ディスプレイが暗転する。
 黒い画面には、三時間を示す白い文字が浮かび上がり、カウントダウンが始まった。
 同時に、ロビーに異臭が漂い始める。
 
「う、変な匂いが……」
 
 皆は匂いの正体を探し、床付近の壁に開いた小さな穴から、紫色のガスが噴射されているのを発見した。
 誰も、ガスの正体などわからなかった。
 しかし、小さな穴から飛び出してきたネズミが突然倒れ、苦しそうにもがいた後に動かなくなる光景を見ると、表情が一変した。
 
「毒ガスだー!?」
 
 紫色のガスが、本当に毒ガスかどうかはわからない。
 しかし、中年の男が叫んだことで、毒ガスであることがこの場で真実となった。
 
「毒ガス!?」
 
「嫌だ! 死にたくない!!」
 
「三時間あるんじゃないのかよ! なあ!!」
 
 三時間と言う制限に、目に見える紫色のガス。
 二つの事実が人々の恐怖心を煽り、精神を蝕蝕み、パニックへと陥れた。
 
「落ち着け!」
 
 パニックであたふたとし始めた八人の動きを止めたのは、大学生の少年――東出(ひがしで)大介(だいすけ)だった。
 
「まだ、毒ガスと決まったわけじゃない! それに、この毒ガスはどうやら空気より重いらしい。すぐに死ぬわけじゃあない」
 
 八人は、大介の視線を追う様に、足元を見る。
 紫色のガスはまるで蛇のように地べたを這いずり回っており、顔に向かって浮かんでくるようなことはない。
 つまり、すぐにガスを吸い込む危険性はないということだ。
 
「それに、空気より重いガスが噴出されたことは、ゲームクリアのヒントにもなる。もしも、ぼくがデスゲームの運営であれば、このガスはゲーム終盤に絶望を与えるために使う。例えば、ヒントを机の足やカーペットの裏に隠し、毒ガスが充満している床に長時間顔を近づけなければクリアできない、とかね」
 
 大介の言葉に、八人ははっとした表情を浮かべる。
 それは、絶望しかなかったこの場所に一筋の光が見えたことへの喜びであり、自分では決して気づけなかった観点を即座に提示できる優秀な人間がいることがいることへの頼もしさである。
 
 中年の男が、大介へと近づく。
 
「君は、こういうの得意なのか?」
 
「一応、東大だ」
 
「と、東大!」
 
 発せられた日本最高偏差値の大学名を前に、八人の大介への期待が大きく高まった。
 もちろん、東大に所属する人間が、必ずしもデスゲームのクリアに必要な能力を有している訳ではない。
 だが、平均よりも広く深い知識を持つ可能性が高く、最もデスゲームをクリアできる可能性が高いと言うこともできる。
 
「あ、あんた、東大なら心強いぜ」
 
「わ、私はまだ死にたくないの! お願い助けて! 私たちは、何をすればいい?」
 
 ロビーの人々は、大介という希望縋る。
 多数から頼られた大介は、自身のやるべきことを理解し、デスゲームにおけるリーダーの立場に立つ決意をする。
 そして、恐怖を感じさせない表情を作り、周囲に指示を出していく。
 
「毒ガスは驚異だが、有色である以上は回避ができる。毒ガスの溜まっている場所を避けながら、まずは床に近い場所を探していこう。カーペットの下、机の下、床そのものを念入りに」
 
 先のたとえ話から繋がる指示に、八人は疑うことなく首を縦に振った。
 大介と言う人間を中心に、ゲームをクリアするために一致団結をした。
 大介の持つ天才的な頭脳に従うことが、この場の最適解だと信じて。
 
 
 
 ただ、一人を除いて。
 
 
 
 花は、ロビーの異臭を嗅ぐために鼻から息を吸った瞬間から、ずっと固まっていた。
 大介の声も聞こえず、錆びついた機械のように、ギギギと首を扉に向ける。
 
「文字やマーク、不自然な傷、どんな小さなことでもぼくに報告してくれ!」
 
「はい!」
 
 大介の指示で、八人が動き始めた瞬間。
 
「イケメンの匂い!!」
 
 花は、階段に向かって駆け出した。
 大介の指示にはなかった花の行動を見て、九人はぽかんとした表情で花を見る。
 
 花が、階段の一段目に足を置く。
 大介が、一つの可能性に辿り着く。
 花が、階段の二段目に足を置く。
 大介が、そんな馬鹿なことをする訳がないと、一つ目の可能性を頭の中から消そうとする。
 花が、階段の三段目に足を置く。
 大介は、花の想定外の行動を前に、花なら馬鹿馬鹿しい結論を本当に実行しかねないと考え直す。
 
「そ、その子を止めろー! 扉を開ける気だー!」
 
 顔を青くした大介が、花を指差しながら叫ぶ。
 他の九人は、数秒間大介の言葉の意味を考え、間違えた扉を開けるとどうなるかを思い出す。
 
「あああああああああああ!?」
 
 即ち、死。
 まして現在は、何の情報も入手できていない状態だ。
 今、扉を開ける行為は、確実な死へ向かうことに等しい。
 
 花以外の九人が、急いで花の後を追う。
 一方の花は階段を上り切り、上って右側にある最も階段に近い扉の前で立ち止まる。
 そして、デジタルドアロックの数字ボタンを勢いよく押していく。
 
「やめろおおおおおおおお!?」
 
 大介が階段を上り切り、花の肩を掴んで扉から引き離そうとしたのと、花が開錠ボタンを押したのは同時だった。
 扉の前には、仰向けに倒れた大介と、大介の上に同じく仰向けで倒れた花。
 そして、花と大介を囲むように、階段を上り切った残りの八人が立つ。
 八人が目にしたのは、押された後の開錠ボタン。
 
「開錠ボタンが押されてるううう!?」
 
「いやああああ!?」
 
「何やってくれてんだ、てめえええ!?」
 
 花の行動に、八人の怒りと絶望が爆発する。
 そのうちの一人が花に殴りかかろうと、拳を振り上げる。
 
『開錠成功。ファーストゲーム、クリア』
 
 同時に、部屋中に機械音声が鳴り響いた。
 
「…………え?」
 
 振り上げられた拳が止まる。
 代わりに、倒れる花に九人の視線が一気に向く。
 しばしの沈黙の後、九人を代表して大介が口を開く。
 
「え? なんでわかったの?」
 
「え? ボタンから、イケメンの匂いがするじゃない?」