真っ暗な空から、ふわり、ふわりと小さな雪が降ってくる。それはまるで真っ白な花びらのようで、思わず手を伸ばしてそれをつかんだ。

「なーにしてんだ」

 ふいに、声が聞こえて手を止める。くるりと振り返れば、そこには片眉をあげて呆れ笑いを浮かべている柴谷がいた。

「えっ……ほんとにきたの?」

 きたの、が曖昧なイントネーションになってしまった。正しくは、来たの?ではなく、着たの?だ。

「お前が着てほしいって言うからだろ」

 不満げに眉を寄せた柴谷に「それはそうだけど……」と返して、まじまじと彼の格好を見つめる。柴谷は紺色のニットを着ている。首元がちょっとだけ寒そうだ。今夜はいつもに比べると少しだけ気温が高いらしいのだけれど、それでも冬なので寒いのに変わりはない。

「いーじゃん。赤」
「……そうかな」
「似合うよ」

 素直にこぼされる言葉がなんだかくすぐったくて、思わず目を逸らす。視線を彷徨わせていると、ふと、大きなクリスマスツリーに飾られたイルミネーションに目が留まった。

「綺麗」

 ぼんやりとその明かりを眺めていると、小さく息を吐いた柴谷が、

「近く、行くか」

 と呟いてわたしの手を引いた。
 周りには、家族連れや大人のカップル、疲れた表情でいそいそと歩くOL、「雪だ!」と言いながらはしゃぐ子供、真っ白なマフラーを巻いている女子高生など、さまざまな人がいた。

 きらめく喧騒のなかを、表情ひとつ変えずに歩いていく柴谷に手を引かれ、クリスマスツリーに近づく。

 ちらちらと、通り過ぎる女子高生の視線を感じる。

 うわっ、いいなー。
 ペアルックじゃん、かわいー。

 ずっと蓋をしていたつもりだったのに、とうとう耳が声を拾ってしまって、身体中が熱くなっていくのが分かった。少しだけ目線を上にあげて柴谷を見ると、まるで何も聞こえていないかのようにいつものおすまし顔をしている。
 聞こえていないはずがないのに、どうしてそんなに平然としていられるんだろう。
 そう思って彼のほうをじっと見つめると、風にさらされた真っ白な頬が、わずかに赤くなっているのが分かった。

「……やめたほうが、よかったかな。ごめんね、付き合わせて」

 罪悪感が襲ってくる。クリスマスデートをする、と言ったとき、「特別な日なんだし、ペアルックしたらいいじゃん!ニットとかかわいいと思うよ、それにお揃いできるのも今のうちだよ」とばっちりウインクまでかましてきた燈ちゃんを思い浮かべる。
 そうか、たしかに可愛くて派手な燈ちゃんにとっては、ペアルックなんてそこまで難易度の高いものではないかもしれない。

 でも、わたしにとっては違った。

 背筋を伸ばして、黙って歩いている柴谷は、とても目を引く容姿をしている。だから、自然と注目が集まってしまうのだ。

「嫌な思いさせて、ごめんね」

 申し訳なくてうつむくと、「は?」と苛立ったように目尻を吊り上げた柴谷は、「お前なぁ」とため息を吐いた。

 今年の夏に付き合ってから、季節が巡り、冬が来た。彼氏、彼女という関係性に慣れ始めてはいるけれど、それでもいまだに彼の気持ちを読み解くのは難しいし、嫌われたくないな、と思ってしまう。

 彼には、付き合う前も、付き合ってからも、こうして何度かため息を吐かせてしまっている。


「嫌だったら、俺がするわけないだろ。まぁ、たしかにちょっと恥ずいけど……でも、嫌じゃねえから」
「……ほんと?」
「紬がしたいことはできるだけ叶えてやりたいし、俺だって一緒にしたいよ。付き合うって、そういうことだろ?」


 まっすぐな瞳で告げられる。その瞳はキラキラと輝くイルミネーションを反射して、まるで海に溶けた光の粒のようだった。

 嬉しくて、あたたかくて、どうしたらよいかわからなくなって、繋いだ手に力をこめると、同じようにぎゅっと握り返された。

「ありがとう、柴谷」
「まだ早ぇわ。これからだろ」
「ふふ、そっか」

 クリスマスツリーを目に焼き付けたあと、「行こう」と前を向いた柴谷にうなずく。柴谷とこれから出かけるのは、街にあるプラネタリウムだ。

 一緒に行こうと話をしたのはつい先日のこと。


【24日、プラネタリウム行かね】

 急に着信が入って、驚いて通知を確認した。柴谷、と表示されている。

【行きたい】

 速攻で返信すると、すぐに既読がついて、それからスマホが震えだした。

「もしもし」
『詳細決めるならこっちのほうがいいと思って』
「……なるほど」

 急に聞こえてきた声にどきどきと早まる鼓動を抑えながら、「クリスマス、空いてるんだね」と言う。すると少しの沈黙の後、『空けてるんだよ、ばぁか』と返ってきた。
 彼の表情はわからないけれど、おそらくいつものごとく片眉をあげて、ちょっと笑っているんだろう。

『別に行きたい場所があればそっちにするけど、なんかある?』
「ううん、ないよ。プラネタリウム、行ってみたい」

 満天の星空。見てみたい、と思う。
 まばゆい光が、彼の瞳を覆い尽くしてしまう瞬間を、となりで見ていたいとおもう。



*


「……むぎ。おい、紬」
「あ、ごめんっ。ちょっとぼーっとしてた」
「ったく、着いたぞ」

 そう言った柴谷は、二人分の入場料を払ってわたしを振り返った。

「あの、お金……」
「誘ったの俺だから。ほら」
「ありがと」

 小さな微笑みとともに、ホログラムの入ったカードを渡される。入場者特典らしい。星座と、それに関する説明が書かれている。

[乙女座 スピカ]

 星と星を繋いで浮き上がったイラストの上に、そう書いてあった。
──スピカ。乙女座で輝く一等星。

 スピカ。
 響きが澄んでいて、とてもきれいだ。

「柴谷のはなんだったの?」
「アークトゥルス。知ってる?」

 首を横に振ると、「俺も」と呟いた柴谷はカードの文字を目でなぞった。

「うしかい座、アークトゥルス。アークトゥルスとスピカは、星色の対比から『春の夫婦星』と呼ばれる場合がある」
「じゃあ、これってセットなんだね。アークトゥルス、うん。覚えた」


 距離が近くて、いつも一緒に見えることから、らしい。
 オレンジ色のアークトゥルスと、青白く輝くスピカ。
 キラキラのホログラムが可愛い。わたしはそれを大切にスマホケースの中にしまった。




*

「夏の夜空、ひときわ輝いているのがアルタイル。そしてベガ、デネブを結んだ三角形はみなさんもご存知ではないでしょうか。『夏の大三角』と呼ばれ、夏の夜空を大きく彩っており────」


 360度、光の粒に囲まれた視界の中で、やわらかく耳に届くアナウンス。となりには柴谷がいて、わたしと同じように目の前に広がる光を見つめては、ときおり息を洩らしている。

 夜空を見上げやすいようにと倒された椅子は、ちょうどいい沈み具合で、気を抜くとこのまま光に包まれて眠ってしまいそうだ。黙って空を見上げていると、ふいに指先が何かに触れる。そしてゆっくりと、彼の手がわたしのそれに重なった。

 ちらと横を向くと、同じように顔だけをこちらに向けた彼と目が合う。その目はどこまでも優しくて、ああ、好きだな、ともう何度思ったかわからない感情が溢れ出した。

──この人のことを、好きになれてよかった。



 心から、好きだと思える人に出会えた。こうして、手を重ねて星空を見上げることに、幸せを見出せるような、そんな心を持っていてよかった。
 輝く星を見つめながら、強く、そう思った。


*

 プラネタリウムの会場から外に出て、もう一度クリスマスツリーの前に戻ってくると、イルミネーションはよりいっそう輝きを増しているように見えた。

「柴谷、あのね」

 手にしていたクリスマスプレゼントを差し出す。いつ渡そうか、待ち合わせた時からずっと悩んでいた。

「これ、受け取って欲しいの。クリスマスプレゼント」

 ほんの少し目を見開いた柴谷は、「ありがと」と言って袋を受け取った。プレゼント交換の約束なんてしていなかったから、もしかするとわたしだけが用意するのは迷惑かもしれない。そんな考えが頭をよぎったけれど、それでも、わたしは彼にプレゼントを渡したかったのだ。

 相手からはもらえないかもしれない。わたしだけがあげることになるかもしれない。それでもあげたい、という見返りも醜い期待もない純粋な気持ちを、彼が教えてくれた。

「俺からも受け取ってほしい。渡すの、遅くなった」

 え、と声が洩れる。まさか、用意してくれていたなんて思わなかったから。

「開けてもいい?」
「俺も開ける」

 二人で、お互いのプレゼントを開ける。現れたのは、ブラウンの手袋だった。モコモコしていて、肌触りがとても良い。

「手袋だ……!」
「いつも手、冷たいから」

 そうだ。彼はいつも、「お前の手、相変わらず冷たいな」と言って笑っている。本当は冷たくて嫌なはずなのに、それでも嫌なそぶりなく繋いでくれるから、つい甘えてしまう。

 手袋をはめて、空にかざす。舞い降りる雪が、桜みたいだ。

 柴谷は、わたしからのプレゼントを開封していた。
 いつも、首元が寒そうな彼だから。マフラーなら、喜んでくれるんじゃないかと思って、買ってみたのだ。

「……すげー、嬉しい」

 ふわ、と顔を綻ばせる柴谷。去年の夏は顰めっ面をしていて、こんなに柔らかく笑うことなんてなかったのに。
 一緒に過去を取り戻し始めて、仲良くなるにつれて彼のことをどんどん知っていった。だというのに、付き合った後のほうが、まだまだ知らなかった彼の顔が見えてくる。

 今だって、ほら。いつも透き通っている瞳に、こんなにも熱っぽいものを宿せるひとだなんて、知らなかった。

 器用にマフラーを巻いた柴谷。とても嬉しそうにはにかむから、思わず、この瞬間を収めてしまいたくなった。

「柴谷、写真撮っていい?」

 ずいぶんと多くなった柴谷の写真。カメラロールに空きがある限りは、彼の色々な表情を撮ってみたい、と思う。

 しばらく考えるように動きを止めていた柴谷が、一歩わたしに近づいて、するりとわたしの手からスマホを抜きとった。

「紬、せーの」

 スマホを持っていないほうの手で、彼はピースサイン。わたしもあわてて真似をすると、柴谷の長い腕にさらわれたスマホが、パシャ、と音を立てる。

「えっ?」
「そろそろツーショ、必要かなって」

 そうやっていたずらっぽく笑う顔が、どこか懐かしく感じてしまう。おどけたように、ふわりと和む彼の表情が、すきだ。

「ずるいよ、──くん」
「───…ずるいのはどっちだよ」

 急に名前呼びすんなよ、という呟きは、真っ暗な空に溶けて消えていく。

 彼の真っ白な頬が、桃色に染まっていた。





 しばらく口元に手を当てていた柴谷は、ふ、と息を落としてまっすぐにわたしを見つめる。すべての光が凝縮されたような、美しい瞳。

 きらめきを宿す街の中で、シャン、とどこかから鈴の音が聞こえたような気がした。


「……紬。あといっこ」


 え、と思った瞬間に、視界が柴谷でいっぱいになる。静寂が身を包む。




 そっと重なった影に降り積もる雪は。

 あたたかくて、優しくて、星のように光る、そんな。




しばーせのクリスマス 了



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p.s.やけに素直になった柴谷がかわいらしい