西暦2075年。
世界のあらゆる技術は日々進歩の一途をたどっているが、それはゲーム制作にもいえることだ。特にVRゲームの技術が飛躍的に進歩した現代社会では、寝食を疎かにしてまでゲームの世界に没頭してしまう人もかなり増えているらしい。

ちなみにVRとは“バーチャルリアリティ”の略語であり、日本では「仮想現実」とも呼ばれている。まるでゲームの世界に入り込んだかのような没入感・臨場感を味わえることが、最大の魅力であろう。

現在大学四年生の高橋希(たかはしのぞみ)もまた、VRゲームを愛する者の一人だ。

世界でも屈指のゲーム会社である『ヨクス・グループ』への就職を希望していた希は、筆記試験や面接を勝ち進み、とうとう最後の試験に挑むことになった。

しかし、試験内容は知らされていない。当日に会場で発表されるらしい。持ち物も特に必要ないと言われた。筆記用具の類も要らない、ということは、筆記試験ではなさそうだ。面接もすでに二回もおこなっているし、一体どんな試験が待ち受けているのか……ゲームに関する知識を試すような、何かだろうか。

不安と緊張を胸に、希は指定されたヨクス・グループの本社にやってきた。受付を済ませて、案内された控室に行けば、そこには希と同じようなリクルートスーツに身を包んだ女性が三人いた。つまり、彼女たちはライバルということだ。

静まり返った室内には、緊迫した空気が漂っている。
希は空いているパイプ椅子に腰を下ろした。椅子が四脚しか用意されていないということは、希がこの最終試験を受ける権利を得た最後の一人ということだ。

そのまま、静まり返ったピリピリした空気の中で待つこと、約十五分。
やってきた社員の一人によって案内されたのは、“会議室D”というプレートが掛けられている部屋だった。

その部屋では二人の試験官が待ち構えていた。どちらも女性だ。希たち就活生の顔をじっくりと、見定めるような目つきで見つめている。

「それでは早速だけど、最終試験を始めようと思います。試験内容を発表しますね」

試験官の言葉で、この部屋に四台の機械が運び込まれてくる。頭をすっぽりと囲ってしまえるような、ヘルメットのようなものが装備されている。――これは、最新VRゲームの機械だ。

「今から貴女たちには、開発中の乙女ゲームのVR世界の中に入ってもらいます。そして、悪役令嬢になってもらいます」
「「……」」

誰もがすぐに言葉を発することはできなかったが、この時の就活生たちの気持ちは一つになっていた。

((え? どういうこと……?))

乙女ゲームといえば、普通はヒロインの立場になって、攻略対象と結ばれるべくストーリーを進めていくのが定石だろう。バッドエンドなどもありはするが……ヒロインと敵対する立場の悪役令嬢になる、とはどういうことだろうか。

悪役令嬢ものの作品は何十年も前から流行っているので、ざまあ系のシナリオでヒロインの本性が実は最悪、という設定になっている可能性もある。試験官は開発中と言っていたし、そういう試みのゲームを作っているのかもしれない。
しかしそれにしても、その言葉を瞬時に飲み込み咀嚼するのは難しかった。そもそも、最終試験が何故乙女ゲームなのだろうか。

「ふふ、訳が分からないって顔してるけど……まあ、それもそうよね。とにかく貴女たちには、乙女ゲームの世界に入って、真の悪役令嬢になってもらいます。そしてゲームをクリアできた人を採用します」

――ゲームをクリアできた人を、採用する。

その言葉で、希たち就活生の目の色は変わった。

試験官がこの最終試験で何を試そうとしているのかは分からないが、とりあえず、真の悪役令嬢になれた者は、無条件で内定を勝ち取ることができる、と。そういうことらしい。

「ゲームをクリア出来たら“クリアおめでとう”の表示が出てくるから。それ以外はゲームオーバーね。その時点で不採用ということで帰ってもらうから、そのつもりでお願いね」

試験官は笑顔で中々に非情なことを言ってのけると、ひらりと手を振った。

「それじゃあ、健闘を祈っているわ。悪役令嬢目指して頑張ってきてね」
「「っ、はい!」」

就活生四人の頭上で、VRのヘルメットが点滅し起動する。
目を閉じれば、意識は自然と深い微睡みの中に沈んでいった。


***

ゲームの世界に入り込んだ瞬間、物語のあらすじやキャラクターの設定が頭に入り込んでくる。どうやら舞台は西洋で、学園もののようだ。

この乙女ゲームのヒロインは、ルシア・ヴァリエール。
美しいブロンドヘアにサファイアの瞳を持った愛らしい少女だ。しかし出自が貧しく、貴族出身の一部の令嬢からは悪意をぶつけられているらしい。

希たち四人は、それぞれが同等に高貴な家の令嬢らしい。悪役令嬢といえばの、傍に控えている少しだけ身分の低いご令嬢(言い方は悪いが、甘い蜜を吸えることを狙っている腰巾着のような存在)もいるようだ。

「ノゾミ様は、本日はどちらでお食事を摂られるのですか?」
「わたくしたちもご一緒してもよろしいでしょうか?」
「えーっと……申し訳ありませんが、今日は一人で考えたいことがありますので。ここで失礼いたしますね」

ゲーム世界のキャラ達から呼ばれる名前が思いきり本名のままであることには多少の違和感を覚えたが、そこは推しに名前を呼ばれたいという利用者のニーズに応えるための、乙女ゲーム仕様になっているということだろう。

しかし、真の悪役令嬢になるとはいっても、一体何をどうすればいいのか。
ベタではあるが、ヒロインであるルシアを虐めればいいのか? けれど、それだけでゲームをクリアできるだろうか。そもそもルシアは、今どのルートを進んでいるのか。
メインとなる攻略対象キャラは四人いるようなので、現時点で誰との親密度が高いかによっても、選択肢は変わってきそうだ。

希は中庭のベンチに腰掛けながら、一人で頭を悩ませていた。
そこに、甲高い声が響き渡る。

「きゃあ!」
「あら、失礼。ルシア・ヴァリエール嬢の制服が汚れていらっしゃるから、洗って差し上げようと思ったのだけれど……わたくしの勘違いだったみたいね。ごめんなさい」

ルシアに突っかかっている女性は、就活生の一人だった。周囲には取り巻きらしき令嬢たちもいて、口許を隠しながらクスクスと嘲笑している。
どうやら先手を打つべくルシアに近づき、大胆にも水をぶっかけたようだ。

彼女の言動は、これまで数々の乙女ゲームをやりこんできた希の目から見ても、見事な悪役令嬢っぷりだと思う。もしかしたら、このままあの子がゲームをクリアしてしまうかもしれない。希は木陰に隠れながら、ハラハラとした気持ちで様子を見守る。

しかし、そこに現れた男子生徒により、取り巻きの令嬢たちは嘲笑を止めてサッと顔を蒼ざめた。

「こんな所で何をしているんだい? 水浴びには、まだ随分と早い季節だと思うけれど」

金髪碧眼の爽やかなオーラを纏った美青年。剣術の授業をしていたらしく、練習着用のサーコートを着用している彼は、ニコラ・ボルジア。
この乙女ゲーム内の攻略対象の一人だ。設定によると、彼は公爵家の跡取りであり、ヤンデレ+執着の気質を持つタイプらしい。

「ルシア、大丈夫かい?」

寒さに震えているルシアに気づいたニコラは、自身が持っていた制服の上着をそっと肩に掛けてあげている。どうやらニコラは、すでにルシアに好意を抱いているようだ。ということは、すでにニコラルートに突入している可能性がある。

「では、この状況について説明してもらってもいいかな?」
「い、いえ、わたくしは……彼女の制服が汚れていたので、洗って差し上げようと思って……「洗って? ルシアは頭から水をかぶっているようだけど、それはどういうことかな?」

ニコラは満面の笑みを浮かべたまま、就活生の彼女をジッと見据えている。

「そ、それは……手を滑らせてしまっただけですの! 悪気はなかったんです!」
「……へぇ、そうなんだ」

依然として美しい微笑を湛えていたニコラだったが――かと思えば突然真顔になり、腰に挿していた剣を抜き、就活生の彼女にその切っ先を向けた。

「ひっ……」

取り巻きの令嬢たちは我先にと逃げ出し、就活生の女性は腰を抜かして座りこむ。すると、彼女の頭上に文字が浮かび上がった。

――GAME OVER――

次の瞬間、彼女はその場から姿を消してしまった。
しかし、ニコラもルシアも、消えた彼女を気にした様子もなく、二人で会話を進めていく。

「ルシア、大丈夫だったかい?」
「えぇ、大丈夫よ。ごめんなさいニコラ、貴方の制服を濡らしてしまって……」
「僕は大丈夫だから、気にしないで。僕はね、君を傷つける者には容赦しない。君のことは、僕が守ってみせるから。……絶対にね」

ニコラはうっそりと笑いながら、ルシアの手を優しく握りしめている。

――どうやらこのゲーム、希が想像していた以上に、かなりのハードモードなのかもしれない。ただヒロインを虐める悪役になれば良いというわけではなさそうだ。

その場を静かに後にしながら、希はひとまず、他の就活生(ライバル)たちがどのような行動に出るのか、様子を見てみることにした。並行して、ルシアやニコラの周囲にも目を配りながら、ゲームクリアの鍵を探す。そう決めたのだ。

希以外の就活生たちは、割と早くに行動に出た。
一人は始めの就活生と同様にルシアを虐め、助けにきたニコラによって牽制されてゲームオーバーになった。

そしてもう一人は、何と、ニコラに殺されてゲームオーバーとなってしまった。
ルシアにお茶を淹れてほしいと頼み、人の目のない所で自らが飲む分に少量の毒を仕込んだ。ルシアを犯人に仕立て上げようとしたのだ。
しかしその企みはニコラによって失敗に終わり、その日の夜更けにニコラに呼び出されて殺害されてしまった。
彼女の死は特に騒ぎ立てられるようなこともなく、むしろ彼女の存在など初めからなかったかのように、ゲームは進んでいる。

ゲーム内での出来事だと分かってはいるが、その光景はあまりにもリアル過ぎて、物陰に隠れて見ていた希は思わず悲鳴をあげてしまうところだった。

ニコラという男は、想像以上のヤンデレのようだ。ルシアは今のところニコラの本性に気づいていないようだが、このゲーム、場合によっては監禁ルートなんてものもあるのではないかと、希はそう踏んでいる。

希は、今のところルシアに声を掛けてはいない。
ただ、ルシアが他のご令嬢たちに陰口を叩かれたりして肩身が狭そうに俯いている様を冷めた目で一瞥しながら、側を無言で通り過ぎるのみ。
可愛いルシアの味方になってあげたい気持ちはあるが、今の自分は悪役令嬢なので。そこはグッと抑えている。

いつか接触を図ろうとは思っているが、これまでの就活生たちの悪役令嬢ぶりを見ている感じでは、ただあからさまに虐めたり辱めようとするだけでは駄目な気がするのだ。

(一体どう行動を起こせばゲームクリアになるんだろう)

希は、仲睦まじげに話しているルシアとニコラを遠目に見つめながら考える。
その時、自分以外にも二人を見つめている男子生徒がいることに気づいた。

(確か、彼の名前は……)

濡れ羽色の髪に、アキシナイトのように美しいブラウンの瞳を持った彼の名前は、デミアン・オルトヴァール。
ニコラと同じく公爵家の跡取りであり、その家系は代々王宮付きの騎士団長を務めているらしい。彼もまた、攻略キャラの一人だ。アジア系の整った顔立ちをしている。

けれどルシアと関わっている姿は、まだ一度も見ていない。やはり現時点では、ニコラルート一直線で進んでいるのだろう。

しかし、彼がこれからルシアに接触する可能性も考えられる。もしかしたら今も、ルシアに好意があって視線を送っているのかもしれない。

(だけど、それにしては二人を見る目が、どこか冷たいっていうか……)

感じられるのは、恋慕という感情より、むしろ……。

(……もしかして)

デミアンの表情を見て、希は微かに目を見開いた。
そして、一つの賭けに出ることにした。


***

今宵は、学園主催の舞踏会(パーティー)が開かれる日だ。

ルシアはもちろん、ニコラをパートナーとして舞踏会に参加していた。
綺麗なドレスに身を包んでいるその姿は天使のように愛らしく、会場に居る者の目を引いている。
しかしニコラが来賓への挨拶で傍を離れた途端、その表情には陰が差す。頼りなさげに視線を彷徨わせている姿は、華やかなこの場では浮いて見えた。

「ルシア・ヴァリエール嬢」
「っ、はい」

アイスブルーのドレスに身を包んだ希は、ルシアに近づいた。
その名を呼べば、おずおずと不安そうな目で希を見上げてくる。

真正面から目を合わせて話すのは、これが初めてだ。ヒロインの可愛らしさに内心でときめきながらも、凛とした表情は崩さずに、毅然とした態度で話しかける。

「先ほどから、貴女の挙動不審な態度は目に余るものがあるのだけど……レディとしての自覚はあるのかしら?」
「え? えっと、私は……」
「パートナーに頼ってばかりいてどうするの? それじゃあ、貴女一人では何もできないままよ。一生彼に縋って、彼に与えられるままの人生を歩んでいくつもりなの?」

希の言葉に、ルシアはハッとした顔をして大きな瞳を見開いた。
希は内心で(意地悪言ってごめんね……!)と思いながらも、ルシアの美しいサファイアの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。

ここ数日間、希がルシアを観察していて思ったことだが、彼女は学園に置いて、ニコラ以外の生徒との関わりがほとんどない。ニコラがいなければ、彼女は独りぼっちだ。
それは、独占欲の強いニコラがあえてそう仕向けているようにも思えた。そうすれば、ルシアが頼れる存在はニコラだけになるのだから。

ルシアが幸せならば、それでいいのかもしれない。けれど彼女は、ニコラという自身を守ってくれる存在に依存しているだけで、そこに愛はないのではないか。
ニコラではなく、もっと共に支え合い生きていけるような男性を選んだ方が、彼女は幸せになれるのではないか。
ニコラと一緒にいては、彼女は本当の意味で幸せにはなれない。彼女はもっと自由に生きるべきだと――希は、そう思ったのだ。

悪役令嬢だって、レディとしての気品や誇りは持っている。
それならば、ただ意味もなく虐めるのではなく、ルシアを目覚めさせるような一言を、貴族令嬢らしく堂々とした立ち居振る舞いで伝えることにしたのだ。

実際、希の思惑通りに、周囲に居た人々は希の高潔な雰囲気さえ感じられる玲瓏(れいろう)たる美しさに、目を奪われていた。

「やぁ、ルシア。待たせてごめんね」

――そこに、ニコラが戻ってきた。

「それで、君は……彼女に何か用かな?」
「あら、失礼。ルシア嬢が一人で不安そうにしてらしたので、お声を掛けさせていただきましたの」

にこりと笑みを作れば、ニコラも人好きのする笑みを浮かべて「それはそれは。彼女に代わって、君からの厚意に感謝するよ」と、わざとらしい世辞の言葉を口にする。

しかしその瞳の奥が暗く澱んでいることに、希は直ぐに気づいた。

「それでは、私は失礼いたしますね」
「あ、あの! 貴女のお名前は……!」

美しい所作で一礼してこの場を去ろうとした希を引き止めたのは、ルシアだった。
希は足を止めて、振り返る。

「次にお会いした時に、改めて自己紹介いたしましょう。その時には、貴女自身の意思で声を掛けてくださることを、期待していますわ」

煌めいたサファイアに、優しく笑う希の顔が映った。


***

ルシアに啖呵を切った後。
希は会場を抜け出して、中庭に足を運んでいた。ひと気はなく、辺りは穏やかな静寂に満ちている。空を見上げればぽっかりと丸い月が浮かび、小さな星々が瞬いている。

「やぁ、月が綺麗な夜だね」

耳に届いた足音に、希はおもむろに振り向いた。
そこに立っていたのはニコラだ。
希は警戒心を強めながら、恭しく会釈をしてにこりと笑ってみせる。

「あら、ボルジア卿。こんな所まで足を運ぶだなんて、わたくしに何か御用でしょうか。それにパートナーの姿が見えないようですけれど……愛しのルシア嬢をお一人にしてもよろしいのですか?」
「あぁ、そうだよ。僕は君に用があって此処まできたんだ。もちろんルシアを一人にはしたくなかったけれど……彼女は優しいから。惨いところをルシアには見せたくないからね」

ニコラが胸元から取りだしたのは、短刀だ。
月の光を浴びて、その切っ先は鈍く光っている。

「君は、ルシアを辱めた……万死に値する行為だ。よって、君には死をもって償ってもらわなくてはならない。分かるだろう?」
「仰っている意味が分かりませんわね。頭は大丈夫ですか?」
「あはは、君に理解してもらえなくても結構だよ。僕はルシアを全ての悪意から守ってみせる。それだけだ」

ニコラは狂気的な笑みをその美しい(かんばせ)に広げたまま、ゆっくりと近づいてくる。
希は後退りしながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。

「さようなら。ルシアを傷つけたことを、あの世で後悔するといいよ」

ニコラとの距離が、あと一メートルほどまで近づいた時。

「――そこで何をしているんだ?」

現れたのは、希が待ち望んでいた人物だった。
正装のテールコートを身に纏っている彼は、デミアンだ。険しい顔をしながら、希を庇うようにしてニコラの前に立ち塞がる。

「やぁ、オルトヴァール卿じゃないか。どうしたんだい?」
「それはこちらの台詞だ。今、彼女に何をしようとしていた?」

デミアンは、ニコラの手に握られている短刀に視線を落としながら問いかける。
デミアンからの言及に、ニコラは応えない。暫し無言の時間が続いた。

「……そこの茂みから、物音がしたんだ。野生の小動物でも紛れ込んでいるのかと思ってね。警戒していただけさ」

貼り付けたような笑みはひどく人工的で、それが苦し紛れに吐いた嘘だということは直ぐに分かった。しかしニコラは、これ以上話すことはないと言わんばかりの態度でこの場に背を向け、デミアンからの疑るようなまなざしから逃れようとする。

「それじゃあ、パートナーが待っているから。僕は先に戻らせてもらうよ」

そう言って、会場へと戻っていった。

ニコラの姿が見えなくなったところで、希は詰めていた息をようやく吐きだすことができた。足が少し震えている。指先がひどく冷たい。ゲームの中だと分かってはいても、死を間近に感じる恐怖は現実(リアル)と同じだ。

「……ありがとうございます。貴方のおかげで助かりました」

ニコラが去っていった方向を厳しい目で見つめていたデミアンは、希に礼を言われると苦々しい顔になる。

「次の舞踏会(パーティー)で、デミアンに危害を加えられそうになった時に助けてほしいと言われた時は、突然何を言い出すのかと思っていたが……」

――そう。実は希は、ニコラが希に危害を加えようとしてくることを見越して、もしもの時には助けてもらえないかと、デミアンに頼んでいたのだ。

「ボルジア卿の周囲を観察していて気づいたんです。貴方は、ボルジア卿の本性にも薄々気づいているんじゃないかって」
「……」
「だから貴方なら、もしもの時には味方になってくれるんじゃないかって、そう思ったんです」

設定では、デミアンは曲がったことが嫌いな情に厚い性格とされていた。
そのため、ニコラの挙動に注意を払っているような、訝しんでいるようなあの目を見て、ニコラの行き過ぎた蛮行に勘づいているのではないかと考えたのだ。

「君は……見かけによらず聡明なんだな。周りがよく見えている」
「見かけによらず、は失礼じゃないですか?」
「ふ、……いや、悪い」

デミアンは口元を手の甲で隠しながら微かに笑った。普段はむっつりと難しい顔ばかりしているので、初めて目にするその表情に、希は釘付けになってしまう。
改めて隣に並べば、白皙の美貌はその横顔からも窺えて、何だか胸がソワソワと忙しなく動き出す。

「だが、彼がこのまま大人しく引いてくれるとも限らない。君は引き続き用心した方がいい」
「それじゃあ……またピンチになった時には助けてくれますか?」

デミアンはきょとんとした顔をして、けれど直ぐに常時の無表情になる。

「……まあ、いいだろう。乗りかかった船だ。これで君に死なれちゃ、寝覚めが悪いからな」
「ありがとうございます」
「だが、さっきの相手を煽るような言動はあまり関心出来るものではなかった。君もレディとしての自覚を持つんだな。それでは、嫁の貰い手がなくなってしまうぞ?」
「そ、それは……大丈夫です。こんな私でも良いと仰ってくれる殿方を見つけてみせるので!」
「ふ、そうか。だが、無茶はするなよ。これからは俺もいるんだからな」

月夜を背景にしたデミアンは、形のいい眉を下げて、仕方ないなぁとでも言いたげな、優しい顔で微笑んでいる。

しとやかなアキシナイトは、瞬く星を閉じ込めたかのように輝く。その美しい宝石は、希だけをまっすぐに見つめていた。

希は、頭上に“ゲームクリアおめでとう!”の文字が浮かんでいることにも気づかぬまま、その美しい瞳から、目が離せなくなっていた。


***

「――高橋希さん、ゲームクリアおめでとう」

希は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げる。そこは最終面接が行われていた会議室で、ゲームをプレイする前と変わらず、二人の試験官がいた。しかし視線を巡らせてみれば、希以外の就活生は誰一人としていなくなっている。

「あの……私、本当にゲームをクリアできたんですか?」
「えぇ。これは試作なんだけど、第一ステージクリアってところね。このゲームは、悪役令嬢のヒロインが困難を突破して攻略キャラとの恋愛を楽しむっていうシステムにしようと思ってるのよ」

試験官の説明に、希はなるほど、と頷く。
つまり、ただ決められたシナリオを進めていけば攻略キャラの方から関わってくるわけではないということで。
攻略キャラとの接点を自ら作っていかなくては、ゲームが始まらないということだ。

納得した希は下ろしていた視線を持ち上げる。そして、試験官二人の横に立っている、スーツ姿の男性に気づいた。
希はその男性の顔を見て、まだ試験中だということも忘れて大きな声を出してしまう。

「え、デミアン……!?」

――そう。何とそこには、乙女ゲーム内のキャラクターであるはずのデミアンがいたのだ。顔や体格、髪型から背丈までそっくりだ。
違うところと言えば、着用しているのが制服や舞踏会の時に着用していた正装ではなく、スーツだというところくらいだろう。

「ふふ、驚いた? 彼は松田くん。ウチの社員なの」
「しゃ、社員?」
「えぇ。彼、すっごくイケメンじゃない? 面白そうだなぁと思って、彼をベースにした攻略キャラを作ってみたのよ」

面接官の女性は開発部の人間のようだ。
驚きに目を見開いている希の反応を見て、可笑しそうに笑っている。

「まぁ、何というか……入社試験合格おめでとう。四月から一緒に頑張ろうな」

鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まっている希を見て、気まずそうに頬をかいた松田は、困り顔で笑いながら片手を差し出した。

「……よ、よろしくお願いします」

呆けていた希はハッと我に返ると、恐る恐る手を伸ばす。

「あぁ、よろしく。……さっきの試験、実は俺も見ていたんだが、ヒロインに啖呵を切るところは中々痺れたよ。結構いい性格してるんだな」
「……それって、褒めて頂けているんでしょうか?」
「ふっ、あぁ。褒めてるよ」

触れた手のぬくもりは、デミアンのものとよく似ていた。そして、向けてくれる優しい微笑みもまた、月夜を背景に見惚れてしまったあの表情と、全く同じものに見える。
美しいアキシナイトの瞳から、目が逸らせない。

「……ありがとう、ございます」

希は自身の顔が熱を持ち始めていることに気づいた。
試験に合格できた喜びと同時に、心の中で新たな感情が芽吹いていることにも気づいてしまって、ドキドキと速くなる鼓動を落ち着かせるべく片手で胸の辺りをおさえた。