しろとあおのクオリア

神崎(かんざき)って、1年の3学期に転校してきた人でしょ?」
「あー。そーいえばそんなヤツいたね。
 スッゴい頭良いんだっけ?」
「えっ? 2年のとき留年ギリギリって聞いたけど?」
「ウソ!? 東京の進学校から来たって誰か言ってたよ?」

 若菜(わかな)柚子(ゆず)は私を間に噛み合わない会話をしていた。窓際の柚子の席にたむろって、私と若菜は開けた窓の枠に腰掛け昼休みの談笑中。
 小中高とずっと同じクラスできた気心知れた親友との憩いの時間。私が(あおい)くんのことを黙っていたので、掻い摘んで伝えるとちぐはぐな情報のやり取りになった。

 噂をすれば……「おーい」とベランダから聞き慣れた声がして、横の若菜は声を耳にした途端、桜色の視線を飛ばし始めた。
 隣のクラスのベランダを伝って向かってくるのは、純平(じゅんぺい)と葵くんだ。声主は純平で馴れ馴れしく私達のことをいつもの感じで呼んだのだ。

真白(ましろ)、こいつ美術部入ったってホント?」

 と純平が聞くので私は教室の方を向いたままコクンとした。すると男子らしい低い声でふざけあうお調子者同士の会話が始まる。

「だから、マジだって」
「いやいや、何で?」
「真白ぼっちじゃ可哀想じゃん」
「真白はずっと中学から孤高の画伯よ? 邪魔しないで」

 それを聞いて純平の言う通りと私はうなずいてあしらうが、葵くんは楽しそうにケラケラ笑っている声が背後でする。それよりも隣の若菜が気になってチラリと見た。私も邪魔はしたくない、と若菜と純平の関係を思いながら……
 本当にいい加減、告白しあったらいいのにと心で言ってみる。ふたりが近くに居るだけで桃色の空気が漂って、こっちが火照りそうになっていると、葵くんが私の肩をちょんちょんと突いて後ろから話しかける。

「真白、ちょっとウチのクラス遊びに来て?」
「……お断りします」
「そ~言わずに、ちょっと観察してもらうだけ」

 ぶんぶん首を横に振った。葵くんに着いていくのは嫌な予感しかしないからだ。窓枠に腰掛けたまま彼に見向きもせず拒否っていると―――急にふわっと浮き上がる私の体。

「……ひゃっ!?」
「よっ、と。真白お借りしまーす♪」

 葵くんが背後から私のウエストに両腕を絡ませ抱え上げると、窓枠に座っていた私を引っこ抜いて教室からさらったのだ。
 私が抱っこされて宙を浮いている間に「ちょっと!」柚子の怒号が飛び、すかさず「大丈夫」と純平が鎮火する光景を私は硬直したままポカンと見ていた。

 驚いて息も止まっている間に、葵くんはストンと私をベランダに下ろす。そして両肩を掴まれて焦る私を背後から押して電車ごっこで強引に1組の方へ運ばれてゆく。

 いったい、何がどうなってるの!?

「はいはい、真白(ましろ)はここに立ってて」

 頭が真っ白になった時には1組の教室に佇んでいて、(あおい)くんが停車させた目前には男子が勢揃いしていた。
 ちょっと威圧されて臆していると葵くんは五分刈りの男子の肩に手を回して、私に観察対象を見せる。

「真白、コイツの身長当ててみて」
「……168(てん)7か8」

 わけが分からず呆然としていた頭は葵くんの言葉に素直に従ってしまった。すると、葵くんは嬉しそうに顔を砕けさせてはしゃぎ出す。

「ほうら170ねーじゃん! 嘘つけ~」
「何で見ただけでわかんだよ!」
「真白の目はスケールなの! 選ばれし者なんだよ。美術家の眼力(がんりき)舐めんな」

 ドキン!
 体が大きく波打って頭が冴えた。葵くんの発言に心の中がざわめく。

 葵くんこそ、鋭い感覚の持主でしょう?
 だって誰も気づいたこと無かった、私の観察する癖が目算の力をつけたこと。

 いろいろと意表を突かれた上に私自身の秘密を曝け出してしまったようで、このままどうしたらよいのか戸惑う。両手が皆から隠れて後ろで組み合いモゾモゾと勝手に動いていた。このところ、感情がよく手に移りやすい。
 幼稚な輪の中から「眼力!」「異能だ、異能!」と男子が囃し立てる声がして、居心地が悪くなり逃げたくなってきた。

 そのとき、「真白、俺は俺は!?」純平が皆の前に飛び出し気をつけのポーズをとった。ピンと背筋を伸ばした姿が真面目な兵隊のようで、またおふざけに興じているなと慣れた幼馴染の相手をしてやる。

「……175、超えてる」
「伸びてる!? やったぁ~」
「じゃあ、真白、コイツの腹回りは?」

 次に柔道部の体格のいい男子のお腹を葵くんはポンポンして私に無邪気な視線をよこす。当たり前のように私が目算で答えを出すと疑わないかのようだ。挑発的な企みも見え隠れする彼の目つきに私は挑戦してやろうという気になった。ポヨンとしたお腹を中心にじっと観察して応える。

「……98センチ?」
「ぶっは、メタボじゃん! もう赤コーラ禁止な」

 葵くんが目尻を下げて吹き出すと、一層騒がしく男子達がわちゃわちゃし始めて、勝った負けたとかジュース奢れなど聞こえてきた。……どうやら賭けのジャッジに利用された私。それだけの為に1組まで連れてこられたらしい。
 「真白も行く?」と葵くんに学食へ誘われたがブンブンと横に首を振った。疲労感にどっと覆われてトボトボとベランダから2組に帰る。
 
 はぁ~。
 私の平穏で平凡な高校生活……どこに行ったの?

 ここ数日で様変わりした騒がしい学校生活。動揺と疲労を感じている状態に加え、ぐったりでお昼休みが終わる。5限目の準備を始めると今度は……両目をひん剥きすぎてひっくり返るかと思う偶然が起きた。

「おっ! 被った?」

 私の席の後ろにまさかの葵くんが着く。学年合同の選択授業が一緒だったのだ。心中穏やかでない上に委員長が発表した席順は名前の順で大井田原()から神崎()。廊下側の一番後ろとその前に私達は着席した。

 理系1組の生徒はほとんどいないのに、なんで英語を選んだのだろう。
 葵くんが後ろの席だなんて……嫌な予感しかしない。

真白(ましろ)、筆箱~。シャー芯ある?」

 早速後ろからトントンと背中を叩かれる。安息はあきらめて机上に筆箱ごと置いてやると、中をあさって青ペンだらけな私の筆記用具に呆気な顔をする。

「ホント青好きなんだな。
 あ~、俺の青髪も好きな色だった?」
「好き」
「じゃあ、(あおい)も好き?」
「好き。……ん?」
「葵って俺の事だけど?」
「っ!?」

 言葉の罠にハメられて、うっかり発言してしまった自分にはっとする。そんな私を見て葵くんは満足そうに「告白されちった~なんて」とふざけるので、「なっ!?」私は瞬間的にバグって顔面崩壊した。

「ぷっ。俺も真白の仰天顔好きだけどな。
 ……あれ?」
「っ……」

 葵くんも……好き、って言った。

 自分から仕掛けてきてしくじったよう。葵くんの首辺りが桜色にほんわり染まってゆく。そんな様子を観察したら私まで恥ずかしさとドキドキがぶり返してきてしまった。
 こそばゆい、空気がふたりの間を流れる。

 「あ、センセー来たぞ」葵くんは筆箱を私に渡して真面目な振りで誤魔化した。不覚にも告白ごっこをしてしまった気まずさに私も急いで姿勢を戻す。その横目にチラッと隣の席の小森(こもり)くんが映った。彼の耳元も桜色を漂わせていて、私と葵くんの会話が聞こえていたのだと悟った。
 授業が始まりかしこまってみても、先生の話は全然頭に入ってこなかった。余計な事ばかりが気になってしまって……

 もしかして……葵くんは私の本当の秘密に気づいてる?

 そう感じるときがある。
 私は―――オーラが見える、共感覚の持主だ。

 人や動物、虫に植物。命あるモノに纏っている『色』が見えてしまう。
 自分の、以外。

 例えば……
 そのモノが普通平常心ならば黄や緑の中性色が。
 気持ちが昂ぶっている時は朱や橙の暖色に。
 逆に疲労や痛みを抱えている場合は紫や青の寒色がそのモノを覆っている……という具合だ。

 時にぼんやりと、時に色濃く。生命から滲み出ている煙や霧に似たオーラが、私の視界にはいつも映っている。
 思えば幼心には当たり前に見えていて、より強く感じるようになったのは……父が事故にあってからだ。

 あんなに怖い色を見たのは初めてだった。
 私が小学校に入学した年、弟はまだ生まれてふにゃふにゃしてた頃のことだ。父が仕事中に大怪我をして手術をしなければいけないと一報を聞いた。それからも入院が必要だから治るまで家に帰って来れないと……

 なかなか見舞いにも連れて行ってもらえず、ひとり純平の家に預けられていたっけ。小さいながら心配で不安になり、父が死んでしまわないか泣いたこともあった。やっと面会ができるようになって父に会えたときは、嬉しくて大泣きした記憶がある。

 けれど、日に日に、強くはっきりと見えるようになった……父の苦痛な表情と覆いうごめく真っ黒なオーラ。ただの黒色じゃない焼け焦げたような、死神の服みたいな不気味さ。そして母も、同じオーラを纏っていたのだ。

 何ヶ月病院で治療を受けても、父の足は動かなかった。その失意と悔しさが闇黒色を生んでいたのだ。私は物陰から二人を観察しては、その色に脅えていたけれど、どうにか元気になってほしくて……花の絵を描き始めた。毎日毎日父に贈り、いつしか病室は花の絵でいっぱいになる。

 黒いオーラは消え去って紫から段々と青く、そしてキラキラ光る星屑の欠片(かけら)がオーラに混じって現れると、私達家族は笑顔が作れるようになった……ちょうど夏休みの間、青空に向日葵が咲くように。
 そして父が退院してからも、私には観察する癖がつき、絵を描くことが楽しくなっていたんだ。

 ただ、オーラが見えることは……誰にも話していない。子供心にも何となく、変でおかしい事だと感づいていたから。
 一転、中学生になって色に関する特異体質があると知る。文字や数字や音などから色を感じる人がいるというのだ。

 『共感覚』と呼ばれるその解説をWikipediaに頼ってみると[ ある1つの刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象(クオリア)をいう ]とある。
 23人に1人という説や、感じ方に同一性はないのだとか。

 ついで、英語辞書で『クオリア』を調べた。
[ qualia (複)【 quale (単) 感覚質・特質 】生物が意識的・主観的に感じたり経験したりする質のことで端的に言えば心の構成要素である ]。

 ……つまり、よくわからない。
 共感覚って?

 違う感覚が特別に混ざり合うような感じで……
 普通でも変でもなく、独特な感性??

 上手に説明もできないし私の先入観や妄想とも考えられるので、結局私の中に籠もらせたままでいる。

 一瞬、(あおい)くんも……共感覚者かと思った。
 なんか鋭い洞察力に驚かされるとゆうか……ううん。

 たぶん、葵くんのクオリアだ。
 葵くんの感覚や感性が私の中のクオリアに縺れて絡まってくる……そんなイメージ。

 近くにいるとドキッとしたり、背中がソワソワするのはきっとそのせいだ。今も、これからも……葵くんに刺激されて影響を受けて、私の高校生活は終わりを迎えるのだろう予感がした。