背もたれ付きのベンチ、ずらりと並ぶスポンサー看板、均整の取れた人工芝、頭上のドーム。ここは、僕の憧れの甲子園球場とは違う。
なら、ここはどこだろう。だいたい、僕はどうして、制服姿でこんなところに座っているんだろう。いつもの癖で頭を掻こうとして、ひんやりと冷たく固い感触に戸惑った。
ザッ、静かな球場に響いた音に、僕は思わず硬直した。
『これより、家族ゲームのルール説明を行います』
スピーカーから落ちる、くぐもった男の声。
「な、なんだ……」
わけが分からない。ベンチから立ち上がって、ポケットの違和感に気づく。何か入ってる。確認しようと手を伸ばしたけれど、それもスピーカーの声が止めた。
『プレイヤーの頭には、1枚のカードがあります。10時までに、自分の種別のカードを手に入れること。それが家族ゲームの勝利条件です』
スポンサー看板の間にあるLEDディスプレイには『07:25』と表示されている。
『自分のカードを見ることはできません。他人のカードを奪うには、じゃんけんで勝利すること。奪ったカードは先頭にセットされます。奪われる場合は後尾からです。カードがなくなったプレイヤーーは死にます』
ポケットの膨らみを上から触る。細くて、長いものが入っている。馴染みのない形に背筋がゾワリとした。
『では、新しい家族の誕生を願って……ゲーム、スタート』
軽快な音楽が流れた。チャラッ、チャララーン。明るい曲調が逆に、僕の恐怖心を……いや、闘争心を掻き立てた。どうして闘争心なのか、僕にはさっぱり分からなかった。
LEDディスプレイの上に『TOKYODOME』の文字を認めた時。
「おい」
肩を掴まれて振り返った。男の顔よりも先に、頭上の装置が目に入る。
男の額には銀色のベルト。その中心部に銀色の枠組みがあって、中には『長男』のカードがある。
理解できなかったルールが整理された。『自分の種別のカードを手に入れる』というのは、家族を構成する上での自分の立ち位置……それと同じカードを手に入れること。
僕の欲しいカードが目の前にある。けれど頭の冷静な部分が、『負けたあと』を考える。ルールでは確か……
「じゃん、けん……」
男がグーを構えた。
僕の思考は中断され、反射的に手を出した。
「ぽん!」
同時に出された手。僕はチョキで、相手はパー。僕が勝敗を理解するより先に、
「ぐぁあっ!」
男が絶叫した。パチパチと奇妙な音を発しながら、男の体に小さな穴が穿たれていく。穴は体を貫通し、広がり、合併しながら、男の体の大部分を空洞化し、とうとう男の存在を抹消した。
ブン、振動とそれに相応しい音が頭上の装置から上がった。
「うわぁあああああああっ!」
僕は男の断末魔よりも激しく叫びながら、階段を駆け上がってゲートからコンコースに入った。
フードショップが並ぶエリアをひたすら走る。明るい館内。なのに人の気配はなく、チャラッ、チャララーン。と軽快な音楽だけがエンドレスで流れている。
「アキラッ!」
知った声に足を止めた。ゲートから、同級生の野崎翔が現れた。翔の頭にも銀色の装置がある。中には『ハズレ』のカード。
「翔っ……」
僕は安堵と懐かしさ(?)を覚えながら、翔に駆け寄った。
「気づいたらこんな場所にっ……」
翔はそう言って、僕の頭上に目をやった。
「……長男だ」
ルールでは『奪ったカードは先頭にセットされる』とあった。翔が見ているのは、僕が男から奪ったカードだ。
「ひっ」
空洞だらけになった男を思い出して、喉から情けない声が出た。
「アキラ、俺とじゃんけんしよう」
翔がグーを構えた。僕は咄嗟に首を横に振った。
「ま、負けたら死ぬっ!」
「お前が勝てばいい。俺はパーを出すから」
「嫌だっ! さ、さっき、僕の目の前で男の人がっ……僕はその人とじゃんけんしてっ」
それに、ハズレのカードはいらない。
「いいからチョキを出すんだ。俺はパーを出すから」
翔はいつも通りの口調。
翔の顔のパーツは主張がない。模範解答のようにあるべき場所に収まって、それらは必要以上に動かず、知性を感じさせた。
野球推薦がなければ僕が絶対入れないような進学校に、翔は一般受験で臨もうとしている。翔はふざけたり、愛想を振り撒いたりしない。それによって『感じが悪い』と言われることもない。頭の良い翔は、子供らしくある必要がなかった。
「いいか? チョキを出すんだ。じゃん、けん……」
まるで、僕から思考の余地を奪うように。
僕は翔が『長男』であることを知っていた。けれどその事実をじゃんけんの判断材料に生かす間はなく、
「ぽん!」
僕はチョキを出した。
ブン、振動が頭に伝わって、翔の視線も釣られるようにそこを見た。翔は宣言通り、パーを出していた。
「翔っ……」
僕の頭上を見つめる翔の喉が、ゴクリと上下に動いた。
「翔……平気なの?」
翔は僕に視線を戻した。翔の頭上のカードは『ハズレ』のまま。
「ああ、俺はこの前に勝ったから」
「そっか……よ、よかった……でも、なんで僕に勝たせたの?」
「さっきの相手から『ハズレ』のカードを奪ったことで、俺が初めに持っていたカードは後尾に隠れてしまった。それを知るには、お前にカードを奪ってもらう必要があった」
そうだ。カードは後尾から奪われる。
たとえ翔が僕に勝ったとしても、僕が奪われるのは先頭の『長男』ではなく、後ろに隠れているカード。僕は全く見当違いな心配をしていたらしい。
「それで……カードは、何だった?」
翔の神経質そうな顔が、鈍感な僕にも分かるほどヒクヒクと強張った。
「『父』」
翔はしばらく僕の返答を待っていたけれど、僕が何も言わないと分かると、また口を開いた。
「これって、父さんたちも参加してるのかな」
「えっ……」
「参加してるとして、カードは人数分あるのかな」
僕は翔の顔を見たまま、チョキを形成したまま、硬直した。翔は冷静な考察力で、最悪の可能性を口にしたのだ。
なら、ここはどこだろう。だいたい、僕はどうして、制服姿でこんなところに座っているんだろう。いつもの癖で頭を掻こうとして、ひんやりと冷たく固い感触に戸惑った。
ザッ、静かな球場に響いた音に、僕は思わず硬直した。
『これより、家族ゲームのルール説明を行います』
スピーカーから落ちる、くぐもった男の声。
「な、なんだ……」
わけが分からない。ベンチから立ち上がって、ポケットの違和感に気づく。何か入ってる。確認しようと手を伸ばしたけれど、それもスピーカーの声が止めた。
『プレイヤーの頭には、1枚のカードがあります。10時までに、自分の種別のカードを手に入れること。それが家族ゲームの勝利条件です』
スポンサー看板の間にあるLEDディスプレイには『07:25』と表示されている。
『自分のカードを見ることはできません。他人のカードを奪うには、じゃんけんで勝利すること。奪ったカードは先頭にセットされます。奪われる場合は後尾からです。カードがなくなったプレイヤーーは死にます』
ポケットの膨らみを上から触る。細くて、長いものが入っている。馴染みのない形に背筋がゾワリとした。
『では、新しい家族の誕生を願って……ゲーム、スタート』
軽快な音楽が流れた。チャラッ、チャララーン。明るい曲調が逆に、僕の恐怖心を……いや、闘争心を掻き立てた。どうして闘争心なのか、僕にはさっぱり分からなかった。
LEDディスプレイの上に『TOKYODOME』の文字を認めた時。
「おい」
肩を掴まれて振り返った。男の顔よりも先に、頭上の装置が目に入る。
男の額には銀色のベルト。その中心部に銀色の枠組みがあって、中には『長男』のカードがある。
理解できなかったルールが整理された。『自分の種別のカードを手に入れる』というのは、家族を構成する上での自分の立ち位置……それと同じカードを手に入れること。
僕の欲しいカードが目の前にある。けれど頭の冷静な部分が、『負けたあと』を考える。ルールでは確か……
「じゃん、けん……」
男がグーを構えた。
僕の思考は中断され、反射的に手を出した。
「ぽん!」
同時に出された手。僕はチョキで、相手はパー。僕が勝敗を理解するより先に、
「ぐぁあっ!」
男が絶叫した。パチパチと奇妙な音を発しながら、男の体に小さな穴が穿たれていく。穴は体を貫通し、広がり、合併しながら、男の体の大部分を空洞化し、とうとう男の存在を抹消した。
ブン、振動とそれに相応しい音が頭上の装置から上がった。
「うわぁあああああああっ!」
僕は男の断末魔よりも激しく叫びながら、階段を駆け上がってゲートからコンコースに入った。
フードショップが並ぶエリアをひたすら走る。明るい館内。なのに人の気配はなく、チャラッ、チャララーン。と軽快な音楽だけがエンドレスで流れている。
「アキラッ!」
知った声に足を止めた。ゲートから、同級生の野崎翔が現れた。翔の頭にも銀色の装置がある。中には『ハズレ』のカード。
「翔っ……」
僕は安堵と懐かしさ(?)を覚えながら、翔に駆け寄った。
「気づいたらこんな場所にっ……」
翔はそう言って、僕の頭上に目をやった。
「……長男だ」
ルールでは『奪ったカードは先頭にセットされる』とあった。翔が見ているのは、僕が男から奪ったカードだ。
「ひっ」
空洞だらけになった男を思い出して、喉から情けない声が出た。
「アキラ、俺とじゃんけんしよう」
翔がグーを構えた。僕は咄嗟に首を横に振った。
「ま、負けたら死ぬっ!」
「お前が勝てばいい。俺はパーを出すから」
「嫌だっ! さ、さっき、僕の目の前で男の人がっ……僕はその人とじゃんけんしてっ」
それに、ハズレのカードはいらない。
「いいからチョキを出すんだ。俺はパーを出すから」
翔はいつも通りの口調。
翔の顔のパーツは主張がない。模範解答のようにあるべき場所に収まって、それらは必要以上に動かず、知性を感じさせた。
野球推薦がなければ僕が絶対入れないような進学校に、翔は一般受験で臨もうとしている。翔はふざけたり、愛想を振り撒いたりしない。それによって『感じが悪い』と言われることもない。頭の良い翔は、子供らしくある必要がなかった。
「いいか? チョキを出すんだ。じゃん、けん……」
まるで、僕から思考の余地を奪うように。
僕は翔が『長男』であることを知っていた。けれどその事実をじゃんけんの判断材料に生かす間はなく、
「ぽん!」
僕はチョキを出した。
ブン、振動が頭に伝わって、翔の視線も釣られるようにそこを見た。翔は宣言通り、パーを出していた。
「翔っ……」
僕の頭上を見つめる翔の喉が、ゴクリと上下に動いた。
「翔……平気なの?」
翔は僕に視線を戻した。翔の頭上のカードは『ハズレ』のまま。
「ああ、俺はこの前に勝ったから」
「そっか……よ、よかった……でも、なんで僕に勝たせたの?」
「さっきの相手から『ハズレ』のカードを奪ったことで、俺が初めに持っていたカードは後尾に隠れてしまった。それを知るには、お前にカードを奪ってもらう必要があった」
そうだ。カードは後尾から奪われる。
たとえ翔が僕に勝ったとしても、僕が奪われるのは先頭の『長男』ではなく、後ろに隠れているカード。僕は全く見当違いな心配をしていたらしい。
「それで……カードは、何だった?」
翔の神経質そうな顔が、鈍感な僕にも分かるほどヒクヒクと強張った。
「『父』」
翔はしばらく僕の返答を待っていたけれど、僕が何も言わないと分かると、また口を開いた。
「これって、父さんたちも参加してるのかな」
「えっ……」
「参加してるとして、カードは人数分あるのかな」
僕は翔の顔を見たまま、チョキを形成したまま、硬直した。翔は冷静な考察力で、最悪の可能性を口にしたのだ。