### 1. 生存者の脱出

 血染めの儀が完遂されたとき、東の空がわずかに明るみを帯び始めていた。闇と瘴気が支配していた樹海は、夜明けとともに静まりかえり、まるで何もなかったかのように穏やかな空気が戻りつつある。もっとも、視界には被害の生々しい跡があちこちに残っており、完全に「いつも通りの朝」というわけではない。大地に開いた亀裂、朽ちて倒れ込んだ木々、破壊されたプレハブ、そして儀式の痕跡を示す血のようなシミ。すべてが悪夢の名残のように浮かび上がっていた。

 俺たち取材班は、一夜を通して続いた死闘と恐怖に疲労困憊だった。何人かのメンバーは気力を失い、意識もうろうとする。中には地面に倒れ込んだまま起き上がれない者や、大怪我を負っている者もいた。混乱の中、リーダー格の男は儀式のクライマックスで姿を消し、その配下であった闇バイト組織の一部メンバーも所在不明だ。あるいは森の奥へ逃げたのか、それとも呑み込まれてしまったのか…。

 「とにかく、ここから出なくちゃいけない…」
 朝日の光が差し込み始めると、俺たちは逃げるように森の出口を探した。だが、夜間の混乱で携帯やGPSの電池はほとんど残っておらず、道も崩れた箇所が増えていて移動が難しい。辛うじて立ち上がれた生存者同士が助け合い、傷ついた仲間を支えながら進む。中には行方不明のままの者も多く、名前を呼んでも応答はない。倒木や地割れの陰に埋まっている人もいるかもしれないが、今すぐ捜索する余力はなかった。早急に救助を呼ばねばならない。

 夜明けの光は頼りにはなるが、この樹海は生やさしい相手ではない。元より迷いやすい地形に加え、一部のコンパスや地図情報が機能しなくなっている可能性がある。落ち葉や泥にまみれ、弱音を吐きそうになるメンバーを奮い立たせ、長沼や杉山といった比較的体力の残っている人間が先導役を買って出た。牧野は足を挫いていたが、周囲の手を借りて一歩ずつ前進する。俺も背中に激痛を感じながら、意地でも倒れるわけにはいかないと気力を振り絞った。

 その間、住職は数名の生存者とともに後方をフォローする形でついてくる。彼はまだ昨夜の怪我が癒えておらず、経文を唱えるときの力強さは消えていたが、それでも「慌てずに、呼吸を整えて進みましょう」と優しく声をかけてくれる。その言葉だけが、泥のような疲労に飲み込まれそうになる意識をつなぎ止めてくれていた。

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### 2. 急行するレスキュー隊

 森を抜ける手掛かりとして、プレハブが置かれていたエリアの周辺から林道へ出ようと試みる。そこは昨夜の混乱でひどい有様になっていた。崩れ落ちた小屋、散乱する工具や資材、そして血痕…。あちこちに物音ひとつしない廃墟が転がっているようで、まるで悪夢の残骸だ。

 やがて林道の先に、こちらへ向かうヘリやサイレンの音が微かに聞こえてきた。地元警察や救助隊がようやく捜索を開始したのだろう。夜通し続いた悪天候や、複数箇所で通報が重なったことから、到着が遅れたのかもしれない。いずれにせよ、今は救いの手が伸ばされるのを待つしかない。

 ほどなくして救急車やパトカーが林道の入口まで到着し、警官や救助隊員たちが続々と降り立つのが見えた。中には地元消防団の姿もある。合図の声を上げると、こちらを発見した隊員が駆け寄り、「大丈夫か! 怪我人はどこにいる?」と大声で呼びかける。俺たちは半ば放心状態ながらも、傷ついた人や行方不明者の可能性について必死に説明した。

 「地下施設が崩落しているんです! そっちにも取り残されてる人が……」
 「わかった、我々も道を確保して捜索に向かう。ここで待機してくれ」

 隊員が指示を下し、複数の救急隊が森の奥へと入っていく。その後に到着した警察官も現場確認を始めたが、プレハブや地下施設が部分的に壊れているため、初動捜査はかなり難航する様子がうかがえる。さらに闇バイト組織の主要メンバーと思われる者たちは既に姿を消している。リーダー格がどうなったかなど、こちらの説明をしても警察は「とにかく状況が複雑すぎる」と眉を顰めるばかりで、事件性の認定には慎重な構えを見せていた。

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### 3. 喪失と罪悪感

 現地にレスキューが入ったことで、ようやく応急手当などが受けられるようになった。しかし、満身創痍の取材チームや他の生存者たちに安堵する気持ちはあまりなかった。意識を取り戻した者が発する第一声は「○○がいない」「××は見つかった?」という嘆きだった。誰しもが、行方不明となった仲間や知人を思い浮かべていたのだ。

 実際、この夜を経て二度と帰ってこない人が何人いるかは、まだ把握できていない。ある者は行方不明のまま、ある者は儀式の最中に呑まれるようにして消えたとも聞く。プレハブ周辺にいた新入り作業員たちの中には、最終的に姿が見えなくなった者が何名もおり、確率的には相当の犠牲者が出ているはずだ。警察が後々捜索を進めるだろうが、この森の特性上、全員を確実に発見できる保証はない。

 「結局、森の呪いを完全に解決できたかも分からないまま、こんなに多くの犠牲が出た……俺たちが関わったからこそ、せめてもっと被害を小さくできなかったのか……」
 長沼は手に包帯を巻かれ、うなだれたまま呟く。彼だけでなく、取材チーム全員が似たような後悔と罪悪感を抱えていた。あのリーダー格の男がやっていた生贄のやり方を止められたのは良かった。しかし、その代償として多くの人が失われ、樹海に昔から眠る“厄災”は、果たして本当に鎮められたのか——疑念と虚無感が胸を締めつける。

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### 4. 警察の捜査とメディアの反応

 翌日以降、事件は一応の形で公表され、大規模な遭難・行方不明者が相次ぐ非常事態として報道され始めた。だが、大手メディアの報道は概ね「樹海で違法キャンプや危険行為が行われていた」「土砂崩れによる建物の崩壊」「闇バイト疑惑のある不法就労者がいたかもしれない」といった程度の扱いに留まる。あれだけ壮絶な儀式や怪異現象が起こったのに、どこも本気で触れようとはしない。もともと樹海にまつわるオカルトや自殺、ブラック企業的な闇バイト疑惑などは、ネットの噂止まりで真面目に扱われない風潮が強いのだ。

 警察による現地捜査も、崩落した地下施設や壊れたプレハブをざっと見回した上で、「不法投棄物や違法な建築物の可能性はあるが、事件性を確定するには証拠不十分」と結論づけようとしているように思える。実際、リーダー格や主要メンバーの姿はなく、逮捕した作業員たちから核心を聞き出すのも容易ではないらしい。

 最終的には「大規模な遭難事故」として処理される公算が高い。闇バイトの存在や、血染めの儀を匂わせる話題には「オカルトじみている」「確証がない」と突き返される。取材班が撮影してきた映像も、ノイズや光量不足で肝心な部分がほぼ判別できず、警察やメディアに提出しても“荒い映像で何が何やら分からない”と一蹴される始末だ。

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### 5. 封印の影響

 それから数日後、取材チームの一部は再度、簡易取材の名目で樹海周辺の状況を確認しに行った。あれほどの惨劇があったのに、森は淡々と静寂を取り戻しているかのように見える。地割れや倒木の痕跡はもちろん残っているが、朝夕は鳥のさえずりが聞こえ、風が木々を揺らす音はどこか穏やかだった。

 住職によれば、「ひとまず封印は安定した。ただし完璧ではない。時が経てば、また禍が芽吹く恐れがある」とのことだ。彼は儀式の最中に重傷を負ったが、一命をとりとめ、今は寺に戻って静養しているという。「もし次に何かが起こるときは、今以上に厳しい状況になるかもしれない……」と、住職は低い声で言い残し、私たち取材班に会うときもどこか申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

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### 6. 取材ビデオの検証

 取材班が夜通し撮影した映像は、悲惨としか言いようのないものばかりだったが、その大半はノイズと乱反射、ピントずれの連続で、まともに視聴できる部分はごく一部に限られる。祭壇や儀式の核心を撮ったと思われる映像は、閃光や黒い霧の干渉でひどく歪んでおり、かろうじて人影がうごめく様子と、何か赤黒い液体が噴き出している場面が映っているだけだ。超常現象とも呼べるあの瞬間が画面に残っているのかどうかさえ、専門家でも判断に苦しむレベルである。

 それでも、断片的に映った惨劇は紛れもない事実であり、俺たちがそこにいた証拠にはなる。生存者である闇バイト作業員や新入りたちの証言を重ね合わせれば、少なくとも「森の奥で違法活動があった」「危険な儀式めいた行為が行われていた」という根拠にはなり得るだろう。

 「この映像が、本当に何を意味するのか……オカルト好きの連中に見せても『作り物だろう』って言われるだろうな」
 杉山はパソコンの画面を眺めながら苦笑する。いざ世に出しても、センセーショナルな“怪奇ネタ”で終わってしまうか、あるいはフェイク動画扱いされて逆効果かもしれない。実際に命を懸けて撮影したのに、これではやりきれない。

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### 7. 世間の無理解

 案の定、ネットに部分的な情報をアップロードしてみたところ、「編集でしょ」「心霊番組のやらせか」「低予算ホラー映画みたい」といったコメントが多数寄せられた。中には樹海の場所特定をしようとしたり、現地に“肝試し”がてら侵入する輩さえ現れる始末だ。さらに行方不明者の家族からは「本当のところはどうなんですか?」と問い合わせが殺到するが、俺たちにも詳しい説明はしようがない。

 警察は捜査を続行しているとの公式発表をするが、森の深部をすみずみまで探すには人的にも時間的にも限界がある。先日の大規模捜索で見つかったのは数名の遺体と、いくつかの廃棄物のみ。闇バイトを仕切っていた人間の手掛かりも乏しく、結局は「捜査中断」の方向へ進む公算が高い。事件として立件する決定的な根拠が見つからない以上、メディアも深追いできない。

 行方不明者の家族たちは憤りを募らせる。「息子は絶対に闇バイトに巻き込まれた」「娘が謎の儀式に使われたに違いない」と訴えても、誰も真剣に取り合おうとしないのが現実だ。この国では、超常やオカルトめいた事件は本腰を入れて調査されないまま、噂話として風化するのが常らしい。取材班としても歯がゆさばかりが募る。

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### 8. 心の傷と回復への道

 取材が終わり、しばらく経った頃。俺たち取材班はやはり精神的に深いダメージを負っていた。あの凄惨な光景がフラッシュバックし、夜になると木々のうめきやリーダー格の悲鳴が耳にこびりついて離れない。親しい人が犠牲になったチームメンバーは、PTSDのような症状に悩まされる。仕事を続ける気力を失い、休職や退職を検討する者まで出てきた。

 「もう取材なんてできない。あんな現実を見せつけられたら、怖くて森に近づけないよ……」
 そう漏らす者もいれば、一方で「このまま闇に葬るなんて不条理すぎる。この映像をちゃんと編集して世に問うべきだ」と考える者もいる。意見が分かれるのは当然だった。最終的には、取材班の一部がプロジェクトを離れ、一部は自分なりのやり方で映像をまとめ、公開へ向けて動き出す。

 とはいえ、ネットやインディーズメディアで公表しても反応は冷ややかだろう。物好きが集まって面白がるか、釣りネタ扱いされるか。いずれにせよ真剣に取り合ってくれる人は少ないだろう。それでも、あの惨劇の記録を残すことが、犠牲になった人々や行方不明者への弔いになるのではないかと信じる人もいる。

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### 9. ラストへの布石

 それから数週間後、事態は徐々に沈静化し、世間の関心も薄れていった。警察は森の一部を封鎖したまま捜索を続けるが、めぼしい進展はない。住職は寺に戻り、入院治療を受けながらも、本堂で静かに祈りを捧げているという。俺たち取材班はバラバラに散って、それぞれ日常へ戻る努力をしていた。

 しかし、誰の胸にも「本当にこれで終わったのか?」という問いが残っている。封印は住職とリーダー格の一族によって一時的に完成したように見えたが、完全に解決できたわけではない。古文書や住職の言葉を信じるならば、“厄災”は今は眠りについただけで、再び目覚める可能性があるのだ。あるいは今回の混乱で“厄災”の力はより強まっているかもしれない。

 そんな予感を裏付けるように、俺は時折、夢の中で森の声を聞く。眠りに落ちると、霧深い樹海の奥で赤黒い影が手招きし、「戻ってこい……ここはまだ終わらぬ……」と囁くのだ。それが単なるトラウマなのか、あるいは樹海からの再呼び声なのか、自分でも分からない。ただ一つ確信めいたものがあるとすれば、“森”はいつでも人間の都合などお構いなしに生き続けており、その奥には人智を超えた何かがずっと蠢いているのだということ——。

 「いつか、別の形で蘇るかもしれない。もしそうなれば、また誰かが立ち向かわねばならない……」
 最後に住職が言い残した意味深な言葉が耳にこびりつく。そのとき再び血染めの儀が行われるのか、あるいは別の手段が見つかるのか——そんなことは誰にも分からない。今はただ、今夜の惨劇を乗り越え、失われた人々を悼み、傷を抱えたまま日常へ帰還するしかなかった。

 だが、次の夜が訪れるとき、樹海の闇は変わらずそこに息づいている。どんな結末を迎えても、この大地に刻まれた呪いの爪痕がそう簡単に消えるはずもないのだ。俺たち取材班は、最後に一度だけ現地の森を振り返り、心のなかで静かに祈った。
 “さようなら、そして……いつかまた”

 物語は、こうして次の章へと繋がる。血と闇が静まった後にも、微かな不安の種は残ったまま。人々はそれぞれの道へ散っていき、生き残った者は心の傷を抱えながらも前を向く努力をする——果たして、この地に眠る禍が本当に終わりを迎えたのか、それとも新たな形で再来するのか。すべては読み手の想像に委ねられながら、**第8章**は幕を下ろす。