病院内の知り合いに手あたり次第、イスルギミサトという名の人がいないか聞いて回りました。友人にも手を貸してもらい粘ったのですが、結局イスルギミサトを見つけることはできませんでした。
 
 イスルギという名字のスタッフすら見つかりませんでした。でもこれは、本当にいないのか私の調べが足りないせいかはわかりません。何せすべてのスタッフを探すなんて無理なのですから。社員名簿のようなものがあって、検索を掛けられれば一発なのですが……私はそんなものを扱う立場ではないですし。
 
 結局イスルギミサトについてわからないまま時間が過ぎ、友人の渚も少しこの話題に飽きてきているようなそぶりを見せていました。もう院内学級ではイスルギさんの遊びは誰もやっていないらしいし、病棟に誰かが入り込んでくるという事件も聞かなかったからです。

 院内学級で流行った不気味な遊びの名前と、青い服を着た女が探していた名前が同じと言う点で、何か大きな事件が起こりそうな……そんなわくわくした気持ちになったものですが、なにも進展がないとなれば人間はすぐに諦めてしまうものです。小説のようには上手く行きません。

 一か月も経った頃には、イスルギミサトを探すことすらしていなくなっていました。

 
 話は変わりますが、私には両親がおらず、現在家族と呼べるのは祖母だけでした。母は未婚のまま私を出産し、女手一つで私を育て上げ、三年前に亡くなりました。病気でした。

 社会人になった今は一人暮らしをしているので祖母と会うのも年に数回ですが、時々顔を出しに行っています。私が看護師としてちゃんと働けているか心配らしく、よく仕事はどうだ、と質問攻めに遭います。

 今回も私はふらっと祖母の家に帰宅し、もうそろそろしまった方がいいんじゃないか、と思うこたつでくつろいでいました。

 祖母の今の家は小さなアパートです。母が生きていた頃までは戸建てに住んでいましたが、母がいなくなり、家を売ってアパートに引っ越しました。

『家の手入れが大変だし、私が死んでしまった後、家を売ったり壊したりする手間を孫に掛けさせたくない。今のうちの現金に変えておく』とのことでした。強くてユニークな祖母です。

 いつも私を心配しつつ、悩みを打ち明けると豪快に笑い飛ばす……そんなタイプの女性です。

 こたつの中はいい温度で温かく、しまうのが嫌になる気持ちは分かるなあ、と思いました。

「こたつってやっぱりいいね。買おうかな」

「買うと動かなくなるよ」

「だよねえ。でも電気代安いんだよねえ。エアコンより経済的」

 私がゴロゴロしていると、祖母がチョコレートを冷蔵庫から取り出してきて、当然のようにテーブルに置いてくれました。こういう無言の流れが、心地よくて最高なのです。

「ありがとー。こたつに入りながら美味しいもの食べるの、最高。だらだらしちゃうー」

「まあ普段は忙しい仕事でしょうから、休みの日くらいだらだらしときなさい」

「ここに来るといつもそうやってだらだらしまくりなんだよなあ」

「仕事は大変?」

「うん、でもまあ慣れてきたしそれなりに楽しくやってるよ」

「母娘揃って大変な仕事を選んだからねえ……」

 祖母は私の向かいに座って目を細めて言いました。私の母も生前は看護師をしていたのです。

 その上、私と同じM病院に長年勤めていました。しばらく前にM病院は退職して、クリニックに勤めていたので、私と一緒に働くことはありませんでしたが。

 それでも時々母の知り合いに声を掛けられることがいまだにあります。嬉しいような、恥ずかしいような感じです。

「やりがいがあるだろうけど大変さも凄い仕事だと思うよ。まあ手に職があるという点はいいけどね」

「それが一番のいい所かもしれないなあ」

「でも体を壊す人もいるっていうから……気を付けるんだよ。無理だけはしないで」

「はいはい」

 会うたびに毎回言われる心配のセリフは、ありがたくもあり、分かってるよ、という気にもなってしまいます。私は笑いながらチョコレートに手を伸ばし、その甘みを口の中で楽しみました。

「でも少し前は、不審者がうちの病棟に入ってきたりして、結構大騒ぎになったんだよ」

「ええ、不審者?」

「怖いよね。私は休みだったから全然知らなかったんだけど、あとで話を聞いたんだよ。朝早くに個室の患者のそばに女が立ってた、って」

「やだあ、怖いねー!」

 祖母は大げさなほど目を丸くして驚きました。その反応が何だか面白く、私は話を続けます。

「もちろんその部屋の患者の知り合いじゃないの! 看護師が機転を利かせて部屋から患者を出したんだけど、その二人を突き飛ばして去っていったらしいんだけど」

「凶器とか持ってなくてよかったじゃない!」

「ほんとだね。持ってたらさすがにやばかったよ」

「でもその女の人は何のために部屋にいたの? 泥棒?」

「違うみたい。イスルギミサトっていう人を探しているって言ってたんだって!」

 私はもう一つチョコレートに手を伸ばして言いました。祖母の表情が少し固まったことにも気づかずに。

「……イスルギミサト?」

「そう。でも、カルテを検索してもそんな人いなくて……スタッフかなあと思って聞いてみたんだけど、見つからなかったんだよね。結局、何だったんだろう? ちょっと調べてみたんだけどね、イスルギって石動って書くみたい。北陸の方でよくみられる苗字らしいけど、こっちでは珍しいよね。私は今まで会ったことないしなあ」

「その女の人は、それ以降現れてないの?」

「う、うん。もう侵入してないと思うけど……どうしたのそんな怖い顔をして」

 ようやく祖母の様子がおかしいことに気づいて、私は尋ねました。祖母は顔を青白くさせ、何か大きなショックを受けているような表情に見えます。

 もしや、と思い、私は食べていたチョコレートを置いて前のめりになりました。

「お母さんの知り合いとか? おばあちゃん、聞いたことあるの?」

 母は以前M病院に勤めていました。その母から、イスルギミサトの名前を聞いたことがあるのでしょうか。

 私はドキドキしながら祖母の答えを待ちます。

 しばらくして、彼女は顔色が悪いままぽつりぽつりと話し出しました。

「……イスルギミサトの名前は、知ってる、けど……」

「え、誰なの? 今もうちの病院にいる人!?」

 完全に好奇心丸出しの顔で祖母に尋ねる私を、ちらりと見てすぐに視線を逸らしました。

「……今は、その名前じゃない。今はというか、その名前だったことはないんだけど」

「ん? どういう意味? 分かりやすく言って、おばあちゃん」

「お母さんから、父親について聞いたことはなかったね?」

 突然そんなことを言いだしたので驚きました。

 母は未婚で私を生んでいます。一人では子供は作れないので父親はいるはずですが、私はその存在を聞いたことはありません。物心ついた頃から母と二人きりの生活で、それが『普通』になっていた私は、父親について改めて聞くこともありませんでした。

「ないけど……どうして今、そんな話を」

「もし、お母さんとあんたのお父さんが結婚してたら、その名前になってたんだよ、美里」

 祖母はどこか震える声でそう言いました。


 私は言葉を失くして何も言うことが出来ませんでした。

 祖母が言ったセリフを理解するのに、かなりの時間を要したと思います。



 あの女が探していたイスルギミサトは、私だったのです。