「青司、これなーんだ?」
物心つく前の、ようやく拙い言葉を話し始めたばかりの赤ん坊の前に、それは突然現れた。
一見して深緑のもさもさ。赤ん坊よりも大きなそれは、狭いアパートのリビングの片隅で確かな存在感を誇る、クリスマスツリーだった。
「……き?」
「そう! 木! 青司は天才だな……!?」
たった一音発しただけで盛大な拍手をする父親は、間違いなく親馬鹿だろう。
赤ん坊を抱いた母親は、そんな様子に肩を竦めて笑いながらも、クリスマスツリーへと我が子を近付ける。
「そう、木だねぇ。クリスマスツリーっていう、クリスマスに飾る木だよ。ほら、青司も飾り付けしてみよ?」
「くり……き?」
「栗の木じゃないぞ、もみの木だ」
「……?」
父親の言葉に不思議そうにする赤ん坊へと、母親は丸くキラキラとした青いオーナメントを手渡す。
「ほら、綺麗でしょ? ここについてる紐をツリーに引っ掛けて……」
母親が説明をし、父親が同じく丸い赤いオーナメントで手本を見せようとした、その瞬間。
普段遊ぶカラーボールに似たその艶やかな表面をしげしげと見ていた赤ん坊は、おもむろにそれを、思い切りぶん投げた。
「へぶっ!?」
「……わぁ」
投げられた球体のオーナメントは、ちょうどツリーに同じものを引っ掛けようとしていた父親の後頭部に直撃し、父親は痛みと衝撃に顔からオーナメントとツリーへと突っ込んだ。
「きゃははっ!」
カラカラとフローリングの床を転がる青いオーナメントと、それを見て楽しそうに笑う赤ん坊。
ややあって顔を上げ、額に丸く赤い跡と、顔にツリーの緑のもさもさをいくつかくっつけた父親は、その原因と状況を理解しようとそれらを交互に見返した。
「……、……敵襲?」
「ふ、ふふ……っ、今の、クリーンヒット……青司、野球選手になれそう……」
その光景に堪えきれないとばかりに肩を震わせ笑う母親と、それを受けてより楽しそうにする赤ん坊。
そんな二人の様子に、痛みも怒りも忘れ気の抜けたように微笑む父親は、転がったオーナメントを拾い上げる。
そして、母親に抱かれたままの赤ん坊の小さな手に、再びそれをそっと握らせた。
「……ああ、野球選手でも、世紀の大天才でも、なんでもいい。青司がこれからもこうして笑って、幸せに過ごしてくれれば、それでいいんだ」
「そうだね……この子はどんな大人になるのかなぁ」
赤ん坊は、今度は渡されたオーナメントをしっかりと両手で握り締める。青い球体に映る自分や両親の姿が気になるようで、じっと覗き込んでいた。
「まあとりあえず、来年の飾り付けでも今みたいな天才的投球を見せて貰って……」
「それはちょっと……今の地味に痛かったんだからな?」
「あはは。我が子の成長をダイレクトに味わえたってことで!」
「次はもうちょい別の方法希望……」
両親の楽しげな話し声と、三人で和気藹々と行うクリスマスツリーの飾り付け。モールと電飾の巻き付けられたツリーのてっぺんに、最後に赤ん坊が金の星を乗せる。
「楽しかったぁ。来年も三人でやろうね、飾り付け!」
「ああ。来年には、青司は立って歩いてるだろうしな。自力で飾れるようになったら、もっとセンスの殴り合いみたいな飾り付けになるぞ」
「赤ちゃんとセンス競わないで、調和目指そ……?」
その後、皆で飾り付けたツリーの傍で、普段食卓に並ぶことのないチキンやケーキに溢れる笑顔。
クリスマスのBGMの中満足そうに眠る、サンタも知らない赤ん坊への、両親からの細やかな贈り物。
「メリークリスマス、青司」
そんな穏やかで温かな一夜は、降り始めた雪の中、あっという間に過ぎていった。
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「……うちにはサンタなんて来なかったが……クリスマスの思い出、ちゃんとあったんだな」
今まで見ていた光景は、母さんの走馬灯の一部だった。
幼すぎて忘れていた、それでも確かにそこにあった優しい記憶を追体験して、両親が早死にして孤独だった心の内側が、じんわりと熱を帯びるようだ。
「つうか、センスの殴り合いじゃなくて、物理的な殴り合いが得意になっちまったしな……俺」
あと少し。この気持ちに浸っていたい。それでもわかっていた。もうすぐ、この走馬灯は終わってしまう。
家族三人で過ごせる時間が一瞬で終わってしまうのを、俺は知っている。両親が語った幸せな未来は、訪れることはないのだ。
だからこそ、涙として溢れそうなこの温もりを、束の間の幸せを、もう少しだけ留めておきたかった。
「……こんな時間、あったならどうして生きてる内に、思い出せなかったんだろうな」
家族の思い出を覚えていたならば、凍えそうな冬の夜空を少しは愛おしく思えただろうか。
家族の愛を知っていたならば、こんな生き方をしなくて済んだだろうか。
この『走馬灯ルーム』に来てから、何度も思ったことだった。
「……メリークリスマス……父さん、母さん。……またいつか、三人で……」
生前言えなかった言葉は、走馬灯の中で流れる賑やかなクリスマスソングに紛れ、まるで降り始めの雪のように、すぐに跡形もなく溶けて消えた。



