誰もいない屋上で僕は小さく声を上げながら泣いた。
 もしかしたら翠生が来てくれるかもしれない。そんな僕の淡い期待は泡となって消え去った。彼女が僕のところへ来ることはなかった。
 僕が教室に戻っても誰も僕の方すら見なかった。またか。僕はそう思った。中学の時も同じように存在ごと消されたことがあった。だから今回も大丈夫。そう自分に言い聞かせたが、僕の心はずっと苦しいままだった。
 翠生。
 彼女は何度も僕に話しかけようとしてくれた。授業が終わった途端に僕の方を向いて彼女が口を開いた。
「翠生。さっきの授業、全然わかんなくて。もしよかったら教えてくれない?」
 翠生が僕に話しかけようとしているのを遮るように、一瞬にしてクラスの中心的メンバーの女子が数人彼女の席を囲んだ。
「あっ、うん。いいよ。」
 僕の方をチラッと見てから、彼女は苦笑いをしつつそう言った。
 次の授業の時も、号令が終わった瞬間彼女は僕の方に向き直って口を開いた。
「水無瀬、週番の仕事ちゃんとしろよ。黒板消さないと怒られちまうぞ。」
 山掛が来てそう言った。彼女の頭を撫でながら。彼女が板書を消しに行ったのを確認すると山掛は僕の顔をじっと見た。
「次、水無瀬に近づいたらどうなっても知らねぇからな。」
 ついに牽制されてしまった。僕の噂を流したのは山掛なんだろうか。そんなことを考え、何も言わない僕に痺れを切らしたのか山掛は翠生の方へ向かって歩いて行った。必死に背伸びをしながら高いところに書いてある時を消そうとしている翠生に山掛は優しく微笑みながら声を掛けた。翠生の手から黒板消しを受け取って翠生が消そうとしていた文字を消した。山掛にお礼を言う翠生の笑顔が僕の心を強く締め付けた。僕は二人から目を逸らし、何事もなかったかのように次の授業の準備をした。



 結局今日、僕は彼女と話すことはできなかった。終礼も終わり、彼女はクラスメイトに早く帰るよう催促されたのだろうか。もう荷物が無かった。
 僕がトイレに行って帰ってきた時、いつも僕に話しかけようとする翠生を、どこかへ連れて行ってしまう女子達の話し声が教室から聞こえた。
「ねえ、知ってた?山掛って翠生のことが好きなんだって。」
 僕はハッと息を呑んだ。山掛は翠生のことが好き。そんな気はしていたが実際に聞くとすごく心が痛かった。
「やっぱり?そうかなって思ってたんだよね。だって、如月くんの噂流したのも山掛だし、翠生を如月に近づけないでほしいって山掛、言ってきたもんね。」
「山掛ってモテるじゃん?同級生はもちろん、先輩からも後輩からも告白されてたし、バレンタインの時もクラスで一番もらってたのに高校になって一人も彼女作ってなかったよね。よっぽど翠生に惚れちゃってるんだよ。」
 彼女達の笑い声が僕の心の中に虚しく響く。翠生にはきっと山掛のような顔も良くて成績は学年トップ、運動神経も良い奴がお似合いなんだと思う。
 僕はこの恋を諦めた方がいいのだろうか。僕は過去に自分がしてしまったことをひどく悔やんだ。教室に入りづらいため、僕は屋上にでも行こうかと踵を返そうとした。
「でも、私たちが移動教室一緒に行こって誘った時とか寂しそうに如月くんのこと見てるよね。翠生って鈍感そうだから恋愛感情とかはわかんないけど如月くんのこと、すごく大切に思ってるんだと思う。」
 その言葉は僕の心にまっすぐ届き、暖かく広がった。
「それってどういうこと?」
 僕は後先考えることなく感情の赴くままに、引き返そうとしていた足で教室に踏み入り、そう口にした。
「あ、如月くん。」
 いきなり教室に入ってきた僕を見て彼女たちは目を丸くした。
「ごめん、本当にごめんなさい。如月くんの噂聞いて、山掛からも翠生を如月くんに近づけないで欲しいって言われて。はじめは、翠生を危険から遠ざけるためなのかなって思ったんだけどよく話を聞いてみたら中学の時のことも如月くん悪くないし。」
 リーダー格の女子が僕に頭を下げ、そう言った。言い終えた時、もう一人の女子が僕に向き直った。
「私たちさっき翠生に、意図的に翠生と如月くんを引き離そうとしていたこと、伝えてきたの。私たちがしたことは許されないことだってわかってる。だから、翠生からの伝言を伝えるね。」
 僕は、今までにないくらい鼓動が高鳴っているのを感じた。
「図書室でずっと待ってる。」
 僕はそれを聞いた途端、教室を飛び出し、図書室へ向かって走った。