忘れてしまう君だけど


 水族館や遊園地、最近できたカフェから人気の映画。僕は彼女と出かけられることが嬉しくて、思いつく限りたくさんの候補を挙げた。するとどこか遠くを見つめながら考えていた彼女が突然僕の方へ向き直って一言。
『空に浮かぶ湖を見に行きたい。』
真剣な顔で彼女はそう言った。
「空に浮かぶ湖ってどこのこと?」
空に浮かんでいる湖なんて聞いたことがないし、想像すらできなかった。僕が眉間に皺を寄せ、顎に手を添えながら考え込んでいると隣からクスッと笑う声が聞こえた。
「ごめんね。そうだよね、わかんないよね。えっと、物心ついてすぐぐらいの記憶なんだけど、唯一お母さんの姿を覚えてる記憶なの。私のお母さん、私が三歳の時に死んじゃったから。だからお父さんと二人で暮らしてるの。私の覚えてる限りではお父さんとお母さんに挟まれて、二人と手を繋ぎながらその湖を見に行ったの。山の頂上みたいなところに湖があって、少し霧がかかってて本当に空に浮いてるみたいだったの。水も澄んでてすっごく綺麗だった。だからもう一回、今度は恭介くんと一緒に見たいの。」
彼女はそう言って僕の目を真っ直ぐに見つめた。真剣な瞳の奥に不安や恐れ、たくさんの感情を秘めているように感じた。お母さんのことを覚えている唯一の記憶と向き合うことに不安を抱えているのだろうか。それとも、僕と出かけることでもっと僕のことや僕との思い出を忘れていくのが怖いのだろうか。でも、彼女が自分自身と向き合おうとしているのは確かだ。
僕は優しく微笑んで、たった一言だけ言った。
「もちろん、いいよ。翠生の行きたいところならどこでも僕はついていくよ。」
僕のその言葉を聞いて、彼女は少し驚いたように目を見開いた。
そしてすぐに目を細め、柔らかく微笑んだ。僕の大好きな笑顔だ。