M病院の「探す女」へ


「誰かいますかー?」

 今日は全員、すでにクリニックを出ていると聞いていた。『朝川さんが最後だから、セキュリティもよろしくね』とわざわざ医師が伝えてくれたのだが、もしかして誰かまだ残っているのだろうか。

「すみませーん? 誰かいますかー?」

 声がやたら響いて聞こえる。だが返事はなく、それどころか人の気配や物音も何一つ感じない明らかな無人の建物。

 ぞぞっと、朝川さんの背筋に寒気が走る。

 早く閉めて帰ろう。

 そう思い、まず手前の窓を閉めようと近づいたとき、外の景色が目に入った。クリニックの目の前は細い道路になっており、その向こうは住宅が並んでいる。道路の真ん中に人が立っており、こちらに小さく手を振っているのが見えた。

 青いワンピースを着た細身の女性が、ゆらゆらとゆっくり朝川さんに向けて手を振っているのだ。

「……え、患者さん、かな?」

 そう思うが見覚えはない。とはいえ、やってきた患者みんなを記憶している自信はなかったので、とりあえずへらっと笑って手を振り返してみた。患者の中にはやけにスタッフにフレンドリーな人もいるので、そのうちの一人だろう。

 だが、すぐに違和感を覚える。

 振り返した後も、女は手を止めずにずっとこちらに手を振り続けている。ゆらゆら頭も同じように揺らし、さっきから全く変わらない動きをやめようとしない。まるでずっと同じ映像を見せられているようだ。

 なんだか得体のしれない恐怖を感じ、朝川さんは目を逸らして窓を閉めた。そのまま女を見ないようにしてもう一つの窓を閉め、パッと振り返った瞬間、自分の喉から悲鳴が漏れた。

 女がすぐ後ろに立っている。

 遠目では見えなかった女の顔は、やけに厚化粧だった。ギラギラした目で朝川さんを見つめ、にやにや笑いながら不快な声を出す。

「イスルギミサトはいますか」

 朝川さんはがくがくと震え、全く動けない状態だった。さっきまで外にいた女が一瞬でここにやってきた。しかも、病院の玄関は鍵がかかっているはずなのに。

 人間じゃない。

 女がゆっくりこちらに近づいてくる。朝川さんの足は恐怖で全く動かない。女が近づいてくる。それでも足は動かない。

「イスルギミサトはここにいますか」

 その声を聞いていると、頭がぼうっとして不思議な感覚になった。思考は止まり、何も考えることが出来ない。ただ、自分の口から無意識に言葉が出た。

「イスルギミサトはいません」

 
 それだけ言うと、朝川さんは窓から飛び降りた。無表情で恐怖心さえなく、ただそうしなければならないと思ったから。