「ねぇ、『セイシュン』ってさぁ?なんで青い春って書くんだろーねぇ」
望遠鏡をいじる僕の隣で、彼女が急に変なことを言い出した。
夕日に照らされた髪が、金色に揺れる。
「ねぇ、きーてるっ!?」
「うん。聞いてる」
____いや、急に、というのは今更だ。
彼女が変なことを言うのは、いつものことだから。
「なんでそんなこと聞くの」
「もー!!いつもそれー。ちゃんと聞いてって言ってるのにー!!」
「聞いてるってば‥‥‥‥」答えながら、最近よく聞く『セイシュン』について、そういえばこの間調べたんだった、と思い出す。
「春が青いから‥‥‥‥?らしいよ」言いながら、夜空色の星座盤を映す。
「そのまんまじゃん!!」
「そのまんまだね‥‥‥‥」
「なんだ~つまんない〜」
「昔の人の考えだから」五行なんたらとかいう中国のもので、色を四季に当てはめたとき、春の色が青色だったとか。
「だったらもーちょっとマシなのが良かった〜!!」隣で脚をバタバタさせる。
望遠鏡の三脚が振動で倒れそうになるのを、必死で抑えた。これがなくなったら、どうしてくれよう。
「マシなのって?」
「ほらぁ、なんかぁ、ロマンチック?な!!やつー!!」
「あぁ‥‥‥‥」ロマンチック‥‥‥。
「そうかもね」____彼女の少女漫画的な思考は、今日も止まらないらしい。
あれだけ閑散としていたこの場所も、今ではお互いに持ち込んだ漫画で溢れている。
主に、彼女の私物の少女漫画が。
僕もいくつか読んでみたけど、たしかに「青春」という単語の由来として、恋だの愛だのが絡まっていたほうが、いくらかそれっぽくはある。
テレビとか映画でも、「青春=恋愛」が普通だし。
ばかばかしいとは思わないけど、以前なにかの拍子に「少女漫画みたいなこと起こるわけないじゃん」と言ったことがある。
そしたら、「好きだからいいんだもん!!」と1日中機嫌を損ねられてしまうし、1日中口を利いてもらえないし、なのにずっと隣に来て隣に座ってこっちを見てくるしで散々だった。
どうやら譲れない部分だったらしかったので、それ以来彼女の持ち込んだ少女漫画に少しは手を付けるようにして。
____もうそのくらいは、わかる関係になった。
1日中口を利いてもらえずに困る関係だと言えば、おそらく「付き合っているからか」と言われるだろうけど。
____あいにく、そんな関係じゃないんだよな。
友達というか同志というか。そんな感じだ。
彼女がこの場所に訪れたのは____そう。今年の、始めくらいだった。
____ちょうど、流星群が見れるとかで。
下校時刻ギリギリの19時あたりから観測できることを知った僕は、いつものようにこの場所で、観るのを楽しみにしていた。
学校は20時までいてもいいし、運動部はもう少し遅くまでいることもある。
校門もしばらくは閉まらないだろうと思って、それまでここに潜ることを決め込んでいた。
階段を上がった先。4階の隅の、部室棟奥の小さな部屋。
そこが部室だった。
____いや、「部室」なんて言うのもおこがましいか。
そもそも、ここには僕しかいないし、部活というよりは「同好会」みたいな感じだ。
この場所から星がよく見えるから貸してほしいことを先生に言ったら、「使ってないから」とあっさり許可された。
「部活」なんて大勢で大それたことをやる気はなかった。
ただ好きで。個人的にしているだけの、趣味。
小さい頃、爺ちゃんからもらった古い望遠鏡で星空を眺めるのが、僕の楽しみだった。それ以来、ずっと続けている。
それなりに友達だっているし、普通に勉強もするし遊びにも行くけど。
これを言うと、根暗なやつと思われるかなって。
____高校生で、「趣味は星を眺めることです」なんて。
SNSが主流の時代で、そんな前時代的なことは、あまり好まれないだろう。
大体はダンスを踊るか、カラオケに行くか、音楽を聴くか。____そんな感じだから、一応趣味のところは「読書」になっている。本は好きだし、嘘はついてない。
それでも「星を眺めること」よりはいくらかマシで、それっぽいから。
____ガチャ。
月色のノブを回すと、古ぼけた床が見える。
もう何年も使っていなかったらしい、隅っこの部屋。
これでもきれいにはしたんだけど、まだ微かに埃っぽい。
窓のそばに、美術室と同じ椅子が置かれているだけの部屋。____一応、他にもロッカーだとか、ホワイトボードはあるけど。ほとんど使ってない。
後ろ手にドアが閉まる音を聞きながら、今日はやけに静かな日だなと思う。
いつもは吹奏楽部の演奏も、下の方でたむろする野球部の声も聞こえるのに。
いつも通り、木でできた椅子の上に三脚をつけた望遠鏡を置き、夜空を眺める。
その日の空は、いつもより澄んで、星がよく見えた。
あまり流れない流星群だし、20時までしか居られないから、流れるのは見られないかもしれないけど。
今年は少し例年より多いって聞いたから、期待してるんだ。
ちらちらと星が瞬き始めたころ。
「____ねぇ、なに見てんの?」
「こと座流星群」
答えてから、あれ、と思う。
僕は今、なにに答えたんだ?
「へぇ、なにそれ?きれい?流れ星っ?」
____碧い月だ、と思った。
去年見た、ブルームーンみたいな、透き通った光。
それが星明かりに照らされた髪の色だと気がつくまで、数秒かかった。
長い睫毛。丸い瞳。女の子。
「て、‥‥‥‥へ、あ、い____!!」いつから、どうして。と言ったつもりだった。
気がつくと、僕はガタガタと木の椅子を倒していた。
一緒に床に落ちそうになる望遠鏡を慌ててキャッチして、また視線を向ける。
「ちょっとぉー、驚きすぎじゃないっ!?おもしろー!!」
けらけらと笑う通る声。白い髪。
さっきまで立っていた彼女はいつの間にか僕の前で腰を下ろしていた。
「ねっ、なにしてんのっ?」
「なにって____」それはこっちの台詞だ。
「あんた、いつから‥‥‥‥‥」
「え、いつから、って。ずっとだよ?君が、ここに来る前から」
「‥‥‥‥は?」
____いや、おかしい話ではない。
ここは部活で使っているわけでもなければ、ドアに張り紙もない、空き部屋同然の場所だ。
鍵だってない。だから、自由に入れるんだけど。
「ほらぁ、私って、言いたいことすぐ言っちゃうでしょ?そんでね、なんかこう‥‥‥‥ケンカ?ってゆーか。
なんか、色々、うまくいかなくなっちゃってさぁ。
なんかちょっと、休みたくって。
私もびっくりしたぁ、人が入ってくるなんて思わなかったんだもん‥‥‥‥!!
____で、ずっと見てたら、なんか望遠鏡出して、空見てて。だから、なに見てるのかなっ、て!!」
「はぁ‥‥‥‥‥」よく喋る人だな。
「不法侵入」
「それは、君だって一緒でしょ?」ここ使われてないとこなんだし、と言われてしまう。そりゃそうなんだけど。
「鍵、作ってる最中なんだって。壊れたから。空いてるって言われた」それからずっと使ってるんだ。明日あたりには、先生から渡されるはず。
「ねっ、ここ、何部?」
「いや、部活じゃ____」
「何部っ!!??」流星群よりきらきらした瞳に捉えられて、しばらく動けなかった。
「____天文部、だと、思う」
____その日、僕はこと座流星群を見逃した。
僕らの上を、たくさんの星が流れていた。



