深夜の樹海で仲間たちとはぐれてから、どれほど経ったのか。体感時間では数十分のようにも、あるいは数時間のようにも思える。視界を白濁させる霧は一向に晴れず、周囲からは不気味な足音と木々の軋む音が絶え間なく耳に入ってくる。反響で方向感覚すらおかしくなり、どちらを向いても同じような樹木のシルエットが闇の中に伸びていた。俺は何度も杉山、牧野、長沼の名を呼んだが、返事はない。通信機はザーッという雑音だけを発し、緊急用のGPS端末も狂った針を示している。まさに一寸先が闇——それが、いまの俺の置かれた状況だった。
足元に意識を集中して進んでいると、急に地面が傾斜しており、苔の生えた岩を踏み外しそうになる。危うく転びかけて踏ん張ると、その拍子に手のひらを地面の枝に引っかけ、鈍い痛みが走った。わずかに血がにじむのを感じ、思わずうめき声が漏れる。森の闇がじわじわと侵入し、苛立ちと焦燥で頭がいっぱいになる。
どこかに出口があるはずだ。けれど無作為に歩き回っても同じ場所をぐるぐる回るだけかもしれない。そう思いながら木に手をついて身体を起こすと、わずかな人の気配を感じた。耳を澄ませば、遠くで低い笑い声のようなものが混ざっている気がする。あるいは金属を叩くようなカンカンという音もかすかに聞こえてくる。夜の樹海は常識外れの静けさに満ちているはずなのに、そのときだけは、たしかに人為的な“作業”の音が響いていた。
闇バイトの連中か、それとも別の誰かがいるのか——分からないが、少なくとも人間の気配があるならチャンスかもしれない。危険は承知のうえで、俺はそちらへ足を向けることにした。これ以上ひとりで迷っていては、遭難死する可能性も高いだろう。覚悟を決めて木々の影を慎重に辿っていくと、やがて崩れかけたコンクリート壁が視界に入ってきた。どうやら以前にも潜り込んだ地下施設——戦時中の研究所跡らしき場所だ。あちこちにヒビの入った壁面の奥から、かすかなランタンの灯りが漏れている。誰かが内部で作業しているらしく、複数の声が混じり合って聞こえた。
心臓がバクバクと高鳴る。第3章までの取材で、この地下施設が“菌”や“儀式”にまつわる重要な拠点だと睨んでいたが、まさかこのタイミングで遭遇するとは思わなかった。俺はなるべく足音を殺しつつ、半壊した入り口の付近まで近づき、息を潜めて耳を澄ませる。すると、「早くしろ」「こっちはもう空っぽだ」などという声が聞き取れた。男たちが何かの運搬作業を急いでいるようだ。
そのままこっそり覗き込むと、見慣れた背中が目に飛び込んできた。リーダー格の中年男だ。あのゴツい作業服を着こなし、鋭い目つきをしたまま、仲間たちに指示を出している。彼らの手には長いスチール棒や工具が握られ、崩落した壁をこじ開けながら廃棄物を確認している様子だ。何のためにこんな深夜に活動しているのか。やはり、菌や薬品などを探しているのだろうか。それとも儀式に使う何か……。
そんなふうに様子を見ていると、男の背後に捉えられている人物がちらりと目に入った。手足を縛られ、口を塞がれて床に座り込んでいる若者がいる。それは、**長沼**だった。悲痛な表情でこちらを見ているようだが、声を出せないのか、あるいは気力がないのか、ただ震える眼差しを向けるばかりだ。どうやらリーダー格の男たちに捕まっているらしい。周囲には他にも数名、拘束された人間が見える。もしかしたら闇バイトの新入りか、あるいは失踪者たちかもしれない。
俺は瞬時に判断した。ここで下手に飛び出しても、相手は複数、しかも武器を持っている。正面から助け出すのは無謀すぎる。まずは状況をもう少し把握する必要があるし、何より味方がどこにいるのか分からない。杉山も牧野も行方不明のままだ。下手に突撃して返り討ちに遭うのだけは避けたい。そこで、俺は周囲を回り込むようにして、別の崩落口を探すことにした。
壁に穴が空いた箇所を何とか乗り越え、薄暗いコンクリートの通路に入る。懐中電灯を点けると危険なので、スマホの画面照度を最低限まで落としたうえで足元を照らしながら進んだ。地面には腐った木材やシャフトの破片が散乱し、軽く踏むだけでバキバキと音がする。何とか音を立てないように細心の注意を払うが、いつリーダーたちがこちらを見に来るか分からず、冷や汗で背中が湿っていくのを感じた。
---
### 1. 分断されたメンバー:捕らえられた仲間、迷い込む主人公
先ほど見えた長沼やその他の拘束者たちは、どうやら別の部屋に移送される模様だった。リーダー格が「儀式に間に合わなくなる」と苛立ち混じりの声を上げ、仲間に「手早く連れて行け」と命令している。儀式——やはり何か企んでいる。しかも、深夜の研究所にわざわざ人質を集めるとなると、ろくなことではないだろう。俺は息を呑みながら通路の角に身を隠し、連中の足音が遠のくのを待った。
カツン、カツン、というブーツの音が消えたころを見計らって、俺は別の通路へ踏み込む。少し下り勾配になっているここは、以前潜入した際には塞がれていたはずだ。最近の地震か何かで崩れ、通れるようになったのかもしれない。すると、薄い水溜まりのようなところを越えた先に、格子状の鉄扉が見える。錆びついているが、鍵はかかっていない。そっと扉を引くと、ギイィと嫌な音を立てて開いた。
その先には階段があり、コンクリ壁の向こうに新たな地下階層が広がっているようだ。ほのかに漂うカビ臭と薬品の混ざったような刺激臭が、俺の鼻孔を突き刺した。思わず咳き込みそうになるのを堪え、慎重に階段を下りていくと、地下空間は思いのほか広いらしい。通路が何本にも分岐し、それぞれに錆びた看板やラベルがかかっているが、文字はほとんど読めない。かろうじて「検体処理室」や「菌株保存室」といった単語がかすれ残っていた。
---
### 2. 地下階層での発見:軍事利用のための“ある菌”
先へ進むうちに、ある部屋の扉が半開きになっており、中から古びた棚や書類が見えるのに気づいた。部屋を覗くと、どうやら研究者のオフィスだったと思しき場所で、机や椅子は崩壊寸前ながら当時のままのレイアウトを保っている。ところどころカビや菌糸が広がり、紙類は湿気でボロボロだが、中にはまだ読めそうな資料があるかもしれない。俺は急ぎ足で机の上のファイルを漁った。
日本語と英語が混在した手書きの書類を見つけた。そこには「菌改良計画」「感染実験」「軍事転用の可能性」といった物騒なキーワードが並ぶ。特に目を引いたのは、「樹海の土壌から採取された特殊菌の株」という一文だ。大量生産を目的にし、人体への投与実験まで行われていたらしい。**第3章**でも怪しい軍事研究の存在を感じたが、ここまで露骨に書かれているとは……。続けてファイルをめくると、被検体の死亡率や発狂率といった記述が躍り、背筋が凍る想いがした。
更に奥には、映像フィルムが収められているキャビネットがある。何十年も放置されたのか、ホコリにまみれてはいるが、ラベルを見る限り「研究成果記録」とか「人体実験資料」といった衝撃的なタイトルが書かれている。ここまで来ると単なる“兵器開発”の枠を超え、ほとんど狂気の領域だ。もしこれらが事実なら、この施設で“ある菌”を用いた恐るべき研究が行われていたことになる。
---
### 3. 古文書と祭具:戦前からの儀式道具が眠る
その部屋をさらに探索すると、壁際に木箱が積まれているのが見えた。箱の蓋には古い日本語で「祭具——要注意」と書かれており、どうやら研究対象として保管されていた形跡がある。恐る恐る蓋を開けてみると、中には黒ずんだ金属の鈴や、奇妙な形状の刃物、さらにぼろぼろになった巻物のようなものが詰まっていた。いずれも儀式的なオーラを放っており、使い込まれた痕跡が感じられる。触れるだけで手が震えるほど、不気味な雰囲気が漂っている。
その中に、一際目立つ古文書の束があった。開いてみると和紙が黄ばんでおり、筆書きの文字が年代をうかがわせる。断片的な記述から察するに、どうやら**樹海に封じられた“厄災”を鎮めるための祭祀**に関する由緒書らしい。そこには古い言葉で「定期的なる生贄を捧げよ」「人柱を捧げ、森の中心にある封印を強固にせよ」といった血生臭い文言が何度も出てくる。戦前の研究者たちは、科学の力でこの封印を“再現”あるいは“増幅”しようとしたが、最終的には実験が失敗して施設が放棄された——そんな経緯が推測できた。
封印を保たないと森の“厄災”が蘇る、一方でその“厄災”の力を菌研究や軍事に転用すれば強大な兵器になり得る——そんな狂った野心が交錯した結果、ここで壮絶な人体実験や儀式が行われ、やがて統制不能になったのだろう。
---
### 4. 異界への扉:研究者たちの実験失敗と暴走の痕跡
続きを読もうとしたとき、突然ガタガタという振動が伝わってきた。どうやら上の階層で何かが倒れたのか、あるいは崩落が起きたのか。すぐにリーダー格の声が響き渡り、「おい、こっちだ!」といった怒鳴り声がこだまする。まずい、時間がない。ここで見つかったら俺も拘束される可能性が高い。とはいえ、古文書やフィルムは是が非でも持ち帰りたい証拠の山だ。しばし葛藤したが、ひとまず資料はスマホで撮影だけしておき、原本を抱え込むのは難しいと判断した。
背後の通路から人の気配を感じ、俺は咄嗟に箱をそっと元通りに閉じ、部屋の隅に隠れた。ドアの外を誰かが通り過ぎる足音がするが、どうやら中には入ってこないようだ。ホッと胸をなで下ろすと同時に、次の行動を考える。何としても仲間を助け出さなければいけないし、もう一つの重要な問題——“この施設で行われようとしている儀式”を食い止めないと、さらなる悲劇が起こるだろう。
---
### 5. 一方、その頃プレハブでは:生贄として選ばれる仲間
場面変わって、プレハブ周辺——そこでは**牧野**が捕らえられていた。彼女は樹海を逃げ惑ううち、闇バイトの見張り役が配置された監視スポットに近づいてしまい、あえなく確保されてしまったのだ。マスクをした作業員たちは無造作に彼女をプレハブ内へ連行し、武器をちらつかせて逆らえないようにしている。
そこには同じく新入りの若者らしき男女も数人おり、皆一様に怯えた表情でうずくまっている。リーダー格がいないため、代わりに中堅らしき作業員が取り仕切り、「今夜は大事な儀式だ。お前らには死んでもらうかもしれんぞ?」などと嘲笑めいた言葉を投げつける。誰もが悲鳴を上げ、泣き崩れる者もいるが、作業員たちは聞く耳を持たない。むしろ「犠牲が必要だ」と口々に言い、まるで既に洗脳されたかのように冷徹だ。
牧野は必死に抵抗して「取材しているだけだ、逃がしてくれ」と訴えるが、作業員は鼻で笑いながら「ジャーナリスト気取りか? ならこの闇を暴いてみろよ。もっとも、お前が生きて帰れればの話だがな」と蔑む。どうやら彼らの目的は、失踪者という形で“生贄”を捧げ、森の封印を保とうとしているらしい。いや、そこには別の思惑も混じっているのかもしれない。いずれにせよ、逆らえば即処分される——そんな絶望的な空気が漂う。
---
### 6. 樹海の声:囁きが理性を蝕む
捕らえられている牧野の耳にも、幻の声が囁くようになっていた。「ここに留まれ……すべて捧げよ……」。それは自分の心の内面から湧くようでもあり、森から直接語りかけられているようでもある。不思議と、その声に安堵を覚える瞬間があるのだ。まるで疲れ果てた心を包み込み、すべてを投げ出せば楽になると言わんばかり。
牧野は必死に目をつむり、声を振り払おうとする。俺たち取材班がこれまで解き明かしてきた闇の正体——それがまさに今、自分の理性を侵食しようとしているのだろうか。いつの間にか自分でも何が本当で何が幻か分からなくなり、意識がぼんやりと遠のきかける。だが、遠くから誰かの叫び声が響いた。“もう少し……耐えなきゃ……!”と、牧野はかろうじて思いとどまった。
---
### 7. 失踪者たちの運命:記録映像に映る惨劇
一方、俺は先ほどの研究所の部屋からさらに奥へ進み、施錠された扉を見つけた。そこには「映像保管庫」とかすれた英語で書かれている。錆びた取っ手を強引に回すと、ラッチが外れて扉が開いた。中は狭い小部屋になっており、フィルムや資料がラックにびっしりと詰め込まれている。先ほど撮影したファイルよりも、こちらのほうが直接的な証拠になりそうだ。
明かりも乏しいまま、俺は懐中電灯を頼りにフィルム缶を片っ端から手に取ってラベルを読み込む。すると「昭和○○年 人体実験映像」「昭和○○年 二次儀式 記録」など、おぞましいタイトルが並んでいるではないか。あまりの恐怖に手が震えるが、ここで引き返すわけにはいかない。
そのうち比較的新しそうなラベルに目がとまった。「平成○○年 廃棄予定」。平成ということは、戦時中どころか現代寄りの時代に撮られた映像ということだ。ひょっとすると、ここで何十年にもわたって儀式が続けられ、行方不明になった人々の“末路”が収録されているのかもしれない……。荒い息をつきながら、何本かのフィルムをバッグに詰め込み、デジタルで撮影しようとスマホを構えたそのとき、背後から足音が迫ってきた。
「誰だ!? そこにいるのは!」
――まずい。リーダー格とは違う男の声だ。警戒されているのは間違いない。カツカツという足音が近づくにつれ、心臓が一気に冷たくなる。俺はラックの陰に隠れ、息を止めた。男は部屋の前まで来てドアを開け、懐中電灯をぐるりと照らしているが、俺の姿はラックでぎりぎり死角になっているようだ。
「ここは鍵が開いているじゃないか……くそ、また誰か入ったのか?」
そう呟くと、男は扉をもう一度閉め、外から鍵をかける音が聞こえた。これで部屋は再び施錠されてしまった形だ。つまり俺は、中から出られなくなったということ……。やってしまった。完全に閉じ込められたという絶望感が込み上げる。だが、一方でフィルムと資料の山が目の前にあるわけで、これ以上ないほどの証拠を掴むチャンスでもある。
---
### 8. 救出劇の始まり:合流し、プレハブへの突入
その頃、別行動をしていた**杉山**は偶然にも**長沼**と鉢合わせしていた。長沼はリーダー格に捕らえられていたものの、別の作業員が不注意で縄をしっかり結ばなかったため、隙を突いて逃げ出すことに成功。杉山は森を彷徨った末に、地下施設の裏口付近で長沼と遭遇したのだ。互いに生存を確認し、近くにいた作業員を警戒しつつ、情報交換を行う。すると、長沼が「俺たちの仲間もプレハブに連れて行かれた可能性がある」と訴える。
杉山と長沼は、まずは牧野の救出を最優先と判断し、再び地上へ戻ることにした。地下施設が広すぎるうえ、リーダー格の男たちがうろついている今は、下手に動けば危険が増す。いったん外へ出て、プレハブ周辺で機を伺うのが得策だろう。できれば俺や他の捕まった人々もまとめて助けたいが、情報が乏しくて動きづらい。
地上に出た二人が樹海の木立を巧みに縫ってプレハブへ近づくと、案の定、闇バイト作業員たちが慌ただしく動いている。何やらトラックに積み込む作業を急いでいるようだが、それと同時に隣のプレハブから悲鳴が微かに聞こえる。杉山と長沼は互いを見つめ合い、決死の覚悟でプレハブに突入した。
扉を一気に開けると、中には縛られた牧野や新入りたちが何人も押し込められ、作業員がその見張りをしていた。作業員は突然の乱入に驚き、武器を構えようとするが、長沼が素早く身を低くしてタックルをかまし、杉山が背後から作業員の腕をひねり上げる。予想外の抵抗に面食らったのか、作業員はあっさり意識を失った。
「牧野! 大丈夫か!」
駆け寄った杉山が縄をほどき、牧野を抱き起こす。彼女はまだ呆然とした表情だが、意識はある。とにかく全員をここから脱出させようと、長沼が残りの新入りたちの拘束も解く。恐怖で泣いている者もいれば、怒りに震えている者もいるが、そんな中で牧野はハッと息をのみ、弱々しくも声を震わせる。
「……ありがとう。でも、たぶん……儀式が、始まる……。このままじゃみんな犠牲に……」
そう、リーダー格がいないこの場でさえ、何か大きな動きが起きつつあるのは明らかだ。今ここにいる作業員たちは下っ端に過ぎない。リーダーや古参のメンバーは、きっと森か地下施設のさらに奥で邪悪な儀式を進めているのだろう。長沼が歯ぎしりをしながら、「俺たちだけじゃ無理だ、でも何とかしないと……」と呟く。そのとき、プレハブの窓がビリビリと振動した。
---
### 9. 最奥への扉が開く:封印と結界の崩壊が始まる
轟音のような振動が森全体に響きわたる。地鳴りとも呼べるほどの重低音がどこからともなく鳴り、プレハブの壁がギシギシと軋む。杉山が慌てて外を見ると、遠くの木々がまるで逆風に揺れるかのように一斉に唸り声を上げている。地面からも底知れぬ重圧が伝わり、まるで何か巨大な“存在”が地中から浮上しつつあるようだった。
同時に、空気がひどく濃密になり、視界の端で不気味な影が踊る。樹海の闇が具現化したかのように、黒い霧が渦を巻いているのが分かる。作業員たちの悲鳴が遠くから聞こえ、「封印が……封印が開くぞ!」と叫ぶ声も混じっている。
――封印が開く? つまり、先ほど古文書で読んだ“厄災”が外に放たれようとしているのか。戦前の研究者たちが、科学の力で強化しようとして失敗した結界は、今、闇バイトの儀式によってどんな形で暴走しているのか。
リーダー格の男がいずこからか姿を見せ、怒号が響く。「早く儀式を完遂しろ! このままだと全部台無しだ!」。そう言いながら、彼は血走った目で周囲を睥睨し、怯える作業員たちを強引に引き連れていく。彼の狙いは何なのか。封印を守るための生贄を捧げようとしているのか、それとも封印を崩壊させて、厄災の力を完全に掌握したいのか。いずれにせよ、森は既に常軌を逸した振動と不気味な咆哮を上げ始めている。
その“咆哮”は、まるで人間の耳には収まらない周波数を含むような轟きで、空気をビリビリと震わせ、頭蓋骨にダイレクトに訴えかけるようだった。耳を塞いでも防げず、肺の奥底まで振動が染み渡ってくる。新入りたちや牧野は身体を丸め、泣き声と悲鳴を上げる。杉山と長沼も膝をつき、何とか意識を保とうと必死だ。
「まずい……これ、どうなってるんだ……」
杉山がかすれ声で呟き、天を仰ぐ。空には渦巻く雲のようなものが広がり、樹海一帯を不気味な暗紫色に染めているように見えた。遠くから落雷のような閃光が走り、地面が微かに揺れる。まさに自然災害を超えた超常的な現象が樹海全体を包み込みつつあるのだ。
このとき、誰一人として知る由もなかったが、**俺**が地下の保管庫に閉じ込められたままフィルムを手にしていることが、やがて大きな鍵となる。そこに収録された儀式の手順、研究者たちの失敗記録——それらが“厄災”を封印するためのヒントになるかもしれないのだ。しかし、今はただ、プレハブの周囲で混乱に巻き込まれ、悲鳴と怒号、そして闇の咆哮が交錯する最中、仲間たちが何とか再会し、行動を起こせるきっかけを探している段階だった。
森の震動はさらに強まり、地面が割れるような音さえ響く。視界の端には、禍々しい紋様が浮かび上がり、木々の表面に古来の文字らしき記号が次々と滲んでは消える。封印が解き放たれるとき、いったい何が起こるのか。誰が生き残れるのか。異界からの咆哮に呼応するかのように、樹海の中心部で何かが動き始めているのを、杉山と長沼、そして牧野は無意識に感じ取っていた。
“最奥の扉”が開く——それは、この森を護ってきた結界の最後の砦が崩れ去る合図でもあった。人ならざる者が潜む闇の空間が、ついに地上へその姿を現そうとしている。ここまでメンバーを引き裂き、多くの失踪者を呑み込んできた樹海の“厄災”は、真の覚醒を迎えるのか。
こうして、第5章は災厄の最高潮へ向けて一気に駆け上がる形で終幕する。地下施設での発見と古文書、祭具から見えてきた戦前の研究者たちの狂気。そしてプレハブで行われる現代の闇バイト勢力の儀式。それらが交差したとき、樹海に潜む“厄災”が封印を破り、暴走を始めるのだ。
次なる章では、取材班が再び合流し、絶望的な事態の中で最後の抵抗を試みるのか、それとも封印を完全に断ち切る術はあるのか。生贄となるのは誰か——そして森の奥深くに開かれた“異界への扉”の向こうで、人ならざるモノが咆哮を上げている。死と狂気の瀬戸際で、俺たちが見るものは一体何なのか……。
足元に意識を集中して進んでいると、急に地面が傾斜しており、苔の生えた岩を踏み外しそうになる。危うく転びかけて踏ん張ると、その拍子に手のひらを地面の枝に引っかけ、鈍い痛みが走った。わずかに血がにじむのを感じ、思わずうめき声が漏れる。森の闇がじわじわと侵入し、苛立ちと焦燥で頭がいっぱいになる。
どこかに出口があるはずだ。けれど無作為に歩き回っても同じ場所をぐるぐる回るだけかもしれない。そう思いながら木に手をついて身体を起こすと、わずかな人の気配を感じた。耳を澄ませば、遠くで低い笑い声のようなものが混ざっている気がする。あるいは金属を叩くようなカンカンという音もかすかに聞こえてくる。夜の樹海は常識外れの静けさに満ちているはずなのに、そのときだけは、たしかに人為的な“作業”の音が響いていた。
闇バイトの連中か、それとも別の誰かがいるのか——分からないが、少なくとも人間の気配があるならチャンスかもしれない。危険は承知のうえで、俺はそちらへ足を向けることにした。これ以上ひとりで迷っていては、遭難死する可能性も高いだろう。覚悟を決めて木々の影を慎重に辿っていくと、やがて崩れかけたコンクリート壁が視界に入ってきた。どうやら以前にも潜り込んだ地下施設——戦時中の研究所跡らしき場所だ。あちこちにヒビの入った壁面の奥から、かすかなランタンの灯りが漏れている。誰かが内部で作業しているらしく、複数の声が混じり合って聞こえた。
心臓がバクバクと高鳴る。第3章までの取材で、この地下施設が“菌”や“儀式”にまつわる重要な拠点だと睨んでいたが、まさかこのタイミングで遭遇するとは思わなかった。俺はなるべく足音を殺しつつ、半壊した入り口の付近まで近づき、息を潜めて耳を澄ませる。すると、「早くしろ」「こっちはもう空っぽだ」などという声が聞き取れた。男たちが何かの運搬作業を急いでいるようだ。
そのままこっそり覗き込むと、見慣れた背中が目に飛び込んできた。リーダー格の中年男だ。あのゴツい作業服を着こなし、鋭い目つきをしたまま、仲間たちに指示を出している。彼らの手には長いスチール棒や工具が握られ、崩落した壁をこじ開けながら廃棄物を確認している様子だ。何のためにこんな深夜に活動しているのか。やはり、菌や薬品などを探しているのだろうか。それとも儀式に使う何か……。
そんなふうに様子を見ていると、男の背後に捉えられている人物がちらりと目に入った。手足を縛られ、口を塞がれて床に座り込んでいる若者がいる。それは、**長沼**だった。悲痛な表情でこちらを見ているようだが、声を出せないのか、あるいは気力がないのか、ただ震える眼差しを向けるばかりだ。どうやらリーダー格の男たちに捕まっているらしい。周囲には他にも数名、拘束された人間が見える。もしかしたら闇バイトの新入りか、あるいは失踪者たちかもしれない。
俺は瞬時に判断した。ここで下手に飛び出しても、相手は複数、しかも武器を持っている。正面から助け出すのは無謀すぎる。まずは状況をもう少し把握する必要があるし、何より味方がどこにいるのか分からない。杉山も牧野も行方不明のままだ。下手に突撃して返り討ちに遭うのだけは避けたい。そこで、俺は周囲を回り込むようにして、別の崩落口を探すことにした。
壁に穴が空いた箇所を何とか乗り越え、薄暗いコンクリートの通路に入る。懐中電灯を点けると危険なので、スマホの画面照度を最低限まで落としたうえで足元を照らしながら進んだ。地面には腐った木材やシャフトの破片が散乱し、軽く踏むだけでバキバキと音がする。何とか音を立てないように細心の注意を払うが、いつリーダーたちがこちらを見に来るか分からず、冷や汗で背中が湿っていくのを感じた。
---
### 1. 分断されたメンバー:捕らえられた仲間、迷い込む主人公
先ほど見えた長沼やその他の拘束者たちは、どうやら別の部屋に移送される模様だった。リーダー格が「儀式に間に合わなくなる」と苛立ち混じりの声を上げ、仲間に「手早く連れて行け」と命令している。儀式——やはり何か企んでいる。しかも、深夜の研究所にわざわざ人質を集めるとなると、ろくなことではないだろう。俺は息を呑みながら通路の角に身を隠し、連中の足音が遠のくのを待った。
カツン、カツン、というブーツの音が消えたころを見計らって、俺は別の通路へ踏み込む。少し下り勾配になっているここは、以前潜入した際には塞がれていたはずだ。最近の地震か何かで崩れ、通れるようになったのかもしれない。すると、薄い水溜まりのようなところを越えた先に、格子状の鉄扉が見える。錆びついているが、鍵はかかっていない。そっと扉を引くと、ギイィと嫌な音を立てて開いた。
その先には階段があり、コンクリ壁の向こうに新たな地下階層が広がっているようだ。ほのかに漂うカビ臭と薬品の混ざったような刺激臭が、俺の鼻孔を突き刺した。思わず咳き込みそうになるのを堪え、慎重に階段を下りていくと、地下空間は思いのほか広いらしい。通路が何本にも分岐し、それぞれに錆びた看板やラベルがかかっているが、文字はほとんど読めない。かろうじて「検体処理室」や「菌株保存室」といった単語がかすれ残っていた。
---
### 2. 地下階層での発見:軍事利用のための“ある菌”
先へ進むうちに、ある部屋の扉が半開きになっており、中から古びた棚や書類が見えるのに気づいた。部屋を覗くと、どうやら研究者のオフィスだったと思しき場所で、机や椅子は崩壊寸前ながら当時のままのレイアウトを保っている。ところどころカビや菌糸が広がり、紙類は湿気でボロボロだが、中にはまだ読めそうな資料があるかもしれない。俺は急ぎ足で机の上のファイルを漁った。
日本語と英語が混在した手書きの書類を見つけた。そこには「菌改良計画」「感染実験」「軍事転用の可能性」といった物騒なキーワードが並ぶ。特に目を引いたのは、「樹海の土壌から採取された特殊菌の株」という一文だ。大量生産を目的にし、人体への投与実験まで行われていたらしい。**第3章**でも怪しい軍事研究の存在を感じたが、ここまで露骨に書かれているとは……。続けてファイルをめくると、被検体の死亡率や発狂率といった記述が躍り、背筋が凍る想いがした。
更に奥には、映像フィルムが収められているキャビネットがある。何十年も放置されたのか、ホコリにまみれてはいるが、ラベルを見る限り「研究成果記録」とか「人体実験資料」といった衝撃的なタイトルが書かれている。ここまで来ると単なる“兵器開発”の枠を超え、ほとんど狂気の領域だ。もしこれらが事実なら、この施設で“ある菌”を用いた恐るべき研究が行われていたことになる。
---
### 3. 古文書と祭具:戦前からの儀式道具が眠る
その部屋をさらに探索すると、壁際に木箱が積まれているのが見えた。箱の蓋には古い日本語で「祭具——要注意」と書かれており、どうやら研究対象として保管されていた形跡がある。恐る恐る蓋を開けてみると、中には黒ずんだ金属の鈴や、奇妙な形状の刃物、さらにぼろぼろになった巻物のようなものが詰まっていた。いずれも儀式的なオーラを放っており、使い込まれた痕跡が感じられる。触れるだけで手が震えるほど、不気味な雰囲気が漂っている。
その中に、一際目立つ古文書の束があった。開いてみると和紙が黄ばんでおり、筆書きの文字が年代をうかがわせる。断片的な記述から察するに、どうやら**樹海に封じられた“厄災”を鎮めるための祭祀**に関する由緒書らしい。そこには古い言葉で「定期的なる生贄を捧げよ」「人柱を捧げ、森の中心にある封印を強固にせよ」といった血生臭い文言が何度も出てくる。戦前の研究者たちは、科学の力でこの封印を“再現”あるいは“増幅”しようとしたが、最終的には実験が失敗して施設が放棄された——そんな経緯が推測できた。
封印を保たないと森の“厄災”が蘇る、一方でその“厄災”の力を菌研究や軍事に転用すれば強大な兵器になり得る——そんな狂った野心が交錯した結果、ここで壮絶な人体実験や儀式が行われ、やがて統制不能になったのだろう。
---
### 4. 異界への扉:研究者たちの実験失敗と暴走の痕跡
続きを読もうとしたとき、突然ガタガタという振動が伝わってきた。どうやら上の階層で何かが倒れたのか、あるいは崩落が起きたのか。すぐにリーダー格の声が響き渡り、「おい、こっちだ!」といった怒鳴り声がこだまする。まずい、時間がない。ここで見つかったら俺も拘束される可能性が高い。とはいえ、古文書やフィルムは是が非でも持ち帰りたい証拠の山だ。しばし葛藤したが、ひとまず資料はスマホで撮影だけしておき、原本を抱え込むのは難しいと判断した。
背後の通路から人の気配を感じ、俺は咄嗟に箱をそっと元通りに閉じ、部屋の隅に隠れた。ドアの外を誰かが通り過ぎる足音がするが、どうやら中には入ってこないようだ。ホッと胸をなで下ろすと同時に、次の行動を考える。何としても仲間を助け出さなければいけないし、もう一つの重要な問題——“この施設で行われようとしている儀式”を食い止めないと、さらなる悲劇が起こるだろう。
---
### 5. 一方、その頃プレハブでは:生贄として選ばれる仲間
場面変わって、プレハブ周辺——そこでは**牧野**が捕らえられていた。彼女は樹海を逃げ惑ううち、闇バイトの見張り役が配置された監視スポットに近づいてしまい、あえなく確保されてしまったのだ。マスクをした作業員たちは無造作に彼女をプレハブ内へ連行し、武器をちらつかせて逆らえないようにしている。
そこには同じく新入りの若者らしき男女も数人おり、皆一様に怯えた表情でうずくまっている。リーダー格がいないため、代わりに中堅らしき作業員が取り仕切り、「今夜は大事な儀式だ。お前らには死んでもらうかもしれんぞ?」などと嘲笑めいた言葉を投げつける。誰もが悲鳴を上げ、泣き崩れる者もいるが、作業員たちは聞く耳を持たない。むしろ「犠牲が必要だ」と口々に言い、まるで既に洗脳されたかのように冷徹だ。
牧野は必死に抵抗して「取材しているだけだ、逃がしてくれ」と訴えるが、作業員は鼻で笑いながら「ジャーナリスト気取りか? ならこの闇を暴いてみろよ。もっとも、お前が生きて帰れればの話だがな」と蔑む。どうやら彼らの目的は、失踪者という形で“生贄”を捧げ、森の封印を保とうとしているらしい。いや、そこには別の思惑も混じっているのかもしれない。いずれにせよ、逆らえば即処分される——そんな絶望的な空気が漂う。
---
### 6. 樹海の声:囁きが理性を蝕む
捕らえられている牧野の耳にも、幻の声が囁くようになっていた。「ここに留まれ……すべて捧げよ……」。それは自分の心の内面から湧くようでもあり、森から直接語りかけられているようでもある。不思議と、その声に安堵を覚える瞬間があるのだ。まるで疲れ果てた心を包み込み、すべてを投げ出せば楽になると言わんばかり。
牧野は必死に目をつむり、声を振り払おうとする。俺たち取材班がこれまで解き明かしてきた闇の正体——それがまさに今、自分の理性を侵食しようとしているのだろうか。いつの間にか自分でも何が本当で何が幻か分からなくなり、意識がぼんやりと遠のきかける。だが、遠くから誰かの叫び声が響いた。“もう少し……耐えなきゃ……!”と、牧野はかろうじて思いとどまった。
---
### 7. 失踪者たちの運命:記録映像に映る惨劇
一方、俺は先ほどの研究所の部屋からさらに奥へ進み、施錠された扉を見つけた。そこには「映像保管庫」とかすれた英語で書かれている。錆びた取っ手を強引に回すと、ラッチが外れて扉が開いた。中は狭い小部屋になっており、フィルムや資料がラックにびっしりと詰め込まれている。先ほど撮影したファイルよりも、こちらのほうが直接的な証拠になりそうだ。
明かりも乏しいまま、俺は懐中電灯を頼りにフィルム缶を片っ端から手に取ってラベルを読み込む。すると「昭和○○年 人体実験映像」「昭和○○年 二次儀式 記録」など、おぞましいタイトルが並んでいるではないか。あまりの恐怖に手が震えるが、ここで引き返すわけにはいかない。
そのうち比較的新しそうなラベルに目がとまった。「平成○○年 廃棄予定」。平成ということは、戦時中どころか現代寄りの時代に撮られた映像ということだ。ひょっとすると、ここで何十年にもわたって儀式が続けられ、行方不明になった人々の“末路”が収録されているのかもしれない……。荒い息をつきながら、何本かのフィルムをバッグに詰め込み、デジタルで撮影しようとスマホを構えたそのとき、背後から足音が迫ってきた。
「誰だ!? そこにいるのは!」
――まずい。リーダー格とは違う男の声だ。警戒されているのは間違いない。カツカツという足音が近づくにつれ、心臓が一気に冷たくなる。俺はラックの陰に隠れ、息を止めた。男は部屋の前まで来てドアを開け、懐中電灯をぐるりと照らしているが、俺の姿はラックでぎりぎり死角になっているようだ。
「ここは鍵が開いているじゃないか……くそ、また誰か入ったのか?」
そう呟くと、男は扉をもう一度閉め、外から鍵をかける音が聞こえた。これで部屋は再び施錠されてしまった形だ。つまり俺は、中から出られなくなったということ……。やってしまった。完全に閉じ込められたという絶望感が込み上げる。だが、一方でフィルムと資料の山が目の前にあるわけで、これ以上ないほどの証拠を掴むチャンスでもある。
---
### 8. 救出劇の始まり:合流し、プレハブへの突入
その頃、別行動をしていた**杉山**は偶然にも**長沼**と鉢合わせしていた。長沼はリーダー格に捕らえられていたものの、別の作業員が不注意で縄をしっかり結ばなかったため、隙を突いて逃げ出すことに成功。杉山は森を彷徨った末に、地下施設の裏口付近で長沼と遭遇したのだ。互いに生存を確認し、近くにいた作業員を警戒しつつ、情報交換を行う。すると、長沼が「俺たちの仲間もプレハブに連れて行かれた可能性がある」と訴える。
杉山と長沼は、まずは牧野の救出を最優先と判断し、再び地上へ戻ることにした。地下施設が広すぎるうえ、リーダー格の男たちがうろついている今は、下手に動けば危険が増す。いったん外へ出て、プレハブ周辺で機を伺うのが得策だろう。できれば俺や他の捕まった人々もまとめて助けたいが、情報が乏しくて動きづらい。
地上に出た二人が樹海の木立を巧みに縫ってプレハブへ近づくと、案の定、闇バイト作業員たちが慌ただしく動いている。何やらトラックに積み込む作業を急いでいるようだが、それと同時に隣のプレハブから悲鳴が微かに聞こえる。杉山と長沼は互いを見つめ合い、決死の覚悟でプレハブに突入した。
扉を一気に開けると、中には縛られた牧野や新入りたちが何人も押し込められ、作業員がその見張りをしていた。作業員は突然の乱入に驚き、武器を構えようとするが、長沼が素早く身を低くしてタックルをかまし、杉山が背後から作業員の腕をひねり上げる。予想外の抵抗に面食らったのか、作業員はあっさり意識を失った。
「牧野! 大丈夫か!」
駆け寄った杉山が縄をほどき、牧野を抱き起こす。彼女はまだ呆然とした表情だが、意識はある。とにかく全員をここから脱出させようと、長沼が残りの新入りたちの拘束も解く。恐怖で泣いている者もいれば、怒りに震えている者もいるが、そんな中で牧野はハッと息をのみ、弱々しくも声を震わせる。
「……ありがとう。でも、たぶん……儀式が、始まる……。このままじゃみんな犠牲に……」
そう、リーダー格がいないこの場でさえ、何か大きな動きが起きつつあるのは明らかだ。今ここにいる作業員たちは下っ端に過ぎない。リーダーや古参のメンバーは、きっと森か地下施設のさらに奥で邪悪な儀式を進めているのだろう。長沼が歯ぎしりをしながら、「俺たちだけじゃ無理だ、でも何とかしないと……」と呟く。そのとき、プレハブの窓がビリビリと振動した。
---
### 9. 最奥への扉が開く:封印と結界の崩壊が始まる
轟音のような振動が森全体に響きわたる。地鳴りとも呼べるほどの重低音がどこからともなく鳴り、プレハブの壁がギシギシと軋む。杉山が慌てて外を見ると、遠くの木々がまるで逆風に揺れるかのように一斉に唸り声を上げている。地面からも底知れぬ重圧が伝わり、まるで何か巨大な“存在”が地中から浮上しつつあるようだった。
同時に、空気がひどく濃密になり、視界の端で不気味な影が踊る。樹海の闇が具現化したかのように、黒い霧が渦を巻いているのが分かる。作業員たちの悲鳴が遠くから聞こえ、「封印が……封印が開くぞ!」と叫ぶ声も混じっている。
――封印が開く? つまり、先ほど古文書で読んだ“厄災”が外に放たれようとしているのか。戦前の研究者たちが、科学の力で強化しようとして失敗した結界は、今、闇バイトの儀式によってどんな形で暴走しているのか。
リーダー格の男がいずこからか姿を見せ、怒号が響く。「早く儀式を完遂しろ! このままだと全部台無しだ!」。そう言いながら、彼は血走った目で周囲を睥睨し、怯える作業員たちを強引に引き連れていく。彼の狙いは何なのか。封印を守るための生贄を捧げようとしているのか、それとも封印を崩壊させて、厄災の力を完全に掌握したいのか。いずれにせよ、森は既に常軌を逸した振動と不気味な咆哮を上げ始めている。
その“咆哮”は、まるで人間の耳には収まらない周波数を含むような轟きで、空気をビリビリと震わせ、頭蓋骨にダイレクトに訴えかけるようだった。耳を塞いでも防げず、肺の奥底まで振動が染み渡ってくる。新入りたちや牧野は身体を丸め、泣き声と悲鳴を上げる。杉山と長沼も膝をつき、何とか意識を保とうと必死だ。
「まずい……これ、どうなってるんだ……」
杉山がかすれ声で呟き、天を仰ぐ。空には渦巻く雲のようなものが広がり、樹海一帯を不気味な暗紫色に染めているように見えた。遠くから落雷のような閃光が走り、地面が微かに揺れる。まさに自然災害を超えた超常的な現象が樹海全体を包み込みつつあるのだ。
このとき、誰一人として知る由もなかったが、**俺**が地下の保管庫に閉じ込められたままフィルムを手にしていることが、やがて大きな鍵となる。そこに収録された儀式の手順、研究者たちの失敗記録——それらが“厄災”を封印するためのヒントになるかもしれないのだ。しかし、今はただ、プレハブの周囲で混乱に巻き込まれ、悲鳴と怒号、そして闇の咆哮が交錯する最中、仲間たちが何とか再会し、行動を起こせるきっかけを探している段階だった。
森の震動はさらに強まり、地面が割れるような音さえ響く。視界の端には、禍々しい紋様が浮かび上がり、木々の表面に古来の文字らしき記号が次々と滲んでは消える。封印が解き放たれるとき、いったい何が起こるのか。誰が生き残れるのか。異界からの咆哮に呼応するかのように、樹海の中心部で何かが動き始めているのを、杉山と長沼、そして牧野は無意識に感じ取っていた。
“最奥の扉”が開く——それは、この森を護ってきた結界の最後の砦が崩れ去る合図でもあった。人ならざる者が潜む闇の空間が、ついに地上へその姿を現そうとしている。ここまでメンバーを引き裂き、多くの失踪者を呑み込んできた樹海の“厄災”は、真の覚醒を迎えるのか。
こうして、第5章は災厄の最高潮へ向けて一気に駆け上がる形で終幕する。地下施設での発見と古文書、祭具から見えてきた戦前の研究者たちの狂気。そしてプレハブで行われる現代の闇バイト勢力の儀式。それらが交差したとき、樹海に潜む“厄災”が封印を破り、暴走を始めるのだ。
次なる章では、取材班が再び合流し、絶望的な事態の中で最後の抵抗を試みるのか、それとも封印を完全に断ち切る術はあるのか。生贄となるのは誰か——そして森の奥深くに開かれた“異界への扉”の向こうで、人ならざるモノが咆哮を上げている。死と狂気の瀬戸際で、俺たちが見るものは一体何なのか……。
