僕は、年が明けたばかりの街に吹く、冷たい風に頬が痛むのを感じながら走った。
『喫茶店 勿忘草』
僕は指定された店の看板が見えて速度を落とした。白い息が僕の口から吐き出される。店の中に入ると多くの客がいた。おばさんが井戸端会議でもしているのだろうか。ガヤガヤしている。僕が席を見渡していると店主であるお爺さんが声をかけてくれた。僕は久遠亜紀の名前を出した。店主はハッとしたような表情の後、柔らかく微笑んで言った。
「こちらですよ。」
僕が案内された席に向かっていると、僕が来たことに気づいた久遠亜紀であろう女性が腰を上げた。
「お待ちしていました。如月様。改めまして久遠亜紀と申します。」
久遠亜紀は高校生の僕に対して丁寧に頭を軽く下げながら自己紹介をしてくれた。
「如月恭介です。電車が少し遅れてしまっていて。遅くなって申し訳ないです。」
僕がそういうと彼女は小さく微笑んで口を開いた。
「大丈夫ですよ。気にせずお掛けになってください。もしかして走って来られたんですか?寒かったでしょう。コーヒー、注文しますね。」
僕が頷くと久遠亜紀はコーヒーを注文してくれた。
少し世間話をしていると彼女は真剣な面持ちになった。
「今日、ここへお越しいただいたのは水無瀬翠生さんのことをお話ししていただくためです。これまで数々の出版社からの依頼を如月様はお断りされたと聞いております。なぜ今回この依頼を引き受けてくださったのですか。」
彼女は、なぜ僕が今回の依頼を引き受けたのか全く見当がつかないといったような顔でそう聞いてきた。僕は封筒を破こうとしたことを彼女に伝えるべきか悩んだが、封筒を破こうとしたこと、破く直前でなぜか手が止まったこと、彼女が話して欲しいと思っているのではないかと思ったこと、全てを彼女に伝えた。
彼女は始め、少し驚いたように軽く目を見開いていたが、僕が話そうと決心したことに安心したような表情を浮かべていた。
「そうだったんですね。翠生さんと如月様のお話し、聞かせていただけますか。」
僕は軽く俯き目を閉じて彼女、翠生との思い出を頭の中に巡らせた。小さく息を吐き、顔を上げ、久遠さんの目を見ながら話し始めた。
「彼女と出逢ったのは桜の花びらが舞う春の日、僕たちの高校の入学式でした。」
