────池 アレンの場合。

 アレンはうずくまり、ただ震える事しか出来なかった。
 ここは七階。ダイニング家具やシステムキッチン、ホームオフィス類等の大型家具を備えるフロア。
 それらの中の一つ、学習机のゾーンにおいて。
 アレンは机の下に、その身を潜めていた。

 隠れ始めて、何時間になるのだろう。
 一時間?二時間?全然、分かんないよ。
 ……ああどうして、こんなことに。
 いや、薄っすらとは、分かっている。
 恐らく、あれだ。あれをしてしまったからだ。
 でも、なんで、こうなると分かっていたら。

 後悔が胸中を渦巻き、涙が滲む。
 アレンは元より、気の弱い性格だった。
 頭は良かったが不器用で、最初に配属されたホームファッションを担当する仕事では、パートさん達と上手くいかなかった。
 見かねた店長により、三か月後には家具の仕事を、主に担当することになる。だがこちらはマイペースに仕事が出来て、自分に合っていると思っていた。
 苦手だった接客にも慣れ、ほんの少し、家具の現品の売り上げが好調になったばかりだったのに────。
 その矢先の、これだ。
 
 せっかく、大手企業に新入社員として入社出来たのに。
 帰りたい。
 お父さんと、お母さんに、会いたい。
 
 涙がぽろぽろと溢れる。
 鼻水が垂れそうで、一度、鼻をすすった。
 その直後。
「なあ照亜。それはどう配置するんだ?」
「うーん、どないしよ。せっかくやし、キッチンに立たせてみよか?」
「いいんじゃないか?でも、どうやって自立させる?」
「せやなあ……。見栄えは悪うなるけど、広告用のスタンドに縛り付けてみる?」
「ああ、名案だな。俺、倉庫から取って来るよ」
「おおきにな、慎二」
 そんな会話が聞えてきた。
 驚いて、アレンの身体が小さく跳ねる。
 
 ……どういう状況?
 どうして、こんな所で、仕事の話をしているの?
 だって今は殺し合い中で、仲良くしている人たちなんて、居るはずないのに。

 アレンは混乱した。
 そして次第に、自分にとって都合の良い方へと解釈が進む。

 もしかして、この馬鹿げたゲームが、僕の知らないうちに終わったのかも!
 この店舗も通常営業に戻って、従業員が出勤してきたのかもしれない!

 実際、今が何時かなど、分からなかった。時計や携帯の類は、研修の開始時に没収されていたからだ。

 一人歓喜したアレンは、そっと身体を机の下から出し、楽し気な二人の様子を覗く。

「~~~~~~~~っっっ!!」
 
 そして即座に身をひっこめ、口を両手で塞いだ。
 叫びそうになるのを、必死に堪える。
 今見た光景が、信じられなかった。
 というか、信じたくなかった。

 ────は?
 何してたの? 
 え?あれは、死体?女性の、死……?
 死体にエプロンを着せて、スタンドに縛り付けて、どうしてシンクの前に立たせているの?
 分からない。全く、理解不可能だ。

 アレンはこみ上げる悪寒に、背筋を震わせた。

 きっと、狂った人たちなんだ。
 こんな所に居て、おかしくなっちゃったんだ。
 だったら絶対、関わらない方が良い。
  
 アレンは必死に身を固くし、ばれないように努めた。
 ワイワイと騒がしい声を黙って聞き、彼らがどこかへ去るのをひたすら待つ。
 そうして十数分後。
「ええ感じやな。よっしゃ、次どこ行こか」
「そうだな……、八階はまだ行ってないから、八階行くか」
「せやな」
 そんなやり取りをしながら二人の男性社員が歩いて行く。

 ああ、やっと消えてくれる。

「あ、ちょっと待って、」

 脅威が去る。

「僕、忘れもんしてるわ」

 ほっとして、アレンは胸を撫で下ろし────。  





「聞こえたで、ずびって、鼻すする音。かくれんぼするんやったら、泣いたらあかんよ」

 学習机を覗き込む男と、目が合った。
 そう言ってにたりと笑う、整った顔の男は、まるで悪魔の様に見えた。

「放して!放して!」
 羽交い絞めにされて、そう叫ぶアレンの手首と足を、てきぱきと洗濯ロープで縛っていくもう一人の男性社員。
 アレンを見つけた方とは対照的な、短髪で体格の良いそいつはアレンの拘束を終えると、手押しカートにアレンを押し込んだ。
 スーパーなどの物よりは一回り大きいそのカートに、小柄なアレンの身体はすっぽりと収まってしまう。
「良く見つけたな」 
「僕、耳ええねん。でも、どないしよか。何も持って来とらんよ」
「うーん、そうだなあ……」
 身動きが取れないアレンは、不安と恐怖で内臓を吐き出しそうだった。

 どうなっちゃうんだろう。
 怖いよ。死にたくないよ。

 再び瞳が潤み始めるアレンの目に、
「ああ、いや、あるぞ照亜。ほら」
 短髪の男の指が映る。
 その先は、
 非常口。
 この店舗から、出られる扉。
 でも今は、そこから出ることは出来ない。
 なぜなら。
 二つに裂けた上半身。飛び散った身体の欠片。ごぼごぼと、溢れ出る赤黒い血。露出した内臓。
 一番最初に死んだ男性の姿を思い出す。
「い、いやだ……」
 怯えた声が、アレンの口から零れる。
 だが、
「名案や、慎二」
「だろう?じゃあ行くぞ、せーの!」
 二人は構わず、カートをそちらに向かって押し始めた。
「いやだいやだいやだ!!」 
 じたばたと両手両足で暴れるアレン。だが、カートにシンデレラフィットしてしまっており、抜け出すことが出来ない。
 スピードが増す。
 途轍もない速度で、カートが非常口へと進んでいく。
 そして、彼らは自分たちに被害が及ばないぎりぎりの所で、
 カートのハンドルから、手を離した。
 だが、勢いに乗って、前へと進み続ける、アレンを乗せたカート。
 じきに、アレンの目前へとドアは迫り、

「いやだってばああああああぁぁぁあああ────!」
 ガシャン!
 バシィィン!

 アレンの断末魔と、カートがドアにぶつかる音と、スチール板が落下する音。
 悲惨な三重奏が開演し、そしてすぐに幕を下ろした。 
     
「慎二、このお人形さん、壊れてもうたで」
「あー悪い、流石にぐちゃぐちゃすぎるな……。どうする、捨てていくか?」
「うーん……。いや、使えそうなパーツだけでも持ってくわ。耳とか手とかなら、飾り位にはなるやろうし」
「おっけー。じゃあ拾えるように買い物かご持ってくるな。照亜はパーツ選別しといて」
「了解や!」 

 そんな会話がなされていたことを知る者は、最早この場には居なかった。   





────椎名 風子(しいな ふうこ)の場合。


 風子は、勢い勇んでありとあるゆる売り場を巡回していた。
 その右手には、物干しざおが握り込まれている。
 風子は薙刀を幼い頃から習っており、その甲斐あって、有段者だった。
 その為、自分の腕に自信があった風子は、果敢に殺し合いの場に乗り込み、襲い来る男性社員たちの頭蓋骨をかち割っていた。

 ────それにしても。
 どうしてこんなことに巻き込まれなきゃならないの?
 面倒だし、一銭にもならないじゃない。

 怒り心頭、さっさと帰って仕事をしたい風子は仏頂面で歩を進める。
 入社五年目。家具課のフロアマネージャーに着任して、半年。
 階級は上がったものの、給料があまり上がらなかったことに苛々していた風子は、商品をとにかく売って実力を示し、賞与の増額に全力を尽くしていた。
 風子は、お金が好きだった。
 お金があれば何でもできるし、何でも買える。
 その思考は、社会人になって自由に使えるお金が増えてから、ますます強固なものになっていった。

 最近では、現品限りの家具を売りさばく術も身に着けたというのに。
 もう、私はこんなことしてる場合じゃないの! 
 
 ぴちゃ。
「……うん?何?」
 無我夢中で八階へと続くエスカレーターを上っていた風子は、足元から何か音がした気がした。
 突如、立ち込める強烈な香り。
 それは、エスカレーターを上り切ってすぐの場所だった。
 エレベーターは稼働しているが、エスカレーターは何故か止まっていた為、歩いて上るしかなかったのだが、そこで何かを踏んでしまったらしい。
「何、床が濡れてるの……?ていうかこの香り、どこかで……うっ」
 香りの原因を確かめようと、地面に顔を近づけようとしたが、濃く、強い芳香に頭痛がした。
 風子はこめかみを抑えつつ、だが、口角をにっと上げた。
 
 何故床が濡れているのか、これは何なのか。
 気になることは幾つかあるが。
 確実に言えるのは、
 ────ここに、誰かが居る。
 これは、誰かが故意に行ったことだ。そして風子はまだ、このフロアを見て回っていない。
 元より、三十人程度で始まった殺し合い。時間も経ったし、風子自身も、随分と殺した。
 残るは、この階に潜む奴だけだ……!
 
 そうあたりを付けた風子は、悠々とフロアを見て回る。
 八階は、ベッドルームの見本が広がる、比較的視界の開けたエリアだ。
 だから、隠れられる場所なんて、ほとんどない。
「さー出てきなさい。大人しく出てきたら、楽に殺してあげるから!」
 もう間もなく、帰れる。お金を稼げる。
 風子は期待に胸を膨らませ、広い売り場を練り歩いた。

 それから三十分。
 マットレスの下やフレームの下など、成人が身体をねじ込めそうな隙間は全て見て回った。
 それでも、ハエ一匹、見つからない。
「どこに居るのよ!」
 期待した分落胆も大きく、風子のイライラは臨界点を突破していた。
 だがこの売り場のどこかに居るのは、間違いないのだ。
「もう許さない……!見つけた瞬間、まずは歯から、ボキボキにへし折ってやる……!」
 ぶんぶんと物干し竿を振り回す風子の目に、ふと、倉庫へのスイングドアが目に入った。
 基本的にベッドは、お客様の目につく売り場に見本を置くだけで、本体の在庫を店舗内に置いておくことはほとんどない。 
 故に、倉庫内に隠れる場所などないと思ってスルーしていたが。
「あそこだな……?」
 売り場はさんざん見た。でも居なかった。
 だから残る、あの倉庫内に、まだ見ぬ誰かは身を潜めているのだ。
 それしかない。
 風子は確信を持って、ずんずんと一直線に倉庫に向かって行く。
 そして、バアン!とスイングドアを開いた。

 中は真っ暗だった。
 他の階では電気が点いていたから、ここに隠れた誰かが消したのだろう。
 ────小賢しいまねを。
 ぶん、と物干し竿を一振りし、中へと入っていく。
 うろうろと、広い空間を歩き回る。

 こんな暗さ、いずれ慣れれば目が効くようになる。 
 どこに隠れているのかは知らないが、その姿を見つけた瞬間、ぐちゃりと────。

 ズンッ!!
 ぐちゃり。
「………………………………??!?」
 風子は突然、息が出来なくなった。
 それどころか、動けない。指先一つ、ぴくりともしない。
 というか、全身が、熱い。
 熱くて暑くて厚くて篤くてアツクテアツクテ○×△※@¥$~~~~~!
「────────────────────────────!!!!!」
 身体全体を駆け回る地獄の痛みに、絶叫を上げた、つもりだった。
 しかし、気管が潰されていて、声すら出ない。
 息が、喉から漏れるだけだ。
 目から血涙を流しながら悶絶する風子の耳に、ふいに会話が聞こえてくる。

「ふいー、重かったあ」
「堪忍な、あんまり力になれへんくて」
「いやいや、十分なってたよ。ありがとう」
「それにしても、プレス作戦、おもろかったなあ。二人でベッドを吊り上げて、誰かが来たら落とすなんて」
「ああ。倉庫に、展示予定の新品のダブルサイズベッドが置いてあって運が良かった」
「一人なら持ち上げるの大変やけど、二人おればなんとかなったな」
「そうだな、洗濯ロープ様様だ。でも、照亜の、匂いでタイミングを計るっていうのも良かった」
「せやろ?アロマディフューザーなあ、匂い全部混ぜたらすごいことなんねん。それが靴の裏に付いたままやから、暗闇でも、誰かが入ってきたら分かるんよ」
  
 ぐるりと風子が白目を剥き、息絶えた瞬間。
 二人の悪魔は、ハイタッチをしていた。



 

「…………壮観だな」
「感無量やで…………!」 
 頬を引きつらせる慎二と、子供のようにはしゃぐ照亜は横に並び、六階の売り場を俯瞰していた。
 初めに慎二が隠れ場所として選んだこのフロアには、リビングや子供部屋などを模したルーム展示が沢山ある。
 人を配置するのならここが最も映えそうだと二人で決め、目いっぱい「お人形さん」を飾ったのだ。
 確かに、展示にぐっと現実味が増している。よりリアルな生活が垣間見え、使用感も想像しやすそうだ。
 ────そこにあるのが死体でなければ、の話だが。 
 「写真撮れれば良かったんやけどなあ……。残念やわ」
 隣で本気でしょんぼりしている照亜をまあまあ、と宥めつつ、

 ……あれ、もしかして。

 と、慎二はあることに気が付いた。
「なあ照亜、お人形さん、全部で何体飾ったっけ?」
 慎二にそう問われた照亜は、んーと人差し指をあごに当て、数を数え始める。
「ここに十五人でしょ。四階に九人、七階に二人、八階に潰れたのが一人と……」
「あと一階のアウトドアの所にも五人置いたよな」
「せやな」
 慎二も付け加える。
 合計すると、お人形さんは三十二人。
 確かこの研修の参加人数は、全部で三十四人だったはず。
 つまり、
「あれ、もう残ってるの、僕らだけ?」
「そう、みたいだ」
 同じ事に気が付いた照亜が、頓狂な声を上げる。
「なんや、もう仕舞いかあ」
 落胆の表情を浮かべる照亜の横で、慎二はひっそりと緊張感を高めていた。

 ……ついに、この瞬間が来た。
 こいつは完全に、俺を信頼している。油断しきっているから、
 後は、タイミングを間違えさえしなければ、だ。

「なあ、どこに行けば首謀者はんと話せるんやろか」
 ふい、とそのきれいな顔を慎二に向け、無邪気に尋ねてくる、残念なイケメン。
「ん、え、ああ、そうだな…………。とりあえず、会議室に、戻ってみるか?」
 思案を巡らせていた最中に声を掛けられ、少々動揺しながら、慎二はそう提案した。
「おん、せやね。あっこなら、お話出来そうや」
 素直に賛成する照亜にだろ?と微笑みながら、慎二は脳内で段取りを組んでいた。
 二人で並んで、一階の、最初に集められていた会議室を目指す。
 
 ──そう、ここまでは、ずっと横並び。
 隣り合って、ただ、歩く。
 微塵も、びた一文も、裏切りそうな雰囲気は見せない。
 俺がこいつの後ろに回るのは最後の最後、会議室に入る時だけだ。
 先に照亜に部屋に入ってもらう振りをし、俺の前に来た瞬間、これをこいつの首にかけ、絞め上げる。
 なんだかんだ、役に立つもんだな、これも。   
 
 慎二はこっそり、ポケットの中の洗濯ロープに指先で触れた。
「なあなあ、僕、君のこと気に入ったわあ。帰ってからも、仲良うしよな」
 エレベーターの中で、にこにこと、それを見た人の心を溶かしそうな甘い笑みを浮かべながら、照亜は言った。

 ああ、これが普通の状況だったら、どんなに嬉し……、

 いや、無いわ、こいつ異常者だし。
  
「ああ、もちろんだ」 
 本音はもちろん隠し、慎二も微笑みを返す。
 フオン、とエレベーターのドアが開いた。
 連れ立って、降りる。
 会議室がある倉庫に続くスイングドアへと、真っ直ぐ歩く。
 そのスイングドアを通れば、会議室はすぐそこだ。

 いよいよだ。
 ドキドキと、心臓が早鐘を打つ。
 その鼓動のせいで、胸に痛みすら覚える。

 トン、と慎二が扉を押して、スイングドアを、揃って抜ける。
 入口が開きっぱなしの、会議室が目に入った。
 ついでにその真下に転がる、死体も。

 胃が、押し潰されそうだ。
 でも、ここまでこれた。
 俺は生き残った。

 会議室の、入口に立つ。
「お先にどうぞ、照亜」
「おおきにな、慎二」

 手で先を示した慎二に向かってにこっと笑い、照亜は一歩、慎二の前へと足を踏み出す。

 やっと、やっと────!
 俺の勝ちだ!

 慎二はポケットからロープを取り出すと、両端を素早く両手に巻き付け、

 紐を照亜の首へ掛けようと────────────。
 








「貴方は一体、どなたでしょうか」
 
「…………は?」
 聞き馴染んだ女性の、だが初めて聞く戸惑った機械越しの音声に、慎二も動きを止めた。 
「どなたって、僕は、四十六期社員、南大阪店ホームファッション担当の西京院照亜ですが」
 すらすらと、自己紹介をする照亜。
 ────だが。

「貴方は、この研修の参加者ではありませんよね?」
「え……?」
 慎二はロープを隠すのを忘れ、照亜の隣に立ち、その表情を窺う。
「ひっ……」
 か細い悲鳴が、慎二の喉から漏れた。

 照亜は細い目をさらに細く吊り上げ、にたりと笑って答えた。



「せやで」