私は出来る限りの全速力で彼を追う。しかし、駅構内を歩く人々に揉まれ、彼の姿を直ぐに見失ってしまった。
ゼエゼエと肩で息をしていると階下の石畳の上を彼が歩いていく姿を見とめた。

「待って!」

届くはずもないのに声の限りで叫んだ私は慌てて階段を駆け降りる。肺がちぎれそうなほどにズキズキと痛む。喉から心臓が飛び出そうなほどにバクバクと音を立てる。

ただひたすらに走って、走って、走って

彼に追いつく頃には彼の姿は住宅街にあった。

そして、私は走っていくにつれて懐かしい、不思議な感覚が込み上げてくるのを感じた。
いつも見かける豪邸。道路脇に置いてある謎の青いバケツ。色の薄れた横断歩道。
毎日歩いているはずの道なのにひどく懐かしかった。
一つ一つを眺めていくうちに私の足は動きがゆっくりになっていく。
そして一歩一歩アスファルトの道路を踏み締めて住宅街を歩いていく。


やがて、広い場所に出た。
一面が高いフェンスで覆われており、茶色のグラウンドには大量の雑草が生えていた。

私は導かれるようにグラウンドへと足を踏み入れる。

しかし、なにやら違和感を感じた。

グラウンドの最奥。
そこに「立ち入り禁止」と書かれた黄色いテープの貼られた場所があった。
テープはフェンスからフェンスまで繋がっており、80メートルほどある。

「あっ。」

私は声をあげた。

黄色いテープの手前、そこにこちらに背中を向けた彼がいた。彼はこちらに気付く様子もなく、ただじっとそのテープを眺めている。

私はそっと彼に近づく。

閉ざされた記憶からベールが剥がれ落ちるようにすっと優しいものが脳裏に流れ込む。


その時、彼がゆっくりとこちらを振り向いた。


その瞳は寂しそうで、苦しそうで、電車にいる彼とは別人の様に辛そうな表情をしていた。

しかし、その目はしっかりと私を捉えていた。

そして、彼はゆっくりと口を開いた。


「陽奈、君は僕が見てる幻覚なのかな。」


私の頬に一筋の涙がこぼれた。