目が覚めたとき、俺は自分の寝室で息を詰めていた。天井の蛍光灯がやけにまぶしく感じ、じっとりと汗が背中に張り付いている。時刻は夜中の3時前。ここ数日、同じ時間帯に目覚めては、不気味な胸騒ぎを覚えることが多くなっていた。
 ――そんなに都合よく「樹海から呼ぶ声」が聞こえるなんてあるはずがない。最初は、あの闇バイト潜入取材のストレスが悪夢を呼んでいるのだろうと思っていた。だが、この“異変”はどうやら俺だけではないらしい。いつもはタフな杉山まで「夜になると木々がうめくような声が聞こえる」と言い、長沼は「自宅の壁に妙なシミが浮かび、だんだん赤い紋様みたいになってきた」と不安げに報告してきた。そして牧野にいたっては、食欲が落ちた上に原因不明の発熱が数日続いている。もしかしたら何かの疫病かもしれないと病院に行っても「特に異常はない」と言われてしまったとか。

 こうした不可解な体調不良や幻聴・幻影は、**第2章での潜入**を経た翌週あたりから徐々に表面化してきた。みんな口を揃えて「夜にあの樹海のことを考えた瞬間、妙な寒気を覚える」「森の奥に引きずり込まれるような感覚だ」と言うのだ。実際、俺も夜半にウトウトしかけると、巨大な樹のトンネルのような闇が視界に広がり、そこへ歩いていく自分の姿を幻視することがある。まるで森そのものが「お前を待っている」と囁いているかのように。理屈では割り切れない嫌な雰囲気が、日増しに強まっているのを感じる。

 そんな状態のまま数日が過ぎた頃、突然の来訪者があった。昼下がり、俺の携帯に食堂の店主から連絡が入り、「お前ら取材チームを探してるというお坊さんが来てるんだが」と言う。聞けば、どうやら地元の古刹に住む住職が俺たちに会いたいと言っているらしい。俺たちが何かいわくつきの取材をしているという噂を耳にして、わざわざ訪ねてきたというが、いったい何の用だろう。

 集まれるメンバーだけで、店主の食堂へ行ってみると、そこには小柄な老人が待ち構えていた。背筋がしゃんとしていて、年の割に力強い眼差しをしている。その住職は俺たちの顔を見るや否や、「あなた方はあの森に深入りしているそうですね」と静かな声で問いかけた。最初は穏やかだったが、その瞳はどこか警戒を帯びているように見えた。

 「申し遅れました。私は○○寺の住職を務めております。もうすぐ古希になる身ですが、かねてより樹海の怪異には関心を持ち、戒めを続けておりました。あなた方が、近頃話題の“闇バイト”を調べていると聞き及びましてね。ご忠告申し上げたく、お目にかかった次第です」

 そう前置きすると、住職は俺たちに向かい、静かに手を合わせた。俺たちは正直に「はい、樹海で起きている不可解な事件を取材しています」と伝える。すると、住職は渋い顔をしながら「本来ならば止めたいところですが、こうして少しでも警鐘を鳴らすことで、あなた方が“封印を乱す”行為に踏み込みすぎないよう祈るしかありません」と言葉を濁した。

 もちろん、こちらとしては「封印を乱す」と言われても何のことやら要領を得ない。しかし住職はあまり詳細を語ろうとはしない。ただ、「あの森には、古来より災いを封じ込める儀式が行われていた。今でも、その封印がかろうじて続いているはずだ。だが、最近になってバランスが崩れ始めている気がする」とだけ口にした。まさかとは思うが、これも一種の怪談めいた言い伝えなのだろうか。

 俺が「その災いとは具体的に何なのか」と食い下がってみても、住職は「私にもはっきりしたことは申し上げられぬ。古文書にも断片しか残っておらず、いくつかの伝承が複雑に混じり合っているとしか……」と苦しげに答えるばかり。それでも、どうやら闇バイトの連中が森の奥で行っている儀式や採取活動が、この封印に悪影響を及ぼしているのではないかと住職は睨んでいるようだった。

 最後に住職は「どうか、これ以上“先人の封印”を乱さぬように。あなた方が追うのは勝手ですが、危険にはくれぐれも気をつけてください。森は、呼んでいますよ……」とだけ言い残し、食堂を去って行った。俺たちは何とも言えない不穏な余韻を抱えたまま、その後しばらく店主と顔を見合わせていた。住職は一体、何を知っているのか。なぜそこまで含みを持たせた物言いをするのか。

 その日の夜、俺たちは急遽ミーティングを開き、**樹海の歴史や伝承**を改めて探ることに決めた。どうも住職の話だけでは物足りないし、彼があまり語りたがらないのは、何らかの宗教的・土地的なタブーがあるのかもしれない。そこで白羽の矢が立ったのはリサーチ担当の長沼だ。彼は翌日早速、地元の図書館や資料室を巡って過去の文献を調べ始めた。近隣の郷土史をまとめた古本や、地域新聞の縮刷版などにも目を通して、さらに「封印」「厄災」「人柱」といったキーワードを集中的に洗い出した。

 すると、驚くべき事実が浮かんできた。今からおよそ百数十年前、あの樹海にほど近い集落で、何度も「大火事や疫病」が発生し、多くの死者が出たこと。村人たちはそれを“森の祟り”と恐れ、定期的に供物を捧げる祭祀を執り行っていた形跡があること。そして、その儀式の中には、血を使ったまじないや“人柱”として選ばれた者を森の奥に埋めるなど、生々しい記録が散見される。やがて時代が進むにつれ、それらは迷信として葬られ、正式な書物にはあまり記されなくなったようだが――。

 長沼は写真に撮った古文書のコピーを指差し、「この部分、“封印ノ儀”って読めるよな? さらにここには“森ノ底ニ潜ム厄災ヲ封ズ”ってある。封ずる対象が何なのかまでは書いてないが、どうやら相当古い呪術体系だったらしい」と説明する。加えて、近代になってからも、この地域で立て続けに人が失踪する事件が幾度か起きていたという記録が残されていた。警察の捜査も形ばかりで、事件性を認めないまま風化しているケースが多い。

 俺たちはその資料を突き合わせながら、住職の言う「先人の封印」と闇バイトで行われる儀式が無関係ではないのだろうと推測した。もっとも、封印の正体や目的、儀式が本当に効果を持つのかどうかはわからない。しかし、もし現代の人間がその“封印”を意図的に――あるいは誤って――乱したとしたら……それが今回の奇妙な失踪や呪いめいた現象を引き起こしている可能性があるのではないか。そこへ“研究所”という要素まで入り込むと、なおさら混沌とした絵が浮かび上がる。

 ちょうどそんな矢先、さらにショッキングなニュースが飛び込んできた。かつて俺たちが関与した“元参加者”――例えば第2章で出会った村上のような人物――のうち一人が、**変死体**で発見されたという情報だ。直接の情報源はネットの匿名投稿だが、一部はSNSやローカルメディアにも断片的に流れていた。詳細は伏せられているが、警察は事件性を認めていないとか、捜査を早々に打ち切ったなどと書かれている。

 もしこれが本当に闇バイトに参加していた元作業員の死だとしたら、偶然とは思えない。俺たちがすぐに警察に問い合わせても、「そのような事件は把握していない。あるいはプライバシーの問題で回答できない」という曖昧な返答が返ってくるばかり。どうも**圧力**めいたものが働いている気がする。取材すればするほど、背後に大きな権力や組織があるとしか思えなくなってくる。

 さらに俺や杉山、長沼、牧野の私生活にも“妙な影”が及び始めた。たとえば、家の壁に赤い染みが浮かぶとか、夜中に人の足音が廊下を歩くとか、窓ガラスに何かの手形がこびりついているとか――まるでホラー映画に出てくるステレオタイプな現象がリアルに起こっている。もちろん、気味が悪いだけでなく、メンタルを削られる。何度拭き取っても赤い印は消えず、ある日気づいたら痕跡が消えていたりする。こんな変化を警察に訴えても相手にされないだろうし、医者に言っても「疲労やストレス」とあしらわれるのがオチだ。

 まるで**樹海が生活圏を侵蝕してきている**かのよう――この感覚は、チーム全員が共通して抱くものだった。しかし、だからと言って取材を諦めるわけにはいかない。次の一手として浮上したのは、もう一度あのリーダー格に接触すること。前回の“初潜入”の際、「お前らにはまだ仕事があるかもしれない。連絡を待て」と言われていたからだ。もし次のチャンスが来れば、さらに深部へ踏み込めるかもしれない。そのとき、俺たちは単なるキノコ採取だけでなく、もっと奥底にある“研究施設”とやらの存在を突き止めたい――そう考えていた。

 そうした思惑が通じたのか、それとも向こうにも事情があるのか、ある夜、再び闇バイトの連絡が入る。受けたのは長沼だ。電話越しに低い声で「また夜の作業がある。今回は車で迎えに行く。場所は前と同じ待合所。来る気があるなら、二度と文句を言うな」とだけ告げられ、ガチャリと切れた。どうやらまたしても夜の樹海へ潜る羽目になる。しかし、今度こそ取材班全員が腹を括った。

 深夜0時、前回と同じように俺、杉山、そして長沼が車で待合所へ向かう。牧野は体調が優れないが、どうしても映像と音声を担当したいと懇願し、今回は最悪の場合に備えて別ルートから合流できるように準備すると言い張った。連絡手段は短距離無線と位置情報アプリ。少しでも怪しい気配があればすぐ助けを呼ぶ……といっても、闇夜の樹海で通じるかどうかはわからない。

 ほどなくして、前回と同じ黒いバンがやってきた。運転席には、やはりあのリーダー格の中年男が座っている。無言のまま、俺たち3人はバンに乗せられ、再びプレハブ小屋の一帯へ連れて行かれた。到着するや、今回はやけに人数が少ない。どうやら新入りらしき人間の姿はほぼない。周囲はどことなくピリピリした空気で、「最近警察がうろついてる」「余計なトラブルはごめんだ」といった声が漏れ聞こえる。

 リーダーは俺たちを一瞥し、「しばらくはお前らだけで作業してもらう。いいな。今日は深くまで入るが、それでもついて来られるか?」と凄みを利かせた。杉山が合わせるように「もちろん、体力なら自信があります」と引き受ける。俺も長沼も黙って頷くしかない。そして次に渡されたのは、何やら頑丈な懐中電灯や簡易マスク、軍手、さらには小さな金属板に「注意:立入禁止」「老朽化注意」と書かれた英文のステッカーなど。これを持って森の奥へ向かうらしい。

 夜の林道を歩いていくと、前回よりさらに鬱蒼としたエリアに足を踏み入れたと感じる。木々の幹は太く、根がむき出しになって地面を覆いつくす。道幅はほとんどなく、常人なら到底通りたがらないような獣道だ。空気が冷たく、吐く息が白く見える。懐中電灯の光が照らす先には、苔の生えたコンクリートの塊が崩れ落ち、錆びた柵が歪んでいるのが見えた。

 リーダーはそこで一旦足を止め、「ここが旧研究所の跡地だ」と言い放つ。「昔の戦後すぐ、あの企業がここで何かの研究をしていたとか聞いたが、今は崩落して危険だから本来は立入禁止だ。だがまあ、俺たちはここで必要な物を調達してる。お前ら、怖いなら引き返していいぞ?」と嘲るように笑う。いや、こんなところまで連れてきておいて、今さら逃げるなんて不可能に近い。俺たちは恐怖を押し殺して「大丈夫です」と答えた。

 崩れかけた入り口には、警告を示す看板が倒れかけており、剥がれた文字が「keep out」「danger」などと書かれている。コンクリート壁の至るところに亀裂が走り、地下へ通じる階段が黒い穴のように口を開いている。リーダーの指示で、俺と杉山、長沼は順番にその階段を下りる羽目になった。空気が淀んでいて、さっき渡されたマスクを着けないと息苦しい。階段の途中で、突然頭の奥がズキンと痛むような感覚があり、足をもつれさせそうになる。

 地下施設の通路は思った以上に広く、奥へ伸びるかのように続いていた。懐中電灯を照らすと、廃棄された巨大な培養タンクやシャッターの下りた倉庫スペースがあり、錆びた鉄製の柱がギシギシと音を立てる。何十年も放置されているようだが、ところどころ新しい足跡や切り開いた痕があり、誰かが最近入った気配が濃厚だ。

 通路の先へ進むと、突然リーダーの仲間らしき男が「ここだ」と指差した部屋があった。その扉には破れた英字ラベルが貼ってあり、「Bio-lab」だとか「菌株管理室」といった単語がかすかに読み取れる。中に入ると、完全に崩壊した実験台やシャーレ、びっしりと積まれたファイルが散乱している。ファイルを拾い上げると、英語やドイツ語、そして一部は日本語で書かれた研究メモらしきものが混在していた。そこには「改良菌」「被検体」「外因的変異」といった物騒な単語が踊っている。

 俺たちはリーダーに見つからないよう、こっそりとスマホで写真を撮ろうとしたが、幸いリーダーの視線は他の場所をチェックするのに忙しいようだった。杉山は胸元の隠しカメラを作動させているが、暗所のせいでうまく撮れているかどうかはわからない。それでも、ここがかつて何らかの「菌」を研究していた施設であることは間違いなさそうだ。しかも、それを軍事利用しようとしていた形跡すらある。

 さらに奥へ進むと、一際大きな扉が行く手を塞ぐ。そこには「立入禁止」「実験中止」「厳重警戒」といったプレートが何枚も貼られているが、どれも古びている。リーダーは工具を使って扉の鍵をこじ開けようとしていた。突き刺すような金属音が響き、その過程でコンクリートの破片がガラガラと崩れ落ちる。床が抜けそうな恐怖を感じながら、俺たちは息を潜めるしかない。やがてドアがギギギと音を立てて開くと、むわっとして湿った空気が流れ込んだ。

 そこは想像以上に広い空間で、中央に大きなタンクが並び、壁には複雑な配管が這い回る。しかも、壁面のあちこちに赤黒いシミがついており、ところどころに奇妙な植物の蔓のようなものが生えていた。まるで実験途中で放置されたまま、自然と融合してしまったかのようだ。リーダーの仲間が「ああ、やっぱりな……ここもやられてる」と呟く。どうやら何かを確認しに来たらしいが、それが一体何なのかは今の段階ではわからない。

 この部屋でさらに進んでいくと、奥の壁際に古い祭壇のようなものが見えた。石製の台座で、その上部には奇怪な紋様が刻まれている――先ほど図書館で見た封印に関する古文書の記述と酷似している気がして、俺は背筋がぞくりとした。長沼も同じことを感じたのか、小声で「見て、あの印……“厄災を封じる”とかの文献にあったのと似てる」とつぶやく。

 リーダーたちはそちらにはあまり注意を向けず、廃液のドラム缶やケースをチェックしているようだ。どうやら、ある薬液か何かを回収するのが目的らしい。俺はその隙に石台に近づき、懐中電灯で紋様を照らしてみる。すると、かすれた文字の合間に小さな亀裂が走っており、その奥から赤黒い液体が染み出しているのがわかった。触れようにも、あまりに不気味で手を伸ばす気になれない。

 すると突然、頭の中に声が響いたような気がした。「封印ヲ乱スナ……」――空耳かもしれない。が、あまりにリアルな感覚で、思わず尻餅をつきそうになる。周囲を見渡すと、杉山や長沼も何やら混乱した表情をしていた。どうやら同じような幻聴を聞いたらしい。部屋の奥からは、木の枝がざわめくようなかすれ声まで聞こえる。こんな地下空間に、木々があるはずもないのに。

 そこへ不意に、リーダーの大声が響く。「おい、寄り道してんじゃねえ! さっさと手伝え!」 仕方なく、俺たちは渋々そちらへ向かう。タンクの脇からは朽ちた箱をいくつも引っ張り出し、そこに残っている薬品類らしきものを運ぶ仕事を手伝わされる。恐らく彼らは、この研究所に残された化学物質や試験薬を転売しているのかもしれない。軍事転用も考えられるが、そこまでは不明だ。

 とはいえ、俺たちが数箱を運び出した時点で、上層の通路から怪しい光がチカチカと瞬き始めた。まるで停電か機材トラブルのように、照明が不規則に点滅する。すると、リーダーが焦りの色を濃くし、「まずい、もう出るぞ!」と声を張り上げる。それに呼応するように、どこからともなく奇怪な囁き――先ほどの森の chanting に似た音が響いてくる。ここは地下にも関わらず、あの呪文めいた響きが届くとはどういうことか。

 ぞっとしながらも、俺たちは荷物を抱えて来た道を引き返すしかない。しかし焦れば焦るほど足元がおぼつかず、コンクリートの破片や水溜まりで何度も滑りそうになる。杉山は口数が減り、長沼は軽い息切れを起こしている。心臓がバクバクと高鳴り、脳裏に森の影がチラついてきた。ああ、こんなところで崩落に巻き込まれたら終わりだ――。

 どうにか入口まで戻って地上へ出ると、ひどく冷たい空気が身体を刺した。夜の樹海の闇は、地下の闇とはまた別種の圧迫感を伴い、木々がざわつく音が耳鳴りを引き起こすようだった。リーダーは手下らしき連中と短くやりとりを交わした後、俺たちに「おい、今日はもう帰れ。変なことをしゃべったら、わかってるよな」と脅すように言う。彼らはこのまま何かの作業を続けるつもりらしいが、詳しく聞けそうな雰囲気ではなかった。

 バンで送り返される途中も、何も言葉が出てこない。俺と杉山、長沼はただ疲労と混乱に苛まれ、車窓に映る暗黒の林を見つめることしかできなかった。こうして再度の潜入は終わったが、今度は精神的ダメージが桁違いに重い。何より、あの祭壇の紋様は何だったのか、そして耳鳴りのように響いた声の正体は? ――謎は深まるばかりだ。

 数時間後、夜明け前に町へ戻った俺たちはビジネスホテルの一室で合流した牧野に事情を説明する。すると、彼女は蒼白な顔で「あんたたち、何か“連れてきた”んじゃない?」と震える声を出す。というのも、待機していた牧野の周囲で、急に気温が下がったり電気が点滅したりと怪現象が始まったというのだ。彼女はそのタイミングが俺たちが地下に入ったころと妙に重なっていたと感じたらしい。

 半信半疑ながら、俺たちも実際に体感してきた奇妙な出来事を思い返すと、まるで“樹海の呪い”がこちらにも侵食してきたかのように思えてならない。取材映像を確認しようにも、肝心の地下施設内のシーンはノイズが多くてほとんど判別不能。音声も歪んでおり、機械的なビープ音や雑音しか残っていない。これではまともな証拠にはならないだろう。

 ただ、杉山の隠しカメラが撮った動画を細かく再生してみると、ところどころで何かの影がフレームに入り込んでいるのがわかる。人間とも植物ともつかない、黒い塊のようなものが揺らめき、こちらに腕を伸ばしてくるかのように見えるシーンもある。単なるブレやノイズにしては形がはっきりしすぎているが、誰が見ても「ただの撮影事故」「幽霊の見間違い」と片付けられる可能性も大きい。

 いずれにせよ、俺たちはこのままだといずれ正気を失うかもしれないと感じ始めていた。封印の儀式や研究所の暗部に触れた結果、**“何か”**がもう表に出始めている――それだけは確かだ。リーダーの動きも一段と危険度を増してきたように思えるし、圧力をかける組織も背後で糸を引いているのかもしれない。

 その日、ひとまず仮眠を取ろうとしてベッドに横になったが、脳裏には祭壇の紋様と赤黒い液体、そして森の中で聞いた chanting がこだまする。目を閉じると、まぶたの裏に幾何学的な印が浮かび上がり、うめき声のようなものが聞こえてくる。苛立ちと焦燥、恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

 ――このままでは、俺たちが壊れてしまう。だが、ここで手を引くのか。それとも更なる危険を承知で真相を追うのか。第2章以前には「行方不明者の救出を」とか「闇バイトの不法行為を暴くんだ」などと強い意気込みがあったが、今やそんな正義感は霞んでしまった。生き延びることすら難しいかもしれない。それでも、樹海の闇に飲み込まれた人々――あの地下で見た“負の遺産”を放置していいのか?

 結論を出せずに脳裏を廻る不安を抱いたまま、一瞬まどろみに落ちた。すると、夢の中で再び森の声が囁く。「汝ら、ここまで来て、引き返すのか……さらなる惨劇が訪れるだけだぞ……」。震えながら意識を取り戻すと、部屋のドアを誰かがノックしていた。時計を見ると夕方。牧野が不安げに言う。「ごめん、また変な音が聞こえた。廊下に誰かいるみたい」――このビジネスホテルの廊下には誰もいないはずなのに。

 もう、どこにいようが安全ではないのかもしれない。地下施設で見つけた儀式の跡、そして研究所の技術が何かを“刺激”してしまったのかも……。俺は思わず、あの住職の言葉を思い返す。「封印を乱すな」――しかし、そんな抽象的な警告を受け止めるには、事態はあまりに具体的な恐怖を帯びてしまった。

 **第3章は、これで一応の幕を下ろすことになる。** 森の奥の旧研究所へ潜り込み、負の遺産を垣間見た取材チームは、確実に精神を消耗している。しかも、地下で見た石碑や祭壇が示すのは、古代の呪術と近代科学が入り混じった禍々しい企み――そしてそれらがいよいよ地上に姿を現し始めていることだろう。
 地上へ戻った今も、俺たちの周囲には奇怪なノイズや視線が付きまとい、心の奥底には不吉な予感が渦巻いている。次にまた森へ向かうとき、それはきっと“さらなる惨劇の序章”となるだろう。だが、退路は既に閉ざされつつあるのかもしれない。呼び声が、どこからか手招きするように聞こえる。「もっと深く、深く……」と。