後日、彼女の母親と駅に近い場所にあるカフェで落ち合った。制服姿の僕を見かけた瞬間、彼女の憔悴し切った顔に笑みが差した。

「初めまして、磯村さん。陽奈の母の裕子と申します。本日はお呼びだてして申し訳ありません。」

高校生の僕に対しても丁寧な人だった。

「こちらこそ、ご挨拶に伺いたかったのですが、お家の場所がわからず…この度はご愁傷様です。」

「恐れ入ります。」

そう言ってお互い椅子に座ると、さっそく彼女は鞄の中から手紙を一通取り出した。

それが何を意味するのか、それがなんとなくわかってしまい、一気に僕の心臓は早鐘を打つ。
花柄の封筒のそれには「磯村君へ」とボールペンで記してあった。

「陽奈が亡くなった時、1番に思い出したのはこれでした。陽奈、毎日これとにらめっこしていましたから。それで、宛先である貴方に連絡しなければならないと思って……陽奈のスマホから連絡させていただきました。」

「えっと…裕子さんはこの手紙に何が書かれているかはご存知なんですか?」

裕子さんは言葉に詰まった様に黙り込む。そして、顔を上げて僕をじっと見つめた。

「読んではいません。ただ、何が書かれているか大まかな内容は知っています。それと、これを読む前に……。」

裕子さんは間を置く。そしてやつれたその表情は真剣なものへと変わった。

「私がこの手紙を渡すということは、娘にとってはおせっかいかもしれませんし、磯村さんにとってはこの先の人生を縛る様なものになるかもしれません。けれど、私はこれをみた瞬間貴方にこれを渡さなければいけないと思いました。ただ、一つ確実に言えることは、磯村さんが今後どんな人生を送ろうと、陽奈にとっては磯村さんが幸せに生きてくれることが何よりの供養になるんです。…それを踏まえて読んでください。」

僕は封筒を受け取りそっと開く。
桜模様の便箋に綴られた文字を僕は一字一字を丁寧に目で追っていく。

「陽奈……。」

僕はその時、陽奈が亡くなってから初めて涙が溢れた。僕の中で悲しみを堰き止めていた何かが外れた様に、止めどなく流れる涙を止めることはできなかった。




***



「最初、電車で陽奈を見た時、本当に頭がおかしくなったのかと思った。それは今でもそう思う。でも、陽奈を見ているうちにわかった。僕が今見ている陽奈は僕のことを知らない。まるで一年前の秋をもう一度繰り返すように、陽奈の記憶はないんだって。」

完全にこちらは振り向いた磯村くんは一歩ずつ私の元へ歩み寄る。


「もしあの出会いを繰り返しているのなら、僕と陽奈が「あの日」までの関係に戻ったら、陽奈はもういなくなるんじゃないかって思ったんだ。だから目も合わせないし話しかけないし、会話もしなかった。一度倒れ込んできた時は本気で決心が揺らぎそうだった。本当は全部夢なんじゃないかって思いたくなった。でも、どうやったって陽奈が亡くなったことは変わりようのない事実で、あれは僕の幻覚なんだって思ったらたまらなく辛かった。」

やがて磯村くんは私の真正面にやってくる。

(ちがう。)

私は幻覚なんかじゃない。ここにこうして立って息をしている。
そして、全てが一般の線で繋がった様な感覚がした。

電車の幽霊、あれはきっと私のことだったのだろう。
彼に会うという未練だけが残ったまま彷徨っていた私。

磯村くんは寂しそうに私に言った。

「ねえ、陽奈。僕が見ている君はただの幻覚なのかな。」


「違う!」

気付けば、大きな声が口から出ていた。私はたまらずに大声で叫んだ。

「違う!私は磯村くんの見てる幻覚なんかじゃない!ちゃんとここにいるの。死んだことは変わらないけど……幻覚だなんて自分に言い聞かせないでよ。」

涙でうまく呂律が回らない。

「私、会いにきたんだよ!磯村くんに会いたくて、会いにきたの。」


突然、私の体が前に傾いた。そして、磯村くんの両腕で強く抱きしめられる。顔が一気に紅潮するのがわかった。


「ずっと、ずっと会いたかった。」

磯村くんは涙声だった。そして私の目からも止めどなく涙が溢れてくる。磯村くんは、生きている頃に考えていたものよりもずっと暖かくて、永遠にここにいたい。そう思った。