高校の修学旅行のバスが人気のない山道を登っていく。窓の外から見える山肌は雪化粧を纏っていて、地元ではなかなかお目にかからない景色に、遠くに来たことを改めて感じた。
ぼんやりと外を見ていたところで、座席がガクンと揺れる。山道を走っているせいか、時折バスが不自然に揺れていたけど、今回の原因は別だ。
ちらりと振り返ると、バスの最後列で腕を組み、ふてぶてしい顔をした健介がニヤニヤとこちらを見ている。その足が再び座席をドンと蹴った。
「おい、涼太。俺たち腹減ったんだけど」
「ちょっと、健介ー。やめたげなよー」
健介にしなだれかかっているのは、玲美。言葉とは裏腹に健介を本気で止めようとする気配はなく、嘲るような目で僕を見下ろしている。最後列は全部健介の取り巻きが占めていて、ゲラゲラと笑っていた。
周囲の視線がチラチラと僕を見る。その半分くらいは同情で、残りの半分くらいは「おとなしく何か渡してさっさと黙らせろ」という無言の圧だった。最前列に座っている委員長の亜沙子から送られてくる視線も同じ色味を帯びている。
まあ、期待していたわけじゃないけど。
ため息をつくのを我慢して、カバンから取り出した板チョコを後ろに渡す。健介たちはゲタゲタと笑いながら受け取ると早速仲間内で分け始めた。まさかお礼など言われるはずもないとわかっていたけど、今度こそため息が溢れ出した。
初めから腹が減ってたわけじゃなくて、こうして力づくで何かを奪うのが楽しくてたまらないらしい。ガキじゃん、と毒づきたくなるのをグッと堪える。
「あの、これ……」
隣から遠慮がちな声がかけられる。見ると、隣に座る倉富波奈が僕の方にチョコレートの小袋を僕の方に差し出していた。別に何か悪いことをしているわけでもないのに、その目がビクビクと僕を見ている。
「ありがとう」
意識的に表情を和らげて、後ろの健介たちから見えないようにチョコを受け取る。なぜか波奈の方がホッとしたように背もたれに身を預けた。二年生に上がってから半年以上たつけど、波奈とは殆ど話したことはなかった。波奈は授業中以外は殆ど教室にいなかったから、そもそも話す機会がなかったのだけど。
そんな波奈と隣の席でバスに揺られているのは、ある意味では偶然である意味では必然だった。
今朝、修学旅行の宿泊先のホテルを出ようとしたら、ロビーの近くでスマホを持った波奈がオロオロしていた。
話を聞くと、ロビーの傍の廊下に落ちていたものの持ち主が分からず困っているということだったので、スマホから持ち主が分かるか調べてみたり、二人でフロントにスマホを届けたりと寄り道している間に、バスの中は健介たちの前の席以外埋まってしまっていた。
「っとと」
バスがグラリと揺れる。山道でずっとカーブが続いていたけど、窓側に体が押し付けられるくらい急な運転だった。その勢いで波奈がぐいっと僕の方にもたれるようになり、「わわわっ」と、わたわたと慌てたように距離をとった。
「おいっ! こぼれただろ!」
そんな中、健介の怒声が運転席に向かって飛ぶ。いい気味だと思ったけど、迂闊に振り返って様子を見れば因縁をつけられそうだったので、静かに前を向いておく。
委員長の亜沙子が心配そうに運転席の様子を伺っていた。道中、サービスエリアでもコーヒーを差し入れていたし、気にかかることがあるのかもしれない。
健介の問題に無視を決め込んでいることを脇に置けば、細かいところに気を配れるいい委員長なんだと思う。若干神経質になりすぎて、通院しているなんて噂を聞いたことがあるくらいだ。
「ご、ごめんね」
「いや、大丈夫だよ」
おどおどと頭を下げる波奈に小さく笑いかけてから手元のスマホを見ると、いつの間にか届いていた着信に心が弾む。
『ねえ、涼太! 明日の計画考えてみた!』
隣のクラスの夏帆からのメッセージ。その下には明日の自由時間のプランが細かく書き連ねられていた。プランは任せてと言われていたけど、一生懸命計画をたてる夏帆の姿を思い浮かべると何だか心がソワソワした。
『ちょっと行き先多すぎるんじゃない?』
『そうかなー。修学旅行ってこれで最後だし、涼太といろんな思い出作りたいし!』
腐りかけていた気分がそれだけで浮き上がる。夏帆は小学生の頃からの馴染みの存在だったけど、去年の体育祭をきっかけに付き合い始めた。今年も同じクラスになれたらと思っていたけど、健介たちの存在を考えたら夏帆まで被害に遭わなくてよかったのかもしれない。
『それに修学旅行先なら、さすがに乃利子ちゃんにも邪魔されないだろうし』
夏帆が名前をあげた一学年下の女子の名前に申し訳なさが浮かぶ。確かに、せっかく付き合いだしたのに、地元だと何かと乃利子が出てきて上手くいかないことが多々あった。
『そうだね。明日は時間いっぱい楽しもう』
とにもかくにも、明日の自由時間が待ち遠しい。クラスを飛び越えて活動できる自由時間は夏帆と二人で巡ると前々から約束していた。夏帆も楽しみにしている様子がメッセージから伝わってきた。それがまた僕の心を弾ませてくれる。
「う、運転手さん!」
そんな時、バスの前の方から亜沙子の悲鳴が聞こえてきた。次の瞬間、ドンっと強い衝撃に襲われた――かと思うと、すぐにふわりとした浮遊感に包まれる。
窓の外から見える山肌が遠い。グラリと体が落ちていく感覚とバスの中を満たす悲鳴の中で、意識がプツリと途切れて消えた。
ぼんやりと外を見ていたところで、座席がガクンと揺れる。山道を走っているせいか、時折バスが不自然に揺れていたけど、今回の原因は別だ。
ちらりと振り返ると、バスの最後列で腕を組み、ふてぶてしい顔をした健介がニヤニヤとこちらを見ている。その足が再び座席をドンと蹴った。
「おい、涼太。俺たち腹減ったんだけど」
「ちょっと、健介ー。やめたげなよー」
健介にしなだれかかっているのは、玲美。言葉とは裏腹に健介を本気で止めようとする気配はなく、嘲るような目で僕を見下ろしている。最後列は全部健介の取り巻きが占めていて、ゲラゲラと笑っていた。
周囲の視線がチラチラと僕を見る。その半分くらいは同情で、残りの半分くらいは「おとなしく何か渡してさっさと黙らせろ」という無言の圧だった。最前列に座っている委員長の亜沙子から送られてくる視線も同じ色味を帯びている。
まあ、期待していたわけじゃないけど。
ため息をつくのを我慢して、カバンから取り出した板チョコを後ろに渡す。健介たちはゲタゲタと笑いながら受け取ると早速仲間内で分け始めた。まさかお礼など言われるはずもないとわかっていたけど、今度こそため息が溢れ出した。
初めから腹が減ってたわけじゃなくて、こうして力づくで何かを奪うのが楽しくてたまらないらしい。ガキじゃん、と毒づきたくなるのをグッと堪える。
「あの、これ……」
隣から遠慮がちな声がかけられる。見ると、隣に座る倉富波奈が僕の方にチョコレートの小袋を僕の方に差し出していた。別に何か悪いことをしているわけでもないのに、その目がビクビクと僕を見ている。
「ありがとう」
意識的に表情を和らげて、後ろの健介たちから見えないようにチョコを受け取る。なぜか波奈の方がホッとしたように背もたれに身を預けた。二年生に上がってから半年以上たつけど、波奈とは殆ど話したことはなかった。波奈は授業中以外は殆ど教室にいなかったから、そもそも話す機会がなかったのだけど。
そんな波奈と隣の席でバスに揺られているのは、ある意味では偶然である意味では必然だった。
今朝、修学旅行の宿泊先のホテルを出ようとしたら、ロビーの近くでスマホを持った波奈がオロオロしていた。
話を聞くと、ロビーの傍の廊下に落ちていたものの持ち主が分からず困っているということだったので、スマホから持ち主が分かるか調べてみたり、二人でフロントにスマホを届けたりと寄り道している間に、バスの中は健介たちの前の席以外埋まってしまっていた。
「っとと」
バスがグラリと揺れる。山道でずっとカーブが続いていたけど、窓側に体が押し付けられるくらい急な運転だった。その勢いで波奈がぐいっと僕の方にもたれるようになり、「わわわっ」と、わたわたと慌てたように距離をとった。
「おいっ! こぼれただろ!」
そんな中、健介の怒声が運転席に向かって飛ぶ。いい気味だと思ったけど、迂闊に振り返って様子を見れば因縁をつけられそうだったので、静かに前を向いておく。
委員長の亜沙子が心配そうに運転席の様子を伺っていた。道中、サービスエリアでもコーヒーを差し入れていたし、気にかかることがあるのかもしれない。
健介の問題に無視を決め込んでいることを脇に置けば、細かいところに気を配れるいい委員長なんだと思う。若干神経質になりすぎて、通院しているなんて噂を聞いたことがあるくらいだ。
「ご、ごめんね」
「いや、大丈夫だよ」
おどおどと頭を下げる波奈に小さく笑いかけてから手元のスマホを見ると、いつの間にか届いていた着信に心が弾む。
『ねえ、涼太! 明日の計画考えてみた!』
隣のクラスの夏帆からのメッセージ。その下には明日の自由時間のプランが細かく書き連ねられていた。プランは任せてと言われていたけど、一生懸命計画をたてる夏帆の姿を思い浮かべると何だか心がソワソワした。
『ちょっと行き先多すぎるんじゃない?』
『そうかなー。修学旅行ってこれで最後だし、涼太といろんな思い出作りたいし!』
腐りかけていた気分がそれだけで浮き上がる。夏帆は小学生の頃からの馴染みの存在だったけど、去年の体育祭をきっかけに付き合い始めた。今年も同じクラスになれたらと思っていたけど、健介たちの存在を考えたら夏帆まで被害に遭わなくてよかったのかもしれない。
『それに修学旅行先なら、さすがに乃利子ちゃんにも邪魔されないだろうし』
夏帆が名前をあげた一学年下の女子の名前に申し訳なさが浮かぶ。確かに、せっかく付き合いだしたのに、地元だと何かと乃利子が出てきて上手くいかないことが多々あった。
『そうだね。明日は時間いっぱい楽しもう』
とにもかくにも、明日の自由時間が待ち遠しい。クラスを飛び越えて活動できる自由時間は夏帆と二人で巡ると前々から約束していた。夏帆も楽しみにしている様子がメッセージから伝わってきた。それがまた僕の心を弾ませてくれる。
「う、運転手さん!」
そんな時、バスの前の方から亜沙子の悲鳴が聞こえてきた。次の瞬間、ドンっと強い衝撃に襲われた――かと思うと、すぐにふわりとした浮遊感に包まれる。
窓の外から見える山肌が遠い。グラリと体が落ちていく感覚とバスの中を満たす悲鳴の中で、意識がプツリと途切れて消えた。