望を抱けるなら、それだけで意味があるのでは、と。
俺も同意見だ。失われた仲間たちは、自分たちの死や行方不明が茶番扱いされるのを、きっと望んでいないはずだ。彼らが最後に残した声、そしてあの儀式で巻き込まれて消えた人々の無念。あの夜の樹海がすべてを呑み込んでしまったという現実を、誰かが告発しなければならない。ただ、俺たち自身の安全が保証されるわけではなかった。プロバイダや SNS 運営会社から何度となく謎の削除要請が入り、実際のところ脅迫めいたメールが送られてきた例もある。誰が裏で糸を引いているのかは不明だが、無視できない圧力だ。
「もし俺たちが沈黙してしまえば、本当に何も変わらない。だから、ドキュメンタリーを完成させて公開する。そこに価値があると信じたい」
そう言い切ると、編集スタジオにいたBが深くうなずき、「やるしかないよな……」と苦い笑みを浮かべた。
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### 3. 少数の協力者
困難を乗り越えて情報を集める中、思わぬ助力者が現れ始めた。たとえば、あの儀式の夜に辛くも生還した元作業員の一人が、匿名で証言動画を撮ってくれた。そこでは「自分は確かに高額報酬に釣られて樹海へ行き、異常な儀式を見た」と話している。別の闇バイト元参加者も、「俺はすんでのところで逃げ出したんだ」と語り、現場には“リーダー格の男”を頂点にした閉鎖的なコミュニティが確かに存在していたことを裏付ける証言をくれた。
さらに、住職も快く協力を申し出てくれた。寺で収集した古文書や自身の記憶をもとに、伝統的に“封印”を守ってきた一族と、その対立構造などを解説してくれる。もちろん、封印にまつわる詳細すべてを公表することには慎重な姿勢を崩さないが、「少なくとも世に伝えるべきことはある」と言い、数枚の貴重な写本を提供してくれたのだ。その写本には「長年にわたる血の契約の歴史」として、いくつかの事例が淡々と記されていた。衝撃的な内容でありながら、それが真実である以上、公表しないまま隠し通すのは倫理に反すると住職は断言する。
そして何より、**行方不明者の家族**たちも積極的に取材に応じてくれた。彼らは長らく公的機関や大手メディアに訴えても相手にされず、半ば絶望していたが、俺たちが自主制作ドキュメンタリーとして彼らの声を取り上げたいと言うと、「そんな小さな規模でもいい、事実を伝えてほしい」と涙ながらに協力してくれた。録画中に失踪者の写真やメールのスクリーンショットを紹介する場面などは、編集段階で何度見返しても切なさが込み上げてくる。
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### 4. 対外的な動き
一方、警察や行政の動きは相変わらず鈍い。「調査中」「捜索は終了」「事件性が認められない」などの言葉が繰り返されるばかり。メディアも好奇心こそ示すが、大手テレビ局は「裏付けが取れない」と放映を渋り、雑誌もタブロイド紙のゴシップとして扱うだけで、深く追及しようとはしない。“呪い”や“儀式”などのキーワードが絡むと一気にオカルト扱いに移行してしまうのだ。
それでも、小さなネットニュースサイトやマイナーなジャーナリズム系ウェブメディアは興味を持って取材してくれるところもあった。ただ、いざ中身を詰めると、儀式シーンや超常現象の部分をカットして「闇バイト問題」だけ切り出すか、「遭難や不法就労の視点」からドキュメンタリーを編集してほしいと言われるケースが多い。結局、本来の“樹海の呪い”や“封印”の深刻さを伝える内容からは遠ざかり、妥協案としての発表しか期待できない状況だ。
「やっぱり大手マスコミも相手にしてくれないんだな……」
長沼が肩を落とす。だが、これで諦めるわけにはいかない。俺たちはどうせ自主制作なら、少々クオリティが粗くてもいいから自力でネット公開に踏み切ろうという決断を下した。多少の閲覧数しか得られなくても、ゼロよりはマシだ。
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### 5. 樹海に残る記憶
編集作業が山場を迎えた頃、一つ気になる映像を追加で撮影したかった俺たちは、住職や元作業員の協力を得て、再び樹海を訪れることを決めた。目的は“今の森がどうなっているか”を記録し、結末の場面としてドキュメンタリーに挿入するためだ。
あの大惨事から数ヶ月後、久々に足を踏み入れた樹海は、見た目には静かな森を取り戻していた。倒壊したプレハブや地下施設の入り口は、行政や地元ボランティアの手で簡易的に塞がれており、立入禁止の立て札もいくつか立てられていた。儀式の行われた祭壇のあたりを確認すると、やはり崩落が進み、石棺はすでに内部が埋まったように見える。結界を示す石碑も風雨で朽ちかけており、あれほど強烈だった“禍々しさ”は感じない。
けれど、住職は「結界が完全に消えたわけではない」と言う。「封印は続いている。しかし弱まっているとも言える。あのリーダー格がいなくなった今、誰が守っていくのか……」。森は何も語らず、静寂の中で風だけがすり抜ける。
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### 6. 新たな芽生え
そんな中、俺は森の奥へ目を向け、違和感を覚えた。地面にちょっとした赤い芽がいくつも顔を出している。大きさは手のひらほどで、まだ幼い植物だが、毒々しい赤色の斑点が印象的だ。以前、闇バイトたちが熱心に採取していた異様に大きなキノコや植物を思い出し、胸にざわつきが走る。
「これ……あの“特殊植物”の若芽かもしれない。まるで何かが再生しようとしてるようだ……」
思わず呟くと、住職も眉をひそめ、「やはり、根本的にはまだ終わっていないのかもしれませんね」と苦い顔を見せる。森の再生力は人知を超えており、“厄災”の力を封印しても、そもそもの源が完全に消えるわけではない。今は小さく芽吹いているだけで、その育ち方次第では、またしても樹海全体に影響を及ぼすかもしれない。
その若芽を摘み取ろうか、あるいは放置しようか。俺たちには判断できない。下手に干渉すれば、再び森の力を刺激してしまう可能性もあると住職は警告する。結局、俺たちは撮影だけして、その場を立ち去った。何かが再生する予兆を記録に収めることで、今後のドキュメンタリーが「終わりのない物語」であることを示せるはずだ、と不安ながらも思った。
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### 7. ドキュメンタリー完成
帰還後、最後の編集作業が一気に進んだ。撮り貯めた映像、協力者の証言、住職の解説、行方不明者の家族の声、樹海の奥で見つけた赤い芽……。断片を丹念につなげ、音声や字幕を挿入し、夜の祭壇シーンはあえてノイズや破損ファイルのまま流すことで、“リアルな恐怖”を演出するような編集に仕上げた。
そして、公開に踏み切ったのは週末の深夜。YouTubeやニコニコ動画など複数の動画サイトに同時投稿し、SNSでも「【衝撃】樹海の闇バイトと行方不明者の真実」という煽りタイトルでシェアを始める。はじめは数百程度の再生数だったが、一晩明けると「怪しい映像」「ホラー風ドキュメント」として拡散され、想像以上に反響が集まりはじめた。
もちろん「フェイクだろ」「手ブレ酷すぎ」「やらせ乙」「B級ホラー映画か」などのコメントが多数寄せられる。それでも、中には「俺も樹海のバイトを誘われたことがある……」「友人が行方不明になったのがあの場所だった」など、真剣に受け止める声もある。そして行方不明者の家族や遺族にとっては、唯一の“よりどころ”として注目が集まりつつあった。「警察にはあきらめていたが、こうして告発してくれる人がいるのは心強い」と感謝のメッセージを寄せてくれる人もいる。
結果的に、このドキュメンタリーは大手メディアには取り上げられなかったが、ネット上では徐々にバイラル的な注目を集め、最終的には数十万再生に達する。真偽を問う論争がネットコミュニティで繰り広げられ、まとめサイトが特集を組むまでになった。目的としていた「闇バイトへの警戒が広まる」という面では、一定の成果を上げたと言えるかもしれない。
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### 8. エピローグ:散り散りの仲間たち
一方、取材チームは既にバラバラに散っていた。重度のPTSDに苦しむメンバーは、しばらく療養に専念すると言って退職し、別のメンバーは地元を離れ海外で新たなキャリアを模索している。住職は先日の負傷から回復しつつ、寺に籠って地域の人々を支える活動を続けているらしい。闇バイトの残党がどうなったかは分からないが、実質的に組織は崩壊したも同然との噂もある。
俺たちの中にも、それぞれに“この事件からどう立ち直るか”という命題が生まれていた。
- **PTSDを抱えながらも新しい道を歩む者**: 映像関係の仕事からは離れたが、心理学やカウンセリングの分野で再出発しようとしている者がいる。
- **取材活動を続ける者**: 闇バイトの問題だけでなく、社会の隅で泣き寝入りしている人々を取材する仕事に転向した例もある。
- **失われた友人のために祈りを捧げる者**: 行方不明になった仲間の帰りを願う家族を支えたり、定期的に樹海を訪れては供養を行う者もいる。
- **わずかな救いを見出す者**: この出来事を契機に「人は一人では生きられない」と痛感し、結婚や新たな家庭を築く人もいるかもしれない。
いずれにせよ、誰もが傷を抱えている。あの夜、樹海で直面した“異常さ”と“呪い”を、自分の中で整理して消化するにはあまりにも大きすぎるためだ。
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### 9. “呼び声”の余韻
ある晩、俺は深夜の編集室で、再アップロードするための作業をしていた。前回公開した動画の一部をバージョンアップし、追加の証言を入れ込んだ完全版を投稿しようという試みだ。突然、モニターがチラつき、音声ファイルが勝手に再生される現象が起きた。慌てて再生リストを確認するが、そんなファイルは登録されていない。
「バグか?」と首を傾げながら画面を見ると、映し出されたのは樹海の深部、あの祭壇付近の暗い映像。ノイズ交じりで時系列もめちゃくちゃだが、大きく歪んだキノコや赤い印がちらりと写り、中央には人影が佇んでいる。その人影がこちらを振り向いたかと思うと、ノイズが走り、画面が暗転した。
そして、低い囁き声がヘッドフォンを通して聞こえる。「……まだ終わらない……」——背筋に冷たいものが走り、思わず息を呑む。これは一体何なのか。誰がアップロードした? そもそもこの映像はいつ撮影した?
気づけばモニターには何も表示されず、PC上のファイルリストにもその動画の痕跡は見当たらない。幻覚かと思うが、耳に残る囁きはあまりにリアルだ。結局、その夜は眠れなかった。「まだ終わらない……」という言葉が、まるで樹海そのものの声のように、俺の耳にこびりついて離れない。
結末などないのかもしれない。封印はされても禍は残り、森はいつかまた“呼び声”を響かせる。それが明日なのか、数年後なのか、誰にも分からない。——ただ、一つ言えることは、俺たちが撮ったドキュメンタリーはあくまでも“ドアを開ける鍵”に過ぎないということだ。真実を知ろうとする者がいれば、いずれ樹海の深部へ足を踏み入れ、その闇の奥底で新たな犠牲か、あるいは新たな救いを見いだすかもしれない。
モニターの暗転した画面に映り込んだ自分の顔は、ほんの少しやつれ、しかしあの惨劇の夜よりは冷静な光を宿しているようにも見えた。深夜の編集室を出て、薄暗い廊下を歩きながら、心の底でそっと呟く。——あの森の呪いは今も眠っているだけ。そして、俺たちがドキュメンタリーを通じて世に問う真実は、いつか誰かの手で“次”へ継承されるかもしれない、と。
物語はここで幕を下ろす。しかし画面の奥底では、“まだ終わらない……”という呼び声が微かに響き続けているかのようだ。
<了>
