「ねぇ、君どこかで会ったことある?」

 そんな使い古されたナンパのような台詞でも、彼に言われると心の底から震えた。
 会ったことがある、なんて肯定していいのかわからない。広い広いライブ会場の中、遠くからしか彼のことを見ていないから。

 あなたにとって私は大勢の中の一人でしかなかったはずだから。どんな意図があったにせよ、私は涙が出そうになるくらいに嬉しかった。

「……会ってないと思います」

 でも次に会えた時は、あの時の子だよねって言ってもらえるようになりたいな――。

* * *

 私、星名(ほしな)すばるが彼のことを知ったのは、中学二年の頃。クラス替えをしたばかりでクラスに馴染めるか不安に思っていた時、声をかけてくれた二人の子がいた。
 マホとユウカ、二人とも仲の良い子とクラスが離れてしまって寂しい。良かったら仲良くしてくれないか、と話しかけてくれた。
 こんなに嬉しいことはなく、私たちはすぐに友達になった。マホとユウカはSirius(シリウス)というアイドルグループにハマっていた。

「私はスバル担! ぶっちゃけすばるんに声かけたの、名前が同じだったからなんだよね」
「あーわかる! あたしもスバルと同じだ〜って思ってた」
「でもユウカ、星夜(せいや)担でしょ?」
「うん、星夜一筋だから! マホ、次ツアーきたら連番しようよ〜」
「したい! 絶対しよ!」

 私は二人の会話に全くついていけなかった。焦った私は二人にSiriusのことを教えて欲しいと言った。
 マホもユウカも目を輝かせてノリノリで教えてくれた。

 Siriusというのは今勢いのある男性アイドルグループで、十代〜二十代前半の若いグループだ。
 だけど歌唱力、パフォーマンス力、そしてビジュアルの高さは他のアイドルグループに引けを取らない。

 マホが推している光神(こうがみ)スバルくんはグループのセンター。私と同じ名前で最初に気になったのは彼だった。
 スバルくんはとにかく華がある。百八十センチ近くの身長は立っているだけで存在感があるし、ダイナミックなダンスはつい視線を奪われてしまう。

 ユウカの推し、陽生(ひなせ)星夜(せいや)くんはグループでは最年少。私たちの一個下で驚いてしまった。
 だけど十三歳とは思えないダンスの上手さは鳥肌ものだ。これからの成長が楽しみな次世代エースと言われている。

 二人ともすごくカッコいい。
 だけど私が一番惹かれたのは、彼だった。

「この人は?」
流良(ながら)魁星(かいせい)くん、うちらとタメだよ」
「流良魁星くん……」
「星夜くんと魁星くんは同じ中学生で二人とも星が入ってるから、スターコンビって言われてるんだよ!」

 所謂シンメというらしく、この二人は一緒にパフォーマンスすることが多かった。
 でもユウカには申し訳ないが、視線がいくのは魁星くんだった。

 魁星くんは伸びやかで美しい歌声の持ち主だ。まだ声変わりし切っていない高くて甘めの声が鼓膜を震わせる。
 ダンスは指先まで洗練され、どこか儚さを感じさせる。かと思えば、ロック調の曲になった途端に獣のように激しく噛みつき、ファンを煽る。

(何これ……彼から目が離せない)

 いつの間にか私の視線は魁星くんに釘付けになっていた。
 切ないラブバラードでは魁星くんの甘めボイスが存分に溢れ出て、泣きそうになってしまう。
 激しいダンスナンバーでは流す汗すら美しく、魂を震わせるようなダイナミックさと強い目力に心を奪われた。

 更に運命的なことに、魁星くんと私は同じ誕生日だった。
 こんなに嬉しくて自分の誕生日が誇らしいと思ったことなんて初めてだった。

 そこから二人にCDを貸してもらい、Siriusの曲をすべて聴いた。どの曲を聴いても私の耳に残るのは魁星くんの歌声だった。
 Siriusの出演する番組はすべて見たし、ヨーチューブチャンネルは片っ端から見たし、魁星くんのインステライブを初めて見た時は感動した。
 この小さな画面上だけど、私と魁星くんは繋がっている。同じ時間を共有していることに感動してしまった。
 お母さんに懇願してファンクラブに入会させてもらった。
 マホとユウカと毎日Siriusの話をして盛り上がった。

「Siriusの流良魁星です! 今日はみんなのこと幸せにするから! 最後までついてきてね!」

 乱暴な言葉は使わない、優しくて丁寧なところが好き。
 ファン思いでファンサに手厚いところも好き。手厚すぎて妬けちゃうけど。

「育ち盛りだからね、焼肉とか大好きです。スバルくん、奢って?」
「やだよ! お前容赦なく食うんだもん!」

 甘いマスクで細身なのに意外にも大食いのギャップが好き(ちなみに魁星くんがスバルくんのことを呼ぶと自分のことを呼ばれているような気がしてときめく)。
 お兄ちゃんメンバーに対してはちょっと甘えん坊なところもかわいい。

「やだよっ、なんでだよっ! うわぁーーーーー!!」

 ドラマで父親を目の前で殺された主人公の中学生の時の役を演じた時、その鬼気迫る悲痛な演技に涙を流した。お芝居も上手いところが好き。

「ギャーー!! 無理ぃっ!!」
「魁星、しがみつくなよ! いてーわ!!」
「アハハハハハハ!!」

 お化け屋敷が苦手なところもかわいくて好き。涙目になりながらそれでも頑張る魁星くんを何だかんだ言いながら守ってくれるお兄ちゃんたちと、思いっきり爆笑する悪魔な星夜くんの絡みが尊い。

 いいなぁ、私も魁星くんにしがみつかれたいなぁ。
 知れば知るほど魁星くんの虜になる。沼に落ちて抜け出せない。

 だけど、この気持ちがファンとしての感情だけではないと早々に気づいた。

(こんなこと、マホとユウカには言えないよね……)

 それは、魁星くんが初恋だということ。

 アイドルにガチ恋なんてバカだってわかってる。こんなの恋なんかじゃないよ、って否定する人もいると思う。
 マホもユウカもちゃんと好きな人がいて、推しは日々の活力であり潤いの源にしているタイプだから絶対に言えなかった。

「告白されたら絶対付き合うけどね」なんて言ってるけど、それでも二人とも恋する相手は現実(リアル)の男の子だ。
 もしかしてこれは恋じゃないかもしれないって思ったこともあった。

(でも、魁星くんを見ているとドキドキが止まらないの。魁星くんの歌声を聴いていると元気になれるのに、時々ものすごく泣きたくなる。顔が見られるだけで嬉しくてドキドキして――これが恋じゃないなら何が恋なの!?)

 クラスの男子にはときめかない。イケメンって評判の男子でもピンとこない。
 カッコいいとは思っても、それ以上の感情は湧いてこない。

「ずっと星名のこといいなと思ってて、良かったら付き合ってください」

 人生初の告白もときめかなかった。私なんかを好いてくれる気持ちは嬉しいけど、その気持ちには応えられない。

「ごめんなさい、他に好きな人がいます」

 その人はアイドルだけどね。
 それでも私の好きな人は魁星くんただ一人。痛くてもいい、私には魁星くんだけ。

 初めてライブに行って、生の魁星くんに会えた。

「今日は来てくれてありがとう! みんなのこと、大好きだよ!」
「……っ、魁星くん……っ」

 広いアリーナ、私の席はスタンドだった。決して近くはない。魁星くんが他のファンにファンサする姿を見る度に心が苦しくなった。
 それでも初めて会えた魁星くんの輝きに圧倒されて、やっぱり私はこの人に恋しているのだと確信した。

(私はこんなに魁星くんのことが大好きだけど、魁星くんは私のことなんて一ミリも知らないんだ……)

 それがファンとアイドルなのだから仕方ない。当たり前のことなのに、その夜枕を濡らす程泣いた。
 だから、一念発起した。

「お母さん!」

 その翌日、朝起きてお母さんにおはようより先に言った言葉は。

「私、アイドルになる!」

 決意表明だった。
 お母さんは当然ながらびっくりしていた。

「アイドルになるって……本気なの?」
「うん、本気! だから芸能事務所に入りたい!」
「……」

 そう言い切った私にお母さんはきっぱりと答えた。

「ダメです!」

 反対されるかもしれないとは思っていたけど、即座に却下されるとは思っていなかったので少し怯んでしまう。
 でもここで負けたらダメだ。

「どうして?」
「だって魁星くんに会いたいからでしょ? そんな気持ちで入れるような甘い世界じゃないんだよ?」
「違う! 本気だもん。私は本気でアイドルになりたいの」

 魁星くんに会いたいからなんて理由じゃない。
 もちろんそれも理由の一つだけど、私は魁星くんと同じ世界に入って少しでもいいから、同じ景色が見てみたいの。
 魁星くんが普段見ている景色はどんなものなのか、何を感じているのか私も知りたい。

 少しでもいい、ほんの少しでもいいから魁星くんに近づける女の子になりたい。

「……あのさすばる、わかってるの? 万が一アイドルになれたとして、魁星くんと恋愛なんてできないからね」
「!」
「魁星くんどころか、アイドルになったら三十近くまで恋愛できないって思ったほうがいいからね!?」
「!!」

 お母さんは容赦なく現実を突き付けてきた。
 それだけ私のことを心配していたのだと思う。

 うちは母子家庭だ。お父さんのことは知らない。
 ただ何となくわかっているのは、私のお父さんはもうこの世にはいないこと。
 私が七歳の時、お母さんに連れられてお葬式に行ったことがある。誰のお葬式なのかわからなかったし、お母さんに聞いても「昔お世話になった人」としか言わなかった。
 でもハンカチを目に当てて涙を流すお母さんの横顔を見て、子どもながらに何となく察した。

 この人が私のお父さんなのだと。

 その人の顔は覚えていない。初めて見る知らないおじさんだったし、忘れてしまっても仕方ないと思う。
 お母さんにも特に聞かなかった。聞いてはいけないのだと思っていた。

 お母さんはいつも私のために頑張ってくれている。いつも私の味方でいてくれる。
 魁星くんにハマった時も「カッコいいね」って一緒に楽しんでくれていた。

「私は魁星くんの恋人になりたいわけじゃないよ」

 なりたくないって言ったら嘘になるけど、なれるなんて思っていない。

「私、今までやりたいこととかなかった。趣味って言えるものもなくて、でもSiriusにハマって初めてこれが趣味だって思った。今は趣味じゃなくて、私の夢なんだ」

 魁星くんとSiriusに出会って私の世界は変わった。
 何でもない日常が、すごくキラキラして見えるようになった。
 魁星くんに会うことを目標に勉強を頑張れるようになった。魁星くんも頑張っているんだと思ったら、私ももっと頑張らなきゃって思うようになった。
 部活にも入らず特にやりたいこともなく、何となく日々を過ごしていた私が「これが私」だって言えるものに出会えた。

 魁星くんを好きになって、今までよりも自分のことが好きになれたような気がした。

「私もアイドルになりたい。魁星くんみたく、私も誰かのことを元気付けられる存在になりたい!」

 恋愛なんてしなくていい。
 だって私はずっと魁星くんに恋しているから。我ながらなんて現実を見えていないのだろうと思うけれど。

「……そんなに言うなら、わかった」
「っ!」
「でも中学生のうちはダメ。来年受験なんだし、ちゃんと高校に受かってから!」
「う、はい!」
「それと本気なんだってちゃんと態度で示してみせて。生半可な気持ちで入れる世界じゃないんだから、甘っちょろい気持ちならやらせないからね」
「わかった!」

 その日から私は気持ちを引き締めた。早くから受験に向けて高校を決め、勉強もこれまで以上に真面目に取り組んだ。
 だって少しでも早く受験を終わらせて、アイドルになる準備がしたかったから。

「お母さん! 見て、A判定だったよ!」
「うわ、すごいじゃん!」

 お母さんに負担かけたくないから高校は公立一択。アイドルになるなら芸能科のある高校もあるけど、うちにそんなお金の余裕はない。
 だからこそもっともっと頑張らなきゃ。

「……すばるがアイドルなんて、これも運命なのかな」



 受験勉強の傍ら、歌とダンスの練習もしていた。
 レッスンなんて通えないからヨーチューブで動画を見て、見様見真似で踊ってみる。
 Siriusの動画しか見てなかったけど、色んな女性アイドルの動画を見漁った。こんなにかわいくて歌が上手くて踊れる子たちの中に飛び込まなきゃいけないのだと思うと、尻込みしてしまいそうになる。

 そんな時は魁星くんを見て自分を奮い立たせる。
 気持ちで負けたらダメだ、絶対アイドルになるんだから。

 私は無事に第一志望の高校に合格した。成績がかなり上がったので偏差値高めの高校に入学することができた。
 そしてここから、私の人生を懸けた挑戦が始まる。

「千葉から来ました、星名すばるです。十六歳です!」

 だけどそんなに簡単にアイドルになれるはずがなかった。
 オーディションを受けては落ちての繰り返し。書類選考で落とされることもあり、心が折れそうになる。
 落ち込んでいる暇なんてないと片っ端からオーディションに挑戦したけど、私は途中で気づく。

(既存グループの何期生オーディションだとダメだ。絶対勝てない)

 もちろん受けるグループの曲は全部聴いてるし、私なりに勉強しているつもりだけど圧倒的に熱量が足らない。
 アイドルになるという熱量なら誰にも負けてないと思ってるけど、そのグループに入りたいという熱量では他の子に負けていると思った。

「山梨から来ました、佐々木未亜です。Love Peachが大好きでずっと憧れている十五歳です」

 ほら、あの子の目。このグループが大好きで仕方なくて、絶対メンバーになるんだって強い思いが伝わってくる。
 既存グループは既に固定ファンがたくさんいるし、どこでもいいからアイドルになりたいなんて気持ちは見透かされてしまう。
 だから私が狙うは、新規立ち上げグループのオーディションだ!

 そう狙いをシフトしてみたはいいものの、新規グループのオーディションがそんなに簡単にあるわけがなく。
 結局何もできないまま高校一年は終わってしまった。だけど来年開催されるというプレアデスプロダクション発のアイドルオーディションを知り、「これだ!」と思った。

「エントリーナンバー三百七十三番、星名すばる。十七歳、高校二年です!」

 大手芸能事務所、プレアデスプロダクション通称プレプロ。アイドルグループだけでなく、大物アーティストも多く所属する音楽に強い事務所だ。
 千人近くの応募者がいる中、狭き門であり厳しい戦いであることはわかっていた。

 それでもこの戦いを勝ち抜いてみせる。
 歌もダンスもまだまだだけど、アイドルになりたいという思いと熱意なら誰にも負けてない自信はある。

(見ててね魁星くん、絶対アイドルになってみせるから!)

 魁星くんのブロマイドは常に持ち歩き、御守り代わりにしている。
 アイドルになれたからって魁星くんと同じステージに立てたなんて言うつもりはないけど、半歩くらいでも近づけたと思ってもいいかな――?

* * *

「おはようございます!」
「おはよう、すばるちゃん」
「今日もよろしくお願いします!」

 私は晴れてオーディションに受かり、プレプロの新人アイドルグループ・Gem&I.のメンバーとなった。
 Gem&I.のメンバーとして選ばれたのは私の他に八人のメンバー。みんなかわいいし千人近くの中から選ばれた最高のメンバーだ。

(オーディションに勝ち残れたことが奇跡だと思うけど、ここからが本当のスタートなんだ)

 私は人生も青春も全部ジャムアイに懸けると決めた。
 魁星くんのヲタクである自分は一旦封印する。もちろんこれからも追いかけ続けるつもりでいるけど、それを絶対誰にも悟らせない。
 アイドルとして胸を張って魁星くんに会うために。

 そしていつか魁星くんと共演するんだ――!

「じゃあ、サビ前からいきます。ワン、ツー、スリー、はい!」

 今日はボーカルレッスンだ。九人のメンバーがいる中、歌詞の歌割りは平等ではない。
 私はそんなに歌が上手いわけではない。もちろんダンスも未経験だし振りを覚えるのでいっぱいいっぱい。
 ソロパートなんてほんの少しだし、ポジションは後ろの方。きっとメンバーの中で私は最下位なんだろうと思う。

(でも負けない!)

 Siriusの振りなら大体覚えてるのにな。自分で踊ろうとするとなんでこんなに難しいんだろう。

「すばる遅い!」
「はい!」
「疲れた顔しない。ファンの前でそんな顔するの?」
「はい!」

 毎日毎日怒られてばかり。トイレの中でこっそり泣いたりもしていた。
 なんで上手くいかないんだろう? こんなんじゃダメなのに。

 私のメンバーカラーはオレンジになった。魁星くんのメンバーカラーはブルーでいつも青い服や小物ばかりを身に付けていた私にとって、全身オレンジの衣装は違和感でしかない。
 ブルーの子が羨ましいと何度思ったことか。

「こんにちは! あなただけの宝石になりたい、Gem&I.です!」

 認知度を上げるため色んなイベントに参加した。時には自分たちの手でフライヤーを配ったりもした。

(なんで地下ドルと同じことさせられてんの?)

 心の中ではそんな風に思っていたけど、実際やってみると誰にも見向きもされなくて心が折れる。
 大手事務所に所属しているとか関係ない、私たちはまだ何者でもないんだと痛感させられた。

 それでも大手の良いところはプロモーションに力を入れてもらえることで、公式動画チャンネルの開設や公式SNS、そしてメンバー個人のSNSも開設されることになった。
 SNSは嫌いだ。だって明確に数字で決めつけられるから。

 再生回数、フォロワー数、いいね数、すべて数字で明確化される。人気者とそうでない者と差別された気分になる。
 人々の声がダイレクトに入ってくる。何の話題にもされなければ、自分に興味を持たれていないこともわかってしまう。

「あの子、アイドルらしいよ」
「マジ? 全然かわいくないじゃん」

 学校でそんな風に後ろ指さされることもあった。

「……っ」

 つらい、しんどい、苦しい。
 這いつくばってでももがいてもがいて頑張ろうと思えるのは、目標があるから。
 魁星くんにアイドルとして会うという目標が。

「っ、魁星くん、私がんばるからね……っ」

 ライブにも行けなくてつらいけど、いつかこの世界で会えるって信じてるから。
 ファンとアイドルじゃなく、アイドルとアイドルとしてあなたに会うために頑張るから。

「うう、うう〜〜……っ」

 それでも何度も挫けそうになった。しなければいいのにエゴサーチしてまた落ち込んでは泣いて、翌日レッスンに行くの繰り返し。
 大丈夫かな? このままデビューまでに間に合うのかな?
 必死でやっているつもりだけど、全然足りてない気がする。私がメンバーの足を引っ張っているような気がして、ずっと「ごめんなさい」を繰り返している。

 メンバーは優しいから「大丈夫だよ」と言ってくれるけど、腹の内では呆れているし苛立っているに違いない。

(メンバーとも仲良くしたいんだけどな……)

 学校で陰口叩かれていることを知っているから、メンバーに対しても踏み込めずにいた。
 振付師の先生にもボイストレーナーの先生にも「もっとコミュニケーション取りなさい」って言われているのに。

(このままじゃデビューする前にお前はやっぱりいらないって言われちゃうかも……)

 やっぱり私なんて無理だったのかな。お母さんが言っていたように生半可な気持ちでできる世界ではなかった。
 私なんかじゃ、アイドルなんてなれないのかもしれない――……。

「アーー、アーーーー」
「そうその音、今の覚えて」
「はいっ」

 私はボイストレーナーのRika先生に頼み込み、個別でボイストレーニングをしてもらうことになった。
 Rika先生は数々の有名アーティストのボイストレーニングを行ってきたすごい先生だ。厳しいけれどアドバイスは的確だし、とにかく先生自身がとても歌が上手い。
 Rika先生のボイストレーニング教室に通わせてもらうことになり、レッスンがお休みの日も特訓してもらっている。
 何でもいいからとにかく自分にできることをしようと必死だった。

「よし、一旦休憩」
「はい、ありがとうございました!」

 私は持ってきていた水を喉に流し込む。お母さんが喉のケアにいいからと持たせてくれた、マヌカハニーの喉飴を口の中で転がしながら先生に言われたことを忘れないうちに書き留めた。

「せんせーっ! あれ、いない?」

 その瞬間、私は息が止まりそうになった。
 だってひょこっと顔を出したそのイケメンすぎるお顔は私が毎日拝んで何度見ても大好きだって思う、恋焦がれる彼だったから。

(うそ、なんで魁星くんが……!?)

 こんな不意打ちは流石に予想外で、叫び出しそうになってしまった。そんな自分を押し留められたのは、今の私はファンではないと自分を戒められたから。

「Rika先生に用があったんだけど」

 キョロキョロと教室を見回す魁星くん。足長い、スタイル良すぎ、顔良すぎ、ビジュアル完璧すぎない――!?
 白Tシャツにジャージというラフな格好ですら様になりすぎている。私は声が震えそうになるのを必死に誤魔化しながら、声を絞り出した。

「り、りかせんせえはちょっと席外されてます……っ」
「そっか。ごめんね、もしかしてレッスン中だった?」
「い、いえ……っ」

 全身の穴という穴から汗が吹き出す。私は今、魁星くんと会話している。
 あの魁星くんが、私の目の前にいる。
 これは何? 神様からのギフトなの?

「Rika先生厳しいけどすごいよね。俺も個人的に先生に相談したいことがあったんだ」
「……っ、そうなんですか」
「高音パートを綺麗に出せるようにしたくてさ」

 魁星くんは声変わりをする前と比べると高音パートが減っていることには気づいていた。
 元々は高音パートが多かっただけに、過去の曲が歌いにくいだろうことは何となく察していた。

「パート変えるかって言われたけど、一度任されたパートはずっと大切に歌いたいじゃん」

 ああ、私は彼のこういうところが好きなのだ。
 グループとグループの音楽を大切にしているところが。
 責任感を持ってやり通す芯の強さが大好きなのだ。

「……って、いきなりこんなこと言われても困るよね。ごめん」
「い、いえ……! 私、歌もダンスも一番下手で、少しでも足引っ張りたくなくてRika先生に個人レッスンお願いしたんです」
「へえ」
「それでもやっぱり……全然ダメなんですけど……」

 私は何をしているんだろうな。魁星くんの前で泣きたくなんかないのに、顔を上げられない。

「ごめんなさい……私の方こそ急にこんなこと、困りますよね……」

 もう恥ずかしくて消えてしまいたい。会えたことは嬉しいけど、こんな形では会いたくなかった――。

「なんで? すごいじゃん」

 え………。

「Rika先生に個人レッスン頼むなんて相当やる気あると思うけど。そういうのってさ、見てる人には伝わると思うよ」
「……っ」
「もっと上手くなりたいんでしょ? その気持ち切らさなければ大丈夫なんじゃない?」

 アイドルにガチ恋なんて不毛だってわかってる。
 ましてや今は私もアイドルとしての活動を始めて、まだたまごみたいな存在だけど恋愛なんて御法度だ。
 それは覚悟の上だった、それでも私はこの恋を諦めることができない。なかったことになんてできない。

「〜〜っ、ありがとう、ございます……っ」

 やっぱり私は、魁星くんにどうしようもなく恋をしている。

「ねぇ、君どこかで会ったことある?」
「えっ!?」

 私は思わず大声をあげてしまった。
 一体どういう意味なのだろうと急速に鼓動が速くなる。

 もしかして、ライブに来ていたことに気づいてくれていたとか……? あんなに豆粒みたいな存在だったのに。

「……会ってないと思います」

 ……なんてそんなはずはない。
 それでも嬉しかった。会ったことがある、なんて肯定していいのかわからない。広い広いライブ会場の中、遠くからしか彼のことを見ていないから。
 あなたにとって私は大勢の中の一人でしかなかったはずだから。どんな意図があったにせよ、私は涙が出そうになるくらいに嬉しかった。

「そうだよね、ごめん勘違いだわ」
「いえ」
「じゃ、頑張ってね」

 そう言って出て行く後ろ姿さえカッコ良かった。廊下でRika先生に会ったのか話している声が聞こえた。

 私の脳内では魁星くんの言葉が何度もリピートされていた。
 魁星くんにもらった言葉は一生の宝物にしよう。今ならなんでもできるような気がしてしまう。

「がんばるぞーーっ!!」

 今はまだ遠くても、いつかあなたに近づきたい。次に会えた時は、あの時の子だよねって言ってもらえるようになりたい。
 それまでもっともっと頑張らなくちゃ。私は発声練習を再開させた。さっきよりも伸びやかな声が出せたような気がした。

 まだまだ頑張ってみてもいいですか?
 この恋を諦めなくてもいいですか?

 あなたに恋し続けることは許されますか?





* * *

「Rika先生、今レッスンしてる子、名前なんていうんですか?」
「星名すばる、今度プレプロからデビューする新人アイドルよ」
「へぇ。スバルくんと同じ名前なんだ」
「しかもスバル並に根性あるの。技術力はまだまだだけど、いい目をしているわ」

 確かに彼女はなかなか根性がありそうだなと思った。

(星名すばるか……)

 確信まではいかないけど、八割くらいそうなんじゃないかと思っている。
 使い古したナンパみたいな台詞を言ったが、俺と星名すばるは恐らく会ったことがある。十年前に。

 俺の父はアイドルだった。と言ってもそこまで名の売れたアイドルではなく、何曲か曲を出したがメンバーが相次いで脱退し、いつの間にか解散してしまった。
 父は芸能界を辞めてファンだった母と結婚し、俺が生まれた。

 父が病に倒れ入院している時、一度だけ「すばる」という寝言を言ったことがある。
 その後父が亡くなり、父の葬儀に一人の女性とその娘と思われる俺と同い年くらいの女の子が訪れていた。

「……これも何かの巡り合わせ?」

 この芸能界で再会するなんて。

「また会えたらいいね――すばるちゃん」


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