——あぁ、先生。
こっちです、こっち。本日はこちらまでお越しいただいて申し訳ありませんでした。
ご無沙汰しております。
あぁ……懐かしい。全然変わられていませんね。お元気そうでなによりです。さぁ、座りましょう。今日は本当にご足労をおかけしました。遠いのに、私の家の近くまで来てくださってありがとうございます。
あぁ、本当に……お久しぶりです。以前お会いしたのは七年くらい前でしたでしょうか? またご連絡いただいて本当にうれしいです。ふふ、言葉が止まりませんね。
そうですね、とりあえず。
メニューはこちらですのでどうぞ。私はもう決めました。ルイボスティーの、ホットで。
そうなんです。本当はブラックが飲みたいんですけどね、実は私、今お腹に赤ちゃんがいるんですよ。三年前に結婚しまして……赤ちゃんは五ヶ月目です。だから、失礼でしたが待ち合わせ場所を私の家のほうに合わせていただいた次第です。ふふ。おもしろいですよね。以前会ったときは、私がブラックにハマってることに驚かれてましたよね。そして今は、結婚、妊娠で。月日が経つのは早いものですね。あ、呼び方は旧姓でいいですよ。クスモトで。先生にはそう呼ばれるほうが、しっくりくるんです。
…………。
それで……さっそく本題ですが。今回は、どんな様子でしたか?
うん……うん……へぇ。
今回はふたりも? それは残念なことでしたね。トギタイオリさんと……深山琴子さんという方。あら……なんてひどいこと。ご冥福をお祈りいたします。
…………。
まだ、続いてるんですね。
正直、あのころのことはもうよく思い出せないんです。嫌な思い出だから頭の中から消そうとしてるのかな。それよりも今が忙しかったり、毎日が幸せだから忘れてしまうのかもしれませんね。実はもう、あの子の名前も思い出せないんですよ。二十年も前に私をいじめていたあの子……いえ、言わなくていいです。思い出せないなら思い出さないほうがいいんです、こういうことは。
ただ、あの子っていうのは呼びにくいから、Aちゃんって呼びますね。
Aちゃんのことは、今さらなにも思ってはいません。
ただ、私はAちゃんがまだあの高校にいる、っていうことさえ知れれば、それでいいんです。
だって、本当につらかったんですから。毎日が地獄で、クラスメイトも先生も誰も助けてくれなくて、見て見ぬふりをされ続けてきたんですから。やられたこともまるで思い出せないんです。ただ、つらかった。死にたかった。でも死ねなかった。家族のために。家族が悲しむ姿だけは、見たくなかったから……。
だから、先生がずっとAちゃんのことを知らせてくれること、とても感謝してるんです。本当にありがとうございます。
……それにしても、二十年が経った今でもまだAちゃんがあそこにいるなんて、驚きですね。
Aちゃんは、今でも私のことを恨んでるのでしょう。だからあの場所から離れられない。あの理科準備室でずっと、窓の外を見ながら死ぬかどうか迷い続けてる。ふふ。笑っちゃいますね。二十年も前、とっくに自分の足で飛び降りたっていうのに。
Aちゃんはきっと、まだ現実を見つめたくないんです。私が不登校になって、非道ないじめが先生たちにバレてしまったこと。母が学校に乗り込んだことで、先生たちに問い詰められる事態になったこと。そしてクラスメイトからも白い目で見られるようになって、とうとう、自死を選ばざるを得なくなったこと……。
きっと、屈辱だったんでしょうね。ずっと自分がいじめる側だったのに、ある日突然いじめられる側になったんですから。だからあの場所から動くことができずにいる。あの場所で、時が止まったままでいる。
……でも、自業自得だと思っています。
それくらいのことをしていましたから。
あのままでいたら、いずれ私が飛び降りていたかもしれません。そしてそのあとは、他の生徒が被害に遭っていたかもしれません。だから、自業自得、なんです。
…………。
…………。
そうだ。この封筒、送っていただいてありがとうございました。
驚きました。これを、本当にトギタさんが? なぜこんなことをしたのでしょう。彼女は私のことなんて知らないはずなのに。
隅々まで読みましたが、とにかく嘘ばかりで驚きましたよ。私の両親、離婚なんてしてませんから。小学校のころからいじめを受けていたっていうのもでたらめですし、もちろん奇行もしていません。本当のことといえば、高校生になってAちゃんにいじめられたことだけです。この日記だって、まるでわたしが書いたかのような、私が旧校舎で狂ったみたいな書き方をしていて……ひどい。こんな作り話まで用意して、なんで、私のことを。……え? これ、トギタさんの実体験なんですか?
……なるほど。トギタさんはいじめられていたんですね。
クラスメイトにスカートを切られるといった嫌がらせを受け続けて、とうとう不登校になってしまった。そしていっそ狂ってしまいたいと思い、旧校舎の怪談をなぞった。じゃあこの日記はトギタさん自身の日記であって、たまたま使えそうだったから私の日記として流用したんですね……。
でも、どうしてこんなことを。今までのパターンとは明らかに違っています。
だって、今まで理科準備室でAちゃんと会った生徒は全員、その場で彼女に突き落とされていましたよね。
それこそ琴子さんのような感じで。突き落とされたというのが正しい言い方なのかはわかりませんが……促されて、自ら、理科準備室から飛び降りていたはずです。
それが、今回のトギタさんはAちゃんに会ったあと、殺されずに生き残った。なぜでしょう。ほかの子となにが違ったのでしょうか? 生き残ったといっても、先生方に封筒のことを問い詰められて、結局は理科準備室から飛び降りたとのことですが……なんだか気になります。
……あぁ。
そうなんですね。
トギタさんは、いじめられて不登校になる前に、自分がいじめを……。
つまり、トギタさんとAちゃんは『仲間』だったわけですね。仲間、というか、同類というか。Aちゃんは私をいじめていたのがバレて、いじめられた。トギタさんも同じ状況だった。Aちゃんは同類のトギタさんに同じ匂いを感じて、殺すのではなく、彼女を呪って自分の記憶を植え付けた。そして私への鬱憤を晴らすために、利用して……。
……なんとも言えません。
トギタさんの結末はたしかに悲惨はありますが、それでも私は許すことはできません。トギタさんのことも、Aちゃんのことも。いじめなんて、絶対にしてはいけないことなんです。
ただ……特に罪のない琴子さんのことは、かわいそうだと思いますけどね。
あの理科準備室はやはり、封鎖したほうがいいでしょう。こんなことが何年かに一回起きていて、それでもいまだに見て見ぬふりをしているなんて、やはりあの学校の教師は異常です。怠慢でしかありませんよ。たしかに、Aちゃんを使えば心の弱い生徒を狂わせて学校から消すことはできますが、だからってあんな場所を放置しているなんて……ひどい。
…………。
…………。
ふふ。
ごめんなさい。
さっきからきれいごとばかり並べている、自分がなんだかおかしくて。
私、やっぱりうれしいんです。
今でもAちゃんが私を恨み続けてくれていること。
Aちゃんが自分が受けた仕打ちを忘れられなくて、ずっとあそこにい続けていること。
Aちゃんは私をいじめたけど、報いを受けて死んだ。私は幸せを掴んだ。それが、このうえなくうれしいんです。だってあの子は、罰を受けるべきでしょう?
今までに被害に遭った子たちには悪いけれど、先生のこうした報告が今の私の生活をより豊かなものにしてくれるんです。私の今の幸せをより強固にしてくれるんです。いつもありがとうございます。本当に感謝しています。
次にお会いするとしたらきっと、赤ちゃんが産まれているころですね。そのときには抱っこしてくださいね。私にとって先生は、壊れそうだった私を励まして生かしてくれた、恩師のようなものなんですから。
……あ。ごめんなさい。
いつもの癖で。私、あのころ先生のことをずっと、違うクラスの教師かなにかだと思っていたんですよね。先生のこと、いまだに先生って呼びたくなるんです。私はこう呼ぶの好きなんですけど、先生は照れ屋ですよね。
ふふ。
また次の報告があったら教えてくださいね。林さん。



