龍胆は真っ暗な世界にいた。空も、地面も。すべてが墨汁のような世界の中、龍胆の身体のみがぼうっと光っている。
龍胆は誰に言われるでもなく、歩き始めた。
(・・・ここは地獄か?)
足には何かがまとわりついているようで、かなり重い。一歩進むたびに息が切れる。
やがて、大きな桜の大木が現れた。
(枝垂れ桜? なぜこんなところに・・・?)
白い枝は、風もないのに揺れている。桜を見ようと、枝の下へ来た竜胆は、ひゅっと息を呑んだ。
花びらだと思っていたそれは、無数の屍の手だった。白い手は男も女も、子どもも混ざり合い、ひしめいている。
声が聞こえてきた。
――殺された。お前に殺された!!
――憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!
声は、耳ではなく直接頭の中に響いてくる。
「う」
龍胆は頭を抱え、その場に片膝をつく。わんわんと頭の中を大声で反芻するそれから逃げるように、龍胆は視線を地面へ向けた。
(なんだ、これは!)
妙に重かった両足には、大勢の人間が纏わりついていた。
首を切られた女。赤ん坊。老人や侍の着物を着た男まで、さまざまだ。
龍胆は叫び出したいのをこらえ、逃げる場所を探す。しかし、上にも下にも山ほどいる亡者の群れから抜け出せる場所はなかった。
すると、のんびりと優雅な男の声が後ろからかけられた。
「お前さん、こんなところに来たってことは、死んだのかい?」
龍胆はばっと勢いよく振り返る。そこには、木の枝にまったりと座り、扇を片手で弄ぶ男がいた。
片目は包帯を巻いている。
男――俗名 あやめは、「やあ」と手を振った。
龍胆はぎょっとしつつも、「お前か」と忌々しげに言う。
「あれから数日も経っていないのに死んだのか? 雪を守ると誓っておいて? 馬鹿だなあ、お前さんは」
「うるさいぞ。この死体の群れをどけろ」
「お前さんが斬った女が泣いてるぞ。ひどい男だね」
「貴様。ここの亡者たちは貴様が斬った村人のものだろう。俺は女を斬ったことはない」
「はは。御名答」
あやめはそう言うと、桜の枝から降りた。龍胆は下半身を亡者に掴まれているから、簡単には動けない。
あやめは龍胆の下へゆうゆうと闊歩すると、ひょいと膝を折り、龍胆と視線を合わせた。
閉じた扇で、龍胆の顎を持ち上げる。
龍胆はうっとおしそうに顔をそらした。
あやめは言う。
「ここは僕の地獄。これも閻魔様のお仕置きなんだろうが、あいにく僕には通じない。やりたい方だいさ」
「心配するな。閻魔には俺から言っておく。仕置がたるんでいるとな」
「それは名案だな」
軽口をたたきながら、あやめは龍胆をいたぶるのをやめない。首のない女は龍胆を羽交い締めにする。あやめは、おもむろに、龍胆の首を絞めた。
「ぐっ・・・」
「僕から雪を奪ったんだ。なぜ幸せにしてやらなかった!?」
あやめの瞳からは怒りの炎がほとばしっていた。龍胆が返事できないことに気がつくと、拘束を緩めて、今度は顔を拳で殴った。
女の拘束が解かれ、龍胆はその場に倒れ込む。激しく咳き込んだ。
「もういい。負け犬にようはない。大人しく閻魔のもとへゆけ」
「――」
再び桜の下へ歩いてゆくその背中に、龍胆はポツリと言った。
「どうすればよかったんだ、俺は」
「うん?」
「どうすれば、過去の罪を償えるんだ」
龍胆は誰に言われるでもなく、歩き始めた。
(・・・ここは地獄か?)
足には何かがまとわりついているようで、かなり重い。一歩進むたびに息が切れる。
やがて、大きな桜の大木が現れた。
(枝垂れ桜? なぜこんなところに・・・?)
白い枝は、風もないのに揺れている。桜を見ようと、枝の下へ来た竜胆は、ひゅっと息を呑んだ。
花びらだと思っていたそれは、無数の屍の手だった。白い手は男も女も、子どもも混ざり合い、ひしめいている。
声が聞こえてきた。
――殺された。お前に殺された!!
――憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!
声は、耳ではなく直接頭の中に響いてくる。
「う」
龍胆は頭を抱え、その場に片膝をつく。わんわんと頭の中を大声で反芻するそれから逃げるように、龍胆は視線を地面へ向けた。
(なんだ、これは!)
妙に重かった両足には、大勢の人間が纏わりついていた。
首を切られた女。赤ん坊。老人や侍の着物を着た男まで、さまざまだ。
龍胆は叫び出したいのをこらえ、逃げる場所を探す。しかし、上にも下にも山ほどいる亡者の群れから抜け出せる場所はなかった。
すると、のんびりと優雅な男の声が後ろからかけられた。
「お前さん、こんなところに来たってことは、死んだのかい?」
龍胆はばっと勢いよく振り返る。そこには、木の枝にまったりと座り、扇を片手で弄ぶ男がいた。
片目は包帯を巻いている。
男――俗名 あやめは、「やあ」と手を振った。
龍胆はぎょっとしつつも、「お前か」と忌々しげに言う。
「あれから数日も経っていないのに死んだのか? 雪を守ると誓っておいて? 馬鹿だなあ、お前さんは」
「うるさいぞ。この死体の群れをどけろ」
「お前さんが斬った女が泣いてるぞ。ひどい男だね」
「貴様。ここの亡者たちは貴様が斬った村人のものだろう。俺は女を斬ったことはない」
「はは。御名答」
あやめはそう言うと、桜の枝から降りた。龍胆は下半身を亡者に掴まれているから、簡単には動けない。
あやめは龍胆の下へゆうゆうと闊歩すると、ひょいと膝を折り、龍胆と視線を合わせた。
閉じた扇で、龍胆の顎を持ち上げる。
龍胆はうっとおしそうに顔をそらした。
あやめは言う。
「ここは僕の地獄。これも閻魔様のお仕置きなんだろうが、あいにく僕には通じない。やりたい方だいさ」
「心配するな。閻魔には俺から言っておく。仕置がたるんでいるとな」
「それは名案だな」
軽口をたたきながら、あやめは龍胆をいたぶるのをやめない。首のない女は龍胆を羽交い締めにする。あやめは、おもむろに、龍胆の首を絞めた。
「ぐっ・・・」
「僕から雪を奪ったんだ。なぜ幸せにしてやらなかった!?」
あやめの瞳からは怒りの炎がほとばしっていた。龍胆が返事できないことに気がつくと、拘束を緩めて、今度は顔を拳で殴った。
女の拘束が解かれ、龍胆はその場に倒れ込む。激しく咳き込んだ。
「もういい。負け犬にようはない。大人しく閻魔のもとへゆけ」
「――」
再び桜の下へ歩いてゆくその背中に、龍胆はポツリと言った。
「どうすればよかったんだ、俺は」
「うん?」
「どうすれば、過去の罪を償えるんだ」


