ノースリーブの隙間から夢を覗かせてみた。
 大抵の男性は、この私が作り上げた視線の導線にまんまと引っ掛かる。クラスメイトや学校教師、はたまた道行く見知らぬ男性まで。十五歳の少女の胸元に下劣な視線がハイエナの如く群がる。条件反射という名の悲しい性。私はそんな歪な道楽を日々嗜んでいた。
 今日、新たなターゲットが家にやってくる。三十歳の男性を私が自ら指名した。
「女性の先生の方がいいんじゃないか?」と言う両親に対して、私は「学校では女の先生の方がちょっと相性が悪いから」という思春期の少女にありがちな口実で返す。そんな私の主張に両親は、渋々ながら納得してくれた。
 私はそれなりに成績優秀で通っていたが、家庭教師派遣会社の営業担当の口車にまんまと乗せられた両親が高校受験までの約半年間、家庭教師を付けないか? と提案してきた。正直、志望校合格は独学でも楽勝だったので、そのような提案をされることは想定外だった。それは私にとって嬉しい誤算だった。密室で如何なく私の歪な道楽に励むことができるからだ。
 営業担当の体験授業に参加した私は、図形の内角の和を求める裏技というチープでありきたりな子供だましに対して大袈裟に驚いてみせた。同席していた両親も、私が演技をしているとも知らずに同じように驚いている。そんな両親の学のなさに内心呆れてしまう。単に図形の中に線を引いて三角形を複数作っているだけだ。三角形の内角の和である180°を掛け算しているだけで、理屈が分かれば何てことのない基礎的な問題である。一見すると見映えが良いので、学力の低い者にとっては手品のように感じるのだろう。私はそれが分かっていたので、敢えてそれに相応しい反応をした。営業担当の若い女性も、私の反応を見て安堵の表情を浮かべている。馬鹿な女だ。
 その場で両親が契約だけした。後日、候補の先生を何人かピックアップして紹介してくれるとのことらしい。両親は「できれば女性の先生で」と口頭で告げていたが、営業担当の女性は「一応男性の先生も紹介します」と言いながらチラッと私の方を見た。そんな女性に対して私は笑顔で「私はどちらでも構いません」と言っておいた。
 
 数日後、三人の候補の先生が写真付きのプロフィールと共に紹介された。二人は地元の国立大学に通う女性で家庭教師としてのキャリアは一年程度とのこと。もう一人の男性は社会人でそこそこの名門私立大学を卒業していて家庭教師のキャリアは十年ほどあるとのこと。私の心は決まっていた。迷う理由もなかった。
「この先生なんて良いんじゃないか? 自宅も近いし優しそうな顔してるし」
 父がさも当たり前かのように二者択一を始める。男性のプロフィールには目も通そうとしない。母はそんな父に同調しながらも男性のプロフィールにも目を通す。母から発せられた「あら? 可愛い顔しているわね」という言葉に父が一瞬眉間に皺を寄せていたのが分かった。
「可愛いって言ったって、その男三十歳じゃないか」
「でも全然見えなくない? 大学生ぐらいに見える。ねえ美空、そう思わない?」
 母からまさかの同意を求められた。四十を超えても女の部分が残っている母のこの性質を私は嫌いじゃない。
「うん確かに。私のタイプではないけど可愛い系の顔してると思う」
 私のタイプではない、という言葉に父が安堵しているのが分かった。つくづく男性というものは分かりやすい生き物である。
「美空はこの中だったらどの先生がいい?」
 母の問いに私は一応悩んだふりをする。
「うーん、みんな良い人そうだから迷うんだけど、経験が長いこの先生かなあ?」
 私はもっともらしい理由を付けてそう告げた。
「女性の先生の方が良いんじゃないか?」
 私の言葉に父が即座に反論する。娘を心配する男親の正常な反応だ。
「確かに経験が浅いことはちょっと不安だけど、いきなり男性の先生ってのもねえ」
 女の色を出していた母もそこは常識人であった。可愛い顔をしていようが、娘の身を一番に案ずる。母もまた娘を心配する女親の正常な反応を示していた。
「実は学校であんまり女の先生と相性が良くなくてさ、年が近いともっと難しいかもしれないし」
 私のもっともらしい理由に両親は頭を悩ませていた。
「もし変な先生だったらすぐに言うし、その時は別の先生に交代してくれてもいいからさ」
 私の主張に渋々納得した両親は、営業担当の女性に紹介された男性の先生を希望するという旨の連絡を入れた。近日中に直接先生から母の携帯に連絡がくるとのことだった。

 翌日、母の携帯に真新しい電話番号から着信が入った。夕食後、リビングでくつろいでいた母が携帯のディスプレイを見て私と父に目配せをしながら「きた、きた」と言っていた。受話ボタンを押し、普段よりもワントーン高い母の声が部屋中に響き渡る。少し畏まった口調がほんの少しの違和感で日常生活を彩る。
 通話を終えた母が男性の印象を語る。めちゃくちゃ丁寧な人だったと。そしてめちゃくちゃ良い声をしていたと。そんな母の高評価に対しても父は面白くない様子だった。

 数日が経過し、いよいよ今日は先生が自宅にやって来る日だ。父は仕事で不在のため、母と私で対応することになった。
 当日、私は小細工をするために部屋で勉強をしているという口実で先生が来るまで自室に籠もっていた。玄関のチャイムがターゲットの来訪を告げると、私は控えめな表情を浮かべながら玄関へと向かった。
 先に出迎えた母がにこやかに対応している。そんな母の背後から私は笑顔で顔を覗かせながら「こんにちは」と言った。写真で見るよりもさらに幼い印象の男性は、私の存在を確認すると満面の笑みで「こんにちは」と返してくれた。
 リビングに通された男性は促されるままにソファへと腰掛けた。手慣れた様子で自身のプロフィールカードや指導報告書などの書類をこちらに差し出しながら、生徒カルテと書かれた書類に目を通し始めた。先日記入した私の成績や趣味などといったプロフィールを眺めながら書類と私を交互に見比べている。
「成績良いんだね」や「音楽が好きなんだ?」といった当たり障りのない言葉を笑顔で投げかけてくるものの、どこか血が通っていない感じがする。装飾された作られた音を口から発しているように見える。私はそんな男性の姿に既視感を覚えた。何処かで見たことがある、と。
 指導プランや進路等について話し合った後、早速授業を始めようということになったのだが、授業を行う場所について男性から問いがあった。
「授業を行う場所はリビングにしますか? それとも美空ちゃんの部屋にしますか?」
「お母さん、テレビを見たり家事とかしたいでしょ? 私の部屋でいいよ」
「うーん、そうね。この子の部屋でお願いできますか?」
「分かりました。それでは授業後に指導報告だけさせていただきたいので、少々お時間をいただけますか?」
 男性は笑顔でそう言うと、私に促されるまま私の部屋へと誘われた。
「失礼します」
 男性はそう言うと、私のテリトリーに足を踏み入れた。部屋に入ると男性は軽く部屋全体を見渡しながら小さく「へえ」と声を漏らしていた。男性が用意された椅子に腰掛けた瞬間、私の歪な道楽はスタートした。正確にはもう少し前から仄めかしていたが、男性は気が付いていないだろう。
「これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
 先生と生徒らしい愛想の良い会話を交わすと、私はさり気なく腕を前方に伸ばし、ノースリーブの隙間を強調した。普段の学校ではカッターシャツの襟元の隙間を強調して視線の導線にしている。男子生徒も男性教師もそんな私の思惑にまんまと引っ掛かる。滑稽なまでに皆が同じ視線の動きを見せるので、そんな彼らを見てほくそ笑んでいる。この男性もきっと同じだ。チラッとそちらを見て、さも見ていませんよと言わんばかりにサッと視線を逸らす。今まで例外は一人もいなかった。私はそうなることを疑いもせず、男性の方を見た。横目で見て、男性の視線が私の導線に誘導されていることは分かっていた。
 でも、ここからが想定外だった。私が男性の顔を見て、それに気付いた男性が私と目が合った後も男性は再び視線をノースリーブの隙間に戻した。彼は私が気付いていることに気付いている。でも、視線を逸らすことをやめようとしない。
「先生、どこ見てるんですか?」
「君の胸」
 さも当たり前かのように答える先生に私は驚いた。こんな男性に今まで出会ったことがない。言葉に後ろめたさや申し訳なさといった感情が一切感じられない。
「先生、当たり前のように言っているけど、それ犯罪ですよ?」
 笑顔でそう告げる私に、先生は悪びれる様子もなく答える。
「だって君、わざとやっているでしょ? わざと見せているものをただ見ているだけだから僕は悪くないよ」
「悪くなくても例えばそれを私が両親や他の大人に言ったら、先生捕まっちゃいますよ」
「僕、前科ないからさ。仮に捕まってもせいぜい罰金刑ぐらいだよ。投資で一生食えるぐらいのお金は稼いだからさ。そんなのかすり傷程度だよ」
「でも、家庭教師の仕事続けられなくなりますよ? 十年もやっているんならこの仕事好きなんでしょう?」
「別に。仕事自体が好きなわけではないよ。ただ非合法なことを合法的にできるっていうことに魅力を感じているだけさ」
「非合法なことって?」
 馴染みのない言葉が私の神経をゾクゾクと刺激する。先生は私と話しながらも視線をノースリーブの隙間に固定させている。
「僕の年齢だと十八歳未満の女性と一緒に過ごすことは基本的にNGなんだ。だけど、この仕事なら合法的に一緒に過ごすことができる。しかも二人っきりでね。学校教師や塾講師でも二人っきりで過ごすことはできない。家庭教師の特権なんだよ」
「先生はロリコンなんですか?」
「ロリコンではないよ。特段若い女性に興味があるわけでもない。ただ、非合法なことを合法的にできるっていうこの状況が最高なんだ。分からないかな?」
 ロリコンの方がよっぽど正常だ。この先生はおかしい。おかしいけれど、どこまでも私の神経を刺激する。私の歪な部分を駆り立てる。ノースリーブの隙間の部分に汗が滴っているのが分かる。そんな不埒な水滴を先生見られていると思うと、ますます興奮が止められなくなる。
「こんな僕が言うのもなんだけどさ、ノーブラはやり過ぎだよ。いつか危ない目に遭うよ」
 先生はそう言いながらも視線を動かそうとしない。
「普段はちゃんと下着を着けてますよ。今日は特別です」
「何で特別?」
「えっ? だって密室で三十歳の男性と二人っきりって最高に興奮するシチュエーションじゃないですか。その状況下で相手が自分の狙い通りの行動を取ったらって考えるとブラジャーなんかいらないなって」
「君も僕に負けず劣らずの変態だな。初めて出会ったよ。君みたいな子と」
 先生が視線を私の両目に移しながら微笑む。その屈託のない顔は汚れのない少年のように見える。
「触ってみますか? 一回」
 私の言葉に先生は笑いながら答える。
「それは非合法な非合法なんだよ。僕の趣味じゃない」
「でも、私が誰にも言わなければそれは合法になる」
「ダーメ。それは僕の美学に反する」
 先生はそう言いながらも再度ノースリーブの隙間に視線を移す。彼なりの歪な正義感がこの空間で躍動する。
「先生、ところで勉強しなくていいんですか?」
「君の成績なら志望校合格なんて楽勝だから勉強なんてほどほどでいいんだよ。それよりももっと大事なことがある」
 家庭教師が生徒に勉強を教えることよりも生徒の胸を見ることを重要視しているなんて滑稽にもほどがある。
「先生、それなら胸を見たままでいいのでいくつか質問してもいいですか?」
「いくらでもどうぞ」
 先生が少しだけ面倒くさそうに答える。
「何で私がわざとやってるって分かったんですか?」
「あからさま過ぎるからだよ。白で生地が薄めのノースリーブだから正面から見ても思いっきり透けてた。部屋に入ってもわざと目に入る場所に下着が干してあったりさ、バレバレなんだよ」
「ただ何も考えてない子って思いませんでした?」
「この仕事をしていたらさ、幼さゆえの不手際って何回も見るんだよ。特に今の子は警戒心が薄かったりするからね。でも君の場合は明らかに違う。流石に幼さゆえの不手際と作り物の不手際の判別ぐらいは付くよ」
「なるほど。それじゃあ先生はそういうのを見ても何も感じないんですか?」
「何もって?」
「いやそれこそ性的興奮とか?」
「ああ、なくもないよ。だから僕は今ガン見してるわけだし。勿論、見せようとしていないものを見てしまった時は後ろめたさも感じるしそれなりに罪悪感もあるよ。そういう時は君がいつも弄んでいる男性達と同じような反応を僕もしていると思う。でも、君に対しては後ろめたさも罪悪感も覚える必要がないから僕からしたらラッキーでしかないよね」
 否定をされているのか肯定をされているのか分からない。だけど私は先生にとって他とは異なる存在であるということだけは分かった。それが何故だが無性に嬉しい。
「何か複雑な心境ですね」
「何が複雑なの?」
 先生が不思議そうに尋ねる。
「先生が私にとって想定外の男性だったことが残念であると同時に嬉しい。そんな感じです」
 世界は広い。男性はみんなおおよそ同じだと思っていた。私の理解の及ぶ範囲の差異でしかないと思っていた。しかしそれは違った。私の理解の範疇の外側にいる人は確実に存在する。少なくとも私の目の前に一人。
「ああ、世の中には僕から見ても理解できない男って沢山いるからね。大学時代にさ、舌先が蛇みたいに二つに分かれている奴がいたんだよ。スプリットタンっていうらしくてさ。それなりに勉強もできる奴だったのに何考えてるのかね? それと比べたら生徒の胸をガン見する家庭教師なんて全然大したことないでしょ?」
「スプリットタン? そんな人いるんですか?」
「いたよ。学籍番号が一つ前の奴。興味本位でどうやったらそんな舌になるのか聞いてみたらピアスで穴を広げていって糸で縛るんだってさ。聞いてるだけで舌が痛くなったよ」
 顔をしかめながら話す先生に、内側から込み上げてくるゾクゾクとした葛藤を抑えきることができなくなってきた。
「私もやってみようかなあ?」
「何を?」
「スプリットタン」
 私がそう言うと、先生は既に寄っていた眉間の皺をさらに深めながら言った。
「やめておいた方がいいよ。せっかく可愛い顔をしているのに勿体ない」
「でもしまっておけば分かりませんよ。顔の造形に変化はないです」
「目に見えているものが全てではないんだよ。隠れていてもそれが君になるんだ。僕や君が外見では分からない異常な性質を持ち合わせているようにね」
「内面が異常なら外見が異常になっても大差なくないですか?」
「君はまだまだ若いね。人はね、外見で判断されてしまうものなんだよ。だから日本ではタトゥーとかが忌み嫌われたりしているんだ。海外ではファッション的な要素が強いにも関わらずね。スプリットタンに関しては多分、海外でも異常に見られるよ。明らかにファッションの範疇を超えているからね。要するに君は肩身の狭い思いをすることになる。だからおすすめできないね」
 先生の弁に熱がこもる。どうしても私の愚行を止めたい様子だ。そういった部分だけを切り取れば、先生は案外正常な教育者なのかも知れない。
「先生はどうしてそこまで反対するんですか? 私は今日会ったばかりのいち生徒でしかないのに。そんなに将来を心配する価値なんてないでしょう?」
「僕は自分の生徒に対して異常な愛着があるんだ。今日会ったばかりとはいえ、君が僕の生徒ということに変わりはない。僕は自分が異常であることは自覚しているけど、生徒を守りたいって気持ちだけは嘘じゃないんだ」
「ほんと先生って変わってますね。ずっと私の胸を見てるのに守りたいって、矛盾していること分かってます?」
 私が笑いながら言うと先生もそれに笑いながら答える。
「それとこれとは別問題だよ」
「めちゃくちゃ都合のいい解釈ですよねそれ」
「人間なんてみんな自己中心的な生き物だよ。さっきは君の未来を守りたいみたいに言ったけど、本当は単に僕が嫌なんだ。自分の生徒の造形が崩れちゃうのはね」
「そんなに嫌なもんですか?」
「嫌だね。この前もさ、中学生の時に指導を担当していた女の子の生徒と久しぶりに街でバッタリ会ったんだけど、口にピアスをしてたんだ。おっとりしていて可愛らしい子だったし、性格も全然変わってなかったんだけど、僕は何故か酷くがっかりした。外見のほんの一部分が変わっただけなのにさ、宝物が壊れてしまったみたいな感覚に陥ったよ」
「元々その子は先生の物ではないと思いますよ」
「その通りだね。決して僕の所有物じゃないよ。だから彼女が口にピアスを開けようが何をしようが自由なんだ。だけど僕がそれを見て嫌だったこともこれもまた偽らざる本心なんだ。彼女からしたら知ったこっちゃないって話だけど」
 切なげに微笑む先生は何か大きなものを諦めているように見えた。内から迸る感情を大人としての節度で抑え込みながら。
 そんな先生の顔を私は抱き締めた。ノースリーブ越しに私の感触が伝わるように。
「私、スプリットタンやりません。ピアスも開けません。ずっと先生が望むままの姿でいます。だから私は壊れたりしないので安心してください」
「……ありがとう。気持ちはすごく嬉しいんだけど、これもし今お母さんが部屋に入ってきたら非合法になっちゃうよ?」
「大丈夫です。しっかり鍵を掛けておきましたから」
「そっか」
 先生はそう言うと、しばらく私に抱かれていた。恐らく私の感触を堪能していた。それでも先生は決して自ら触れてこようとはしなかった。そんな先生の陰茎をズボン越しに触れてみた。微かに硬直しているのが分かった。前後に数回手を動かすと私の手の中で膨張していくのが分かった。
「先生、大きくなってます」
「男なら誰でもそうなるよ。ただの条件反射だ」
「じゃあこのまま男の条件反射を続けてください」
 私はそう言うと、ズボン越しのマッサージの強度を強めた。完全に膨張しきった陰茎によって、ズボンがテントを張った様な形に変形していく。スラックスパンツの素材が余計に綺麗なテント型を強調させている。
「先生、直接触ってもいいですか?」
「流石にそれはだめだって」
 一応聞いてはみたものの、私は手を止めようとはしなかった。先生も口では拒否しているものの特に体で抵抗を示したりはしない。ベルトに手を掛けると、カチャリという生々しい金属音が小さく部屋中に響き渡る。ベルトとボタンを外し、ジップを慎重に開けていくと、徐々に先生の男性の象徴が下着越しにではあるが、姿を現してゆく。
「ねえ美空ちゃん」
 不意に先生から名前を呼ばれた。
「何ですか?」
「普段もこういう事してるの?」
「してませんよー。自分の部屋に男性を連れ込んだりとか両親が許しません。特に父が」
「いや、彼氏の家とかさ」
「こんな異常な女が彼氏とか作ると思います?」
「……思わないね。君が作るのはせいぜい都合のいいおもちゃだな」
「どんな気分ですか? 自分が都合のいいおもちゃになった気分は?」
「案外、悪くないもんだね」
 下着越しに伝わる先生の感触が私の掌に熱を帯びさせる。布一枚を隔てて肉と肉が摩擦する卑猥な音が、私の鼓膜にへばり付く。
 しばらく摩擦を繰り返していると、粘り気のある湿気を掌で感じた。彼の陰茎から洩れ出た卑猥な汁が、布を貫通して私の掌へと到達していた。私は自分の掌の湿気を舌先が二つに分かれていない正常な舌で舐め回した。まるで幼児が溶けかけのチョコレートを舌で拭うかのように。
 私の舌によって微かに湿気を帯びた掌で、直接先生の象徴を握った。布で隔たれていない分、掌に伝う汁の量は先程とは比にならない。
「先生、大きな声だけは我慢してください。私のこと噛んでもいいですから」
 私の胸の中で先生がコクンと頷いたのが分かった。先生は小さく息を漏らしながら息遣いを荒くしている。
「あ……ヤバい」
 しばらく掌を上下していたら、先生の口から切なげな声が漏れた。
「いいですよ。先生」
 私がそう言うと、先生は一瞬体を硬直させた後、ノースリーブ越しに私の胸を咥えた。ただ、決して歯を立てずに、乳幼児のごとくしゃぶり付くように。
 先生の象徴の先端から発射された粘り気のある液体の大部分を掌で受け止める事に成功した私は、再び掌を舐め回した。 
 私はウエットティッシュで掌の先生の残り香を拭き取ると、すっかり萎んでしまった先生の陰茎を同じウエットティッシュで丁寧に磨き上げた。
「先生、大丈夫ですか?」
 世界一滑稽な確認だと思う。十五歳の少女の胸を咥えている三十歳の男性が大丈夫なわけがない。
「……大丈夫」
 水中にいるかのようにくぐもった声だった。私の胸越しに返事をしたから当然の話だ。
 ようやく私の胸から離れた先生は、乱れた着衣を直しながら机に突っ伏した。先程まで先生の口に咥えられていた私のノースリーブの胸元は、微かに唾液の跡が残っていた。
「先生疲れました?」 
「知ってる? 射精したら凄く疲れるんだよ。だからこうして机に伏せてるんだ」
「賢者タイムってやつですか?」
「よく知ってるね。油断したらこのまま眠ってしまいそうだよ」
 先生の返事に疲労の色が見える。私はそんな先生に構わず話しかけ続ける。
「寝てもいいですよ。そのまま泊まっていってください」
「君は僕をぐうの音も出ないほどの犯罪者に仕立てあげたいのか?」
 そう言いながら先生は微かに笑った。
「いえ、先生は私にとって貴重な存在です。良くも悪くも例外中の例外なんです。だから簡単に手放すようなことはいたしません」
「奇遇だね。僕も君に対して全く同じ感情を抱いているよ。だから今後ともよろしくね」
 先生から発せられた二度目のよろしくという言葉は一度目とは全く別の意味に聞こえた。
「先生、もし私がまともな子だったら先生はどんな非合法な合法をするつもりだったんですか?」
「うーん、僕がよく使うものだと合格発表の時にハグしたりとかかな? 不思議とね、この時ばかりは生徒の両親も全然悪い顔をしないんだよ。やっている事は明らかに非合法なことなのにさ。結局、合法とか非合法って時と場合や人によってその境界は曖昧なんだよね」
「そういうもんなんですね。でもうちのお父さんは怒りそうだけどなあ」
「怒りそうな相手が全く怒らない特別な日なんだよ。感謝の気持ちと祝福の気持ちが混ざり合って、非合法を打ち消すんだ。その瞬間も結構快感でさあ」
「先生ってやっぱり変態ですね」
 授業の終了時刻が近づく。残り十分で先生は帰る。
「結局、一分たりとも勉強しませんでしたね」
「この仕事はね、生徒を合格さえさせれば全て許されるんだ。過程よりも結果が求められる究極の形だね。だから君が定期テストでしっかり点を取って成績を上げて志望校に合格すれば誰も文句を言わない」
「じゃあ先生はただ私の胸を眺めてるだけでもいいってことですね」
「よく分かってるじゃん。その通りだよ。でも毎回胸を見てても飽きるから変化はつけてね。悪い変化は駄目だよ?」
「スプリットタンとか?」
「そうそうあれは駄目。妄想が阻害される」
「妄想って?」
「基本的に僕は女の子の生徒とキスをする妄想をするんだよ。妄想するだけなら合法だからね。君とのキスを妄想する時に蛇を連想してしまいそうで、それが嫌だ」
 どこまでも自分の異常な部分を、先生は惜しげもなく曝け出していく。
「普通、妄想することを妄想する相手に伝えますか?」
「だから僕は普通じゃないんだよ。それにきっと君も僕のことを妄想するだろう? 口でそう言わなくても顔に書いてあるよ」
「確かにその通りですね」
 異常な者同士だからこそ通じ合う。相手のことを理解できる。でもそれと同時に世界一お互いのことを理解できない。私達はそんな関係だ。
「あっ、今日は数学の二次方程式をやったことにしておくから上手く口裏を合わせてね。お母さんに指導報告をするからさ。それと、そのノースリーブの上からTシャツか何かを着て。ちょっとだけ胸元が濡れてしまってるからさ」
 慣れた様子で非合法の痕跡を消していき、優れた教育者の面を作り上げる。まるでいつものルーティンをこなすかのように。
「分かりました。先生、これからも私と非合法な合法をしてくれますか?」
「うーん、内容次第かな?」
 そう言いながら先生は屈託のない笑顔を浮かべていた。
 授業の終了時刻に設定していた携帯のアラームが二人きりの空間に鳴り響いた。 
「時間ですね、先生」
「そうだね。ありがとう。とても良い時間だったよ」
 先生に言われた通りに私はノースリーブの上から一枚Tシャツを着た。夢の隙間が埋まった私を見て、ほんの少し先生の目の輝きはくすんでしまったように見えた。
 階段を降りてリビングに入ると、キッチンで洗い物をしている母の姿が目に入った。私はその極々日常的な光景を見て、この瞬間が決してまやかしではないことを実感していた。
 私達の気配を感じ取ると、母はよそ行きの笑顔を作り、こちらに目を向けた。そんな母に向かって先生も作り物の笑顔で返し、「お疲れ様でした」と簡素な挨拶を述べた。その言葉に続く流暢な指導報告と私を褒める偽りの方便を聞いていると、先程行われていたことがまるで嘘かのように錯覚した。ああ、この人はいつだってこうしているんだって思うと、私はほんの少し寂しさのようなものを感じた。
 玄関で見送る母と私に対して、先生はどこまでも合法的に振る舞っていた。その姿だけを見た人には、彼の異常性を一ミリたりとも感じ取れないだろう。彼は私と二人きりの時以外はどこまでも正常だった。きっと私以外にはその異常性を公に打ち明けたりはしてこなかったのだろう。私にだけ見せた油断。同類への気の許し。それが彼の嘘で塗り固められた人生における唯一の常人らしさだった。
 笑顔で手を振りながら玄関から出ていく先生に向かって、私も笑顔で手を振り返す。扉が閉められた瞬間、二人の間に繋がっていた異常性という見えない糸が、一時的に裁ち切られたように感じた。頭の中で聞こえないはずのプツンという音がうるさいぐらい反響している。そんな私の様子など露知らず、母が呑気な口調で話し掛けてくる。
「ねえ、先生どんな人だった?」
「お母さん……あのね」
 とある夏の日に三十歳の男が逮捕された。
 児童淫行罪という仰々しい罪名が新聞やテレビニュースにて報じられた。被害者は十五歳の少女で、二人の関係性は家庭教師と生徒とのことだった。立場を利用した悪質性の高い犯行に、実刑になる可能性が高いと識者が見解を述べていた。
 容疑者は犯行を否認していたようだが、被害者の自宅から容疑者の体液が検出されたことにより、犯行が認められた。

 先生はあの日言っていた。合法か非合法かなんて時と場合と人による境界の曖昧なものだって。
 そしてこうも言っていた。捕まってもせいぜい罰金刑ぐらいだよ、と。
 前者は正解で後者は不正解だった。先生がたった一度の犯行で実刑になったと周囲の大人から聞かされた。
 そして両親は、家庭教師派遣会社に民事訴訟を起こしながら私に対して「早く忘れなさい」と矛盾しきった言葉を投げかけた。
 忘れるはずがなかった。あんなにも私の心を揺さぶり高揚させてくれた先生のことを。大好きだった。だからこそ壊したくなった。先生のミスは私の異常性を見誤ったことだ。自分と同レベルの変態だと勘違いした。だけど私はそんな先生よりも遥か高みにいた。そのことを見抜けずに、私に対してまんまと気を許した。隙を作った。してやられた、とでも思っているだろう。
 彼が守り続けていた非合法な合法という概念は、私の手によって無残に砕け散った。彼はまた、独りよがりな新たな概念を再構築するのだろうか? 彼が出所し、再会できる日のことを私は今から楽しみにしている。