……コロシアイ?
参加者がざわつく会議室の中で、慎二もまた、動揺していた。
新しいレクリエーション?それにしては、余りに不謹慎すぎるネーミングだけれど。
コロシアムに行ってもらいます、を聞き間違えたのかな。でもそんな名前の同業他社、あったっけ。
色々と、自分の中で納得が出来る説を考える。
だがそんな努力の甲斐も虚しく、スピーカー越しの無機質な声は冷酷に告げる。
「ここにお集まり頂いた皆様には、殺し合いをしてもらいます。開始時刻は、今から一時間後です」
「何をふざけているんだ」
がたん、と椅子が立てた音に、慎二はびくりと肩を震わす。
五十代位の男性社員が立ち上がり、スピーカーに向かって声を発した。
「我々は忙しい中を縫って、ここに来ているんだ。遊んでいる暇が無いのは、本部も重々承知だと思っていたが?」
「そうだ!」
「用が無いなら帰らせてもらう!」
男性の重い、尖った声に、次々と他の社員も続く。
恐らく、店長やフロアマネージャーのような役職者たちだろう。堂々とした振る舞いだ。
しかし、
「お座り下さい。反抗するなら、今すぐに処分致します」
冷徹なアナウンスが、彼らに降り注ぐばかりだった。
残念ながらここに、その発言の主は居ない。話しているのは女性なのだろうが、物理的に置かれた距離が、彼らを無力にした。
怒りのぶつけ先が無く、渋々、といった様子で初めに発言した男性が、席に着く。
それに倣い、他の社員も大人しく椅子に座った。
ただ一人を除いて。
「理解できない!俺は帰る!」
先程、最後に席を立った若手の男性社員がそう怒声を上げ、すたすたと会議室のドアへと歩いていく。
そういう人が居ても不思議ではない、と慎二は思った。慎二たちを制限するものは何もないのだから。
しいて言うなら、本部からの評価が下がること、位だろうか。
俺も帰れるなら帰ろうかな。なんか想像していたのと違ったし。
期待してきた分、肩透かしを食らったような、がっかりしたような思いに慎二は囚われた。
ぼーっと、扉に向かって行くその背中を眺める。
そして彼がドアノブへと手を掛けた──
その瞬間。
バァァァン!!
途轍もない金属音が、鼓膜をつんざいた。
だが慎二には、耳を塞ぐ余裕なんて無かった。
目の前の光景を、視覚情報として処理するのに、精一杯だったから。
真っ赤に染まったドアと、床と、目玉と、歯と、あと、あれは何だろう。
大きな、割れたトマト、みたいな、もの。
歪な赤黒い塊で、まだちょっと、所々脈打ってて、でもなんか、手と足、の様なものがついていて。
……さっきの、人は、どこ?
「お、おい……!!」
「ぐっ、お、え……!!」
「誰か、誰か、救急車と警察を!!いや、スマホは没収されている……!」
騒然となる会議室。
たちまち充満する鉄錆の臭気に、慎二も嫌でも現実を理解した。
彼は、死んだ。
上から落ちてきた何かに、潰された。
慎二は恐る恐る、血で塗れた現場に目をやる。
見るに堪えがたい遺体から、少し離れた所に落ちている、大きな板。間違いなくこれが彼の命を奪った物だ。さらに、この会社の社員なら、これは、誰もが触ったことがある。
それは、900㎜×1200㎜の大きなスチール棚。
ごくまれに、店舗の商品を並べる棚として使われる、10㎏程の、重い鉄の板。
慎二は、視線を上へと向ける。
ドアの少し手前の天井から、暗闇が広がっている。
空洞だ。不自然な程に、その部分だけ、高く吹き抜けになっている。
恐らくあそこから、スチール棚が、彼の真上に落ちてきたのだ。
「10mの高さから落下するので、凡そ、1.5トンの衝撃でしょうね。当たれば即死は免れませんが……、まあ、それを見れば誰でも分かりますか」
騒めきが収まらない会議室に、機械的な声が響く。
そんな彼らに、とどめを刺すかのような、事実だけを告げる声。
「慌てなくてもスチール棚は、まだ山程ありますよ」
──処分。
先程のアナウンスが、脳裏に蘇る。
あれは、ただの脅しや比喩では無くて。
事実、人間としての、処分だったのだ。
そして慎二は思い出す。店舗から、全ての900㎜丈のスチール棚が回収された時の事を。
その時は、今後、店舗で使用することがないからという理由だった。
それも事実なのだろうが、そうして全国から集められたこの巨大なスチール棚が、この場に用意されているのだとしたら。
今の言葉に嘘はない。
慎二を含め、ここに居る全員分のギロチンは、容易に準備できているということだ。
全員が途端に口を噤み、大人しく席に着く。
生臭い香りが漂う中、どこの部署かも、誰かも知らない女性の司会は、引き続き行われる。
「──改めまして、これから皆様には殺し合いをして頂きます。開始は四十五分後。この店舗にある全ての物を利用して、生き残れる一名の座を奪い合って下さい」
皆、黙って聞いているが、脳内は混乱しきりっぱなしだ。
人を殺す。生き残る。
到底、無理難題だ。だって、これまで「普通」に生きてきたのだから。
……何で、誰を、どうするというのだ?
そんな思いが、この場に集っている人々の胸に渦巻く。
それでも否応なしに、慎二たちにはルール説明がなされる。
「ついでに言っておきますが、外に脱出しよう、などとは考えない方が良いでしょうね。至る所に、非常口等の脱出路はありますが、いずれにしても、誰かさんと同じ目に遭うので」
脳裏に焼き付いた、誰かさんの憐れな末路。
つまり、この超大型店舗からは逃げられない。逃亡を試みる勇気も、さらさら湧かない。
かといって、他人を殺す度胸があるかと言えば、決してそんなことは無い。
だが勝ち残らなければ、ここから出られないという。
……俺は、どうしたらいい?
慎二が己の振る舞い方を悩んでいる間にも、話は続く。
「一分後に、扉が開きます。そこから出て、準備を開始してください」
トントン拍子に進んでいく状況に、会議室は再びざわつき出す。
そんな室内の動揺とは裏腹に、しばらくすると開く扉。
だがそこに近付く者は、誰も居なかった。
「今はスチール棚は落ちてこないので、安心してくださいね」
理由も、意図も、何も示さないくせに、そんな、どうでもいい情報は与えてくれる。いやまあ、どうでも良くはないけれど。
誰もが互いの様子を窺い、その場から動けずにいた。
そんな中、
「なあ皆。話を聞いてくれ」
大きな声が、会議室の空気を震わせた。
先程、真っ先にこの状況に否を唱えた、五十代の男性だった。
全員の注目が集まったことを確認すると、彼は口を開いた。
「私は札幌西店で店長をしている、大川田だ。私から提案なのだが、皆で協力して、ここから脱出するというのはどうだろう。そうすれば、殺し合いなんて馬鹿な真似をしなくて済む」
なるほど、と慎二はその案に感心した。
殺し合いを望む者など、狂人以外は居ないだろう。だから最初から、全員で協力すれば良いのだ。
大川田は、演説し続ける。
「そもそも殺し合いなど、可能なはずがない。殺人の罪はどうなる?仮に殺し合いが行われるとして、この大型で最新の、売り上げが取れる店舗を、いつまで営業停止に出来る?家族や知人に、我々の死亡をどう説明する?」
この言葉に、慎二も含め、多くの社員がはっとなった。
言われてみれば、色々と現実的で無さすぎる。人が一人、異様な死に方をしたせいで冷静な思考が出来ず、ただ言われるがまま、この状況を受け入れていた。だが、よく考えれば、簡単に解決できないことが山ほどあるのだ。
「我々の力で、こんな事を仕組んだ連中を突き止め、討伐し、ここから出よう。そして、彼を殺した罪を償ってもらうのだ」
そう言って彼は、ドアの手前に転がる最初の犠牲者へ視線を送った。
「ああ、そうだ……、その通りだ!」
「協力して、ここから脱出しよう!」
大川田に賛同する社員が、次々と彼の近くに集まる。
淀んだ空気が払拭され、全体の士気が上がったのだ。
慎二も、先行きが明るくなった気がした。
きっと彼は、実力のある店長に違いない。
このまま彼に付いていけば、何もしなくても無事に帰れるかも。
いやむしろ、そうであれ……!
そう、慎二が切望した、
──その矢先。
「盛り上がっているところ申し訳ないですが、この後、三十分が経過しても殺し合いが起きなかった場合は、この場で全員を処分します」
冷酷なアナウンスが、全員の鼓膜を揺らす。
「何だと?」
最早、皆のリーダーとなりつつある大川田が、眉間にしわを寄せる。
それに答えるように、女性の声が室内に響く。
「こちらとしては、別に即座に皆殺しにしても良いのです。温情措置で、一人だけ見逃してあげようと言っています。それが不服なら、『清掃員』をすぐに投入しますが」
「……死体や死因はどうするんだ?まさか世間に正直に説明する訳ではあるまいが」
「そんなものはどうとでもなります。事故死でも、病死でも、自死でも、何でも。会社に傷が付かないようなありとあるゆる言い訳を、法務部が作成してくれているので」
会話が成り立っているということは、カメラかマイクかを通して、どこかで誰かがこの会話を聞いているのだろう。
だから必ず、生身の人間が絡んでいるはずなのだが。
慎二たちは彼ら、もしくは彼女らに歯向かうこともできず、言われた通りにするしかないのが現状だ。
寸刻、打開策に沸いていた会議室が、またまた静まり返る。
どう足掻いても、殺し合いをするしかない。
その事実を、改めて突き付けられた。
と、一人の若い男性社員が、すたすたと、扉に向かって歩き出す。
ぐちゃぐちゃの死体をひょいと跨ぎ、するりとドアを潜り抜けていった。
呆気に取られる、残された社員たち。
だが、慎二は察知した。
彼はこの中の誰よりも早く、自分がすべきことを理解し、行動を起こしたのだ、と。
彼が消えて数秒後。
他の社員たちも一斉に、ドアへ向かって駆け出していく。
「まじか……!」
事態が急に動き出して、慎二も流石に焦る。
早く行動しなければ、良い場所や武器が取られてしまうかもしれない。
俺は、あくまで普通の人間だ。
そんな俺が生き残るには、隠れ場所をさっさと見つけて、時間を凌ぐ事しか出来ない。
考えるよりもまずは、動こう。
慎二も考えを変え、他の社員に引けを取らないよう、会議室を後にした。