「おい、君! 大丈夫かい?」
 
「う、うーん?」
 
 花は、見知らぬ男の声で目を覚ました。
 ボーっとする頭のまま上半身を起こし、周囲をきょろきょろと見渡す。
 周囲には見知らぬロビーが広がっており、花は現状に首をかしげる。
 
「あれ、私?」
 
「よかった、気が付いたようだね。君も、攫われたのかい?」
 
「攫われた?」
 
 花は、目の前にいる中年の男の言葉を聞いて、ハンカチで鼻と口を押さえられたことを思い出す。
 中年の男から離れるように跳びはねて、警戒心をむき出しにして睨みつける。
 見知らぬ場所に、見知らぬ男。
 花の行動はもっともだろう。
 
「落ち着いてくれ。私も、君と同じで攫われてここへいるんだ」
 
 それを理解しているからこそ、中年の男は花の行動に怒ることもなく、なだめるように言った。
 営業と言う仕事に起因する言葉の柔らかさか、それともビジネススーツと言う雰囲気からか、花は男の言葉を半信半疑で受け止めた。
 
 そして花は、中年の男の動きに警戒しつつ、改めて周囲を見渡す。
 ロビーは、子供たちが走り回れるほど広々としており、床も壁も真っ白で統一感があった。
 そして、白い景観の統一感を損なわせるように、ソファやタンス、机などが乱雑に置かれていた。
 不自然な点としては、ロビーには扉がなく、代わりに上階へと繋がる階段が一つあることだ。
 階段は、ロビーの上部に張り出している廊下へと続いており、廊下は柵も無く、一階を見下ろせる構造となっていた。
 
 また、ロビーには花と中年の男だけでなく、他に八人の男女が立っていた。
 子供から大人まで。
 八人とも、心配そうに花と中年の男のやり取りを見守っていた。
 
 花は、改めて中年の男の方へ向き直る。
 花は攫われた時の記憶をたどり、自身を攫っただろう人間と目の前の男を照合する。
 結果、スーツをパツパツにする大きなお腹が誘拐犯のシルエットと一致せず、花は少しだけ警戒心を緩めた。
 警戒を解いた花を見て、中年の男もほっと溜息を零す。
 言葉こそ交わしていないが、互いに互いを害する気はないと理解した。
 
 少しだけ落ち着いたところで、花は率直な疑問を口にする。
 
「あの。ここって、一体」
 
 が、中年の男が答えるよりも速く、階段を上ってすぐの壁に設置されていた巨大ディスプレイが起動した。
 
『ようこそ、参加者諸君。君たちには今から、デスゲームに参加してもらう』
 
 ディスプレイには、黒いパーカーを着た男の上半身が映っていた。
 被ったフードからは金色の髪が見え隠れしており、隠されていない顔が不敵な笑みを浮かべる。
 ディスプレイの左右に設置されたスピーカーは、金髪の男の声をロビー全体に響かせる。
 
「お前が俺たちを誘拐したのか?」
 
「デ、デスゲームだって?」
 
「ふざけないで! 早く私たちを解放して!」
 
 ロビーに立つ人々は、ディスプレイを睨みつけながら、口々に叫ぶ。
 含まれる感情は、シンプルな怒り。
 突然デスゲームに巻き込んだ相手に対する、正当な感情だ。
 
 その中で、花一人だけが、ディスプレイに映る男に別の感情を向けていた。
 
(か、格好良い!)
 
 即ち、恋である。
 
(え、待って待って! めっちゃ顔が整ってる! やば! 人形みたい! 目、青! ハーフ? つーか、金髪さらっさら! パーカー越しでもわかる! 超イケメンだ! やばい!)
 
 花がディスプレイをじっと見つめていると、ロビーを見渡していた金髪の男と花の目が合う。
 
(今、目が……!)
 
『?』
 
 花の熱視線に、金髪の男は自分の顔に何かついているのかと、顔を触る。
 そして、何かに気づいたように青ざめる。
 
『やべっ! 仮面付けるの忘れてた!』
 
 叫ぶや否や、ディスプレイの外へと出ていき、しばらくすると白い仮面をつけて戻って来た。
 白い仮面の目と口は、三日月を横に倒したような曲線で、常に笑顔を作っている。
 
(あのクールそうな顔でドジっ子属性!? やだ、可愛い!!)
 
 金髪の男の動きに、花からの視線はさらに熱くなる。
 金髪の男は大きく咳ばらいをした後、何事もなかったように言葉を再開する。
 
『どれだけ泣こうが喚こうが、君たちはデスゲームから逃れることはできない。君たちが生きる方法は、ただ一つ。このデスゲームをクリアすることだけだ』
 
 銃声が響く。
 ディスプレイの背後から伸びて出て来た拳銃が、中年の男の足元に銃弾を撃ち込んだ。
 
 金髪の男は、人間を殺す武器を持っている。
 そう理解したロビーの人々は、恐怖のまま口を閉じた。
 息を飲んで金髪の男の次の言葉を待つことで、金髪の男に従う姿勢を見せた。
 
 静まり返ったロビーを見渡し、金髪の男は満足そうに椅子の背もたれにもたれかかった。
 
『では、ファーストゲームのルールの説明を始める。ファーストゲームは、脱出。君たちには、三時間以内にこの部屋から脱出してもらう』
 
 ロビー全体のライトが落ち、ロビーに暗闇が広がる。
 暗闇の中に残った光は、ディスプレイの光と、新たに天井から照らされた十個のステージライトだけとなった。
 ステージライトは、ロビーの上部に張り出している廊下の壁をそれぞれ照らす。
 照らされた先には一つの扉があり、扉にはデジタルドアロックが取り付けられていた。
 ゼロから九までの数字と開錠とかかれたボタンのついた、デジタルドアロックが。
 
『この十個の扉の内、一つだけが正解の扉だ。君たちは今から、この部屋に散らばったヒントを頼りに、正解の扉とパスワードを探すのだ。命がけでな』
 
「こ、この部屋の中から!?」
 
 中年の男が振り向くと同時に、ステージライトの光がロビーへと移動する。
 そして、ロビーに乱雑に置かれた家具を、縦横無尽に照らしていく。
 統一感を乱す雑多な家具が置かれていた理由を、ロビーに立つ全員が理解した。
 
『ちなみに、パスワードを入力できるのは一回きり。間違えたパスワードを入力した場合、ゲームオーバー。そして不正解の扉の開錠ボタンを押してしまった場合も、ゲームオーバー。君たちは、永遠にこの部屋から出られなくなる』
 
 ロビーに立つ人々の顔が、青く染まる。
 パスワードが分からなければ、時間の限り入力をする力技もある。
 扉が分からなければ、全ての扉に入力をする力技もある。
 だが、一回となれば、力技が許されない。
 
 運も偶然も、関与することはない。
 
「……卑怯者め」
 
 厳しいルールを前に、ロビーに立つ大学生の少年が呟く。
 
『ははは! 何とでも言うがいい! 恨みごとなら、いくらでも聞いてやろう! 君たちが、生きて私の元に辿り着けたならな!』
 
 金髪の男は少年の言葉を嘲笑った後、高らかに絶望の始まりを宣言した。
 
『ファーストゲーム、スタートだ』