「……え?」
言われた言葉が理解できず、私はただ開いた口もそのままに聞き返します。隣に座る男性も、うんうんと頷きます。
「雅一の葬儀で大暴れしてくれたおかげで、近所からも白い目で見られたんだ……しかもその後もうちに付きまとって。頭がおかしい女だったよ」
「先月の……そう、四月の中旬くらい。またうちに来たものだから、言い争いになって、掴み合って……そしたら、そのまま勢いよく転んで頭をぶつけたのよ。すぐに救急車を呼んだけど手遅れで……大丈夫、元々うちは付きまとわれていた被害者ってことは、すでに警察も知っているでしょう? 正当防衛は認められるだろうって」
嬉しそうにはにかむ目の前の女性が、自分と血のつながりのある人だなんて信じられませんでした。私は愕然とします。
事故とはいえ、人の命を奪ってしまったことをこんなに嬉しそうに、そして『殺しておいた』と自慢げに言うこの人たちの神経が普通ではないと感じ、何も言えなくなります。
同時に、言いようのない恐怖心を味わいました。
「……亡くなった、んですね」
「そう、安心して。まさか美里ちゃんの方にも行っているなんて思わなかったわ! あー殺しておいてよかった。もしかして、雅一が『娘はM病院にいる』って誰かに話しているのを盗み聞きしたのかしら? 就職したことだけは手紙で聞いていたから……それであなたの所へ行ったのかも。でも、本名までは知られてなかったから、見つからなくてよかった」
ついさっきまで嬉しいと思っていたぬくもりを、早く手放したくてたまりません。でも、強く払うことも出来ず、私は渇いた笑みを無理やり浮かべます。
刺激したくない。もうここから出たい。
この人たちとは、もう関わりたくない。
「そうだったんですか……あの女性はもう私を探さないんですね」
「そうよ」
「安心しました。それを聞きたくて今日、ここに来たので」
私は自然と女性の手から逃れましたが、向こうは気を害した様子はなく、うんうんと頷きました。
「こんな形だけど、美里ちゃんに会えたんだからあの女に感謝しなくちゃね」
「変な奴だったが、最後に役に立ったな」
「頭をぶつけた時のあの顔、面白かったわあ。目をひん剥いちゃって」
「確かにすごい顔で笑えたな! 映画とかで見る顔よりずっと凄かった!」
二人は大声で笑いながらそう話していました。その会話を聞きながら、私の心はがくがくと震え、怯えていました。ついさっきまでいい人そうだ、と思っていた自分が信じられません。
「あ、あの……私、そろそろお暇を」
「え? 来たばっかりじゃない! 荷物もそんなにあるんだから、泊まるつもりだったんでしょう?」
ずいっと女性が顔を近づけてきたので悲鳴を上げそうになりながらも、何とかこらえて頬を引きつらせながら笑いました。
「その女性のことが気になって、急いで来てしまいましたが、本当は明日仕事があるんです。もし留守だったら仕事を休んで泊まる覚悟でしたが、今は安心出来たので帰ろうかと思います。突然来てしまいすみませんでした」
「あら、そう……じゃあ今度、またゆっくり泊まりにおいで? そうだわ、今住んでいる住所を教えてちょうだい! 今度美味しい果物でも贈るわ」
にこにこ顔で私を見てくる二人を見て、たらりとこめかみに汗をかきました。出来ることなら、住所なんて教えたくない。でも逆上させるのも、怖い。
「あ、の……実はそろそろ引っ越そうかと思っていて……引っ越しが終わったら、お手紙を出しますね」
平静を装って言いましたが、声はわずかに震えていた気がしました。でも二人は気づくことなく、笑顔を続けています。
「そうなの! じゃあ待ってるわ。もう家族と呼べるのは私たちだけなんだもの、困ったらいつでも声を掛けて」
「なんでも協力するよ。たった一人の孫なんだから」
「ああでも、電話番号くらいは教えてちょうだい。ね?」
さすがにそれは上手く拒否する言い訳が思いつかず、仕方なく番号を伝えると、私は逃げるようにその家から立ち去りました。入った時は、祖母の家に似ていて安心感を覚えたというのに、帰るときはただただ冷たい家にしか感じませんでした。
新幹線に飛び乗り、自分の家までたどり着いた後、玄関の鍵をしっかり閉めて震えながら床に座り込みました。
混乱して、今日得た情報を整理する必要があります。とにかく頭がいっぱいで、ずっと迷路の中をぐるぐる回っているようでした。
「とにかく……青いワンピースの女は、もう来ない」
昨年末に父が亡くなった時、葬儀に駆け付けたという女。追い払われてしまった後もあの家に執着していたようだけれど、私にもまとわりつくようになっていた。
一月には病棟に侵入。SNSなどを使ったりQRコードを貼ったりと手を尽くしたけれど、四月の頭に亡くなっている。
一応不慮の事故、という形になるのだろうか……。
女がもう私を探すことはないという事実はほっとしましたが、同時に他の恐ろしい事実が分かってしまい、素直に喜べませんでした。それに、あの女が結局何者なのか、なぜ私のことまで探していたのか理由はわからずじまいです。
「……お母さんが頑なに会わそうとしなかった理由は……あの二人に何かを感じ取っていたからなのかな……」
そして、結局私は会うことが叶わなかった父。彼は一体どんな人だったのだろう、と気になりましたが、もうそれを知ることは一生ないのです。


