──『記念日といえば、奥様へのプレゼントは?』

『いや〜やっぱアクセサリーとかですかね』

東京のブランドショップが立ち並ぶ歩道で、街頭インタビューに応じる夫と同じ歳くらいの男性をテレビ越しに見ながら、私はテレビの電源をオフにした。

そして朝食を2人分並べるとカレンダーを横目にため息を吐いた。

「来月……結婚して10年か」

私はアンティークのチェストの上に飾られた結婚式の写真に目を映す。写真は夫の職場から贈られたガラス製のフォトフレームに入っていて、『Happy Wedding Takaaki &Misato』の文字が刻まれている。


私と夫の間に子供はいない。

私はあることをきっかけに勤めていた美容室を辞め、専業主婦になった。正直、好きな仕事を辞めるのに抵抗はあったが、研究職で徹夜で仕事をすることも多い夫の孝明(たかあき)を妻として支えたかった。彼との子供を授かりたかった。

──夫を本当に愛していたから。



美里(みさと)今日は朝食はいらない」

その声に後ろを振り返れば孝明がネクタイを締めながらジャケットを羽織った。

「え? 昨日は食べるって……」

「朝から会議が入った」

「じゃあサンドイッチだからすぐに……」

「いらないと言ったのが聞こえなかったか?」

「……すみません」

「夜もいらない、研究室に泊まって帰宅は明日になる」

私は先月、うっかり見てしまった孝明のクレジットの明細が頭に過ったが黙って頷いた。どうせ聞いたところで国立大卒のエリートで理屈っぽい孝明に論破されるのが目に見えているから。

「いってらっしゃい」

「……」

孝明はそのまま私を見ることなく玄関の扉を開けて出て行った。


閉じられた玄関と同時にダイニングテーブルのスマホが震える。

「あれ? これ孝明さんの……」

私は一瞬玄関扉を見てから、スマホをさっと手に取るとLINEのポップアップ通知を確認する。

──『駅前のベーグルちゃんと買っといたからね』

送り主は『リコ』。
その可愛らしい名前から、孝明のクレジット明細に記されていたホテルの名前が脳裏に浮かぶ。

(やっぱりね)

──ガチャ!

「おい、何してる?!」

孝明は私からスマホを奪うように取ると、冷たい眼差しで見下ろした。

「勝手に見るな」

「……リコさんって誰ですか?」

「はぁあ。察してくれよ。息抜きだ」

悪びれることなくそう言う孝明に私の心の真ん中に確実に黒いものが渦巻いていく。

「……私は……別れても構いません」

「あのな、いま離婚とかなったら出世にも響くし、そもそも母さんになんて説明すんだよ!」

孝明は代々医者や政治家を輩出している名家の出身で一人息子だ。

今の暮らしにうんざりしている私は、証拠も見つけた以上、今すぐにでもこの家を出たいが確かにあの世間体を気にする義母を納得させるのは難しいだろう。

「離婚はしない。面倒だからだ! その代わりお前も好きにして構わない。俺もそうする。金はカードも渡してあるだろ、男に貢ぐなり欲しいもの買うなり好きにしろよ!」

「そんなのいらないっ! ただもっと努力するから以前のあなたに戻って欲しいの……っ」

孝明は私のその言葉に僅かに目を開いたあと、口角を上げた。

「……以前の俺ね」

「え?」


孝明はそう言うと私に返事を返すことなく玄関から外へと出て行った。

(私とのこともう一度考えてくれるってこと?)

淡い期待が芽生えそうになって私は首を振った。

(……でも孝明さんは今夜も帰ってこない)

「またひとりぼっちの夜ね」

私は左手の薬指の結婚指輪を見つめてため息を吐いた。

「結婚ってなんだろう……夫婦のやり方がもうわからない……」


当時、美容室で働いていた私の店に客としてやってきたのが孝明との出会いだった。

孝明は毎回、店長を指名していたのだが、その日は店長が風邪で休んでしまったため、私がキャンセルの連絡をしていた。しかしその留守電に気づかず孝明が店にきてしまったので、私が代理で髪を切ったのだが、話が弾みやがて食事に行くようになった。

交際して一年後、エリートの孝明との結婚はもちろん反対されたが、私の両親が教師をしていたことと、私も孝明ほどではないが偏差値の高い私立高校を卒業していたため、なんとか結婚をゆるしてもらった。

最後は息子を溺愛している義母が孝明の初めてのワガママを聞いてあげたいと折れたのだ。

それほど、孝明は確かに私に対して優しく慈しむように愛してくれた。記念日には欠かさず薔薇の花束をプレゼントしてくれ、家事への労いの言葉もかけてくれていた。

「……もう三年ね……」

孝明が私に冷たくなったのは三年前の流産がキッカケだ。

念願の妊娠に孝明からすぐにでも美容室での仕事をやめるよう言われたが、私はつわりがなかったこともあり、大丈夫だからといって仕事を続けた。

そして雨の日、駅の階段で滑って転倒し流産してしまったのだ。そのとき医師からは今後の妊娠は難しいと言われ、私は激しく後悔した。

いつだって後悔はあとからやってくる。そんなわかりきったことを当時の私はわかっていなかった。母親になる自覚よりも好きな仕事を続けたい気持ちが優っていたから。

そのあと体外受精を幾度かチャレンジしたが結局妊娠することはなく、孝明は私を抱かなくなった。

会話もなくなり顔を合わせば互いの間に冷たい張り詰めたような空気が流れるようになり、心の距離は日々広がるばかり。

やがて孝明の外泊も増え、いつも誰かと連絡を取り合うようになり私とは目を合わさなくなった。

全部、私が招いた結果なのだ。

でもそのあと私なりに孝明に償いの気持ちも込めて誠心誠意、孝明に妻として尽くしてきた。

ただ──もう一度でいいから愛して欲しくて。


その夜、孝明は宣言通り帰ってこなかった。

そしてその次の日も。孝明に何かあったのではとLINEをしたが孝明からは『仕事が忙しい。しばらく帰れない』とだけ返事があったきり、電話をしても一度も話すことはなかった。

もうこのまま孝明は家に帰ってこないのかもしれない。そんな考えが芽生え始めた1ヶ月後だった。


──ガチャ!

玄関の扉が開く音がして私は慌てて玄関へ駆けていく。

「美里、ただいま」

「お、かえりなさい……」

一ヶ月ぶりに見る夫の表情は明るく、私に向けて笑顔を見せている。

「はい。これ、気に入ってくれるかな?」

孝明は私に後ろ手に隠していた薔薇の花束を差し出した。

「え……っ、これ……」

「結婚記念日だよね、いつもありがとう」

(いま……なんて……?)

孝明が記念日を祝うなんてことは久しぶりだし、何より私のために花束を買ってきてくれるなんていつぶりだろうか。

「美里? 美里は赤が似合うからと思ったんだけど……気に入らなかった?」

「あ、ううん。ありがとう。嬉しい……」

もう忘れていたが、交際しているときから、孝明は私には赤が似合うと言って花束を贈ってくれるときは決まって赤い薔薇ばかりだった。

(一体どうしたの……?)

私は目の前の孝明をじっと見つめるが、どこからどうみても孝明に間違いない。自分の夫を見間違える妻などいないだろう。

「今夜、美里にプロポーズしたレストランを予約してるんだ。久しぶりの2人での食事だね」

「そ、そうね……」

「前に俺がプレゼントした赤い石のついたピアスとネックレスつけてくれる?」

「えっと……ええ……わかったわ」

「ありがとう」

(ほんとに孝明さん……よね?)

でも新婚時代に孝明が私にプレゼントしてくれたピアスとネックレスには確かに赤い石がついていた。

「じゃあ、俺シャワー浴びて少し仮眠取るね」

「あ、あの……」

「ん? どうかした?」

「孝明さん……あと気を悪くしたらごめんなさい……あの、そのリコさんって方は……」

「ああ、俺から言わなきゃいけなかったのにごめん。彼女からとは綺麗さっぱり別れたよ。今まですまなかった」

孝明は私に頭を下げると、困ったように眉を下げている。

「……すぐには許せないと思う……でも美里とやり直したいんだ」

孝明の言葉に私の目の奥が熱くなる。

「私も至らないとこがあったから……もういいの。私ももっと頑張る……」

「いや美里はもう十分頑張ってるくれてる。これから頑張るのは俺のほうだ。まずは記念日を楽しく過ごそう」

「うん。記念日、覚えててくれてレストランまで予約してくれて……ありがとう」

「いや、当然だよ。じゃあ夕方には俺も着替えるから起こしてくれる?」

「……わかったわ」

孝明は私に目を細めると浴室へと向かった。

「……別人みたい……」

(この一ヶ月でほんとに考え直してくれたってこと……よね?)

「……私もこれからもっと孝明さんを支えて……また2人で穏やかで……ささやかな日々を過ごしていきたい」

私は綺麗にラッピングされた薔薇の花束のリボンを解き花瓶に生けると、孝明との久しぶりの食事に胸を弾ませた。


孝明が予約してくれていた、イタリアンレストランは孝明の言っていた通り、私が10年前にプロポーズされた夜景の見えるレストランだった。

「美里、乾杯」

「乾杯」

孝明のグラスに私は自分のグラスを合わせると、シャンパンを口に含んだ。口の中に広がるシャンパンの甘さが心の中のわだかまりを溶かしていく。

「孝明さん、わざわざこの席を予約してくれたの?」

「そうだよ、せっかくの記念日だしね」

いま私たちが座っている席はレストランの一番奥の窓際の席で、横の壁には有名な画家のレプリカの絵が飾ってある。

「美里、覚えてる? この絵」

「ええ……覚えてるわ」

「俺、この絵が好きでね。美里にプロポーズを了承してもらってから初めて行ったデートが俺のわがままで画廊だったよね」

「そうだったわね」

「今思えば、いつも美里は俺に合わせてくれて支えてくれて……我慢ばかりさせていたなって」

「そんなことない。私も……ほんとに沢山至らないところがあったの。これからは2人でまた夫婦をやり直したい」

「うん、俺も同じ気持ちだよ」

孝明が形の良い唇を持ち上げ私も微笑み返す。

そして2人で思い出話に花を咲かせながら、コース料理を楽しんだ。


「……結構お腹いっぱいだな、いまからデザートだけど美里大丈夫?」

「うん、デザートは別腹だから。今日はなにかしらね」

「ここは月替わりでデザートが変わるから楽しみだね」

そう話していれば、店員がデザートと飲み物を運んでくる。

「お待たせ致しました。こちら、米粉を使ったシフォンケーキの生クリーム添えです。お好みでハチミツをかけてお召し上がりください。そしてこちらは赤ワインを使用したブルーベリーのシャーベットでございます」

店員は私たちの前にホットコーヒーとお洒落なガラス製のデザートプレートを置き丁寧にお辞儀をして席を離れた。

「ねぇ、孝明さん写真とってもいい?」

「ああ、勿論」

私はこんな風に2人で過ごせることが嬉しくて記念にスマホで写真を撮っていく。

「お、うまい」

「孝明さん、見た目によらず甘党だものね」

「そう。でも美里との初めてのデートでは気恥ずかしくてわざとブラック飲んだんだ」

「ふふっ、そうだった」

孝明は私に目を細めながらデザートを先に楽しんでいる。

(幸せだな……)

まさかこんな日が訪れるなんて思ってもみなかったから。

そして私はデザートを食べ始めてから、ふと隣の孝明を見てはっとする。

「た、孝明っ、食べたの?!」

「え? どうしたの?」

慌てる私をよそに孝明はきょとんとしている。

「……大変、お医者様に……」

「美里、おちついて。何のこと?」

「何のことって……孝明ハチミツアレルギーじゃない?! それなのに……」

そう、孝明はハチミツアレルギーなのだ。結婚前から私は義母に口にさせないように散々注意されてきたのだ。

勿論、孝明本人も自覚しており、新婚当時、駅前にできたパンケーキ屋さんに2人で食べに行った際も孝明は代わりに生クリームをつけて食べていた。

「もう治ったんだ。美里に言ってなかったっけ?」

「え……? 治った? アレルギーが?」

そんなことあるのだろうか。到底信じられない気持ちで孝明を見つめる私を見て、孝明が歯を見せて笑った。

「美里が写真に夢中になってる間に食べたからもう15分は経ってる、けどほら、なんともないよ」

「でもこれから何か反応が……」

「俺を信じて。もう大丈夫なんだ」

(本当に……?)

私は心配でデザートの味がよくわからないまま食べ終わると孝明と家路についた。

そして孝明がベッドで眠るのを確認してから、スマホでアレルギーが自然に治るのか調べてみたが、そんなことはありえないとする文言が目立った。

(私の隣で寝てるのは……ほんとに孝明なの? それともニセモノ……?)

私は考えを巡らせながらも答えは出ず、無理やり目を瞑ったが、その夜はなかなか寝付くことが出来なかった。

(やっぱり……おかしい……)

これは妻の勘だ。

私の隣で眠る孝明は私の夫ではない。

──漠然とそう思った。


それから数ヶ月が過ぎた。私は孝明が仕事に出かけてから、できる限り孝明について調べるようになった。

尾行するのは気が引けたが、孝明は仕事を欠勤することなく毎日出社していたし、研究室に泊まることもなく定時で帰宅している。

孝明には双子の兄か弟でもいるのかと思い、市役所で戸籍を調べたが孝明は一人っ子で間違いなく他に兄弟もいなかった。

「でも……違う……」

別人のようになった孝明と暮らし始めて気づいたことがいくつかある。

それは孝明が使っていたスマホは機種が古かったのだが、先日よくみたら同じ古い機種だが新品になっていたのだ。

孝明に聞くと『これが使いやすいから』と話していたが、以前、孝明はもうすぐ最新の機種が出るからこれに変えるとテレビを見ながら、独り言を言っていたのを私は覚えている。

またもうひとつ気になるのは何故だか孝明は過去の記憶は鮮明に覚えているのに、今現在についての会話が微妙に噛み合わないことがあるのだ。

どう表現したらいいかわからないレベルなのだが──でも違う。

そして先週、私は《《ある決定的なこと》》に気づいてからは、孝明が誰なのか知りたい気持ちがどんどん強くなっていた。

「あなたは一体誰なの……?」

(……そうだわ!)

私は勢いよく椅子から立ち上がると携帯会社に勤めている高校時代の親友に電話をかけた。


※※

(自宅から3時間ってとこかしら……)

親友と話した翌日、私は自宅から数百キロ離れたとある街に電車を乗り継ぎやってきた。

親友に電話で事情を話すと、孝明は同じ機種のスマホを2台所有していることがわかった。そこで古い方の電話番号からGPSで位置情報調べてもらったのだ。

(結婚してすぐに互いに何かあったときのためにとGPS機能をつけていたのが、こんなとこで役に立つなんてね……)

私はスマホの地図アプリを見つめる。

(ここになってるけど……)

そして私が電信柱の後ろに身を潜めて目の前のアパートを見つめていれば、2階の一室の扉が開き、聞き慣れた声が聞こえてくる。

(え?!)

アパートから出てきたのは間違いなく孝明だった。

(どういうこと?!)

私は今朝、ここにくる前に一緒に住んでいる孝明を尾行して、孝明が出社したのを確認している。

「孝明〜、リコ、さむーい」

そう言って孝明の腕に自分の腕を絡ませたのは、まだ若い女性だった。

(リコって……前に孝明さんのスマホのLINE……)

「ねー、孝明さん、本当にもう家帰らなくていいの?」

「ああ。話しただろ? 研究の報奨金が山ほど出たし、家にはアイツがいるからね」

「奥さんにバレないかな〜?」

「ないない、美里はそんな頭の回る女じゃない。今頃、アイツを改心した俺だと思って浮かれて暮らしてるさ」

「きゃはは、かわいそ〜」

「それよりもその赤いバッグよく似合ってる。リコは赤が一番似合うね」

「ありがと、大事にするね」

リコは上目遣いで孝明を見つめた。

「ねぇ、孝明は誰を愛してるの?」

「どうした? リコ、お前だけに決まってる」

「奥さんは〜?」

「奥さん? はっ、今の俺には奥さんなんていないね。これからもアイツに任せて俺たちはこうやってずっと2人で遊んで暮らせばいいんだ」

「だね! じゃあ今日は予定通りリコの運転でセリールのワンピ買いに行こ〜」

「この間、この車も買ってやったばかりなのに悪い子だな」

「あははっ」

私は全てを悟ると、孝明とリコが乗った趣味の悪い赤のセダンが走り去るのを見ながら奥歯を噛み締めた。


(そう……そうだったのね……)

(優秀で頭がキレる貴方らしいわね……)

(信じた私がバカだった)

私は心の真ん中から体の隅々までが黒いモノに覆われて行くのを感じながら、もう1人の孝明が帰ってくる自宅へと戻った。

※※

──数ヶ月後。

私はダイニングテーブルに朝食を並べながらテレビのワイドショーを見ていた。

『……海岸にて……男女不明の遺体が二体浮か……調べたところ海底…赤い車が……身分の特定に繋がる所持品なし……警察によると……ハンドル操作を誤ったか……無理心中……可能性で捜査……」

(あら……ついに見つかったのね)

リビングの扉が開くとあくびをしながら孝明が部屋に入ってくる。

「美里おはよう」

「孝明さんおはよう。孝明さんの好きな目玉焼きに、胡瓜とハムのサンドイッチよ」

「うまそ、いただきます!」

「どうそ召し上がれ」

私は目の前の孝明に微笑んだ。

「美里、今日はせっかくの休みだから、美里の行きたいところに行こうか」

「じゃあ映画のあと、駅前のパンケーキ食べたいな。ハチミツたっぷりのやつ」

「いいね、そうしよう」

私は孝明との穏やかなこの暮らしに満足している。

(もし遺体の身元がわかって警察がここにきても大丈夫……だって本人はちゃんとここにいるんだもの)

(ただ唯一、《《髪の毛が伸びないこと》》さえ気づかれなければね)


そう──私が孝明がニセモノだと気づいたのは髪の毛だ。

面倒くさがりの孝明は美容師だった私に自分の髪を切らせていたのだが、別人のように優しくなってからの孝明の髪は、数ヶ月経つのに今だに切っていない。

伸びてこないのだ。

さらにそのことを孝明に聞くと、『伸びてきたからそろそろ切ってよ』とズレた返事が返ってくる。


《《以前の夫である》》孝明は、国家機密である、とある大きな研究所で、人間とほぼ同等のAI人間の開発に取り組み、日々研究を重ねていた。

そして人間の微細胞を増殖させる特殊な薬で臓器や皮膚、髪の毛までも再現することに成功したのだ。このAI人間ならば、怪我をすれば血もでるし、人間の細胞が元になっているため、見た目も中身も完璧な人間でAIだと認識することは常人にはまず不可能だ。

さらにAI人間の脳内は極小のチップが埋め込まれており、常にAI学習アプリを会社のシステムと連動させているため、定期的に情報がアップロードされる。そのため、孝明のハチミツアレルギーが治ったのではないかと私は推測している。

(髪の毛は伸びる前にいつも私が切ってたから、そこだけAIに学習させるのを忘れたのね)

(孝明さんらしい……というか人間らしいわね。どんなに完璧に見えても人間ならミスをする)

まだ私たち夫婦に会話があったころ、よく孝明が言っていた。

『……政府は臓器移植の適合率100%を目的としてこの研究に取り組んでいるが、俺がもし自分のニセモノを作り出すことができれば、俺は一生遊んで暮らしたいね。それが俺の幸せだ──』

(何が幸せなのかは……その人次第)

「美里、ご馳走様。俺、コーヒー淹れるね! 昨日買ってきたこのコーヒー美味いんだよ。美里にも飲んでみて欲しい」

「孝明さん、いつもありがとう」

「俺こそいつもありがとう」

私はその言葉に心からの笑顔を孝明に向ける。

「孝明さん、私とっても幸せよ」

「美里、俺も幸せ……ってなんか恥ずかしいな、朝から」

「ふふ、ほんとね」



──あなたは一体誰?

そんなこともう聞かない。
聞く必要もない。
知る必要もない。

ただ私の好きだった貴方を愛していくだけ。


2024.12.15 遊野煌