屍食鬼の館についた龍胆、雪、菫の三人は囲炉裏を囲んでいた。
龍胆が作った簡単な味噌汁をすすり、雪は体の芯がやっと温まり、一息つく。
「あの、龍胆さま。菫ちゃんも」
雪は箸を置くと、改まって、「助けくださって、ありがとうございました」と頭を下げた。菫は「お姉ちゃんが無事で良かったよ!」といい、ゴロニャンと雪の膝を陣取った。
そのやわらかい髪を撫でる。こうしていると親子のようだ。龍胆は何も言わない。膝には猫ではなく刀を抱いていた。
急に龍胆は口を開いた。
「菫、ちょっと外を見張ってくれないかい?」
「え。いま!?」
菫は目を丸くする。龍胆は笑顔で菫に言い聞かせる。
「外へ出て、奴らがこの屋敷に近づいてこないか見張っていてほしいんだ。獣の嗅覚は人間よりずっと上だ。これは優秀な猫である君にしか頼めない任務だよ。・・・できるかい?」
「ゆうしゅう・・・!」
急に褒められて、菫はがばっと起き上がった。「お外見張ってくるね」と玄関の扉を開け、意気揚々と出ていった。
「寒い中悪いね」と龍胆は笑顔で叫ぶ。
急に二人きりにされ、雪はどっと冷や汗をかいた。気まずい空気に押しつぶされそうだ。
「――さて。雪」
ころりと龍胆の声色が変わる。雪はびくっと肩がはねた。
「大事な話をしようか」
雪の肩にぽんと手を置き、龍胆は言う。顔は笑っているが、目が笑っていない。
「はい・・・何でしょう?」
雪は指をもじもじとさせる。
「――」
龍胆はそのまま、雪をぐいっと抱き寄せた。
「え・・・」
そのまま、長い黒髪に顔を埋める。
深く息を吸う。
何度も、なんども。
やがて、深々とため息を付いた。
「・・・かった」
子どものような、か細い声がした。
「はい?」
――雪を失うと思ったら、怖かった。
龍胆はそのまま膝を開くとその胸に雪をもたれさせた。まるで檻に閉じ込めるように、ぎゅっと密着する。甘い吐息と温かな空気に包まれ、雪は頭がふわふわした。
冷たい身体は変わらないが、なんだか昔に戻ったようで、雪は力を抜いて身を預ける。
「雪がいなくなると思ったら、怖かった」
「っ」
顔がほてる。
(あんなに突き放してばかりだったのに、この人は、急に何を言うの・・・)
龍胆は雪の小さな頭に口づけを落とした。頬にも。まぶたにも。首筋にも――・・・。
「ふえ・・・」
口づけの雨に、雪はくすぐったいやら嬉しいやらで、なんだか泣けてきてしまった。
ぽろりと涙をこぼすと、それを龍胆の桜色の唇が吸い取る。
そうしながら、龍胆は重い声色で話を続けた。
「俺が人斬りだったこと、知っているね?」
話をしながら、龍胆は口づけをやめない。雪はどうにか「はい」と返事をした。
「討伐隊の隊長だったことも、先程知りました」
「俺はろくな男じゃない。大勢を殺めた」
――雪。きれいで、かわいい俺の雪。
この汚れた手で触れることの叶わなかった幸せをくれた、俺の桜。
そのまま、するすると龍胆の手は雪のほほをすべり、顎を傾けさせた。流れるように龍胆の桜色の唇がふさごうとする。
「っ!?」
雪ははっと我に返り、龍胆の唇に手のひらを割り込ませた。
「なにを・・・しようとしたんですか・・・」
「口づけだ」
――君を汚してばかりの男の、最期の褒美だ。
「だめっ!」
雪は必死に距離を取ろうとする。口づければ、あやめのように龍胆は死んでしまう。白雪になってしまう。
「そんなこと、させませんっ!」
しかし龍胆に敵うはずがない。抱き込まれた身体を離してもらえない。そのまま雪は、やさしく床に押し倒されてしまった。
「雪。なぜこばむ?」
「なぜって・・・。あなたが大切だからに決まってるじゃないですか!」
すると、雪の頬に、雨が降ってきた。
それは――涙。
龍胆は、泣いていた。
そのまま、雪の肩に顔を埋めて、絞り出すように唸る。
ガリガリと爪で床板を引っかき、獣の咆哮のように鳴き声を上げる。
「りんどうさま」
(辛いのでしょう。苦しいのでしょう。どれだけこの人は苦しんできたのでしょう?)
本当は優しいのに。
いい人なのに。
(今までどれだけ、涙をこらえて生きてきたの?)
やがて男は顔を上げる。泣き腫らした鬼の目を、雪は見つめる。
「雪。こんな俺にかかわらせてすまない」
すまない、すまないと龍胆は繰り返す。
外は猛烈な吹雪だ。菫がみゃおんと鳴いている。隙間風のひゅるりとした音が、静かな部屋に響く。
雪はふと、何かを思いつき・・・、それからふわりと笑った。
「龍胆さま。一緒に逝きましょう」
「え・・・」
龍胆の涙が止まった。
「なにを言っているのだね? 君は――」
「わたしも、黄泉の国へお供いたします」
雪は迷いなく言った。離れようとする龍胆の身体を引き止め、その濡れた頬を両手で包み込む。
「あなたが逝ったあと、わたしも後を追います。一人にはさせませんから」
「雪、それはだめだ。君はまだ若い。やっと病も治ったんだよ。俺ごときのために命を絶とうなんて・・・」
「わたしの命は、あなたが拾って育ててくださいました」
――わたしの命は、あなたのもの。
雪はそう言って満足気にはにかんだ。
龍胆は唇を噛む。「また俺を人殺しにさせるのか」と問う。雪は首を振った。
「違います。わたしたちの結婚の形です」
「・・・けっこん?」
龍胆は瞬く。やがてふふっと笑った。
「面白いことを言うな、雪は」
――いいよ。結婚しよう。
彼はなにか思案すると、外にいる菫に声をかけた。
「菫、上がっておいで!」
「え。龍胆さま。口づけは・・・?」
菫が戻って来る。
玄関の扉が開く。
菫は雪が押し倒されている状況に、目をまんまるにした。
龍胆は、真剣な眼差しで菫に告げた。
「菫。俺がいなくなったあとも、雪を頼む」
雪は言葉が出なかった。
いや、出せなかった。
龍胆の桜色の唇は、しっかりと雪の赤い唇を塞いでいた。
龍胆が作った簡単な味噌汁をすすり、雪は体の芯がやっと温まり、一息つく。
「あの、龍胆さま。菫ちゃんも」
雪は箸を置くと、改まって、「助けくださって、ありがとうございました」と頭を下げた。菫は「お姉ちゃんが無事で良かったよ!」といい、ゴロニャンと雪の膝を陣取った。
そのやわらかい髪を撫でる。こうしていると親子のようだ。龍胆は何も言わない。膝には猫ではなく刀を抱いていた。
急に龍胆は口を開いた。
「菫、ちょっと外を見張ってくれないかい?」
「え。いま!?」
菫は目を丸くする。龍胆は笑顔で菫に言い聞かせる。
「外へ出て、奴らがこの屋敷に近づいてこないか見張っていてほしいんだ。獣の嗅覚は人間よりずっと上だ。これは優秀な猫である君にしか頼めない任務だよ。・・・できるかい?」
「ゆうしゅう・・・!」
急に褒められて、菫はがばっと起き上がった。「お外見張ってくるね」と玄関の扉を開け、意気揚々と出ていった。
「寒い中悪いね」と龍胆は笑顔で叫ぶ。
急に二人きりにされ、雪はどっと冷や汗をかいた。気まずい空気に押しつぶされそうだ。
「――さて。雪」
ころりと龍胆の声色が変わる。雪はびくっと肩がはねた。
「大事な話をしようか」
雪の肩にぽんと手を置き、龍胆は言う。顔は笑っているが、目が笑っていない。
「はい・・・何でしょう?」
雪は指をもじもじとさせる。
「――」
龍胆はそのまま、雪をぐいっと抱き寄せた。
「え・・・」
そのまま、長い黒髪に顔を埋める。
深く息を吸う。
何度も、なんども。
やがて、深々とため息を付いた。
「・・・かった」
子どものような、か細い声がした。
「はい?」
――雪を失うと思ったら、怖かった。
龍胆はそのまま膝を開くとその胸に雪をもたれさせた。まるで檻に閉じ込めるように、ぎゅっと密着する。甘い吐息と温かな空気に包まれ、雪は頭がふわふわした。
冷たい身体は変わらないが、なんだか昔に戻ったようで、雪は力を抜いて身を預ける。
「雪がいなくなると思ったら、怖かった」
「っ」
顔がほてる。
(あんなに突き放してばかりだったのに、この人は、急に何を言うの・・・)
龍胆は雪の小さな頭に口づけを落とした。頬にも。まぶたにも。首筋にも――・・・。
「ふえ・・・」
口づけの雨に、雪はくすぐったいやら嬉しいやらで、なんだか泣けてきてしまった。
ぽろりと涙をこぼすと、それを龍胆の桜色の唇が吸い取る。
そうしながら、龍胆は重い声色で話を続けた。
「俺が人斬りだったこと、知っているね?」
話をしながら、龍胆は口づけをやめない。雪はどうにか「はい」と返事をした。
「討伐隊の隊長だったことも、先程知りました」
「俺はろくな男じゃない。大勢を殺めた」
――雪。きれいで、かわいい俺の雪。
この汚れた手で触れることの叶わなかった幸せをくれた、俺の桜。
そのまま、するすると龍胆の手は雪のほほをすべり、顎を傾けさせた。流れるように龍胆の桜色の唇がふさごうとする。
「っ!?」
雪ははっと我に返り、龍胆の唇に手のひらを割り込ませた。
「なにを・・・しようとしたんですか・・・」
「口づけだ」
――君を汚してばかりの男の、最期の褒美だ。
「だめっ!」
雪は必死に距離を取ろうとする。口づければ、あやめのように龍胆は死んでしまう。白雪になってしまう。
「そんなこと、させませんっ!」
しかし龍胆に敵うはずがない。抱き込まれた身体を離してもらえない。そのまま雪は、やさしく床に押し倒されてしまった。
「雪。なぜこばむ?」
「なぜって・・・。あなたが大切だからに決まってるじゃないですか!」
すると、雪の頬に、雨が降ってきた。
それは――涙。
龍胆は、泣いていた。
そのまま、雪の肩に顔を埋めて、絞り出すように唸る。
ガリガリと爪で床板を引っかき、獣の咆哮のように鳴き声を上げる。
「りんどうさま」
(辛いのでしょう。苦しいのでしょう。どれだけこの人は苦しんできたのでしょう?)
本当は優しいのに。
いい人なのに。
(今までどれだけ、涙をこらえて生きてきたの?)
やがて男は顔を上げる。泣き腫らした鬼の目を、雪は見つめる。
「雪。こんな俺にかかわらせてすまない」
すまない、すまないと龍胆は繰り返す。
外は猛烈な吹雪だ。菫がみゃおんと鳴いている。隙間風のひゅるりとした音が、静かな部屋に響く。
雪はふと、何かを思いつき・・・、それからふわりと笑った。
「龍胆さま。一緒に逝きましょう」
「え・・・」
龍胆の涙が止まった。
「なにを言っているのだね? 君は――」
「わたしも、黄泉の国へお供いたします」
雪は迷いなく言った。離れようとする龍胆の身体を引き止め、その濡れた頬を両手で包み込む。
「あなたが逝ったあと、わたしも後を追います。一人にはさせませんから」
「雪、それはだめだ。君はまだ若い。やっと病も治ったんだよ。俺ごときのために命を絶とうなんて・・・」
「わたしの命は、あなたが拾って育ててくださいました」
――わたしの命は、あなたのもの。
雪はそう言って満足気にはにかんだ。
龍胆は唇を噛む。「また俺を人殺しにさせるのか」と問う。雪は首を振った。
「違います。わたしたちの結婚の形です」
「・・・けっこん?」
龍胆は瞬く。やがてふふっと笑った。
「面白いことを言うな、雪は」
――いいよ。結婚しよう。
彼はなにか思案すると、外にいる菫に声をかけた。
「菫、上がっておいで!」
「え。龍胆さま。口づけは・・・?」
菫が戻って来る。
玄関の扉が開く。
菫は雪が押し倒されている状況に、目をまんまるにした。
龍胆は、真剣な眼差しで菫に告げた。
「菫。俺がいなくなったあとも、雪を頼む」
雪は言葉が出なかった。
いや、出せなかった。
龍胆の桜色の唇は、しっかりと雪の赤い唇を塞いでいた。


